君の隣に咲くならば
中庭の花の木は散りかけていた。淡い花弁がひらひらと舞い、地面に小さな雪のように積もっている。
アヴェリンはその中に立っていた。まだ、エルリックの死を受け入れられずに。
「……こんなに咲いてたなんて、気づかなかった」
誰に話しかけるでもなく、ぽつりと呟いたその声に――返事があった。
「そりゃ、君の目が真っ赤で、空ばっかり見てるからじゃないのかな?」
振り返ると、そこにいたのはケイラン・ヴァレリアンド。第二王子の名に似合わず、制服の襟は緩く、腰に佩いた剣だけが異様なほど整っていた。
「……ケイラン殿下」
「まーたその呼び方、いつになったらやめてくれるんだい?」
「……失礼しました。では、ケイラン様」
「うん、それも微妙だな。まあ、好きに呼んでいいけど」
アヴェリンの前に立つと、ケイランは彼女をまっすぐに見つめた。
「昨日、レオ兄とジュリアンが口論してたんだって?」
「……はい。偶然……その場に居合わせてしまって」
「でも……アヴェリンもその喧嘩に参加したとか」
その言葉に、アヴェリンは気まずそうに押し黙る。
「…………正直なところ、俺はジュリアンより兄貴の方が分かりやすくて好きだけどね」
「……え?」
「レオ兄は“自分が生き残りたい”ってはっきり言う。アヴェリンの怒りは正しいよ。でもね……本当に王になりたいと願うなら、誰もが誰かの死を願わずにはいられないよ。残酷な話だけど、それが現実だ」
その口調に、苦さと諦めが滲んでいた。
「でも……あなたは、そんな風に笑って言える人じゃないと思ってました」
エルリックが自ら命を絶ったのを目にしたケイランの別人のような変貌も、走って医者を呼びに行った姿もアヴィリンはちゃんと覚えていた。
「おや、俺に期待してる?」
「……少しだけ」
ふ、とケイランが笑った。その瞬間、彼の影がアヴェリンの心に優しく差し込んだ――まるで剣のように鋭く、けれど、どこか温かい。
「少しだけ、か……もうちょっと欲張ってもいいかもね」
軽口を叩きながらも、その声にどこか本気が混じる。そのとき――
「……ずいぶんと……仲睦まじいようですね、お二人とも」
その声が風を割った。
アヴェリンが振り返ると、そこには第五王子マイロ・ヴァレリアンドが立っていた。
整えられた髪に、月光のように冷えた瞳。いつもの穏やかな笑顔は張りついた仮面のように凍っていた。
「マイロ様……」
「アヴェリン様、心配しておりました。お身体の具合は、いかがですか?」
「……はい、なんとか」
「それは何よりです。しかし……こんな朝早くから、ケイラン兄さんと二人きりとは、珍しい」
マイロの目が、アヴェリンではなくケイランを射抜いた。笑みを浮かべたまま、瞳だけが鋭く光る。
ケイランは肩をすくめて、やれやれといった様子で言った。
「嫉妬かい? 弟にこんな目で睨まれるのは初めてだな」
「嫉妬、ですか……とんでもない。ただ、ケイラン兄さんは人の心に土足で入るのが得意だと思って」
マイロはゆっくりと歩を進め、アヴェリンの隣に立つ。あくまで紳士的な表情を保っていたが、ケイランの目がわずかに細められた。
「それはお互い様だろ?」
「ご安心を。私は“必要なときにだけ”動く主義です。……ですが最近は、放っておけない場面が増えてきましたので」
その一言に、ケイランの口角がわずかに持ち上がる。
「……マイロにしては珍しく、感情を露わにしてるねえ。これは“個人的な理由”でもあるのかな?」
「どうでしょう。ただ、アヴェリン様と親しくされる姿を見るのは……少々、目に毒でしたので」
挑発だった。あくまで丁寧な口調ながら、マイロの言葉には棘があった。
二人の王子の間に、無言の火花が散る。
アヴェリンはその気配に戸惑いながらも、そっと口を開く。
「マイロ様……私は、ただ……少し歩いていただけで……」
「ええ。アヴェリン様に非があるとは思いません。問題は――この方です」
そう言ってマイロはケイランを見た。
「そんな悪者にみたいに言わなくても、ただお喋りをしていただけじゃないか」
「兄さんは、誰かを慰めるような人間ではなかったはずですが」
「たまには変わるんだよ、人ってやつは。特に、“気になる女”の前では」
「…………っ」
アヴェリンの頬が赤くなった。
マイロのまぶたがかすかに震える。そして一歩、アヴェリンに近づくと、ケイランを見たまま言った。
「では、私も少しばかり“変わって”みましょうか。今度の夜会、アヴェリン様を私の付き添いにお誘いしようと思っているのですが……兄さんより先にね」
「ふぅん、それは困ったな。どうしようか、アヴェリン?」
ケイランがいたずらっぽく笑って、アヴェリンの顔を覗き込んだ。
「俺の剣の手入れに付き合ってくれるって、言ったばかりなんだけど」
「そんな約束、してません……!」
「え? してなかったっけ? あれ、俺の願望だったかな」
「……お二人とも……子どもみたいです」
困ったように笑ったアヴェリンの表情に、二人の王子が同時に見惚れた。
風が吹き花弁が舞う。
その中心にいる少女は、誰よりも罪深く美しかった。
「また話そう。……今度は、邪魔者が入らないところで」
それだけ言い残し、ケイランは木々の間へと歩いていった。
残されたマイロは、深いため息をつく。
「……ケイラン兄さんと話していると、時々、自分が浅ましい人間に思えてきます」
「そんなこと……」
「けれど、私が抱く想いもまた、偽りではありません。……どうか、それだけは信じてください」
アヴェリンは、彼の真剣なまなざしに、返す言葉を見つけられなかった。
そのままマイロもケイランとは違う方へと歩き去っていく。2人の背中を眺めアヴェリンの胸が張り裂けそうになる。
まるで、心がふたつに引き裂かれていくように。




