白い棺に君を選びて
淡い霧雨が舞う朝。王都の大聖堂前庭には、白い花びらが絨毯を敷いたように散り敷かれていた。冷え切った空気の中、薄墨色の喪服に身を包んだ人々が、静かに行列を作り歩を進める。
アヴェリンはその一員として、重い心を抱えて斎場に向かった。薄氷を踏むような緊張と、胸を貫くような痛み。背筋を伸ばして歩くたび、心の奥に押し込めた感情が、足元からじわじわと溢れてくるようだった。
斎場の中心には、ひとつの白い柩が安置されている。銀の縁取りが施されたその蓋は、まるでこの世から優しさを封じ込めたかのようで、見る者の胸を締めつけた。
祭壇の周囲には白百合と紫の鈴蘭が静かに飾られ、空気には淡い線香の香りが漂っていた。アヴェリンは、そっと胸に手を当てる。そこに確かにあったはずの温もりが、もうこの世界にはないという事実を、どうしても認めたくなかった。
――エルリック殿下。
瞼の裏に浮かぶのは、図書室で本を読みふける彼の横顔だった。誰にも気づかれず泣いていた自分に、あの日そっとハンカチを差し出してくれた彼の手。控えめで、けれど優しさに満ちていた少年。
「ア、アヴェリン様……だ、大丈夫……ですか……?」
その声が、今も耳の奥に残っている。震えるような、でも勇気を振り絞った声。
人見知りで口下手なあなたが、そう声をかけるのは、きっと勇気のいることだったでしょう。
あの一言が、どれほど彼の心からのものであったか、今なら分かる。言葉はたどたどしくても、その思いは、誰よりもまっすぐで優しかった。
柩のそばに立ち尽くし、アヴェリンはそっと布の端に手を伸ばす。けれど、触れることはできなかった。冷たい現実を指先でなぞってしまえば、すべてが壊れてしまいそうで。
涙が一滴、頬をつたって落ちた。そのしずくは、柩に触れる寸前で空気に消える。
ジュリアン王子は席に深くうつむき、まるで病に倒れたかのような顔色をしていた。彼の拳は膝の上で震え、唇はきつく結ばれていた。一言も発さずとも、その痛みがどれほど深いか、アヴェリンには分かった。
そして、マイロ王子は嗚咽を隠そうともせず、まるで幼子のように泣きじゃくっていた。いつも朗らかで、からかい上手な末弟の姿はそこになく、ただ「お兄様……」と繰り返す彼の声が、空虚に響いた。
鐘の音がひとつ、またひとつと遠くから届く。参列者は皆、静かに頭を垂れ、涼やかな雨音に身をゆだねた。空さえも泣いているような朝だった。
***
葬儀が終わり、参列者が帰路につく中、静まり返った玉座の間では――。
「女神の代行者、アヴェリン・ド・レイヴェンコートよ。最初の“選定”を行う時が来た」
老王の低く乾いた声が、重く広い空間を揺らす。
アヴェリンは静かに頷き、ゆっくりと扉を押し開けた。冷たい石の床に足音を落としながら、凍りつくように静かな玉座の間に足を踏み入れる。
中央には、選定の玉座が厳かに据えられていた。五人の王子が並ぶはずの席──そのうちの一つ、エルリックの席だけがぽっかりと空いている。その空白が、他のどの飾りよりも重く、痛ましい。
アヴェリンは薄く目を伏せ、そして、小さく囁いた。
「ごめんね……エルリック殿下……あなたをここで選ぶことを、お許しください」
その言葉に、誰も応えはしない。ただ、玉座の間に冷たい風が流れ、白いカーテンが小さく揺れた。
「女神の代行者として……王の素質がない王子を申しあげます」
アヴェリンは、掌を震わせながら審神の眼を使うことを拒んだ。これは力で決める選定ではない。誰よりも、心の中で葛藤し、涙し、苦しみ抜いた末の決断。
「死人に王は……当然、務まりません」
唇がかすかに震える。それでも、彼女は言葉を紡いだ。
「最後に選ばれるべきは、あなたではないのです」
その声は、ひどく静かだった。けれど、その静けさは、怒号よりも鋭く空気を切り裂いた。
玉座の床に、一枚の赤い花びらが落ちる。アヴェリンは指先でそれを拾い上げ、しばし見つめた。朱に染まるその色が、かつて彼と交わした笑顔の記憶を、痛々しくもあたたかく照らしていた。
「これが、最初の選定。私が選んだ者の、最後のキスは──もう帰らぬ君への、永遠の別れの印なのだと……」
そうつぶやいて、彼女は深く頭を下げた。
「最初の脱落者は、第四王子、エルリック・ヴァレリアンド殿下。ここに、不要と断じます」
鈍い金属音が玉座の間に鳴り響く。
その音は、鐘のように静かに──しかし、確かに。彼の死と、この“選定”の重さを刻みつけた。