ゼックラ:救えるもの/救えないもの(前編)
華園霊慈には己のことをオーストリア貴族の末裔だと自称する母親と、世界全土にマエストロとして名を馳せた指揮者の父親がいた。
生まれた時から、子守唄は父親が率いるオーケストラ、遊び相手になってくれる人の殆どがオケマンとかいうクラシックの英才教育を惜しみなく施されていたこともあって、華園の興味は自ずと音楽に限定された。
そのため、指を自力で動かせるようになると鍵盤を弾いていたのだと語る大袈裟な母親の言にも妙に信憑性があり、2歳か3歳の頃には既に相棒と共にあったらしい。
小学校に上がる前には父親の紹介で、ベルリン国立歌劇場でピアニストをしていたこともあるという講師を付けてもらった。
日本在住の旦那と結婚したことを機にこちらへと戻ってきた彼女の指導の元、毎日毎日飽きもせずにピアノに没頭する日々を送る。
次第に国際コンクールでポツポツと優秀な成績を収めるようになって、いつしか常連と見なされるようになった華園は、中三の頃には世界各地に点在する名門と呼ばれる音楽学校から留学の声を掛けられるようになっていた。
誰もが皆、彼はこのまま音大を卒業してオケ入りするか、もしくはソリストになって、音楽史に名を残す立派なピアニストの仲間入りをするのだと信じていたことだろう。
しかし、その世間の評判は華園が白蘭高校 アイドル科に入学したことで、あっさりと反故になってしまった。
輝かしい未来が約束された人生の切符を破り捨てた華園に、ピアノ教師のみならず、両親でさえもこれまで散々ピアノを弾きまくったのだから、とうとう飽きてしまったのだろうと口を揃えて言った。
しかし、その感想は単純な思い込みであり、実際の所は違う。
『リストの生まれ変わり』とも称されていた若き天才ピアニスト・華園には、留学をするにあたって唯一とも言える大きな欠点があった。
それは──日本食をこよなく愛するがあまり、パン生活が中心の海外留学には耐えられないということだ。
つまり、彼は食文化の違いという一点において、華々しい栄光の道を切って捨てたのである。
◇◇◇
Angel*dollの一年生向けのボイストレーナーをこなした後、華園は神撫駅から電車に乗りこみ、品川駅まで来ていた。
神撫駅とは違う人の量と駅の入り組んだ構造に辟易としながら、高輪口から外に出る。
品川駅高輪口から数分と歩いた先には、有名なホテルに関連した建物が軒を連ねて建っている。
華園はその内に紛れ込むように佇んでいる雑居ビルの一つを認めると、マップ地図を開いて住所を確認してから入った。
踏み込んだ長細いエントランスの壁にはレターボックスが並んでおり、その頭上には案内板が掲げられているのが見えた。
年季の入った案内板には幾つかの飲食店名が書かれており、華園は店名達を軽くなぞるに留めて、呼んだエレベーターへと乗り込む。
指を泳がせることなく、『5』のボタンを押してエレベーターを閉めた。
軽度の浮遊感を感じたなと思った頃には、チンと電子音が鳴って鉄扉が開く。
開いた鉄扉の先には、四畳半ほどのフロアが続いていた。
しかし、高級感が漂う真っ黒な扉が一つあるだけで、その他には同じく黒塗りの壁しか存在せず。
どう見繕っても一見さんお断りの雰囲気が漂っている扉を前に、しかし華園は躊躇なく装飾的な取っ手に手を掛けて押し開いた。
見た目よりも厚みのあった扉を開けると、またもや黒を基調とした上品な調度品で誂えた店内に出迎えられる。
ギリギリまで落とされた暖色の照明と、サクソフォンが奏でる心地よいクラシックジャズが非常にムーディーで、如何にも『気合いが入った特別な日』に使われる場所といった非日常感が演出されている。
穴場のデートスポットとしても紹介されていそうな店内のカウンターの奥には、所狭しと常連にキープされているだろうワインボトルがワインセラーに並べられていた。
しかし、銘柄を見た所で未成年の華園には全く検討がつかない。
父親がワイン好きなので家族で食事に出掛けると、こういうボトルに入った飲み物をよく頼んでいたなぁと思うくらいだ。
暇潰しにと華園がワインセラーを眺めていると、奥の方からギャルソンエプロンを腰に巻いた男性の店員が出てきた。
「いらっしゃいませ。本日はご予約をされていますか?」
しっかりと黒髪を撫でつけ、シャツの袖口のボタンまでピッチリと留めている店員は、高校生くらいにしか見えない華園相手にも丁寧な物腰で対応してくれる。
「多分、常潟という名前でしているかと思います」
「ああ、常潟様でございますね。承っております。お席にご案内致しますね」
華園はこくりと頷いて、先導する店員の後を追う。
床が大理石なこともあって、歩く度に華園が履いている厚底のブーツがコツコツと音を鳴らした。
よく手入れされているらしく、表面から響いてくる音に雑音は混じっていない。
流石、美食家を自称するだけはある同期が選んだ店だと華園が機嫌を良くしていると、店員は店内でも最も奥まった場所にある扉の前で足を止めた。
「本日のお席はこちらでございます」
「ありがとうございます」
お手洗いからも程よく近く、他の個室からも離れているため人目についても気を張る必要も無いだろう。
良い席を用意してくれたことも含めて目礼すると、店員は微笑を浮かべてから扉をノックした。
硬質な音が二度続き、店員の手によって扉が開かれる。
エスコートしてくれた店員に会釈をして、扉の開かれた個室内へと華園が入室すると既にそこには1人の先客がいた。
五人掛けのソファが二対ずつ、対面になるように設置されており、先客は向かって右奥に座っていた。
学校から支給されているノートパソコンにモバイルバッテリーを繋げて、キーボードを叩いていたその男は前のめりになって画面を覗き込んでいるために、フワフワとした黄金色の金髪頭しか見えない。
しかし、扉が開いたことで新たな客が来たと分かったのだろう。
直ぐにキーボードが叩かれる音が止んで、綿毛のような金髪頭が引き上げられていく。
「弥沙、もう来てたんだ。早いね」
「霊慈さんもお疲れ様です。頼まれていた新入生のプロモが納品されたんで、こっちでチェックしていました」
華園に弥沙と呼ばれた男は、姫城のようにパッチリとした大きな目で軽く目礼した。
途端、バサリというようなオノマトペがつきそうな程に長い金色の睫毛が目の下まで悠々と覆う。
涙袋自体は薄いはずなのに存在感を覚えてしまうのは、彼の右下にあるハート型にも見える涙ボクロのせいだろう。
タトゥーにも見えるそれは生まれついた時からあるらしく、小中学生の頃は風紀検査で引っかかったこともあるのだと面倒そうに語っていた。
「そっか。いい感じそう?」
「⋯⋯まあ、こんなものかと」
花弁が二枚ついたようなふっくらとした唇は、への字に曲げられている。
広報担当者として抜擢されているからには、下手な仕上がりにはしたくはないだろうが、期日を見るにそろそろ落とし所をつけないといけないことも分かっているのだろう。
そう──この花のような美少年こそが、現在のZ:Climaxの要の一人であり、凄腕の広報担当者である愛澤弥沙だ。
幼い頃からキッズタレントとして零細芸能事務所に所属していた彼は、芸能界の荒波に揉まれまくったこともあって、まだたった17という若さにも関わらず、あまり広告料の掛からないネット営業の技術まで身につけた苦労人でもある。
何かとギリギリの瀬戸際に立たされがちなゼックラであるが、愛澤をメンバーに入れてからはそれなりに収入面では安定してきている。
だが、収入面の安定と引替えに、何名かのメンバーが爆発動画という名の精神ショックの危機に晒されているのではあるが──ハイリターンを得るためにはと黙認されている。
「霊慈さんは今日、エンジュの方に行かれてたんですよね?」
あまり納入されたブツについては触れないでおくことにした華園が、扉前のソファに腰かけたのと同時に、愛澤が先程までの用事について尋ねてきた。
愛澤は日々、白蘭高校が所有するアイドルチームの動向について目を光らせているので、最大手であり、またゼックラの永遠のライバルともいえるAngel*Dollについては特に気になっているのだろう。
華園が軽い調子で頷くと、愛澤は畳み掛けるように問いを重ねてきた。
「今年の一年生はどんな感じでした?」
「極めて水準は高いと思う。今の二年生が一年生だった頃と比べると、今年の子に軍杯が上がるかな。ボクは声楽しか見ていないけど、エンジュの子達ならダンスもそこそこ踊れるだろうし⋯⋯」
「ということは、今年も最大の難敵はエンジュだと」
確かめるように華園の言葉を要約する愛澤の表情は、酷く苦々しい。
彼は生来の気質的にAngel*Dollを苦手としているらしく、度々目の前に立ちはだかってくる天使達を嫌悪していた。
華園は愛澤に対して、うんともすんとも言わないまま、虚空に視線を彷徨わせていた。
答える気のない華園に対して、愛澤は自己解釈することにしたらしくボソリと独白を零す。
「スカウトを出していないのに、良質な人材が集まるってどんなチートコード使ってだんよ。もはや、バグだろ」
愛澤は面倒そうに後頭部をガシガシと掻いて、「エンジュ対策も見直さねぇと」とノートパソコンに視線を戻した。
出来る広報担当の憂鬱そうな表情をぼんやりと視界に収めている一方で、華園は深々と思考の海に潜り込んでいた。
(バグ⋯⋯誤りのことだって、ノアから聞いた事がある。チートコードは分からないけど、響きからボクが思い浮かぶのは──)
パッと華園の脳裏に浮かび上がったのは、彼が一年生の時に開催された夏休み前フェスの記憶だった。
当時、Z:Climaxの前座のようにライブを披露したアイドルチームは、まだ有象無象の中小アイドルチームの一つに名前を連ねていて、特段と見るべきものは無いと先輩達にも言われていた。
だが、薄桃色の肩くらいまで伸ばした髪を揺らしてセンターに立ったその男は、一年生にも関わらず、上級生をバックダンサーに引き連れて現れた。
16歳という中学を出たばかりの若さで、既に魔性を備えていた男だった。
拓也のような人を己に熱狂させる分かりやすい魔性とは違う、一見清廉としたカリスマ性にも見える名前の無い毒のような魔性だ。
しかし、己が毒牙に掛かったと気づいた時に既に手遅れで、気付けば男に自身を捧げたいと思わされてしまうほどにハマらされている。
その男の魔性を『洗脳』だと称した久遠に、やっと収まりの良いパズルのピースを見つけた時に似た達成感を得たことを覚えている。
記憶の中で男は逢う魔時の空とそっくりな瞳を煌めかせて、マイクを口元に近付ける。
吐息すらも拾ってしまいそうな程に近いマイクが、どうしてか淫靡に見えて、華園は知らずに男から視線を逸らした。
しかし、それも曲が始まり、男が歌い始めたら再び視線は奪われることになった。
この男は唯一無二ともいえる、天性のクリスタルボイスの持ち主だったからだ。
これ程の魔性を放ち、誰も彼もを蠱惑的に誘う生き物であるにも関わらず、その歌声は天使が歌っているのだと錯覚してしまうほどに美しかった。
(拓也とは違う、本物の魔の物。人を惑わせ、率いて、全てを飲み込もうとしている悪食)
「バグは、エンジュじゃない。Nだよ」
「それは⋯⋯狂季さんのことで、間違いありませんか?」
「うん。最近、学校にも来ていないみたい。血と消毒の匂いがしないから、ノアとランに聞いたら来てないって言ってた。もしかしたら、アイドルに飽きたっていう可能性もあるけど」
「けど?」
「それは無いと思う。ステージを下りることは、首輪の持ち主達が許さない筈⋯⋯例え、あの子が降りたくても」
「狂季さん、ウチの零細事務所が張ってる網にも引っ掛かるようになってきているんで、そろそろヤバイと思いますよ。噂では、各国の外国人とも繋がっているとか」
愛澤は声を徐々に小さくさせていく。
誰の目があるのか分からない学校では絶対に口に出来ない類の噂話しであることを自覚しており、何なら個室とはいえ出先ですることさえも危ないと案じているからだ。
それでも、華園の話に付き合ってしまうのは──同じ学生アイドルとしての憐憫と、一欠片の好奇心によるものだろう。
「あの調子だと──本当に死んでしまいますよ」
命を削ってでも芸の世界で生き長らえることにどんな意味があるのかと、一芸能人として興味がある。
だが、お世辞にも綺麗とは言えない愛澤のその疚しさを見抜いたかのように、華園が両腕を振りかぶって目の前のテーブルへと落下させた。
ダン!と激しい音を立てたテーブルに、我に返った愛澤が咎めるように「霊慈さん」と呼ぶ。
しかし、グレー掛かった黒髪が俯いた華園の目元を覆ってしまい、彼がどんな表情をしているのかを伺うことは出来なかった。
「⋯⋯どいつもこいつも、グラス・ハープの難しさを理解していない!あの楽器は誰もが使えるように見えるだろうけど、プロはほんの少ししかいない楽器なんだ。本当は天使にだってなれるのに⋯⋯悪魔にしたのは穢らわしい凡百共!!」
グラス・ハープとは、口径や腰径の違う様々なグラスを並べて、濡れた指でグラスの縁を擦って奏でるアイルランド発祥の楽器のことである。
音色を変えるためにはグラスの中に入っている水の量を調節する必要があるが、現在は改良が進んだことで音程が固定化されたグラスも販売されている。
グラス・ハープは天上にいるかのような音色を奏でることから、著名な音楽家にも『天使の声』と絶賛されたことがある楽器だ。
だが、持ち運びに難があるために、徐々に衰退の一途を辿ることになった哀れな楽器でもある。
その上、その独特な音色ゆえに『人体の神経に悪影響を及ぼすのではないか』と根も葉もない噂が流布したことによって、一部の地域では『悪魔の楽器』とも称されて演奏が禁止された地域もあったらしい。
ゼックラで華園と一緒に活動するようになってから、楽器事典を手放せなくなった愛澤はグラス・ハープの使い方や歴史を思い出して目を遠くする。
「アンタのその楽器語録って、こんなシリアスな話でも普通に適応されるのかよ」
非常に華園らしい憤り方ではあるが、あまりの癖の強さについツッコミを入れずにはいられない。
「ボクでは、あの楽器を救うことは出来ない。いや、エッジ雑技団も、Angel*Dollだって⋯⋯教祖を掬い上げることなんて不可能だって知っているんだ。姿が見えないことに、凄く嫌な予感がする。何処かで水も入れられずに、欠けたまま転がされているんじゃないかって心配だ」
もともと、華園は感情の薄いベビーフェイスに似合わない慈愛の人だ。
特に楽器に関しては、並ならぬ思い入れというか、拘りがあるらしく。
一度でも面倒を見た、もしくは見ようと思ったアイドルは彼の庇護下に置かれ、その成長を遠くから眺められるという少々どうかと思うようなオプションが付く。
特にミューズに愛されたと華園に判断された楽器は、度々彼の過干渉を受けることもある。
今の所、4大アイドルチームのリーダーを務めている芹沢真白・久遠拓也・天塚千裕・狂季環は、華園の中では国を挙げてでも保護したいアイドル達らしい。
4大アイドルチームのリーダーが華園のお眼鏡に適っているということは、それ程に白蘭高校が実力主義であることの証左でもあるのだが、賞賛の癖が強すぎてイマイチ周囲には理解されていないらしい。
そのため、ピアニストとして留学出来ない代わりに成り行きで入ったアイドル学科とはいえ、華園にとっては此処は第2の居場所でもあった。
何なら、最近は見た目通りに音が鳴る楽器よりも、調律次第では如何様にも変化するアイドルの方にお熱気味だったりする。
愛澤としては直属の上司なのであまりこの様な表現を使いたくないが、世間的にはこういう曲者を『変態』と呼ぶのだろう。
とうとう、ご乱心の華園が机の上に顔を埋め始めたのと同時に軽いノック音がして、個室の扉が開いた。
目の前で伏してしまった先輩の相手をやってられないと思っていた矢先の愛澤にとっては、天の助けにも等しい。
扉の方へと直ぐに視線を向けると、そこにはお揃いのバケットハットを被った全身黒ずくめの男と、キャミソールの上からペンキを巻き散らかしたようなパーカーを羽織った派手な男の二人連れがいた。
バケットハットを見た瞬間、男達の正体が分かったらしい愛澤が小さく会釈する。
「久遠さん、仁藤さん。お疲れ様です」
「お疲れ様〜!早いね〜、二人とも」
黒ずくめの男──仁藤は朗らかに返事しながらも、バケットハットの下にある茶髪のウィッグごと豪快に取っ払った。
到着して早々に顔部分の変装を解いた仁藤は、ネットに覆われている丸い頭を皆に晒すもなんのその。
片手を団扇にして、暑さで赤くなった頬を冷ますようにパタパタと仰ぐ。
「あっつい〜!夏にウィッグはマジで地獄。死人が出ても可笑しくない。マジで髪切ろうかなぁ〜。でも、ファンの皆はこれくらいの長さが一番好きっぽいんだよねぇ」
「乃逢は髪を短くすると、一気に幼さが出る。二年前はそれでも良かったが、今はコンセプト違いになるな」
「だ・よ・ね〜。たっくんも頑張ってウィッグ被ってるんだもん。泣き言なんか言ってらんないよね」
当の久遠もウィッグごとバケットハットを毟り取ったが、こちらはウィッグの下に付属しているピンに地毛を差し込んでいるらしく、ブチブチと毛根が引きちぎれるような音がしていた。
普通は仁藤のようにネットで地毛を覆ってから被る物なのだが、久遠は面倒なので直に装着しているのだ。
ウィッグに付いているピンに紫とピンクの毛が斑に付着しているのが見えたが、本人は全く気にしていないらしい。
愛澤は豪快に元の姿に戻っていく上級生にツッコミを入れるような野暮なことはせず、またテーブルに伏している華園についても触れずに淡々と報告すべきことを上奏していく。
「店に確認したら、席の準備は出来ていると言われたので先に来させてもらいました。今、納入されたプロモを確認中です」
「あ!あれ、もう出来たんだ。ミーちゃんの知り合いさん、仕事早いよねぇ。それ、あとで俺にも見せてもらえる?」
「分かりました。ドルオタの忌憚ないご意見、よろしくお願いします」
「もっちろん!楽しみ〜!!」
ウキウキと声を弾ませながら、仁藤はネットから若草色の髪を解放する。
押し込められていた髪が自由になったことで、いつもは右半分により分けられている前髪も簾のようになっている。
黄緑色というファンタジーなカラーリングであるが、セルフ貞○状態だ。
仁藤は鬱陶しそうにだらりと垂れる前髪を掻き上げると、いつもの二八分けへと手ぐしで整えていく。
少しずついつもの優等生ルックに戻っていく仁藤は、眼下でテーブルに齧り付いている同期をチラリと一瞥した。
「⋯⋯で、レイちゃんがションボリしちゃっている理由は何かなぁ?エンジュのボイストレーニングで羽目を外しすぎちゃって猛省中とか?」
「流石に、乃逢みたいなことを霊慈はしないだろう。さしずめ、気に入っている楽器がちゃんと調律されていないとか、そういうことなんじゃないか」
チーム内だと、久遠は口数が一般人程の量になる。
これは日常生活において沢山の知らない人がいる場で、話すことを不得意としているためである。要はただの人見知りだ。
久遠は、バケットハットとウィッグを小脇に抱えると、隣で髪を梳いている仁藤が気になったのか、整えるのを手伝い始めた。
仁藤の手が及ばずに絡まっている箇所を解していく久遠に、手伝ってもらっているドルオタは目をハートにしているが、これはいつもの発作なので誰もがスルーする。決して、いちいちツッコミを入れていたらキリがないという切ない事情があるわけでは無い。
「霊慈さんは、狂季さんのことで沈んでいるっぽいです。最近、姿が見えないから心配らしいみたいで」
愛澤から華園が机に齧り付いている理由を聞かされた仁藤は、途端に見えている方の眉根を八の字に垂らした。
「ああ〜、タマちゃんの件かぁ。それはちょっと俺達にはどうも出来ないよね。ね、たっくん」
「駄目だ。絶対関わるな」
間髪入れずに、珍しく強い言葉でNOを突き付けた久遠の表情は渋みきっている。
これ程までに嫌悪を露わにしている久遠は稀で、未だに片手で数えられるほどしか見たことがない愛澤は誤って酸っぱい物を食べたような顔になる。
呆気にとられている愛澤の前では伏している華園がこっそりと聞き耳をたてており、眉間を山にしていた。
しかし、このまま盗み聞きをするように話を聞いていても埒が明かないと、華園は伏せていた顔を上げる。
ソファ越しに振り返って、険しい表情を浮かべている久遠に直接問を投げつけた。
「どうして?」
「どうしても、こうしてもない。アイツは⋯⋯もう手遅れだ。俺達に出来ることは無い」
「拓也がそう判断せざるを得ない何かが、狂季にはあるんだね?」
二度目の問に対して、一つも返事を寄越さない久遠を華園は具に眺める。
チームメンバーから凝視するように見つめられている久遠は、少々臆したように見返していた視線を逸らして華園の手元へと移した。
途端、より苦み走った表情へと変化する久遠に、華園はこれ以上問い詰めたところで粗は出ないだろうと話題を切り上げることにする。
「分かった。狂季に関しては手を引く。新しい楽器に目を向けるよ」
「は〜〜〜!良かった〜〜〜!折角の親睦会なのに三年生がギスギスしてて、全く一年生が楽しめないっていう俺達の二の舞になるかと思った〜!!」
「そういや、先輩方の前の代は同級生同士で仲が悪かったんでしたっけ?」
「そうだよぉ。何なら、同級生だけじゃなくて二年・三年生間も仲が悪くて、夏休みが開けた時はみーんなチームを脱退して普通科に転科したり、転校したり、フリーターになったりでバッラバラになっちゃったんだよねぇ。まだ当時は同期にランちゃんしかいなかったし、あの時ばかりは解散の文字が過ぎったもんだよ」
「その状態から、本当によくここまで持ち直しましたよね。先輩達のその死に間際のゴキブリよりも図太い生命力はマジで尊敬します」
「いや〜それほどでも⋯⋯ん?今、なんか嫌な単語と一緒にされなかった?」
いつぞやかのカワウソ逆浪のように円な目をして、仁藤は首を傾げる。
その一方で、仁藤の髪を満足するまで毛繕えた久遠は、隣で突っ立っている副リーダーの裾を引っ張って奥の真ん中の席へと誘導した。
久遠に促されるままにソファに腰を沈めた仁藤は、「まぁ、いっか」と鎌首を擡げていた疑問を早々に放り出す。
そして、そう言えばとばかりに華園へと顔を向けた。
「それで、レイちゃんはエンジュの一年生にレッスン付けてたんだよね?我らが音楽監督のお眼鏡に彼等は適いましたかな?」
「うん。一人の天才がいるという点はウチと同じだけど、後のメンバーも決して凡人では無い。多分、あの二人も調律が済んで、世に存在が浸透していったら一廉のアイドルになると思う」
断言する華園に、仁藤は「へ〜!」と目を丸くした。
彼は将来性も含めて甘い診断を下す時もあるが、大体は激辛の批評を突き付けてくる。
ただし、華園の激辛批評は、愛のムチにも等しいと専らの評判だ。
華園が口を酸っぱくして告げる課題さえクリアすれば、歌唱力が大幅に向上する点は当然のことで、上手くいけばアイドルだけでなく、シンガーソングライターの道が開ける場合もあるのだとか。
それ程に、かつては若き天才ピアニストとして名を馳せていた華園の音楽に関する目は、天下一級品だ。
「へ〜。レイちゃんにそう言わせるような、たっくんみたいな天才君があの中にいるんだ。俺達も一年生に会ってきたけど、その時はそんな感じがする子は居なかったなぁ。ビジュはもう、涎が出るくらいに良かったけど」
「ミューズに愛されているのは、ノアが激推ししている誠君だよ。もう半分くらいは仕上がっている。真白が卒業した後も、あの子がいる限りはエンジュも安泰そう」
「ポスト芹沢真白か⋯⋯。でしたら、もういっそのこと敵にするのではなく、味方にすれば良いのでは?」
敵に置いておくぐらいなら、味方に引き入れた方が得策だろうと愛澤が効率厨らしく提案する。
愛澤の言に、同意見だとばかりに華園が頷いた。
「だから、今のうちに引き抜いておこうとスカウト掛けたんだけど、断られた。あの子、エンジュに強い思い入れがあるみたい」
「あそこに思い入れがあるってことは、憧れているアイドルは長篠二葉か、太刀川遊幻か⋯⋯。今の新入生なら、古坂猩も有り得るか。どいつもこいつも性格的には問題しかないが、学生アイドルの頂点に立ったことがある連中だ」
「長篠二葉だったら、拓也も一緒だね」
彼等のリーダーでもある久遠も、筋金入りの長篠オタクだ。
ただし、何処かの自室全体に長篠二葉ポスターを貼りまくっている姫城とは違って、久遠の場合は関係性オタクも混じっているために、正確に申せばゆるふわAngel*Doll初代推し 長篠二葉担当が正しい。
そう言ってから華園が二人の方に顔を向けなおすと、そこには何故かガタガタと静かに震えている2トップがいた。
※註釈
『オケマン』⋯⋯オーケストラの正式な奏者(正社員)のこと。
『ソリスト』⋯⋯作中ではソロプレーヤー(フリーランス)のことを指す。基本的には自身で演奏会等を開き、たまにオーケストラに誘われてソロパートを弾くような人のこと。中3の華園はソリスト志望だったが、ゼックラに入ったことで集団演奏の楽しさを覚え、今はどちらも可能なスーパー音楽人になっている。
『パン生活』⋯⋯日本人の米への執着心をなめてはいけない。また、外国のパンは基本的にハードパンが多いので日本人の歯にはかなり厳しい。華園は中二の夏休みにベルリンへ一ヶ月留学して心が折れた。
※名前だけ先行で出ていた初登場キャラクター復習
『愛澤弥沙』⋯⋯初名前登場回は『ストリーマー系アイドルとメンチ切った』より。爆発動画の元凶として語られている。ゼックラの先輩相手には(下の名前+さん)呼びで固定。敏腕広報担当として、主にゼックラのネット周りを管理している。キラキラフレッシュ路線のAngel*Dollが苦手だが、二年生組とは上手くやっている。ただし、セリーは掴み所がないから苦手。セージも同族嫌悪的なアレで苦手。
華園パイセンは慈愛の人なので、Angel*Dollメンバーのこともずっと気にかけています。なので、海嘉パイセンからSOSがあった時はノリノリでOKし、新しい楽器に出会えるとあって前日の夜は遅くまで寝られませんでした。
明らかにヤバそうな人も名前だけ出てきましたが、近日中に登場するのでお楽しみにしていただければと思います。




