狂季環から脅された
遅くなったホワイトデーです。
二ヶ月もお待たさせしてしまい、大変申し訳ございません。
これにて第二幕、閉幕です
P.S 3/19 申し訳ございません。修正前の文章を記載していたようなので、完全版を再掲載しております。
黄昏館を出た時には一緒に並んでいたはずなのに、いつの間にか俺より10m先にいた先輩が、思い出したように首だけで後方へと振り返る。
「誠君、白蘭タワーはこっちの道から近道した方が早いんだ」
「相変わらず歩くの速ぇっす! 先輩と俺の脚の長さって、5cmは確実に違うんですよ!!」
「そんなことないよ。私と誠君の身長はだいたい3、4cmくらいの差だろう?」
「アンタの公式身長と比較しても、10cmは違うっつーの!!」
背が高い奴って、なんであんなにも他人の身長に興味が無いんだろうな。
見てる景色が高い分、視界に入る情報量が少ないからだろうか。
変装用のパーカーのフードを被って、あまり人通りのない小径の先を悠々と歩く芹沢先輩の背中に向かってシャウトする。
俺の怒りの大声に驚いたらしい先輩は、その場に縫い付けられたかのように足を止めた。
どうやら、俺のシャウトで思考が停止しているらしい。
この隙にと追い付いて横に並ぶと、先輩は傍に駆け寄ってきた俺をしげしげと見下ろした。
「本当だ。誠君って、思ったよりも小柄だね」
「これはこれで腹立つっすわぁ」
「え!?どうして!?」
どうにも年下の親戚を見るような生暖かい目で見下ろされているような気がしてきて、ついガンをつけてしまう。
俺に凄まれた瞬間、またもや機嫌を害するようなことをしてしまったのかというような焦った顔つきになった先輩は、分かり易くオロオロとし始めた。
たとえ、人目から逃れるように衣装の上からパーカーを羽織り、フードを目深く被っていようと、季節外れのマスクを装着していようとも、先輩の困りきっている様子は一目瞭然だ。
──あのキング・オブ・学生アイドルの芹沢真白が、たかだか二つ下のチームメイトの機嫌を伺うような場面に遭遇することになるなんてなぁ。
しかも、対象は俺。
世の中とは本当に何が起こるか分からないものだと、呆れにも似た溜息が口から溢れ出る。
遣る瀬無い気持ちを抱きながら、おたついている先輩を眺めていると、臀に入れているポケットから着信音が鳴った。
メールの受信ではない長い着メロを、応答ボタンを押して静かにさせる。
スマホを耳に当てた途端、聞こえてきたのは白星による藪から棒なお願いだった。
『マコちゃん。絶対無理だと思うけど、魔王からの指令です。こし餡のたい焼きにオリーブオイルとガラムマサラのトッピングでお願いします』
『虎南先輩って、もしかしてインド出身なんじゃねぇの?』
『それ俺も言った!そしたら、すんごいニコニコ顔で中指立てられたんだけど!?俺、明日処刑されちゃうかな!?』
『流石、白星。あの虎南先輩に、そこまでさせたんだな』
最近、王子様ポージングが取れかかっている虎南先輩は、どんどん中身の柄の悪さが出てきつつある。
俺達よりも一年長く時を共に過ごしている二年生達によると、意外と手が出るのも早いタイプらしく、逆浪先輩は三回ほど胸ぐらを掴まれているんだとか。
ちなみに一番胸ぐらを掴まれた回数が多いのは、信じられないことに芹沢先輩らしい。
まだ先輩達が新入生だった頃の芹沢先輩は、週に二回は虎南先輩に胸ぐらを掴まれて、ガンを飛ばされていたのだとか。
だが、そんな輩な脅しをされても、先輩は友達だからと言ってのほほんとしていたようだ。
──あの人の友達判定、ガバすぎるにも程がないか。
隣を軽く一瞥してみると、当人は電話している俺を興味深そうに見下ろしていた。
ただ、その興味津々そうな視線には、言葉を選ばずに白星と喋っている様を羨んでいるような色も見える気がする。
──もしかしたら、暗幕下にて『対等な友人として扱って欲しい』と言われたせいか。
自意識過剰になってるだけかもしれないが。
『一応、店員さんに頼んでみる。虎南先輩も落ち着いたみたいで良かったな』
『本当にそう!!めちゃくちゃ怖い顔をして、黄昏館の控え室に引きこもってしまった時はどうしようかと思ったけどね。呼んでも、扉を叩いても、何にも返事が無いから、また過労でバタンキューしちゃったのかと思った。早く生存を確かめなきゃっ!ってなって、スタッフにマスターキーで開けてもらったら、まさかの部屋の隅っこで体操座りしてるんだもん。しかも、スマホを見ながら、声を押し殺して泣いてんだよ。取り敢えず、スタッフの人達にはお引き取りしてもらったよね·····」
俺と芹沢先輩が暗幕の中で攻防戦を繰り広げていた時。
握手会が終わって、撤収作業中だった向こう側でも事件が勃発していたらしい。
古坂兄は、虎南先輩にも小早川先輩の動画を送っていたようで、撤収作業が一段落着いた頃合のタイミングで、虎南先輩が片手間にそれを見てしまったことが発端だった。
動画が小早川先輩の無事を知らせるものだと知った虎南先輩は、白星が言ったように剣呑な顔つきになって、黄昏館の待機室となっている一部屋に飛び込むや、籠城してしまったんだとか。
まさか虎南先輩が現状の小早川先輩の様子を知って、人前に出られる状態にないことを把握していない一年生・二年生組は、副リーダーのご乱心に大わらわになった。
呼んでも騒いでも出てこない副リーダーに、もしかして中で倒れてるんじゃないかとあっという間に早とちりしをした彼等は、マスターキーを持っているスタッフを言いくるめてドアを開けてもらった。
開けてもらった扉の向こう側は、照明も点灯されていない真っ暗な部屋だったようだ。
廊下から差した照明が奥の角っこで、小さくなっている虎南先輩を浮き上がらせた。
膝の上にスマホを置いて、両肩を微かに震わせながら嗚咽を漏らしていた副リーダーの姿に、目撃してしまったエンジュ一年と二年はそれはそれは衝撃を受けたらしい。
その異常過ぎる出来事を目の当たりにしてしまった白星の口から前もって聞いていた俺は、改めてしみじみと思った。
本当·····三大天使は心理カウンセラーとかに掛かった方がいいんじゃないか。
常軌を逸してるという一言では表せないぐらい、一蓮托生過ぎる。
『二年生達が、早いこと代替わりした方がいいんじゃないかって相談してた。多分、俺達が思っている以上にギリギリなんじゃないかって』
『まぁ、そりゃそう思うわな·····』
三年生のメンタルの重症具合を憂ているのは、俺だけでなく、二年生達もらしい。
まだ、六月とあって、あまり世代交代などを考えている気配がなかった二年生達でさえ、自分達が引っ張っていかなければならないと覚悟をさせるくらいには、虎南先輩のご乱心ぶりにはショックを受けているようだ。
白蘭高校が所有するアイドルチームの代替わりは、冬休みの前に行われる大きなアイドルフェスイベントを終えた後が恒例になっている。
しかし、今のAngel*Dollの三年生が、果たして冬まで持つかどうかとなると、内情を知れば知るほどに怪しく思えてくる。
スマホを片耳に当てながら考え込んでいると、傍らで俺達のやり取りを伺っていた芹沢先輩が、突然、俺の意識の不意をつくようにスマホを奪った。
海外のスリも拍手をするだろう、見事な手際で俺のスマホを奪った芹沢先輩は、呆気にとられている俺の視線を受けながら、後輩のスマホを片耳に当てる。
『心配は無用だよ。むしろ、これで私と聖仁はもっと本腰を入れてアイドル活動に専念できる。狸のOB達から昂汰を取り返すためにも、実力を示さないといけないからね。そう、二年生達にも伝えてくれる?うん、ありがとう。じゃあ、聖仁を宜しくね』
恐らく、一方的に白星に用件を告げたらしい芹沢先輩は、白星の反論を聞く前に素早く電話を切った。
そして、オツカレンジャーのレッドが決めポーズを取っているホーム画面に戻ったスマホを、俺へと渡してくる。
「ごめんね、誠君」
「·····一つも悪いと思ってない謝罪は別にいいっすよ。それより、俺としても先輩達は夏休みぐらいはお休みされてもいいかと思うんすけど」
芹沢真白が、心の底から『悪い』と思う時ってどんな瞬間なんだろうな等と詮無きことを考えてしまうくらいには、全く悪びれてない先輩の謝罪を受け流しつつ。
早期引退は極端すぎる提案だとは思うが、夏休みくらいは学生アイドル業を離れて、バカンスにでも行ってきたらどうだろうと投げ掛ける。
だが、芹沢先輩には『休暇』を打診される理由が分からないとばかりに小首を傾げられる。
「どうして?」
「先輩達がそこまで情緒不安定なのって、元の性質的なものもあるかと思いますけど、多分取れてない疲れもあると思うんですよ。だから、若さで無理を押し通すんじゃなくて、まだ取り戻せるうちに体と心のメンテナンスをした方がいいっすよ。特に2人はプロアイドルの生活と難関私立大の受験があるんですから」
「ふふふ。昴汰と似たようなこと言ってる」
「言っときますけど、俺は小早川先輩じゃないんで」
「うん。分かってるよ」
いつぞやかの夜に、はっきりと小早川先輩の代わりにしようとしたことがあると言われている身としては、たまったものじゃない感想だ。
しかも、これは小早川先輩の名前を出せば、俺が反応すると分かっていて、煙に巻くために発された言葉でしかない。
まともに話し合う気はないと態度と言葉で遠回しに伝えてくる芹沢先輩に、俺は遠くで砂塵が舞っている様子を眺めているチベットスナギツネのような目を向けた。
だが、俺の随分と物言いだげな視線を食らっても、先輩は被っているフード越しから十八番のアイドルスマイルを向けてくるのみだ。
これ以上は、不毛なやり取りにしかならないと見切りをつけた俺は、芹沢先輩が白蘭タワーまでの近道だという道程を黙って辿っていくことにした。
◇◇◇
現在、俺と芹沢先輩は昼ご飯の差し入れとして、鯛焼きを買いに行く途中だ。
不本意にも撤収作業をサボってしまった俺達は昼飯の調達を命じられ、前の月末ライブの時に芹沢先輩がオススメしていた鯛焼き屋に行くことになったのだ。
ただ、その鯛焼き屋が、黄昏館や黎明館から離れた所にある白蘭タワーの麓で開店しているため、ちょっと長めの散歩になってしまっている。
屋外授業でも滅多に来ない奥まった所に白蘭タワーがあるので、一般客の姿も殆どない。
本当にこんな辺鄙な所に出店があるのかと、段々訝しむような気持ちにさえなってきた辺りで、白蘭タワーの出入口が視界に映る。
タワーの簡素な両開きの観音扉が見えてきたところで、その隣にテントが張られているのも見えた。
運動会で見るような白い屋根のテントの傍には、『黄金のたい焼き屋』という商号が書かれた上りが立っている。
テントの中では型を温めている八巻頭のおじさんがいて、彼は近付いてくる俺達を見るなり、「へい、らっしゃい」と抑揚の無い挨拶を放った。
見るからに、職人気質っぽさを感じる愛想のないオジサンだ。
しかし、芹沢先輩はぶっきらぼうな挨拶に物怖じせず、目の前まで行くと軽く会釈した。
「こんにちは。今日は漉し餡、用意出来そうですか?」
「·····なんだ、エンジュの所の坊か。漉し餡、用意出来るぞ。あの日は悪かったな」
「お気になさらないでください。あの日は私も、つい我儘ばかりを言ってしまいました」
オススメをするだけあって、芹沢先輩とオジサンは顔見知り同士らしい。
話を聞く限り、過去に二人の間には衝突があったようだが、今は和解しているようだった。
エヘヘと笑う芹沢先輩は頬を掻き、対峙しているオジサンは作業をしていた手を止めて、親しそうに言葉を交わしている。
だが、二人の会話は、先輩が俺へと視線を寄越したことで区切りがついたようだ。
「今日はうちの差し入れで寄ったんですよ。残りはチョコが二つと、白餡が二つ、チーズが一つ、栗餡が一つ、誠君は?」
「俺は粒あんで。あと、漉し餡にオリーブオイルとガラムマサラのトッピングって出来たりしますか?」
「·····出来るぞ」
「やっぱ、無理っすよねー·····え?」
「あの態度のデケェいけ好かない兄ちゃんの注文だろ?あの日からガラムマサラとオリーブオイルも常備してるからな」
──本当に、先輩達はこのオジサンに何をやったんだ?
クエッションマークを浮かべる俺の顔をオジサンは見てとっているだろうに、こちらの疑問には触れられないまま、温めていた型に生地を流し込んでいく。
タプタプと鯛焼きの半面が手際よく真っ黄色の生地で満たされていき、次々と具が投入されていった。
ライブ終わりに見るにはあまりにも毒すぎるとガン見するのも程々にして、一緒になって興味深そうな顔つきで鯛焼きが出来ていく様を楽しそうに眺めている先輩へと矛先を変えた。
「一体、ここで何やらかしたんすか?」
「うん?別に心配することの程ではないよ。食の可能性は無限大だということを再確認したってことくらいだから」
ざっくばらんなことを飄々と言ってのける先輩に、俺は思った。
──この先、エンジュの一員として活動していく中で、過去のOBや先輩達がやらかした出来事に、いつか遭遇する日とかもあるんだろうなと。
優等生学生アイドルとして名を馳せているAngel*Dollであるが、実情はそうでもない事をこの1ヶ月でまざまざと思い知った。
前のリーダーである古坂猩も、一度出会ったら、二つくらい騒動を投げつけてくるし。
現リーダーのこの人も、お淑やかさは見た目だけだし。
俺は、よく晴れた初夏の空に向かってため息を吐いた。
職人技であっという間に具の違う8個の鯛焼きを焼き上げたオジサンから品を受け取って、焼きたてのうちに皆のところに帰ろうと踵を返す。
ガラムマサラ入りがあるせいか、柔らかな餡子や甘ったらしいチョコに混じって、スパイシーな香りが紙袋から漂ってくる。
俺とすれ違った人は、よもや、この紙袋の中身が鯛焼きだとは思うまい。
混じりあった匂いに複雑な顔をしていると、芹沢先輩が待ったを掛けてきた。
「誠君は、白蘭タワーに登ったことある?」
予想外な先輩の言葉に促されるようにして、視線をすぐ近くに聳え立っている白蘭タワーへと向ける。
真っ白な外観をした白蘭タワーは、太陽の光を煌々と照り返している。
麓から見上げているせいで、太陽光を眩く反射させている真っ白な外壁が、視界の殆どを埋めていた。
上層部は360度から眺望が見えるようにガラス張りになっているようで、キラキラと海面のよう煌めいている。
スカイツリーや東京タワーなどの鉄骨が剥き出しのタワーではなく、のっぺりとした外壁をしているせいか、チェスのクイーンにも似ているようにも思えた。
それが、何処と無く得体の知れない大きな建造物という印象を与えてくる。
全長444mもある白蘭タワーは神撫駅からも姿が見えることもあって、この辺りではランドマークとしても有名だ。
「登ったことは、ないっすけど」
「じゃあ、ちょっと登っていかない?彼処の展望台からの眺望は本当に絶景なんだ。受験の時に、初めて登った時に凄く感動しちゃってね。この街を好きになったのは、白蘭タワーのお陰でもあるんだ」
「·····まぁ、いいっすけど」
鯛焼きが焼きたてのうちに持って帰りたい気持ちも山々だが、黄昏館までの道程を考えると、どちらにせよ、冷めてしまうことだろう。
であれば、どうせ『行かない』と首を振ったところで、聞きゃしない芹沢先輩と口論して、無駄に時間を費やすよりかは、さっさと望みを聞いて事を終わらせた方がタイムロスがないだろうと判断する。
俺の諾を聞いて、フードの下から輝かせた緑の目を向けてきた先輩が、嬉しそうに「ありがとう!」とはにかむ。
咄嗟に俺は、先輩のはにかんだ笑顔から顔を逸らしてしまった。
別にこれは推しの喜び顔を直に受け取って、目をやられてしまったとかそういうのではない。
あの心底嬉しいと伝えてくる、無邪気な喜びがダイレクトに伝わってきて、背中がどうにもムズムズとするせいだ。
そんな座りの悪い俺の鯛焼きを抱えていない方の手を当たり前のように取って、先輩は白蘭タワーへと連れ出していく。
あっさりと取られた手に、驚く間もない。
芹沢先輩の早歩きのペースについて行くのが必死で、手を振り解く余裕もなければ、文句を言う暇もないままに白蘭タワー内へと入館した。
つんのめるようになりながらも立ち入ったタワー内は、エントランスになっている部分が吹き抜けになっているようで、かなり天井が高い。
開校した当初の白黒写真や、各部活が入手したトロフィーが並ぶ、白蘭高校の歴史を感じられるスペースがあるが、それらを満足に鑑賞することも出来ないまま突き当たりにあるエレベーターへと直行した。
エレベーターは二基あり、左側の方は最上階に位置しているようだったが、右側は一階に置いたままになっている。
先輩が開ボタンを押した瞬間、チンと硬質な音が鳴った。
待機していた右側のエレベーターの扉が開き、俺達はスケルトンになっている箱の中へと入りこむ。
俺の手を引いたまま、芹沢先輩が迷いなく展望台行きのボタンを押したことで、鉄扉が閉まった。
ガタンと起動するような振動がして、全面ガラス張りのエレベーターが重力を置き去りにするように急上昇していく。
気圧の変化で耳が詰まる不快感の中、俺は隣に立っている芹沢先輩の横顔を盗み見た。
二人でいる時は何かとお喋りなのに、先輩は固く唇を閉ざしていた。
フードの下から覗く、地上から遠ざかる街の光を見つめる先輩の瞳は、不思議な色を称えているようだった。
この街に住んでいる住人としての里心からくる慈愛や、先程語ってくれた受験時を思い返しているような懐かしさとも違いそうな、複雑そうな面持ちだ。
その横顔はゲーム知識の中にいる芹沢先輩の立ち絵に、ほんの少しだけ似ているように伺えた。
だが、スマホの向こう側にいる【プリズム☆アイドル】で生きていた芹沢真白というキャラクターは、俺の隣にいるこの人とは似ても似つかない別人だ。
誰からも好かれている優等生で、自分のことよりもAngel*Dollや白蘭高校のことを先に考えてしまう自己犠牲型のリーダーがゲーム中の芹沢真白だ。
『私はエンジュが存続してくれたら、それだけでいいんだ』
ガチャカードに搭載されていたサイドストーリーでは、こんな自己犠牲の塊のような、寂しいことさえ言ってしまうキャラクターだった。
目を離している隙に、今にも儚くなってしまいそうな切なさも同居している最推しだったのに、この世界の芹沢先輩は、何があったとしても自分の実力で事を思い通りに動かせてしまう強かさがある。
──【プリアイ】の芹沢真白にも、本当はこういう一面があったのかもなぁ。
俺が動き回っていることで改変してしまった部分もあるだろうが、皆の性格までとなると、本来持っていた気質もあるのではないかとさえ思えてくる。
たった一ヶ月ちょっとの俺の働きかけだけで性格がまるっと変わってしまうなら、この世では性格の不一致から来る争い事は起きないだろう。
俺自身もそこまで、自分に影響力があると自惚れることも出来そうにない。
──芹沢真白の場合、シナリオライターが章ごとに交代してしまうゲーム会社の都合で、儚いキャラのまま卒業してしまった可能性とか十分あるもんな。
チーン、という乾いた電子音と共に扉が開いた。
視界に飛び込んできたのは、地上444メートルからの絶景を映し出している硝子の空間だ。
壁という壁が全て硝子で施されており、太陽の日差しを受けた白いリノリウムの床が眩く輝いている。
必要最低限のソファやテーブルしか設置されていないこともあって、展望台自体は外観で見るよりも随分と広いように見える。
だが──エレベーターからの直線上にある景色を遮るようにして、二つの影が立ち塞がっていた。
鉄扉の開閉音に気付いた影達は、新たな客を確認するように各々の動作で振り返る。
隣にいる影よりも先に振り返った一人目は、上から羽織った白衣が目を惹く、制服を模範的に着こなした青年だ。
キューティクルを帯びた淡いピンク色の髪は、簪で緩くひとつに纏められていて、ワイシャツの衿ぐりから覗いている項がなんとも艶っぽい。
病的に白い肌に嵌った兎のような赤い瞳は物憂げに伏せられたまま、こちらを静かに一瞥していた。
性別がどちらか判別しにくい容姿でありながらも、細い首元に嵌った南京錠付きのチョーカーが大きな違和感として存在を主張している。
そして、不可思議な容姿をした人物の隣に佇むのは、無造作に整えられたヘアスタイルをしている割には、シャツの皺が1つたりとも見えない半袖シャツと学校指定のスラックスを履いた青年だ。
彼も抜けるような白い肌と、一度も染色をしたことが無いだろう見事な黒髪を持っており、人口の多くがカラフルな色彩を持っているこの世界では浮いているように見えた。
顔の上に掛けられている黒縁眼鏡が涙袋の大きなベビーフェイスを隠しているようだが、170cm後半にも届く高身長なこともあって、可愛らしいというよりは若手俳優のような清涼さが印象に残る。
この奇妙な二人組を見た瞬間、俺の心臓は一際鼓動を早めた。
「あれ、芹沢君。こんな所に来るなんて、珍しいね」
鈴の音のように軽やかめいているのに、さらりと手で直に心臓を撫でられたような物々しさが声音に潜んでいる。
ニッと糸のように細められた赤い目の双眸と、吊り上げられた口角は、傍目から見たら親しむような笑顔を向けられているとさえ見紛うだろう。
「こんにちは、狂季君。宇津木君もお揃いで、こんな所にいるなんて珍しいね」
芹沢先輩も見知っている者に対するように、和やかな挨拶を掛けている。
しかし、その穏やかな口ぶりとは裏腹に、先輩は握っていた俺の手をさり気無く手放して、鯛焼きの包みを抱えている俺の前へと出る。
──それはまるで、彼らの視線から俺を隠すように。
些細な芹沢先輩の行動を『狂季君』と呼ばれた白衣の男は一つも気にしていないらしく、軽快な口調で世間話を続けた。
「僕たちは、ちょっと街を見下ろしたくなってね。こう見えて、高い所が好きなんだ。我ながら、子供っぽいなとも思うけどね·····でも、そろそろ新しい訪問客に譲ってあげなきゃ。行こ、有栖」
狂季はそれ以上、絡むつもりはないというように、傍らにいる宇津木を促して、優雅な足取りで絶景の前から踵を返す。
今日のステージのために履いてきたらしい二人の白革のショートブーツが、カツカツとリノリウムを叩く。
外のお祭り騒ぎから天高くに隔離された展望台で、高らかに鳴る硬質な足音が近づいてくるのを聞きながら、俺は知らず生唾を呑んでいた。
隣に従えていた宇津木と似たような背丈なこともあって、色合いと華奢な肩周りのせいで小さく見えたはずの狂季は、目の前にやってきた時には高身長らしい圧迫感を感じた。
すれ違いざま、彼の肩が俺の視界を掠め、鼻腔を刺すような人工的な香水の匂いが漂ってくる。
──ゲームでは、薬品の匂いを纏っていたと描写されていたような気がするが・・・。
だが、こちらの世界ではお香のような匂いをさせている狂季に胸中で首を傾げたところで、また、心臓が不気味に高鳴った。
その瞬間。
「·····入っちゃったんだ」
ポツリと、吐息のような囁きが耳に届いた。
キュッと心臓が縮こまったせいで、痛みが胸元に走る。
不穏に落とされた声に誘われるがままに振り返ると、そこには此方に顔を向けもせず、ただ横顔だけで軽薄に笑う狂季の姿があった。
俺は、借り物であるキャップの下で、髪の生え際から一気に冷汗が噴出してくるのを自覚した。
嬲るような視線で、俺を捉える男──狂季。
下の名前は、環。
学年は芹沢先輩や虎南先輩と同じ三年生。
所属しているアイドルチームは『N=?』であり、圧倒的な支持率でリーダーになったカリスマ。
そして、『プリズム☆アイドル』における一年生編のボスだった。
『終わらせよう。くだらない【アイドル】が、持て囃される時代なんて』
脳裏に過ぎったのは、片手で顔を覆って、猛毒にも等しいニヒルな笑みを浮かべた狂季環の立ち絵と、淡々とメッセージウィンドウ上で紡がれる破壊思想を含んだ言葉の羅列。
演じた声優が、『本当にこのキャラクターは、ガチャに搭載されることになるメインキャラクターなんですよね?』と何度も収録現場でゲーム会社の担当者に聞いたらしい。
それ程に、ヴィランとしての思想と設定を持っている、全ルートのボスキャラクター。
なんでこんな日常で、とんでもない男達と鉢会うことになってしまったのか。
あまりにも邪気が強すぎる狂季に圧倒されていると、俺を庇うように芹沢先輩が再び前に出てくれた。
「ウチの子に、ちょっかいをかけないでくれる?」
先程までの穏やかさが微塵にも感じられない凍てついた声に、庇われている俺の方が情けない声を出してしまいそうだ。
しかし、狂季は芹沢先輩のブリザード対応を前にしても、全く顔色が変わらない。
「芹沢君、後輩にぜーんぜん興味ないくせに、そんなこと言っちゃうんだ。その子、自分のことを見てくれてるって勘違いしちゃうよ?」
「全くの勘違いではないから、問題ないよ。むしろ、もっと私の気持ちに理解を示してくれる方がずっと嬉しいくらいだもの」
途端、狂季が信じられないことを聞いたとばかりに、従えている宇津木に顔を向けた。
「有栖。芹沢君があの子を認知しているように聞こえたのだけど、僕の気の所為かな」
「·····気の所為じゃないと思う。芹沢君は彼のことを、かなり気にかけているように見えるから」
狂季の視線が、またもやこちらに向けられた。
ただし、今度は芹沢先輩の後ろにいる俺を見通すような面白がった眼差しでだ。
「もしかして、思ったより上物?僕の嗅覚が珍しく機能しなかったってこと?まあ、いいや。もう取られちゃったし」
宇津木と対話することも止めて、とうとう狂季は一人でブツブツと意味不明なことを唱え始めた。
しかし、それも僅かな時間のことで、ピタリと呟くのをやめると、また取り繕ったようにヘラりと笑った。
三日月型に緩められた赤い瞳はルビーのように煌めいているのに、中身が空っぽに見えるせいかチープなビー玉のようにも伺える。
「ねぇ、芹沢君。君は、自分の価値を知ってる?」
またもや唐突なことを言い始めた狂季が、今度は芹沢先輩を真っ向から見据えた。
唐突な問いに、先輩が怪訝そうに首を傾げた。
だが、要領を得ないと言外に告げてくる芹沢先輩のことを気にせず、まるでお品書きを読み上げるように事務的で平坦な口調のまま、狂季はさらに言葉を続けた。
「Angel*Dollの芹沢真白。芹沢商事の一人息子で、紫水旅団のメンバーの一員。会食に誘っただけで100はいくかな」
「それは、狂季君·····」
淀みなく告げられた言葉に、芹沢先輩が二の句を告げないでいる。
Angel*Dollのリーダーから言葉を奪ってしまうほどに、狂季が発した言葉は禁忌の一端だった。
しかし、止めることも非難することも出来ずにいる芹沢先輩を嘲笑うように、狂季は次々とタブーを白昼の下に晒していく。
「逆浪家の跡取りは手を出せないから別として、古坂柊矢はあの古坂猩の弟ということで20。海嘉次狼は元全国大会出場の中学校バスケ選手で15……。そこの姫城君は、会員たちの『好物』に近いから60ぐらいは出るかなぁ」
淡々と語られる数字は、どう聞いても金額でしかなく。
しかも、その額は、俺たちが血の滲むような思いで作り上げたステージへの対価ではなく、ただの【アイドルとしての商品金額】だった。
あまりの吐き気に、眩暈さえも覚える。
脳裏では、ゲームのシナリオにあった狂季の台詞がまたもや、リフレインした。
『僕たちは、お綺麗な服を着せられて、ステージの上で歌うだけの人形と変わらない。素材と産地と性能と、縫製の違いだけで金額が変わってくるだけ。偉い人達の人形遊びに飽きるまで付き合わされるのが、この仕事の本質だよ』
学生アイドルゲームという、キラキラした青少年達の青春活劇を楽しんでいるファン層を、一気に地獄の底へと叩きつけたのが狂季というキャラクターだった。
狂季は実装されるよりも先に、度々各ルートでサブキャラクターとして登場していた。
登場するたびに意味深な発言をして去っていく彼は、元々ボスとして予定されていたキャラクターだったからこそ、儚げで美しい容姿と透き通った声を持っており、僅かの出演だけですぐに沢山のファンがついた。
だが、正式にメインキャラクターとして実装された後に紡がれた【N=?】の物語は、芸能界の闇をこれでもかと見せつけてくるサスペンス仕様で、皆が心待ちにしていたアイドルは手遅れな程に病み散らかしていた。
その時はもう、賛否両論あるという言葉が生半可に聞こえるほどに荒れたらしい。
──だから、俺は嫌だった。
【N=?】の連中や、狂季と関わりあうことが。
此奴らに関わったら、必然的に芸能界の闇の手が俺たちへと伸びてくることを知っていたから。
「やめて、環」
もはや、一人舞台を楽しむように悪意を振りまく狂季を制するように割って入ったのは、意外にも彼の連れである宇津木だった。
ところが、仲間の待ったを聞いてなお、暴君の『品評』は止まらない。
「でもね、君のところには、もっと金になる子がいるんだよ」
狂季の瞳が、愉悦に歪んだ。
芹沢先輩の顔から、一気に血の気が引いていく。
まだ名前を挙げられていないメンバーで、なおかつ狂季のお眼鏡に適う人物といったら──あとは一人しかいない。
「画空聖架の息子で、虎南樹弁護士の養子。Angel*Dollの副リーダー。·····客達は、いまだに伝説のアイドルを忘れられずにいるから」
それは、ゲーム本編でもついぞ明かされなかった深層部に隠された、とっておきの秘密だ。
俺がたまたまその秘密を知れたのは、様々な偶然が重なってあの汚部屋に入れたからこそ。
それなのに、同じ学年同士という接点しかなさそうな狂季が、何故か虎南先輩の根幹で眠っているルーツを入手している。
「どこで、聞いたの?」
「僕の親しい人から。彼、小早川君が中退した後も派手に行方を探したんだね。あんなにお母さんの人脈使っちゃったら、バレるって分からなかったのかな」
弱弱しいというよりかは、途方に暮れているような芹沢先輩の問いかけに、狂季はなんてことないように情報源を口にしてみせた。
狂季から正解を聞かされた瞬間、目前に立っている先輩の両肩が、ほんの少し強張ったような気がする。
その反応を見る限り、芹沢先輩は虎南先輩の母親と養父のことを本人から打ち明けられていたのだろう。
狂季は指を一本立てて、囁いた。
「500」
立てた人差し指に、狂季は見せつけるようにキスを落とす。
「虎南聖仁は、500になるんだ」
刹那、展望台の空気が凍りつき、この場から音の一切合切が消えたような気がした。
先程まで黄昏館の控え室で咽び泣いていた、あの不器用で真っ直ぐな副リーダーの価値が、汚い金で語られる。
それの、なんて非道徳で、邪悪なことか。
「彼なら、専属契約だって可能じゃないかな。一生、陽の当たる場所には出てこられずに、飼い殺しだろうけど」
しかし、言葉にしてしまった本人は全く意に介してないようで、ケロリとした顔のまま、最悪な未来を興味なさげに語っていく。
手慰みに立てた人差し指が、こめかみの横で垂れている短い毛をくるりと巻いた。
「エンジュに手を出したらどうなるかなんて、狂季君ほどの男なら分かるよね?」
芹沢先輩の声は、もはや地を這うような静かな怒りに満ちていた。
これまでに見たことが無いほどに怒っている芹沢先輩の怒気が、背後にいる俺にまで伝わってくる。
この一か月間でも何回か怒っているっている芹沢先輩は見たことがあったが、あんなのは怒っている内に入らないくらいに優しいものだったんだなと実感するほどに。
だが、真正面から晒されている狂季はどこ吹く風といった体で、ひらひらと軽薄に手を振る。
「勿論。でも、芹沢商事はそこまで脅威でもないかな。僕の知り合いにも、同じレベルの社長さんはいるしね。じゃあ、君たちの最終兵器である国民的アイドルの長篠二葉サンはどうかというと、アイドルをやっているなら金額がつく側だし。僕もそろそろ三年生になっちゃったから、使命を全うしなくちゃいけないんだ」
芹沢先輩の脅しにも屈せず、寧ろ、それがなんの脅威になるのかと言わんばかりに、狂季の人差し指が更に毛をくるりと巻いた。
「大丈夫だよ、芹沢君。ドールハウスぐらいなら、僕が皆さんに掛け合って──」
「行こう、環。時間が迫ってる」
延々と闇の中から俺たちの行く末を語っていた狂季だが、悪魔による独壇場は彼らの事情によって、呆気なく幕を引いた。
「あ、ちょっと·····!有栖!?」
控えていた宇津木が颯爽と狂季の腕を引いて、いつの間にか口を開けて待っていた鉄の箱の中へと消えていく。
まだ何かしら狂季は言いたいことがあったような口ぶりで、腕を引かれながらも俺たちを振り返ってくる。
しかし、宇津木の華麗なる手際によって箱の中へと突っ込まれた後は、直ぐに扉が閉まって姿が見えなくなった。
芸能界の奥底から手配された二人組がいなくなったことで、この場に残されたのは真っ白な空間と、荒い呼吸を繰り返す俺たちだけだ。
一階ずつ階を降りていく度にエレベーターの所在階が光るボタンの数字を見ながら、俺は最悪の予感に震えていた。
原作でも、こんな展開はなかった。
狂季が虎南先輩をターゲットに選ぼうとすることなんて──。
「先輩·····?」
目の前で微動だにせず、閉じ切ったエレベーターを見ている芹沢先輩に恐る恐る声をかける。
俺の声が届いていたらしい先輩は、ゆっくりとした動作でこちらを振り返った。
その瞳は暗幕の下でこっそりと泣いていた先輩と同一人物とは思えないくらいに、冷徹なまでの決意を宿している。
鮮烈な眼差しに射抜かれた俺は、圧倒されたかのように喉を鳴らす。
ただ、その鮮烈な眼差しから視線を下へとずらしていくと、胸の前で震えている手が、ぎゅっと握られる様子が見えた。
そんなに握り込んでしまったら、爪が掌の皮膚を突き破ってしまうんじゃないかと心配してしまうほどに。
先輩はか細い声で告げた。
「大丈夫。全部、私がなんとかするから」
ただ、発されたその声音は酷く湿り気を帯びているように俺には聞こえた。
☆★☆
白蘭タワーの最上階で、リーダーと同期が禍々しい悪意に晒されているその頃。
桜羽庵璃は、元モデルであり、現役女優の母親と控室に接している廊下で対峙していた。
デビューライブの無事を見届けていた母親が控室近くまで来ていると、スタッフに呼び出されてのことだった。
「凄いわ、凄すぎだわ!!やっぱり、私の息子は超絶イケメンだって改めて実感したもの!その美貌と意外と様になっているアイドルぶりが全世界に発信されてお母さんはとっても満足です」
唾の広い女優帽子に、ファーストファッションでも売っていそうなシンプルな黒のワンピースを纏っている母親が、ずずいと興奮したように桜羽に詰め寄ってくる。
鼻息荒くにじり寄ってくる実の母親に、桜羽は面倒なファンから距離を取るように一歩ずつ後退した。
「別にこんな所まで来なくても、電話で呼び出してくれたら良かったのに」
「お母さんもそうしようと思ったんだけどね。でも、北白川先生が桜羽音呼が来てることが他のお客さんやスタッフにバレたら面倒だからって、ここまで連れてきてくれたのよ。楽屋までどうぞって言われたけど、流石にそれは遠慮したわ」
「北白川先生には迷惑ばっか掛けてる。申し訳ない」
今回、芸能人の母親がどうしても生でデビューライブを見たいと言い出したのをきっかけに、桜羽親子は度々担任でありAngel*Dollの顧問でも北白川と連絡をとっていた。
これまでの学校行事でも両親が参加する際は事前に学校側に報告をすることにしていたので、今回も桜羽は母親の参戦について北白川に相談していたのだ。
北白川は元学生アイドルという経歴を持っていることや、アイドル学科という芸能クラスの側面を持っているクラスを担当していることもあって、これまでに通っていた学校に比べてかなりスムーズに桜羽音呼の来訪準備を整えてくれた。
彼には今回のデビューライブのための特別レッスンを受けさせてくれたり、母親のことであったりとつくづく世話になっている。学校を卒業するその日まで、北白川に足を向けて寝ることは出来ないだろう。
「北白川先生、あんなに若いのにしっかりされてるわね。お母さん、先生にアンを担当してもらっただけでもこの学校に入学させたことに満足だわ。でも、それより、も~~~~~っと満足していることがあります」
つかの間の遣り取りの間で、すっかり北白川に骨抜きにされているらしい母親は、最近会話をするたびに絶対一度は北白川を褒めちぎる。
母親が熱心な北白川のファンになってしまった姿を見るたびに桜羽は、よもや父親にも似たようなことをしていないだろうなと心配してしまうのだ。
今や国民的スターになった父親は、己の覇道を叶えるためにテレビ局の重役を持つ母親と結婚したのだと業界では都市伝説並みの噂になっているが、母親にはちゃんと愛をもって接していることを知っている。
意外と愛妻家の側面を持っている父親に、母親が息子の若い担任に夢中になっていると知られたら、家庭崩壊の危機再びである。
──なお、桜羽の出奔後、父親は奇妙なくらいに静まり返っている。
恐らく母親と一緒に新居で暮らせているので、一先ず落ち着いてはいるのだろう·····多分。
「それは、アンに素敵なお友達が出来たことです!さっき、位置取りを間違えたアンを助けてくれた誠君って、同じクラスの子なんでしょう?もうっ、お友達が出来たなら電話の時に教えてくれたらいいのに!あなたって子はいつも『うん』とか『大丈夫』とか端的な言葉ばっかりなんだから。誠君って一般のお家の子なのかしら。その辺り、北白川先生は個人情報だからって教えてくれなくて·····」
「知らない。お母さん」
「うん?なにかしら」
「姫城に迷惑をかけたら、たとえお母さんでも許さない」
すでに北白川に無茶を言って困らせた節がある母親には、少々暴走癖がある。
母親の行動力によって、これまでの人生でも色々と迷惑を被ってきたことがある桜羽は、姫城まで餌食になってはいけないと思い至り、特大の先制を食らわした。
いつもは『知らない』の一言だけで一蹴する息子が、わざわざ言葉を付け加えて『許さない』と宣誓してくる様に、母親は言葉に詰まった様に固まった。
見下ろしてくる桜羽の双眸には見慣れない強い光が差していて、ここまで強い態度と言葉で告げてくるのは、『俳優を辞めたい』と言った時以来だ。
たった二ヶ月の間に随分と変化してしまった息子の様子に、母親は呆気に取られているようだった。
気まずい沈黙が流れ、そろそろ控室に戻らねばと桜羽が切り上げようと口を開いたところで、不意に横から声が掛かる。
「庵璃。その人は?」
その声は柔らかい色をしているのに、桜羽は耳にする度に身が引き締まる。
ただ、今日ばかりは労わる気持ちさえも滲んでしまう声に促されるがままに首を向けると、そこには案の定、Angel*Dollの副リーダー・虎南がいた。
「お疲れ様です·····この人は俺の母親で」
「虎南聖仁君ね。アンのチームの副リーダーさんだったかしら」
一瞬、虎南に母親を紹介することを躊躇ってしまった。
Angel*Dollの加入試験を受けた時、虎南達が桜羽に合格を出したのは両親のコネクションを利用するためだと大っぴらに言われたことが脳裏を過ったのと──虎南にも同じ芸能人の母親がいるが、彼の母親は桜羽の母親とは違って、虎南の存在を秘匿していることを思い出してしまったからだ。
虎南の母親が隠れて産み育てているということは、きっとAngel*Dollのライブにも来たことが無いのだろう。
甘えた自分の境遇と、生まれた時から荒波に揉まれている虎南を比べて、何とも言えない苦みが胸の内に薄く広がっていくのを感じる。
当の虎南は、桜羽から母親を紹介されて、会得したように顔を緩めた。
きっと分かっていて、わざわざ声を掛けてきただろうに、そんな様子は一欠けらだって出さない。
「やっぱり、桜羽音呼さんだったか。名前を憶えていただき、恐縮です。実は桜羽さんにはご夫婦で父がお世話になっているようですので、一度はお会いしたかったんですよ。父は月曜日にやっている【行列のできる法テラス】に出演していまして、何回か桜羽さんにも共演していただいたことがありまして」
いつもは顰めっ面ばかり浮かべてパソコンに向かい合っている裏番なのに、今はステージ上でしか見ることができない王子様笑顔を炸裂させている。
まるで、我らがリーダー・芹沢のような好青年ぶりを発揮する虎南に、桜羽は信じられないものを見たとばかりに目を剥いてしまった。
「あ!もしかして、虎南先生の息子さん!?確かに、とってもイケメンな息子さんがいるって聞いたことがあったけど、学生アイドルをされていたのね」
「今後は息子さんを含めて二世代でお世話になります。庵璃のことで、もし何か不安なことなどありましたら、私にもご相談いただけましたら幸いです。彼は他のメンバーと違って、業界ではかなり知名度がありますからね」
息を吐くように、1㎜たりとも思っていないことを言い連ねていく虎南の二枚舌ぶりに、もはや驚嘆を通り越して、感心するような気持ちさえなってきた。
今日もライブ前にハッキリと『苦手だ』と告げたばかりなのに、よくもここまで口が回るもんだとしみじみしている隣で、虎南が手慣れたように懐から名刺入れを出した。
取り出された白革の名刺入れは、虎南が持つには随分と可愛らしい装飾が施されていた。
表面に付属しているロゴをよく見てみると、それは化粧品も展開している女性向けのブランドの物だった。
「あら、Cielじゃない。随分と可愛らしい名刺入れを使ってるのね」
「よく言われます。実は母からのお下がりなんです。男が使うにはちょっと恥ずかしいですけど、母はあまり使う機会がなかったみたいで」
「それで聖仁君が貰い受けたのね。お母さんとは、仲が良かったのね」
「ええ」
母親と話しながらも名刺を取り出していた虎南は、一端の社会人のように名刺入れの上に置いて差し出した。
差し出された名刺を受け取った母親は、一瞬、悩むような素振りを見せる。
少し考えるように名刺の裏を捲ってから、彼女は腕に下げていた小さな黒鞄を開いた。
開いた鞄の口から取り出したのは、一枚の名刺。
母親は受け取った名刺と合わせて、虎南へと手渡した。
「これ、私のマネージャーの名刺よ。本当は私個人の連絡先を教えてあげたいのだけど、念のために虎南先生に確認を取ってからにするわ。息子の先輩とはいえ、流石に緊急事態でもないのに未成年の連絡先を頂戴するのは気が引けるの」
長年、芸能界で生きてきただけあって、個人情報の取り扱いには人一倍敏感だ。
そんな母親がマネージャーの連絡先を渡すだけでも、かなりの快挙ではあるのだが、渡した名刺を突き返された虎南は苦笑を浮かべていた。
「では、手元に置いていただくだけでも。そこに書いてある電話番号は学校の固定電話ですし、アドレスは学校側から配布された私の個人アドレスです。すべて学校側の管理下に置かれている連絡先ですので、そこまで慎重になられなくても問題ないかと思いますよ」
「そう。では、有難く頂戴するわね」
虎南が母親のマネージャーの名刺を受け取り、母親は手元に残った名刺を鞄へと仕舞う。
息子の先輩と後輩の母親とのやり取りにしては、非常にビジネスライクなやり取りに、芸能界でしか生きたことがないわりに免疫がない桜羽は、圧倒されてただ眺めていることしか出来ないでいた。
虎南は母親がバッグの中に名刺を入れたことを確認して、ここらが引き際だと察したのだろう。
「では、失礼いたしますね」と軽やかに会釈をする。
実のある挨拶が出来たとばかりに笑みを深める虎南に対して、母親も「息子をよろしくね」とご機嫌に送り出していた。
ほんの数十分前までは、居なくなった同期の無事が確認できたと部屋に閉じこもって泣いていたはずなのに、出会ってから立ち去るまでの間、全く匂わせもしなかった。
嫌っている後輩の母親の前でも、よく思っていないことを僅かにも出さなかった演技力といい、凄い胆力である。
やはり、白蘭高校のトップを張っているAngel*Dollの副リーダーともなると、あれくらいのことは朝飯前に行わなければならないのかと、改めて己が所属しているアイドルチームの規格外ぶりを再確認する。
自分には精進しなければならないことが、まだまだ山ほどあるなと喝を入れ直したところで、視界の端で母親がコテンと首を傾げたのが見えた。
母親の視線の先を追っていくと、彼女はまだ虎南の背中を追っているようだ。
まさか、北白川の次は虎南が気になるのかと、桜羽が新たな家庭崩壊の目に慄いていると、息子の見当違いぶりを笑うように母親は零した。
「あの顔、誰かに似ているような気がするのよね·····」
姫はセージパイセンだったんですねっていう回です。
これで第2章の本編は終了し、オマケが更新後に第3章になります。
ここまでお付き合い頂き、ありがとうございました。
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