姫城の親父に会った
白衣姿のおじいちゃんになる一歩手前のおっちゃん先生がパソコンを覗き込んでいた姿勢から、くるりと椅子を回して俺へと向き直る。
「今回の検査結果も問題ないよ。記憶の方は相変わらず思い出せないとのことだけど、こういうのはある日、不意に思い出したりするからね。焦らずに少しずつ経過を見ていこう」
「はい。よろしくお願いします」
「それじゃあ、次は一ヶ月後くらいにまた来てね。もし、何か体調に異変を感じたら直ぐに来てくれたら良いから」
まだ高校生に上がり立てということもあってか、殊更物腰柔らかく対応してくれる主治医に会釈して、診察室を出る。
姫城が事故って運び込まれた病院はこの辺で一番大きい総合病院ということもあって、日曜日のお昼下がりだというのに多くの患者で賑わっている。
俺を担当してくれている先生が脳外科の先生なこともあって、診察室前にあるベンチには年配者ばかりが鈴なりになっていた。
まだ未成年にしか見えない俺が脳外科の診察室から出てきたのが意外らしく、幾つかの物珍しそうな視線を浴びながら近くにある階段を使って降りていく。
俺は主治医から手渡された検査結果の入った封筒を手にして、無意識のうちに詰めていた空気を吐き出す。
そして、徐に臀ポケットに入れていたスマホを取り出すと電源を入れた。
スマホ画面には新たに受信した通知が一件、表示されている。
『お父さん:病院のロータリー前で待っている』
既に待ち合わせ場所に到着しているらしい待ち人からの連絡に、『分かった』と短い返信を打ち込む。
そして、またも深呼吸するように息を吐き出した。
俺は今日──病院の診察終わりに、初めて姫城の父親と会う。
本来なら、退院して直ぐに父親と顔を合わせる予定となっていたが、向こうに急な北海道への出張が入ってしまったことで会うことは出来なかったのだ。
それ以降、Treeを用いてやり取りはしていたが、流石に一ヶ月も顔を見ないまま連絡だけをしていると、段々と会うことに対してのハードルも上がってくる。
なんつーか、俺にとっての姫城のお父さん像って、夜中にメッセージを送ってくる社畜で固まってきているんだよな。
そんで、電話もしてないからどうにも非現実的な存在になっているっていうか、友達から聞く友達の友達ぐらいの微妙な距離感でちょっと気まずい感じがしてるっていうか。
なんにせよ、会う約束はしたし、もう向こうは待ち合わせ場所にも着いているので会いに行かねばならない。
しかし、階段を降りるごとに踏みしめる足には重りが増えていくようにペースが下がっていき、俺の今の気持ちを雄弁に語っているようだった。
◇◇◇
受付で支払いを済ませると、重たい足を叱咤して病院の外に出る。
まだ梅雨入り宣言はされていないが、どんよりとした鉛色の空に自分の億劫な心模様と重ねながら、目前に広がっているロータリーを見渡す。
少し離れた所にバスの待機列が出来ているぐらいで、それ以外は特に人気は無い。
なので、人を待っていそうな雰囲気がする中年の男を探せば、自ずと見つけられるだろう。
記憶が無いので父親の容姿すら知らない訳だが、多分その辺りのことをすっかり失念しているらしい。
だが、こっちから容姿が分かる写真や特徴を送って欲しいとリクエストするのはどうにも気乗りせず、結局自ら縛りプレイに挑むことにした。
ところが、思ったよりも閑散としているロータリーにこれなら簡単に見つかるんじゃと一縷の望みを抱いたその時──停車中のタクシーの前で佇んでいるジャケット姿の男に目が留まる。
黒のジャケットにジーパン姿のその男は、こめかみから顎にかけて渋く髭を伸ばしており、ITかデザイナー職っぽい出で立ちをしていた。
誰かを待っている雰囲気を醸しつつも、メールでも打っているのか忙しなくスマホ上に指を滑らせている。
姫城誠の要素が微塵にも感じられないイケおじだが、俺はあの男が姫城の親父だと半ば直感的に確信していた。
肩から提げているショルダーバッグの肩紐を握りつつ恐る恐ると男に近付いていくと、向こうも俺の存在に気付いたらしくスマホに落としていた視線をこちらに向ける。
針金のように細いフレーム越しに円な黒目と合い、イケおじは俺を認めた瞬間にぱっと表情を明るくした。
「誠!久しぶり⋯⋯だな」
俺の大雑把な推理は当たっていたらしい。
容姿通りの吃驚するぐらいのイケおじ声に少々面食らったが、此処がゲームに酷似した世界だということを思い出して、そういうこともあるかと無理やり自分を納得させる。
だが、向こうは俺がまだ記憶を取り戻していないことを思い出したらしく、折角の聞き惚れるような低音ボイスの語尾を小さくさせていく。
八の字になっている眉根から、彼が自分のことを覚えていない息子にどうやって話しかけようかと悩んでいることが伺えた。
「お父さんなんだよな?」
「そうだ、俺は誠のお父さんだよ。なかなか会う時間を捻出出来ず、こんなに長い間顔を見せられなくてゴメンな」
「大丈夫。メッセージはマメに貰ってたから」
申し訳なさそうにしている父親に、愛想笑いを浮かべる。
ところが、俺の笑みが取り繕ったものだと見抜いているのか、父親は返事を聞いても困り顔のままだった。
このままだとギクシャクした雰囲気に突入しそうな予感がして、俺は取り敢えずはとばかりに手にしていた封筒を差し出した。
「これ、診察結果。異常無しだって」
「そうか。本当にすっかり元気になったんだな⋯⋯」
父親は俺から封筒を受け取ると、掛けている眼鏡を押し上げて僅かに目元を拭った。
なんとかギクシャクした雰囲気になることは免れたが、今度は湿っぽい空気が流れ始める。
「取り敢えず、中に入ろうか」
このまま、親子水入らずの感動の再会シーンに突入しそうであったが、タクシーを待たせていることは覚えていたらしい。
俺としてもずっとタクシーを待たせているのも気掛かりだったので、父親の提案には一も二もなく頷いた。
父親に追従して乗り込んだ後部座席には、明らかに遠方から帰ってきたばかりだということが分かるくらいにお土産の紙袋が詰まれていた。
『白い親友』や『七花亭のジャムサンド』といった北海道土産から、『八つ橋』に『さかなみの抹茶くぅへん』といった京都土産、『紫芋のムースタルト』なんかもあるので沖縄にも行っていたらしい。
俺が学生アイドルとして奔走している間に、父親の方は全国を飛び回っていたようだ。
詳しい職種は聞いたことがないが、これ程にあっちこっちしているなら営業とかだろうか。
見た目からして、それっぽい風格はあるもんな。
土産物で溢れ返っている後部座席を眺めていると、先に乗り込んだ父親が一つの紙袋を手に取った。
「先週、京都に行ってきたんだ。その時に抹茶のバームクーヘンも買ってきたぞ。誠はこのメーカーのが好き⋯⋯だったんだ」
「あ、うん。ありがとう」
黄緑色のその紙袋にはデカデカと『抹茶くぅへん』と書かれており、端っこには『さかなみ』の判子が押されている。
ギクシャクと差し出してくる父親から紙袋を受け取り、そのまま胸に抱えるようにして持つ。
⋯⋯喋れば喋る程に姫城の父親のライフポイントが削られていってるような気がする。
まあ、記憶喪失の息子と話すなんて奇妙な体験はした事がないだろうし、どうやって関われば良いのかも分からないよな。
それに、実際は姫城誠(?)だしな。
きっと運転手席にいるドライバーも俺達の謎過ぎる会話を聞いて疑問だらけでしかないだろうが、そこは強靭なプロ意識でもって、無粋にも会話に混ざってくることなどはなく、黙々と車体を発進させている。
恐らく、予めに父親が行先を告げていたのだろう。
迷いなく進んでいくタクシーに、微妙に気まずい雰囲気を緩和しようと俺の方から話を振ってみる。
「今から何処に行くんだ?」
だが、無難に行先を尋ねただけなのに父親は更に困り顔になった。
簡単な俺の質問に答えるまでに奇妙に間を開けた彼は、固く口を噤んでいる。
何をそんなに言い渋る事があるのだろうと不思議でしかない俺は、無意識のうちに首を傾げていた。
そんな俺の問うような視線にとうとう観念したのか、父親が漸く口を開く。
「⋯⋯お母さんのところだ」
思わぬ行先を聞いて、目を丸くする。
何故なら、ほんの少し前に父親から姫城誠の母親はとっくの昔に鬼籍に入っていることをメッセージで伝えられていたからだ。
「お母さんのところって言ったら、墓参りをするってことか?」
「墓参りというか、仏壇に挨拶をしに行くんだ。ただ、お母さんの遺骨はそこにあるから、墓参りとあんまり変わらないかな」
仏壇に遺骨が納められているということは、姫城の母はお墓に入ってないってことか。
最近は葬儀の種類も色々あると聞くし、墓守の手間を考えてお墓自体を持たない家も多いらしい。
だから、姫城誠の母親を参るのに仏壇に向かうというのは別に変な話でも無いのだが──それにも、そもそもの問題があった。
「でも、ウチに仏壇は無かったよな?」
芹沢先輩を持ち帰ったあの日、俺は一通りの家宅捜査という名の見知らぬ実家の探検を済ませていた。
その時に両親の寝室は発見していたが、仏壇等は見つけていなかったのだ。
だから、実家を後にしてから父親に母親が鬼籍に入っていると聞かされた時は戸惑ったものである。
あの家には誰かを弔うようなものが全く見当たらなかったので、母親のことはてっきり離婚等で姫城親子とは離別しているために、存在感が無いのだと思っていたぐらいだ。
「お母さんの仏壇は、お母さんの実家にあるんだ。今日は啓一君──お母さんの弟に当たる人が居ないみたいだから、あんまり長居は出来ないんだけどね」
父親から齎された新情報に、俺はつい己の目が細くなったのが分かった。
⋯⋯おい、姫城誠。
もしかしてさ、お前ん家ってまあまあ込み入っていたりするのか。
だが、そんな俺の呼び掛けに案の定、奴は一つたりとも返事はしてくれない。
芹沢先輩の時は勝手に出てきた癖に、こういう時ばっかりは黙りを決め込むんだよなコイツ。
父親から明かされた母親の在処に、俺はどうにも面倒そうなお家事情に巻き込まれている気配を感じ取り、鼻の頭に皺を寄せる。
学生アイドルのドルオタとかいう業の深い属性のみならず、どうもこの身体にはまだ別の秘密が眠っていたようだ。
ハッキリ言おう。
めんどくせーーーーーーーーーー!!!!
そんな俺の胸中などいざ知らず、俺は強制的に母親が眠るという母親の実家にまで大人しく運ばれるしかなかった。
◇◇◇
「まさか誠が本当にAngel*Dollに加入出来るなんて思わなかったぞ。何か食べたいものはあるか?お父さん、頑張って予約を取ってくるから遠慮せずに言いなさい」
「じゃあ、寿司。今ちょっとレッスンで忙しいから一緒に行けるのは先になるけど」
「それはお父さんの方もだ。お盆くらいは休みが取れるかと思ったんだが、ちょっとイベントが入ってしまってな。秋になったら少しは⋯⋯うん。いや、クリスマス、年末⋯⋯年を越した後なら割かしスケジュールは空いているんだが」
「お父さんに合わせるよ。冬休みは多分、俺の方がゆとりあるから」
「⋯⋯あぁ、そうだ!来月の月末ライブは誠が初めてライブに出るんだろう。その日はなんとか調整をつけられたんだ。なかなかこれまで学校行事には行けなかったが、息子の初舞台は流石に行かないとな!お父さん、頑張ってカンカンがいっぱい付いたバッグを作って応援に行くよ!」
「それはちょっと恥ずすぎるな⋯⋯」
痛バを持って参戦する父親はちょっと⋯⋯いや、ガチでキツすぎる。
しかも、缶バッジのことを『カンカン』というような年齢のイケおじが多分、ネットの手本を見様見真似で作るんだろう?
果てしなく事故になる予感しかしない。
桜羽と三年生は生暖かい目で見守ってくれそうだが、白星と二年生が仰け反りかえって笑っている未来が容易に想像出来る。
古坂先輩辺りは一応、笑っちゃ悪いと思って我慢はしてくれそうだが、パフォーマンスに影響は出そうだよな。
「そうか⋯⋯実はお父さん、もう発注したんだ。カンカン50個」
「は?チームではまだグッズ出してないぞ」
「一年生グッズの方だよ。部下に白蘭高校出身の子がいて、その子からデビュー前の新入生なら学校が入学祝いでオフィシャルグッズを出してくれてるって聞いてそっちを買ったんだ」
え!?
あの学校ってそんなスターターキット感覚でグッズを出してくれんの?
父親が既に痛バ作成に取り掛かっていることや、部下に白蘭生が居ることよりも、そっちの方に意識が持っていかれる。
慌ててポケットからスマホを取り出して、検索エンジンに『白蘭高校 一年生 グッズ』と打ち込むと、検索一覧に学校のHPと共に『ハクランショップ 一年生』の項目が表示される。
迷わずにそれをタップすると、画面いっぱいに見覚えがあるやつの写真と名前がずらっとが並んでおり、思わずスマホを滑り落としそうになった。
お、おお⋯⋯これクラスごとに並んでいるのか。
しかも、わざわざ教室のグラフィックが用意されていて、実際の席配置ごとに写真と名前がある。
俺らのプライバシーが一切隠されてなくてビビるわ。
リンクになっているらしい『姫城誠』の名前をタップすると、俺の身長や誕生日といった基礎的な項目から自己紹介文まで出現し、その下に顔写真入りの缶バッジやタオルケット、キーホルダーが表示された。
うわぁ⋯⋯。
記憶を取り戻したばっかの時に調べた際は、一年生の紹介はまだ『coming soon』で閉じられていたのに、この前の月末ライブでデビューした奴もいたからか、サイレントで情報が更新されている。
っつーか、この紹介文と缶バッジに載ってる姫城誠って──。
「くっっっそ美少女じゃねぇか!!!」
「ま、誠⋯⋯?」
「お父さん!買った缶バッジの俺、ちょっと盛りすぎじゃね!?」
「そ、そうかな?誠はお母さんに似てすごく美人だから」
何故か父親が恥ずかしそうに染めた頬を掻いているが、今はそっちの反応にツッコミを入れている余裕は無い。
俺も随分とこの美少女フェイスに慣れ、犀佳が所属チームであるZ:Climaxから課せられている自撮りの宿題にノリノリで付き合ったりしていることもあって、一番映える角度もとうとう発見してしまった。
でも、それが、本物の姫城誠が被写体となった写真を見る限り、『理解したつもりだった』のだと分からせられた。
スマホ画面に指を滑らせ、オフィシャルグッズだという缶バッジを拡大表示する。
缶バッジに印刷されている姫城誠は、それはもう絶世の美少年だった。
猫を彷彿とさせる溢れんばかりの碧眼は天真爛漫そうに緩められ、しかしくるんと巻いた髪色と同じ銀の睫毛が僅かに覆い被さり、ただの溌剌とした印象だけではなく、高貴さも演出されている。
一つの黒子も見当たらない陶器のような肌は頬のみ薔薇色に染まっており、僅かに開いた口元はキュッと口角が上がっている。
まるで──絵画の中に住んでいそうな夢見るような美少年ぶりに、きっと多くの人間が感嘆の吐息を漏らすことだろう。
もし、姫城誠が女子で、共学に通っていたら無双しまくっていたんだろうなと詮無きことを考えてしまうほどの圧倒的美少女っぷりだ。
何なら、紹介文を考えたらしい誰かも俺と同じ気持ちらしく、『一万年に一人の美少年』と女アイドルについてそうな売り文句になっている。
本当、お前さ⋯⋯この顔面をしといて、重度のドルオタっていうのはもはや罪だろ。
しかも男アイドルのドルオタ。
長篠二葉のガチ勢過ぎて、グッズを収集するのみならず、とうとう追っ掛けて白蘭高校に入学までしてしまった、とんでもなくフットワークの軽い行動派ファン。
コレに『何処の事務所ですか!?』と後ろから迫られた犀佳はガチで困惑しただろうな。
マジでごめんだ。
もし、聞いた相手が犀佳じゃなかったら、相手の嗜好を著しく捻じ曲げていた恐れがある。
そう思ったら、姫城の魔手が伸びそうな席周りは犀佳や桜羽で固められていたのはある意味僥倖だったんだろうな。
これ以上姫城誠のことを考えていたら、頭の奥が痛くなってくるような気がしてきてスマホの電源を落とす。
他の連中の紹介文やグッズも見てみたいが、今は己のことで手一杯だ。
明日からテストがいよいよ始まるわけだし、学校があるのは昼までみたいだから放課後になってから皆でわーぎゃー騒ぎながら鑑賞するのもありだよな。
テスト期間は部活と同じで、基本的に何処のアイドルチームも活動が休止になるらしいから、どいつもこいつも暇を持て余していると思うし。
そうやって半ば現実逃避をするように明日の予定を立てていたタイミングで、前からタクシーの運転手に「お客さん、そろそろ目的地に着きますよ」と声を掛けられた。
※注釈
『白い親友』⋯⋯北海道の定番土産。ホワイトチョコのランドグシャが外国人観光客からも大人気。大阪には面白い親友がいるらしい。
『七花亭のジャムサン』』⋯⋯北海道のお菓子メーカーが出しているジャムサンド。特にマスクメロンジャム味が人気。
『さかなみの抹茶くぅへん』⋯⋯国内お土産モンドセレクション金賞を受賞している京都名物。京都市にある老舗の和菓子屋の商品だが、お土産屋にも卸している。
『紫芋のムースタルト』⋯⋯サツマイモのムースタルト。沖縄土産といえばコレ。ちんすこうやサーターアンダギーよりも人気になってきている。




