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最推しを助けたった

 アイドル科の授業は世の学生と同じ平日の五日間、朝から夕方までみっちりと行われる。


 しかし、授業内容は基礎的な実技四教科を含めた九教科の他に、『ダンスレッスン』『ボイトレ』『コンプライアンス』等といったアイドルに求められる教科も存在する。


 その為、普通の授業は半日しか行われず、もう半日は一人前のアイドルになるための授業が占めているような状況だ。


 ただでさえ偏差値45なのに、これではもっと世の中の学生達と学力の差がついてしまう⋯⋯と危惧してしまうのは俺に学生アイドルとしての自覚が一切無いからだろう。


 しかし、午前中に詰められた一般授業で大量発生する船を漕ぎまくりなクラスメイト達を見ていると、余計に危機感を覚えてしまうのも無理からぬ話だ。


 前の席にいる柳村のように一般の授業も真面目に受けている奴もいるが、左隣で一見まともに授業を受けているように見えつつ、たまにガクンと頭が前傾する桜羽みたいなのが全体の三分の二もいる。


 お前、このカラフルなカラーリングをしている世界で、黒髪黒目という真面目そうな色合いに生まれておきながら勉強出来ないタイプなのか。


 ゲームをしている時は桜羽がそっち側の学生だなんてエピソードは無かったので、普通に衝撃的な事実だった。



 ◇◇◇



 この世界に意識を覚醒させて、はや二週間が経とうとしている俺はそんな慣れない日常を謳歌しつつ、登校し始めてやっと最初の金曜日の夕方を迎えた。


「姫城君は、もう部活決めた?」


 帰り支度をしていた柳村が、不意にそんな問いを投げ掛けてくる。


 男と女の境目にいるような美人から部活という高校生らしい単語を投げかけられて、言葉の意味が咀嚼できない俺は一時停止する。


「部活?」


 黙ったままでは咀嚼出来なかったので、とうとう口に出すことにした。


 そんな俺の残念具合を微塵にも理解していなさそうな柳村は、肩に鞄をかけて「そうだよ」と頷く。


「アイドル科は強制じゃないけど、活動の幅を広めたり、単純に息抜きとして部活動に参加することは推奨されてるんだよね」


 は〜、学生アイドルともなれば部活は学業の気晴らしでもなく、自分の活動範囲を広めるための手段にもなるのか。


 この学校の生徒って芸能経験が無い素人が多いと聞いていたが、実は結構意識が高い奴が多い。


「柳村はもう所属してたりすんの?」

「それが、まだ検討中なんだよね。中学の時は弓道部だったんだけど、この学校はアーチェリー部はあっても弓道部は無いみたい。だから、入るなら未経験の部活なんだけど、どうしようかなって」


 ド素人の俺は弓道もアーチェリーも弓を(つが)えて矢を放つ競技だから同じように思えるのだが、多分そんなことはないんだろうな。


 ってか、柳村が弓道ってめちゃくちゃ似合う。


 学生アイドルですらない中坊の頃から男女のハートを射抜きまくってそうなので、ファンクラブとかもありそうだもんな。


「そうか。部活⋯⋯部活かぁ。やるんだったら体育系がいいな。この前、体育でドッジボールやったの、めちゃくちゃ楽しかったし」

「姫城君、大活躍だったもんね。球速いし、受けるのも上手だし。流石に飛びながら投げてたのは吃驚したけど」


 水曜日に行われた体育の授業は隣のB組との合同授業であり、お互いの自己紹介も兼ねていたこともあって、レクリエーションとしてドッチボール大会が開催された。


 やはりアイドル科といえども、結局は男子しかいない体育の授業。


 球を投げ合っているうちに授業のことなどすっかり忘れた16歳の青少年達は、男子校ノリ全開で遊び尽くした。


「あれは相手チームに引っ張られたせいだな。向こうにすっげぇのがいたからついムキになっちまった」

睦月(むつき)君も凄かったよね。あんなに遠い隅っこの所から投げてるのに正確に狙い撃ちしたりして」


 あの跳ねっ返りはマジで凄かったよな。

 しかし、奴がいたからこそ俺が意外にも動けると分かったので有難い。


「まあ、体育系の部活に入るとしても室内競技にはなるだろうな」

「俺達は日焼けできないから、そこは仕方ないよねぇ」


 日焼けした肌を色気に変えることも出来なくはないだろうが、姫城の美少年フェイスはやっぱり色白でなんぼだろう。


 柳村も色白でいることでバフが掛かる族の一員なため、俺と同じ条件下だ。


 その後、俺と柳村は来週の授業のことについて軽く話してから別れた。


 俺は寮へ、柳村は売店へ。

 彼は授業で使用するクリアファイルが足りなくなったのでその補充をしに行くらしい。


 寮へと戻った俺は、天井以外はそのままにされている長篠二葉ポスターに見守られている中で制服から私服に着替えると、もともと作っていた宿泊リュックを背負う。


 この土日は、市内にある自宅へと帰省することにしていた。


 本当はやり取りはしているが顔を未だに見た事がない父親とゆっくり団欒する予定だった。


 だが、父親が急遽、北海道に出張へと行くことになったことで再会はリスケになったのだ。


 しかし、父親のいない家だろうと俺は一度も行ったことがない自宅だ。


 姫城 誠への理解を深めるためにも帰省は無駄にならないだろう。



 ◇◇◇



 顔もまだ見ぬウチの親父はちゃんと飯を食っているのだろうか。


 そんな心配が浮かんでしまうほどに自宅にあったファミリー向けの冷蔵庫の中は空っぽだ。


 否、正確に言うとビール缶のケース、6Pチーズ、魚肉ソーセージ等のおつまみセットはあったが、食材らしい食材が入ってなかった。


 折角ある野菜室などもぬけの殻だ。

 チルドなんたらっていうハイスペック機能付きなのに勿体ない。


 市内の中心街よりやや離れた場所にある一戸建ての我が家にドキドキしながら帰宅し、ちょっと小腹がすいたので家の探索をするよりも先に夕飯でも作ろうと思って冷蔵庫を開けたらこの惨状である。


 たまにやり取りしていたSNSの返事がド深夜に返ってきたりするので薄々は勘づいていたが、もしかして姫城のお父さんってめちゃくちゃ社畜なんじゃないだろうか。


 姫城誠よりも父親への謎が深まった帰省だが、何はともあれ夕食を買いにいかなければならない。


 俺はリュックの底に入れていたカモメの柄入りエコバッグを引っこ抜く。


 ⋯⋯多分、カモメじゃなくてウミネコなんだろうけどな。

 これは姫城の部屋に眠っていた『Under sea cat』のグッズみたいだし。


 A3も入り、マチもしっかりしているので俺はこのエコバッグを重宝している。

 やっぱり国民的アイドルのグッズともなれば、グッズのクオリティも高いもんだ。


 帰省して数分しか経っていないが、夕飯を買うためにまた外へと繰り出す。


 バタバタと忙しないが、近所の探索も出来るのでこれはこれでありだ。


 ご近所さんに話し掛けられたら焦ってしまうだろうが、挨拶さえしっかりしていれば大丈夫だろう。


 おじちゃんおばちゃんは高校生の挨拶に弱いものだし。

 しかも俺、今は美少年だし。


 幸いにも家からスーパーまでの道のりにはあまり人通りがなく、すれ違う人々も団子になってはしゃいでいる小学生やスーツ姿のサラリーマンくらいだ。


 古い戸建てが多いから、もしかしたら家でまったりしているようなお年寄りが多い住宅街なのかもしれない。


 さして目印になるようなものもない至って普通の住宅街を歩いていると、スーパー等が居並ぶお店通りに辿り着いた。


 古めかしいゲートが通りの出入口付近に建てられており、そこには『えがを商店街通り』と掠れた文字で銘打たれている。


 俺の知っている商店街といえば、屋根の付いた歩行者天国の両脇をシャッターで締め切られたお店がいくつも並ぶような所なのだが、この商店街は細い路地にお店がポツポツと並んでいる形態らしい。


 何処かノスタルジックな雰囲気を醸し出す商店街通りを物珍しく眺めながら歩く。


 小中学高の給食センターにパンを卸していそうなパン屋さん。

 購買層の分からない紫髪のおばちゃんが経営している服屋さん。

『1000カット、あり〼』と手書きのPOPが貼られた床屋さん。

 出入口に暖簾が飾られ、今にも傾きそうな看板に『暁銭湯』と書かれた銭湯。


「お!ここ、銭湯あるじゃん!」


 間違いなく地域住民に愛されてなんとか経営が続けられているのだろう古き良き外観をした銭湯を発見して、俺のテンションがぐんと上がる。


 お風呂、好きなんだよなぁ。


 寮の正方形風呂も別に悪くは無いんだけど、足を伸ばして肩まで浸かる大きな風呂の開放感には敵わない。


 よし、飯食ってから入りに来よう。


 本日のメインが銭湯に変更された瞬間である。

 好きな飯を食って、でっかい風呂に入って、寝る。

 これほど至福な時間は無い。


 すっかり上機嫌になり、気が付かぬうちに鼻歌まで歌う。


  そんなご機嫌さんな俺の横を早歩きの男が通り抜けていった。


「うおっ!」


  風を切るように歩く男の急な出現に、ほけほけと歩いていたのでちょっとびびった。


 もはや競歩のトレーニングでもしているのかと思う速度で進む男は、あんなにせかせかと足を動かしているのにも関わらず、若干上体がふらついてる。


 なんだろう。

 すっげえ、嫌な予感がするんだけど。


 よくよく見ると、男が着ているのは白蘭高校お馴染みのレッドブラウンの制服だ。


 肩まで伸びた金髪は毛先まで丁寧に手入れされているのか纏まっており、頭部にはキューティクルの輪っかが出来ている。


 マメに手入れされている髪を見るに、その男は恐らくは芸能関連の学科にいるだろう。


 髪が長く、ブレザーの上からでも分かる華奢な肩幅をしているので女子生徒かとも思ったが、女子にしては全体的に角張っている気がする。


 頼りなく足早に歩く男がどうにも気になって、気が付けば俺は走り出していた。


 駆け出したのと同時に進路方向の先にある交差点を曲がってきたらしい軽バンが、徐行ぐらいの速度で此方へとやってくる。


 フロントガラス越しに見える、かったるそうに煙草を口に咥えているおっちゃん運転手を目にして、俺の嫌な予感レーダーは更に激しく震えた。


 刹那、軽バンが俺達の傍に通り掛かるというところで、もう目の前にまで迫っていた白蘭生が何をとち狂ったのか反対側へと渡ろうと足を向ける。


「阿呆か!!」


 急に向きを変えた男に俺は慌てて飛びつき、後ろへとありったけの力を入れて引っ張る。


 軽バンのおっちゃんが急に飛び出しそうになった歩行者を見て、目を真ん丸にしていた。

 咥えていた煙草がポロリと口から落ちる。


 そんな光景がコマ送りのように見える中、後ろへとダイナミックに下がった俺は男を抱えたまま尻餅を着く。


 幸いにも二週間前の交通事故の怪我は治っていたので、治りかけの打ち身に追い打ちを掛けることは無かった。


 無かったが、男一人抱えて尻もちをついたのでこれはこれで痛い。


 マジで俺、今年は厄年だな。

 短い間にこんだけトラブルに見舞われているなら、今年は生傷が絶えなさそうな一年になりそうだ。


 不吉なもしもに寒気を覚えつつも、イテテと打ち付けた臀部(でんぶ)と腰を摩る。


 後に引くようだったらまた病院に行かないとな。

 あのオジサン主治医には怒られそうだけど。


 そんなふうに今回得た痛みの度合いを確認していると、俺がまだ抱えている男がぐるんとこっちを向いた。


「すっ、すみません! 多分というよりかは、間違いなく助けていただきましたよね⋯⋯?」


 状況があまり分かっていないのか、あやふやな言葉遣いの男におや?と眉根を上げる。


 内容もツッコミ所があるが、それよりも気になったのは男の声だ。


 すっごい聞いた事のある声だ。


 夕食の時もゲームをしている時も、何かしらフルボイスが搭載された娯楽に触れている時によく耳にした落ち着いたテノールボイス。


 親の顔──否、親の声よりもよく聞いたような気がするこの声は、郷愁を感じるほどの懐かしさに満ちていて、何故か『久しぶり』と声を掛けたくなる。


「いや、まぁ、はい」


 恐らく前世で聞いたのだろうその声が目の前にいる人物の口から出てくることが信じられず、俺は歯切れ悪い言葉で頷く。


 しかもこの男──声だけではなく、顔も頗る良かった。


 肩まで伸ばされた金髪に覆われた小顔には形の良い横幅の広い目が配置されていて、瞳はエメラルドのようにキラキラと輝いている。


 筋の通った高い鼻に、薄いのに少し大きめな口元、第一ボタンまでしっかりとボタンで留られたワイシャツから覗く肌の白さでさえ眩い。


 アイドルの見本みたいな美青年がそこにはいた。


 しかし、惜しむらくは黒子一つない白皙(はくせき)の美青年なのに、目の下の隈が三徹したのかと思うほどに酷いことか。


 フラフラしているなと思ってはいたが、もしかして徹夜続きによる寝不足でのフラフラだったのかもしれない。


「ん? もしや君は⋯⋯姫城誠君?」


 そして、今日が初めましてなのに向こうは俺のことを知っているようだった。


 彼等は俺が知らないだけで、実は知り合い同士だったり⋯⋯するのか?


「そ、そうですけど。なんで、名前知ってんすか」


 もし知り合い同士だったのならば、俺のこの態度には大変ショックを受けることだろう。


 だが、何せ俺には姫城誠の記憶が無い。


 そのため、もし知り合い同士だと発覚したのなら、俺はちゃんと記憶が無いことをこの美青年に伝えるつもりだった。


 しかし、その手間はどうやら必要なかったらしい。


「あ、そっか。流石にこれは不躾過ぎたね。段階をすっ飛ばして申し訳ない。私もアイドル科の生徒なんだ。それで⋯⋯嗚呼、名前を言ってなかった。私は芹沢 真白(せりざわ ましろ)という。君のことは顧問から『とてもAngel*Dollが好きな新入生が入ってきた』と教えて貰ってて、顔と名前だけは知っていたんだ」


 抱えている美青年は落ち着きなく捲し立てるように自己紹介を終えるや、流石に俺の足の上に居続けるのは悪いとばかりに立ち上がった。


 (もたら)された衝撃的な情報の嵐に見舞われ、まだ此方へと戻ってこれていない俺は、アホ面を晒したまま美青年を見上げることしか出来ないでいた。


 そんな俺を気遣うように美青年──芹沢先輩は両手を取って立たせてくれる。


「ま、マジモンの芹沢 真白⋯⋯?」


 漸く口を開けたと思ったら、喉の奥から転がり出てきた言葉はあんまりにも頭の弱そうな確認だった。


「うーんと、偽物では無いことは保証出来るね」


 そう言ってブレザーの胸ポケットから生徒証を取り出した芹沢先輩は、未だに目を白黒とさせている俺の前に免許証サイズの薄い紙切れを掲げる。


 証明写真になっても陰ることを知らない正統派アイドルフェイスの横に記された個人情報の群には、確かに芹沢先輩の名前があった。


 思わず、顔を覆う。


 俺はプリアイユーザーだ。


 男なのに何故か男アイドルのソシャゲをやり込んでいて、シナリオにケチをつけたりはしていたけども、程々にはゲームを楽しんでいるライトユーザーだった。多分。



 そんな俺にも一応は推しというものがいて⋯⋯。


 Angel*Doll推し 真白担当だった俺は今、目の前でニコニコとしている御方(最推し)を前にどんな顔を晒せば良いのかが分からなかった。




ウミネコの英名は、black-tailed gullらしいです。





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