芹沢先輩は同期が大好きだった
芹沢先輩が泣き止むのを待っていたのだが、体全身をすっかり真っ赤にさせてしまっているのを見て、これ以上の長湯は危険と判断した俺は先輩に上がるように促した。
折角の美青年が色んな液体で大変悲惨なことになっていたので、シャワーで一掃するように助言もする。
流石にアイドルが人に見せていい面では無い。
先輩も思いっきり泣いて体が熱いのか、素直に風呂から上がるとそのままシャワーに直行した。
向こうが顔などを洗っている間に、俺も軽くシャワーを浴びる。
は〜〜〜、色々あったけど、ま、結果オーライだな。
銭湯を出た後は地図マップで見たチェーン店のピザ屋に行って持ち帰ることにして、途中でコンビニに寄って2Lのお茶類を買い込んで⋯⋯と家に帰るまでの工程を反芻する。
そして、「そろそろ上がりましょうか」と先輩を拾いに行くと、そこには滝行のようにシャワーに打たれている先輩がいた。
推しの思わぬ姿に絶句する。
脳裏に過ぎるのは、『SSR 芹沢真白 滝行』という存在し得ない筈のガチャのイラストだ。
あまりの光景を見てサクッと我が脳も錯乱してしまっているようだ。
どうやら高い位置にあるシャワーを選んだせいで、行水しているように見えるらしい。
しかも水圧がえげついせいで、ザッザッザと鈍い音が先輩の痛み一つない金髪に直撃している。
アイドルがしていい絵面じゃねぇ。
どういうことだってばよ。
俺の最推しは外れちゃいけない螺を、水捌けの良いタイルの上に落っことしたんか。
こんな姿を見たら、また周囲にいる銭湯の客が心配するじゃねぇか。
気になって見渡してみると、案の定、遠くから健気にもこっそりと伺っているおっちゃんたちの顔がポツポツと見える。
予想通りだったわ。
先輩に声を掛けたそうにしてるけど、『俺なんかが行ってもいいのか』って顔をしてどいつもこいつもモジモジしてやがる。
本当、おっちゃんって性別に関わらず、綺麗系に弱いよな。
俺もだけど。
あんまり先輩を放っておくと勝手にカオス空間が出来上がっていくように思われたので、程々の所で回収する。
今の芹沢先輩にはカリスマ学生アイドルの欠片が一つも無いので、念の為にと『銭湯って結構、タイルやらマットレスやらで足場が悪いのでしっかりと歩いてくださいね』と注意喚起をしようと思った。
⋯⋯が、すっかり惚けきった先輩の顔を見てしまい、この調子だと絶対転けるからと介護することにした。
先輩のほっそい片腕を取って、こっちですよーと脱衣場内を案内する。
真っ裸だが、気分はさながらバスガイドだ。
なんとかトラブルを引き起こすことなく、無事にロッカーの前に到着した我々は、番頭さんからレンタルしたタオルで体を拭う。
お風呂で温まった熱が引く前に着替えようと手際よく体を拭うも、背後から続々と聞こえてくる声達が気になってしょうがない。
それというのも──。
「お兄ちゃん、牛乳飲むか?」
「いやいや、今どきの子はサイダーとかの方が良いんじゃないか」
「ここ、アイスもあるぞ」
「モナカも風呂上がりに食べたら格別だよ。チョコとバニラの二種類があってな」
「なんでも言いな〜あんちゃん。皆、奢りたそうにしてるからよ」
その声の持ち主は、お客さんであるおっちゃん達だからだ。
奴ら、とうとう先輩が気になって一緒に上がってきてしまったらしく、何かしらを買い与えようと意を決して声を掛けてきたらしい。
流石に取り囲んだりはしてこないが、わらわらと飛んでくる貢ぎたそうな声を聞きつつ、つい感心してしまう。
さすが、芹沢 真白。
一泣きでオッサン達を手玉に取り、しかも貢物まで向こうから勝手に納めようとしてくる所まで持っていっちまうか。
此処までくると、もはや本当にこの人は天使とか御使いとかなのかもしれないとさえ思えてくる。
遠慮するなと言わんばかりのおっちゃん達に、芹沢先輩は首だけで振り返る。
そこに浮かんでいるのは、ガチャや立ち絵で何度も見てきた花が綻んでいるような笑顔だ。
さっきまでぐすぐすと泣いていた先輩はすっかりとなりを潜めて、学生アイドルの頂点であることをまざまざと分からせられるアイドル・芹沢真白がそこには降臨していた。
「お気遣いいただき、ありがとうございます。食べ物はアレルギーが多いのでお気持ちを頂きますね。あと湯船を汚しちゃってすみません。着替えた後にスタッフの方にお声掛けします」
しかも、芸能人としては100点満点の対応を披露している。
同性のおっちゃんやおじいちゃんとはいえ、知らない人からの差し入れは受け取れないもんな。
「いんや〜大丈夫大丈夫。どうせ俺らみたいなのの汗やらなんやらが入っているだろうしよ」
「そうそう。兄ちゃんの涙ぐらいどうってことないわ。コイツが言ったみたいにそんなもんよりもっととんでもないものが入っとるし」
「なんや辛いことがあったみたいだけど、元気出しなぁ。あんちゃん綺麗な顔しとるんだから、辛気臭い顔は心配なるわ」
おっちゃん達の話を聞いていたら、段々ともう一回家で風呂に入り直したくなってきた。
おっちゃん達は先輩のフォローで言ってくれてるんだろうけどさ。
でも悲しいことに、言ってることは間違いない。
大衆浴場の男湯ってそんなもんだけどな。
改めて言葉に出されると分かってはいてもキツイもんがある。
「先輩、早く着替えて帰りましょう。あんまり遅くなると夕飯遅くなりますし」
アイドルとしてのファンサが板につきすぎてる先輩は、おっちゃん達に対しても丁寧に対応するのでまだ下着一丁の姿だ。
こんな所、先輩を担当しているマネージャーが目にしたら卒倒もんだろう。
しかし今日、先輩は色々と酷い絵面を披露してきているから、俺だって少しは耐性がついてきている。
それよりもパンイチでずっと喋っていると風邪を引く恐れがあるため、そっちの方が気に掛かり程々の所で口を挟ませてもらう。
「ああ、そうだね。皆さん、すみません。そろそろお暇させていただきますね」
おっちゃん達に断りを入れて、漸く自分のことに取り掛かる先輩にホッとする。
最後まで先輩に誠意的に対応してもらったおっちゃん達はすっかり骨抜きのようで、「また来いよ」とか「今度は元気な時にな」とか口々に優しい声をかけていた。
一緒に風呂を共にしただけでファン化させてしまう芹沢先輩のアイドル力が留まるところをしらない。
『やっぱりプロは違ぇや』と先輩のプロっぷりに舌を巻きつつ、支度を済ませた先輩を連れた俺は思ったよりも長居することになった銭湯を漸く後にした。
◇◇◇
ピザ屋に入店すると、これまたピザ屋に来たことがないと芹沢先輩が物珍しそうな顔をしていた。
それなら先輩の食べてみたい物を食べようと思い、店員からメニュー表を借りる。
「お店のピザは、四種類のピザが一枚に合わさった物もあるのか」
待合用の簡易的なベンチに腰掛け、メニュー表を眺めている先輩の目がキラキラしている。
銭湯も初めて行ったと喜んでいたし、多分この人は結構な箱入りなんだろうな。
「折角だからこのタイプにしてみます? これだったら、これとかこれとか、あとはこういうのもありますね」
「うーん、そうだね。チーズにパイナップルって合うのかな⋯⋯こっちはピザなのに蜂蜜?あ、茸⋯⋯」
「茸はNGな感じっすか」
「い、いや!流石にこの歳になって好き嫌いはしないよ」
そうは言いつつも、ナチュラルに視界から茸が乗ったバージョンの物を弾いている。
俺はその分かりやすい先輩の反応に、ついニヤリとしてしまった。
ゲームのプロフィールにも、嫌いな食べ物の項目にしっかりと茸って書いてあったもんな。
その他にも茄子とかお麩が並んでいて、食感に弾力がある物が嫌いなんだなと納得した覚えがある。
普段は何処から見ても完璧なアイドルを保っている芹沢先輩が、ピザ屋のメニュー表を見て百面相しているのがどうにも目新しく、ついからかいたくなる。
そんな俺の意味深な顔に先輩も気付いているようで、ちょっと気まずそうにしているのも面白い。
やっぱり、俺の最推しは噛めば噛むほど味が出てくるんだよな。
こういう男子高校生らしい所をもう少し押し出したら、もっと人気が出そうだ。
先輩なら高校を卒業して本格的にアイドル活動を始めたら、直ぐに地上波デビューを飾ることだろう。
まだ気が早いが、全国区で活躍する先輩の姿が見られるのが楽しみだ。
最終的に購入したピザは、茸もパイナップルも載っていない、マルゲリータや海鮮・肉系がトッピングされた四種類の物を二枚お持ち帰りすることにした。
お持ち帰りだと値引きされると知った先輩が「目覚しい企業努力だな」としみじみしていたが、それがトドメとなり、最後の最後で笑いの防波堤が決壊した俺は暫く先輩の顔をマトモに見ることが出来なかった。
家に帰ると、即座に手洗いを済ませてピザパーティーを開催した。
ダイニングテーブルに購入したピザを並べ、コンビニで選んだ緑茶やサイダーをコップに注いでいく。
芹沢先輩はすっかり気分が乗っているらしく、粗方の手伝いを済ました後は楽しそうにスマホで写真を撮っていた。
プライベート用のSNSにUPしていいのかと聞かれたので頷く。
こんな金のない大学生みたいな食事が芹沢先輩のSNSに載るのかと思うと変な感じがしないこともないが、先輩も男子高校生だからな。こういう写真が一枚くらいあったって良いだろう。
購入したピザは久しぶりに食べるからか、めちゃくちゃ美味かった。
寮の食事も美味しいが、こういうThe・ジャンキーな夕飯は久しぶりだったこともあり、より満足感が高い。
マネージャーと一緒に食事管理をしているらしい先輩は専用のアプリに打ち込んだカロリーに感嘆していたので、少しだけマネージャーに悪いような気がした。
が、そういやこの人は最近、食事すらマトモに取っていなかったんだと思い出し、じゃあいいかと思い直す。
「先輩って、食事制限とかは苦にならないタイプっすか?」
「ん?食事制限⋯⋯?嗚呼、これは別に制限でもなんでもないよ。ただ、自分の体を知っていた方がパフォーマンス力が高くなるからとやっているくらいなんだ」
「へぇ、そういうものなんすね」
てっきり、ストイックな先輩らしく食事制限の一環でカロリー計算をしているのだと思っていると、そこへ予想外な返答が返ってきた。
多分、それがマネージャーの言い分なんだろうな。
そういった側面も勿論あるだろうが、俺としては所属しているアイドルのデータを数値化して管理しているような気がして他ならない。
まあ、でも先輩は全然気にしていないみたいだし。
俺が勝手に気にするのは無駄なことだろう。
空き箱を潰して、二人でピザパの片付けをしたら後は寝るだけだ。
寝る場所については初め、自室に先輩分の客用布団を持ち込むかとも考えていたのだが、姫城誠の自室は寮と同じ長篠二葉が乱舞するオタク部屋だったことを思い出し、即座に却下した。
Angel*Dollの現チームリーダーの芹沢先輩だったら気にしなさそうだけどな。
寧ろ、先輩は凄い喜んでくれそう。
でも、あのオタク部屋を人に見せるのは流石に憚られる。
結局、寝場所は客用布団が仕舞われている和室にした。
二セットある布団を押入から出して、横に並べていく。
なんだか修学旅行みたいな感じだな。
「和室に布団だと、修学旅行って感じがするね」
どうやら先輩も同じようなことを思ったらしい。
ニコニコした顔の先輩は就寝のために、白蘭高校の制服から貸出したパーカーとハーフパンツという寝巻きルックに着替えている。
俺と先輩では背の高さが10cm前後は変わってくるので、出来るだけ体格に関係なさそうな部屋着を着て貰ったのだが、カジュアル着でもちゃんと正統派アイドルを発揮している。
この人はもう、アイドルの星の元に生まれてきたとしか思えない。
なんでこんなにアイドルなんだろうなと最早、意味の分からないことにまで思い馳せそうになったが、枕の高さ調整のために貸したタオルでせっせこ作業している姿を見ていると途端、そんな感想も萎んでいった。
どうも、芹沢先輩は枕の高さに拘りがあるタイプらしい。
こんなどうでもいい情報、アプリでさえも聞いたことがなかったので初聞きだ。
せっせと気に入る寝床を作る先輩に何故か巣作りする兎を幻視しつつ、横戸を占める。
時刻はなんやかんやと午後十時過ぎ。
高校生が布団に入るには少し早いが、色んな出来事があったせいで眠くてしょうがない。
今ならお休み一分も目じゃないなと大欠伸をかます。
「姫城君は、ペットボトルの蓋や開けた扉を直ぐにちゃんと閉めるね」
「え、そうっすか?」
そこへ、唐突に枕の高さ調整をしていた先輩が褒めてきた。
自分でもあまり意識していない部分を褒められたせいで、ついしどろもどろになってしまう。
「うん。やっぱり、お祖母様が言うように、ちゃんとしてる人は細々とした所作が丁寧なんだろうね」
「それは⋯⋯その通りかもしれませんね」
「戸をね、開けっ放しにする人はやっぱり心に隙間があるんだ。出会った頃はちゃんと閉めているような礼節のある人でも、環境が変化して心に不安が生まれたら、自然と戸を開けっ放しにするようになる」
特定の人物を思い浮かべながら話しているのだろう先輩の表情は、思ったよりも穏やかなものだ。
凪いだ声で滔々と言葉を紡ぐ先輩は、もしかしたらある程度の蹴りが自分の中でついたのかもしれない。
「姫城君も知っていると思うが、私には小早川 昂汰という同じグループの同期がいた。とあるラジオ番組で共演した女性アイドルと熱愛報道が報じられ、それが原因でウチを脱退し、中退。私が知っている彼は、そんな破滅の道を辿るような安い男ではなかった」
先輩の話を聞きながら、自分の布団の上にぽふんと寝転がる。
仰向けのまま、煌々と点いている照明を眺める俺を気にもせず、先輩は話を続ける。
「熱愛報道が報じられる半年前から昂汰の様子は可笑しかった。いつも毅然としていて、頼りになる男だった彼は、いつしか打合せやレッスンの遅刻や無断欠勤が増えるようになり、もう一人の同期である聖仁とも険悪になっていったよ。
その時、私は何もせずに昂汰が元に戻るのを待っていようと傍観していた。昂汰の様子が可笑しいのは、事務所に所属して忙しくなったから。だから、この生活に慣れさえすれば、私の知っている昂汰が戻ってくるだろうと理由なく思い込んで。
多分、あれらは昂汰なりのSOSだったんだろうね。だが、私は最後まで気付くことが出来なかった。報道されても投げやりになるばかりだった彼を引き止めることも出来ず、俺は指を咥えて見ているばかりだった」
話している途中で膝を抱えて丸くなった先輩は、銭湯で風呂に浸かっている時のように目を伏せる。
その横顔はあの時のように後悔に塗れているようなものではなく、 只管に寂しそうだった。
メインストーリーでも語られることがなかったスクープ前の小早川 昂汰の様子。
照明を眺めながら先輩の話を聞いて、やっとこの騒動に対して俺には腑に落ちたことがあった。
多分、小早川 昂汰は芸能界の闇に飲み込まれちまって、そのまんま帰って来れなくなったんだな。
学生アイドルとはいえ、白蘭高校のAngel*Dollは創設者が国民的アイドルな為にネームバリューがある。
しかし、だからといってAngel*Dollの組織体制は白蘭高校のアイドル科への姿勢を見るに、地下アイドルの管理体制とどっこいどっこいのレベルだろう。
学生を守るには十分なセキュリティだろうが、アイドルを守るには貧弱過ぎる。
そこが、学生アイドルという中途半端な存在が持つジレンマなのかもしれない。
ただ、そんな感想は思っていても芹沢先輩に告げるべきではない。
そして、先輩はきっと慰めも共感も望んではいない。
「⋯⋯先輩って、昂汰さんのこと大好きっすよね」
だから無難に、小早川 昂汰を語る先輩を見て抱いた印象を告げる。
同じ高校の友達であり、グループの同期ということもあって芹沢先輩はめちゃくちゃ小早川への思い入れがあるっぽいもんな。
ここまで想って貰えるなんて同期冥利に尽きるんじゃないか。
何故か先輩は、意外な言葉を聞いたとばかりに目を丸くしていた。
そして、思わずとばかりに破顔する。
それは今日ずっと見てきたアイドルスマイルとは比べ物にならない程の会心の笑顔だった。
「うん。昂汰は入学式の時から、ずっと頼りにしている私の親友なんだ」