新歓の買い出しに行った
五月もとうとう最終週に突入した。
上級生が週末に行われる月末ライブの最終調整でドタバタしている中、一年生の俺達は外部トレーナーやお手隙の先輩達に扱かれる日々を過ごしている。
来月の月末ライブが俺達のデビューを兼ねたライブとなっていることもあって、当日に披露する曲の振付や立ち回りを徹底的に仕込まれているのだが、これがまたなかなか難しい。
一人で踊る分には自分が持っている技量を最大限に活かせば良いが、チームで揃えて踊るとなったらまた勝手が変わってくる。
特にフォーメーション移動がなぁ。
今の所、俺達は後列の真ん中に固められているのだが、一回だけ代わる代わるに前列に躍り出るフェーズがある。
そのタイミングを桜羽は掴み損ねやすく、白星は立ち位置よりも後ろに陣取る癖がつき、その二人につられて俺もリズムを崩す。
団子になって総崩れする俺達を古坂先輩が貼り付けたような笑顔で見守っている様子に、何度寿命が縮んだことか。
熱血過ぎるが故に人の話を聞かないトレーナーよりも、背後に仁王像が見えそうな程に圧を持っている先輩の方がよっぽどタチが悪い。
愛の鞭を炸裂しまくる上級生を相手に、俺達の結束が強まるのも無理のない話で、日を重ねるごとにつるむ時間も自然と増えていった。
本日の放課後は、久しぶりの休暇日だ。
レッスンもミーティングも無い日なので、とっとと部屋に帰って実家から借りてきたゲームをやりたい。
寝るまでの予定をウキウキで考えつつ、筆記用具類を通学鞄に詰め込んだ所で、左隣で帰宅準備中の桜羽が目に入った。
折角だし、一人でやるよりも二人でやる方が良いか。
犀佳もいたなら三人もありだったが、アイツは今日レッスンの日だからいねぇし。
「なぁ、今日ウチでゲームやんね?『ワイバーンクエスト5』っていう名前だけでもくっそ面白そうなの手に入れてさ」
「⋯⋯うん。それ、前にテレビでCMしてた。選んだお嫁さん次第でストーリーが変わるって」
「マジ!?そんな周回要素あんの!?」
絶対、国民的RPGをもじったゲームなんだろうなと思っていたら、思いの外、込み入った仕様になっているらしい。
本家も本筋は変わらないものの、かなり会話差分があって驚いたのに、まさかパロディゲームの癖にそんなにも気合いが入っていたとは。
それはそれで、くっっっそ楽しみになってきた!
こうなったら晩飯も部屋で適当に摘めるものを買ってくるのも有りだな。
プリアイをしていただけあってゲーマーの気質があるらしい俺は、脳内でゲームを楽しむ為の環境を整える算段をつけはじめていた。
今にも寮へすっ飛んで帰りそうな程にハイテンションな俺を、桜羽が不思議そうに見てくるが全く気にならない。
桜羽が通学鞄を提げたのと同時にブレザーの裾を引っ張り、いざゆかん!とばかりに教室を出ようとしたところで──俺達のスマホが通知音を鳴らした。
聞き覚えのありすぎる通知音に揃って動きを止めて、俺達は互いに浮かべた神妙な顔を見合わせる。
「今日、休みだよな?」
「うん」
「芹沢先輩は紫水旅団のレッスン、虎南先輩は地方紙の取材で学内には居ないはず。そんで、二年生は全員休暇日設定の日だったよな」
「⋯⋯もしかして、あまりにもレッスンが進まなくてレッスンの補習を行うとか」
「俺のワイバーンクエスト5ーーー!!!」
進歩しているような、していないような絶妙な過去のレッスン風景を思い出してその場に蹲る。
嫌だ!
今日はワイバーンクエスト5をやるって気持ちになってんだ!
追加のレッスンは前もって三日前に言ってもらわないと無効だろ。
こちとら当日に入れるなら、元からシフトに○を付けてんだよ!!
しかし、ヤダヤダと駄々を捏ねていてもしょうがない。
キリのいい所で覚悟を決め、俺達はそれぞれスマホを取り出す。
臀ポケットから取り出したスマホ画面に視線を落とすと、案の定そこにはハクステからの通知が表示されていた。
『トオルがあなたを“新人歓迎会”に招待しました』
予想外のチャットルーム名に瞠目するも、桜羽の言うようなレッスンの補習ではなさそうで安堵する。
よし、追加レッスンじゃなかった!
ルーム名を見るにすぐの話じゃなくて、開催日時の都合を尋ねるような連絡だろう。
本日のゲーム時間は守られたとすっかり機嫌を直してチャットルームを開くと、そこには招待主の叫びが広がっていた。
『新人歓迎会(6)』
トオル:ラフOK出たああああああ!!!
トオル:マジセージさん鬼!人の心無いんかって真顔で言いたくなるレベル!
トオル:寝ても覚めてもパソコン叩いとるセージさんとおはようございますや。しかも、起きた瞬間にエナドリとペン渡してくるんやで。こんなん猫又寿司で地下労働させられとる猫又と変わらんて
トオル:ってことで、トオル君お疲れ様会と新入生歓迎会をしようと思います!
古坂 柊矢:一年生は東門前に集合でお願いします。お目汚し失礼致しました。
次狼:www
次狼:お疲れさん。これスクショして全体チャットに送っていい?
トオル:ムンクの叫びを模した蜂の巣を被った熊のスタンプ
トオル:鬼!悪魔!お前らは敵や!俺は今日から一年生チームに加えてもらうことにする。じゃあな!
古坂 柊矢:あんまりにもノンエンジェルが過ぎて後輩にも波及するのであれば、実力行使に出ますよ
トオル:土下座した蜂の巣を被った熊のスタンプ
・
・
・
あ、これ。
今日やる奴だ。
自宅で眠っているワイバーンクエスト5が『じゃあの』と手元を離れていく幻覚を見て、俺はしゃがんだ姿勢のまま教室の床に崩れ落ちた。
◇◇◇
ゲームの予定が儚く潰れてしまったものの、先輩達が歓迎会を開いてくれるというのだから無碍にも出来まいと己を説得しつつ東門に向かう。
桜羽と連れ立って校舎を後にし、「晩飯なんだろうなぁ」とたわいない話をしながら集合場所に辿り着くと、そこには海嘉先輩にヘッドロックをカマされて萎びている逆浪先輩と、その隣で涼しい顔をして佇んでいる古坂先輩がいた。
芸能関連の学科生徒のみが通る東門なだけあって、通行人の数は数えられるほどしかいないのに、全員が濃い絵面の一角を露骨に避けて通り過ぎていく。
視線すら逸らして、そそくさと去っていく在学生達を少しも二年生達は気にしていないようで、早くも思い直した気持ちが帰寮したがっている。
正直、あそこの知り合いだと思われたくないし、声を掛けるのも勇気がいる。
しかし、そんな腰が引けている俺達の存在に向こう側も気付いてしまったらしく、先輩達が声を掛けてくる。
「お疲れ様です。雪成君は補習だと伺っていますので、これで全員揃いましたね」
「お疲れさん。桜羽君は初めましてだね。俺は二年の海嘉次狼。デカいとは聞いてたけど、これまたモデルさんみたいな子が入ってきたなぁ」
今週末までエッジ雑技団の出張に駆り出されている海嘉先輩は、桜羽とはお初だったらしい。
腕の中に逆浪先輩を捕らえたまま、どうもどうもと挨拶をされている桜羽が珍しく困惑した面を浮かべている。
桜羽は優しい奴なので、海嘉先輩が動く度に「きゅう」っと悲痛な鳴き声を上げる逆浪先輩が気になるのだろう。
「サックン、マジイケメンやんね。ナンパしたら一日で百人斬り出来そう」
「後輩を邪な目で見ないでください」
「いてっ!」
だが、キュウキュウ鳴きながらも、逆浪先輩は通常運転だった。
彼は海嘉先輩の腕の中で半生半死ながらもボヤいているのだが、それをお気に召さなかったらしい古坂先輩が、何処からともなくハリセンを取りだしてスパァンと振るっている。
いい音をたててハリセンで打たれた逆浪先輩がまたもや痛みに呻いた後、キュウキュウと鳴いていた。あの人はもうカワウソなのかもしれない。
そのあまりのコメディすぎる展開についていけず、とうとう俺の目からは光が消失した。
やっぱり、Angel*Dollの二年生については深く考えない方が良いよな。
だってコイツら、素面なのに意味分かんねぇことするっていうのがユーザー間の共通認識だもんで。
古坂先輩はまたも手品のようにどこぞかへとハリセンを仕舞いこんでしまうと、あの貼り付けたような悪魔のような笑みを繕った。
「此処で騒いでいても仕方ありません。日が暮れる前に買い出しに行きますよ」
「おー!ほら、お前らが主役なんだから食べたいもん言いなよ。鍋に入る具材ならなんでも良いからさ」
「⋯⋯五月に鍋なんすね」
「鍋なら大体のものは美味しく食せますからね」
季節感の無い晩御飯だが、男子高校生が自炊して失敗しない料理となったら確かに鍋は適切な選択なのかもしれない。
下手にコイツらが揚げ物とかに手を出したら、大惨事になりそうだもんな。
俺達の新歓が鍋パだったことが発覚したタイミングで、漸く古坂先輩の先導により奇妙なAngel*Dollの一団は動き出した。
◇◇◇
Angel*Dollの一年生・二年生を含めた俺達一行が向かったのは、古坂先輩曰く『商品数は少ないが、低価格で狙い目』というこじんまりとしたスーパーだった。
『スーパー サトゥー』と書かれた若干斜めった看板が特徴的なコンビニのように真四角なそのスーパーは、軒先に飲料水のペットボトルやお菓子が無造作にダンボールに詰められて叩き売りされている。
『スナック菓子 50円』、『コーラ 80円』と破格の値段が書かれているPOPにどんな仕入れ方をしたら、この値段で売り出せるんだと首を傾げたくなる。
お店の外観はハッキリ言ってこじんまりしているの一言に尽きるのだが、多分やり手な店長が経営しているのだろう。
「先に言っておきますが、菓子類は不可です。ジュース類は許可しますけど、それ以上の過剰な糖分の摂取は認めません」
「ええー!?新歓なのにお菓子厳禁なのはちょっと横暴すぎひん!?」
「⋯⋯いつぞやかにチャックが閉まらないと騒いだ何処ぞのバッドエンジェルさんのための救済処置なんですけどね」
「うぐ!」
『ノンエンジェ』の進化系って、『バッドエンジェル』なのか⋯⋯とかいうどうでもいい感想はさておき。
カートを押す姿が異様に様になる古坂先輩が、逆浪先輩をあしらってスーパー内に入っていく。
先に店内へと入った海嘉先輩と引っ張っていかれた桜羽のピンク頭と黒頭が肉コーナーでウロウロしていることにも既に嫌な予感がしているが、入口前で撃沈してる逆浪先輩を放置していくのも気掛かりだ。
っていうか、こんな所でウジウジされても他の客の邪魔になる。
「逆浪先輩、ライブが終わったらお菓子パーティとかどうっすか。ポットラック形式で皆でそれぞれ持ち寄った物でやる的な」
「マコちゃん好きぃぃぃ!!」
チョロすぎて若干心配になるものの、勢いよくひしっと抱き着いてくる10cm以上も高い先輩の巨体にたたらを踏む。
「俺の味方はマコちゃんだけやぁ〜!」と泣きついてくるのが少々鬱陶しいが、合流してから同期達にけちょんけちょんにされている様を思い出し、仕方なく我慢することにした。
今日はいつにも増してこの関西弁先輩はハイテンションな気がするが、チャットルームのメッセージを見る限り、徹夜でラフを提出したまま此処に来ているんだろう。
急な招集には参ったが、逆浪先輩なりに俺達を歓迎しようという意思は感じられる。
今日の休暇日を抜いたら、あとは月末ライブまで休みなくレッスンやミーティングで埋まっているしな。
月末ライブで慌ただしい二年生達にとっても、今日は折角の休日だっただろうに、それを押して俺達の歓迎会を開いてくれているのは一重に先輩達の心遣いだろう。
甘んじて逆浪先輩の抱擁を受け止めつつも、このまま出入口で遊んでいては他の客の邪魔になりかねない。
俺をホールドしている先輩に、「抱きついててもいいんで、歩きますよ」としゃーなしの妥協案を告げて、俺は特大のひっつき虫を付けたままスーパーへと入っていった。
先に入店した三人に追い付くと、肉コーナー前で図体だけは馬鹿デカい男子高校生どもが何やら揉めているようだった。
「牛は駄目です。僕達が散財します。鳥と豚も合わせて4kgまでですよ。10kgは鍋の中に肉しか入らないじゃないですか」
「男子高校生が六人もいるんだから、こんくらいないと足んないっしょ」
「肉以外も入れるんですよ」
「⋯⋯鍋とは別に唐揚げにするのはどうですか」
「庵璃、それ採用!」
「以前に揚げ物をやって、ボヤ騒ぎになりかけたことをもう忘れたようですね」
否、揉めているのはオールバックが今日もキマっているお母さんと、180cmを優に超えているにも関わらず、人目を気にせずに駄々を捏ねている二人のガキンチョだったらしい。
3枚入っている鶏肉のパックを4枚も両手に持っている海嘉先輩と、しゃぶしゃぶ用の豚肉を大事そうに抱えている桜羽に囲まれた古坂先輩が彼等の駄々を丁寧に却下していっている。
熾烈な3人のバトルを半目で聞きながら、俺はそういえばとまだひっつき虫になっている逆浪先輩に話し掛ける。
「ってか、今回の新歓って三年生はいないんすね」
「そうなんよ。今日は2人とも朝から外に出向かれとるからねぇ。やから、鍋パなんてもんが出来るんやけど」
俺の記憶通り、三年生は外部にお仕事で出掛けているらしい。
特に我等が鬼の副リーダーにして、ド畜生の虎南先輩の部屋で缶詰になっていただろう逆浪先輩は見送った後だと思うので確実だ。
⋯⋯しかし、どうにも最後の一文が気になるな。
『やから、鍋パなんてもんが出来るんやけど』っていうのはどういうことだ?
「俺、今日はキムチ鍋の気分やねんな。土鍋は二つあるから一個はキムチにしてもらうとして、鳥と豚やったら寄せ、ちゃんこ、塩、水炊き、豚骨⋯⋯キムチにするんやったらあっさり系がええなぁ。シュウちゃーん、鍋の素はキムチがええ!」
「あっ、ちょっ!?」
しかし、引っ掛かる物言いをした逆浪先輩は言及するつもりは無いらしく、それよりも鍋の種類が大事だとばかりに引っ付いたままの俺を引き摺って古坂先輩の下へと向かっていく。
「透、今日は一年生の新歓ってことはお分かりです?味付けに関しては一年生の意思を尊重すべきでしょう」
逆浪先輩までバトルに乱入したこともあり、古坂先輩がもはや頭が痛いと言わんばかりに額を抑えて苦言を呈した。
増えた息子に、Angel*Dollのオカンは大変そうである。
現に、自分の欲求しか言わない子三人にも引き連れているとあって、俺達は周囲の買い物客からも若干の憐れみの視線を注がれていた。
注目を浴びるのが学生アイドルの仕事とはいえ、こんなくだらないことで衆目を集めたくはない。
だが、逆浪先輩はこの妙に生温い空気には気付いていないらしく、「マコちゃん、キムチの気分じゃない?」とわざわざ膝を屈めてまで俺よりも背を低くして、上目遣いで見上げてくる。
今にも『きゃるん☆』なんて音が聞こえてきそうな程にキラキラとした橙の眼の下で指を組み、渾身のお願いポーズを披露する先輩。
恥も外聞も掻き捨てたとばかりにぶりっ子になられてしまった逆浪先輩の気迫に、あまり食に拘りがない俺なんぞが勝てるはずもない。
「お、オレモキムチナベガタベタイッスネェ」
「マコちゃんマジラビューーーーン!」
「ぐぇっ!」
なりふり構わない先輩の希望にお応えしてやったのに、またもや全力で引っ付いてきた。
しかも、今度は容赦のない伸し掛りだ。
この先輩、絶対俺のミニマムサイズ加減を理解してねぇだろ!!
今にも潰れそうな俺を助けるだなんてことをオカンこと古坂先輩がするはずもなく、戯れる俺らからそっと視線を逸らされた。
そして、ヤレヤレとばかりに首を振って、未だに肉のトレイをかさ増ししようと躍起になっている2人の牽制に再び乗り出している。
彼奴ら、どんだけ肉に執着してんだ。
このままでは埒が明かないと、古坂先輩が肉派の片割れである桜羽に鍋の希望を聞き始めた。
「庵璃君はお好みの鍋の素はありますか?」
「唐揚げ⋯⋯」
「申し訳ないですが、ウチは揚げ物がタブーなんですよ。以前、どっかの馬鹿共が調子に乗って大量の肉を油に沈めてくれたせいで小火になりかけましてね。それ以降、僕のキッチンの天井は煤けてるんですよ」
「⋯⋯寄せ鍋」
「承知しました」
とうとう『ノンエンジェル』ではなく、『馬鹿共』と言い始めた古坂先輩に桜羽も怯んだらしく、渋々と答えている。
桜羽はゲームの公式HPにあるキャラクター紹介でも、好きな食べ物に『唐揚げ』を挙げていたもんな。
そして、桜羽と一緒に肉攻めを仕掛けていた海嘉先輩は『肉、肉、炭酸』と記載されているほどの大の肉好きだ。
今にして思えば、この肉バトルは起こるべくして起こったようなものだったのかもしれない。
古坂先輩の奮闘もあって、第一次肉戦争はなんとか終着した。
敵国とも言うべき肉派は和平条約もやむなしと、4kgの鶏肉と豚肉で手を打つことにしたようである。
肉以外派の首魁であり、資金を握っているらしい古坂先輩に「これ以上騒ぐというなら、うどんすきでも良いんですよ」と鍋のランクを下げられそうになったことも大きかったらしい。
俺はうどんすきも有りなんだけどな。
でも、食べ盛りの男子高校生にしてみたら、うどんだけで腹を満たされるのはしんどいのかもしれない。
肉の量が決まった後は、鍋の素をはじめに、豆腐、油揚げ、大根、白菜、椎茸、人参等の基本的な鍋の材料がカゴの中に山と積まれていった。
後は野菜類や〆の中華そば等を選ぶくらいなので一波乱は無いだろうと安易にも思っていたのだが、やはりそうは問屋が卸さないらしい。
「海老もええなぁ」
「冷凍エビは兎も角、車海老は却下です」
「柊矢、後払いするから俺の分のコーラも積んで良いか?」
「支払いは一緒でもいいですが、乗る余地が無いのでご自分でお持ちください」
「寄せ鍋言うたら鱈もありやない?」
「魚は贅沢品ですよ。現時点で予算の半分は超えてるんですから、今回は我慢してください」
古坂 柊矢のオカン力が留まることを知らない。
やっと肉派の海嘉先輩が大人しくなったと思ったら、今度は俺から離れた逆浪先輩がカートの横を陣取って、アレコレ籠の中に入れようとしているようだ。
海嘉先輩のようにこっそりとカゴの中に忍ばせるという悪い知恵が働かない分、ピシャリと跳ね除けるだけで良いので逆浪先輩の相手をする古坂先輩はまだ楽そうである。
その代わり、却下された逆浪先輩が隣でしょんぼりするので若干鬱陶しそうだが。
二年生が着々と鍋の材料を見繕っている一方で、一年生の俺達は飲み物を選定する係に選ばれていた。
暗にオカンから、これ以上の子守りは出来ないと告げられているような気もするが、二年生のアグレッシブなやり取りに混ざれる気もしないので、大人しく飲み物コーナ二人二人で赴く。
冷蔵庫に入れられている分ではなく、ダンボール箱に常温で保存されている大量の2Lペットボトルを前にして、俺達はどれにしようかと首を巡らせる。
「緑茶と麦茶と烏龍茶か。確か烏龍茶ってあんまり飲み過ぎたら喉に良くないらしいんだよな」
実際に、中国人は日本ほど烏龍茶を飲まないらしい。
烏龍茶は過剰に摂取しすぎると下痢や胸焼けを引き起こしやすくなるため、カラオケや飲み会で烏龍茶を飲みまくる日本人に、来たばかりの中国人は衝撃を受けるんだとか。
あと、喉の油分も持っていかれちまうから、アイドルにとっては程々に嗜むぐらいにすべき飲料でもあるんだよな。
「⋯⋯最近、風邪が流行ってるって聞いた」
「そういや、ウチのクラスも何人か病欠してたわ。五月ってたまに季節外れのインフルとか流行るんだよなぁ。うし、カテキンが入ってる緑茶にするか」
「勝て、菌?」
「言っとくが、ダジャレとは違うからな。カテキンっつー抗菌作用がある成分のことだよ。確か、ポリフェノールの一種だったか」
「林檎ジュースも買っていい?」
「⋯⋯おう、いいぞ。炭酸は海嘉先輩が馬鹿みたいにコーラ持ってたから良いだろ」
桜羽はたまに、話を聞くだけ聞いて放り出してくることがあるんだが、これにいちいち目くじらをたてていたら仕方がないことを学んだので、俺が大人になることにしている。
なお、余談ではあるが犀佳は意外とこういうことには頑張るタイプらしく『もう、ちゃんと聞いてほしいな』ってほんわかそうに言いつつ、毎度釘を刺しに行っていた。
なので、桜羽は犀佳の調教のかいもあって、アイツの話だけは徐々に聞く姿勢が改善されつつある。
飲み物を一通り選び終えた所で、またもや例の通知音が俺と桜羽から鳴り響いた。
しかも、今度は僅かに遠くからも似たような通知音が聞こえてきたので、多分二年生達のスマホからも鳴っているのだろう。
ってことは十中八九、Angel*Doll関係の通知に違いない。
俺よりも多く桜羽がペットボトルを持っているので、代わりに確認することにする。
教室内に居る時のように臀ポケットからスマホを取りだして画面を見ると、案の定ハクステからの通知が届いていた。
一緒に覗き込んでいる桜羽が「あ、白星だ」と表示されている差出人の名を読み上げる。
表示されている通知には桜羽が言ったように白星のニックネームがあり、『Yuki:さっき聖仁先輩に会って新歓の話をしたら、談話室使ったらって提案されましたー!』と書いてあった。
ん?
虎南先輩って、今は外でお仕事中なんじゃなかったか?
先程に逆浪先輩と交わした会話を反芻していると、またもやピロンと音が鳴って、通知が追加されていく。
『Yuki:あと、セリー先輩と聖仁先輩も参加するから領収書を切って欲しいらしいっす』
『Yuki:なんか聖仁先輩は良い鍋の具材持ってるらしくて、先に談話室に持ってくって言ってました』
『Yuki:あの聖仁先輩が持ってくる材料ってなんすかね?蟹とかだったら良いな〜』
刹那、視界の端で先輩達が全員総崩れていったのが見えた。
新喜○もかくやな息の揃ったヘタリ込みように、驚きよりも感嘆が先に出てくる。
が、今はそんな事に感心している場合では無い。
急にその場に落ちていった先輩達に何が起きたのかと、桜羽と一緒に慌てて駆け付ける。
現場に辿り着くと、そこには先程までの賑やかさは何処へやらと言いたくなるほどに弱りきっている先輩達がいた。
3人ともが急に風邪でも召したように顔色を悪くしており、海嘉先輩に至ってはコーラを大量に抱えている手が痙攣までしている。
「最悪の事態ですよ⋯⋯」
「アカン、アカン⋯⋯あの人が居らんから今日はケータリングにせんかったのに⋯⋯」
「俺、やっぱり今日、腹の具合が悪いから寝にかえる──」
「「逃がしませんよ!/逃がさへんよ!」」
「ぎゃあああああ!!!」
一人、この場を去ろうと立ち上がりかけた海嘉先輩を古坂先輩と逆浪先輩が息のあった動きで引き止めている。
まるで、ゾンビ映画の一人だけ助かろうと脱出ゲートへと向かう仲間に集るゾンビになりかけている途中の元仲間のようだ。
ただでさえ狭いスーパーで、元々憚ってすらいなかった人目を更に構いやしないとばかりにギャーギャーと騒いでいる。
「俺はまだ生きてたいんだ!」
「何、大袈裟なことを言ってるんですか。多少、舌が馬鹿になってしまうくらいですよ」
「舌が馬鹿になるってゆーか、あれはもはや食への冒涜なんよなぁ」
「冒涜っつーか、生み出したら駄目なもんでしょ!俺、マジで去年の闇鍋で三途の川見たから!向こう岸にいる死んだ爺ちゃんと婆ちゃんがめちゃくちゃ慌ててた」
「あの時も普通に鍋パーティーの予定だったんですけどねぇ」
「ってかな、あれからずっと思ってたんやけど、鍋の材料にウコンとかシナモンを持ってきてぶち込むってご法度にも程があらへん?」
「あの時ばかりは、ノリで許可した猩さんを生涯許さないと誓った」
「その節は愚兄がご迷惑をお掛けしましたよ」
ギャースカ喚いている先輩達の剣幕ぶりに、一緒に駆けつけた桜羽が終始戸惑ったように眉を八の字にしていた。
表情筋トレーニングの結果が出たなと褒め讃えたい所であるが、今はそれよりも錯乱している先輩達だ。
⋯⋯まあ、なんとなく先輩達が騒いでる理由は分かるんだけどな。
Angel*Dollのコメディ回って、このネタは鉄板だったし。
だが、今は推察するよりも先輩達を落ち着かさなければならないと、重ねた手を前へと伸ばす。
桜羽が不思議そうに見ているのを尻目にしながら、俺は柏手を打つように掌を二度叩いた。
鋭く鳴るように思いっきり叩いたことで、喧喧囂囂としていた先輩達がハッと動きを止めて、此方へと振り返る。
三人の視線を集めることに成功した俺は、努めて爽やかに見えるような微笑を携えた。
「此処、公共の場なんでそろそろ落ち着きません?」
刹那、口をしっかりと閉じ切った先輩達は示し合わせたように首を縦に振った。
後に桜羽は、この時のことについてこう語る。
『姫城は、芹沢先輩みたいなのに虎南先輩にもなる時がある』のだと。
※注釈
『ワイバーンクエスト5』⋯⋯国民的RPGシリーズの五作目。父親の遺言に従って旅をする主人公が後にお嫁さんを迎えて魔王を倒すお話。なお、ゲームタイトルのワイバーンは作中には一切出てこない。
『猫又寿司』⋯⋯回転寿司チェーン店の名前。尻尾が二本に分かれた猫をマスコットキャラクターにしている。ネット民からは『捕まった猫又が泣きながら回転レーンを動かされている』と言われており、都市伝説化している。
『蜂の巣を被ったクマ』⋯⋯ハチグマと呼ばれるゆるキャラ。被っている蜂の巣は実際に入手した獲物であり、年々山の恵みが減り続けて食糧難に喘ぐことを厭ったハチグマが飢えを慰めるようとしゃぶる為の物。
『ヘッドロック』⋯⋯日本名は頭蓋骨固め。単にヘッドロックと称する場合は、相手の頭を脇に抱えて締め上げるサイド・ヘッドロックのことを指す場合が多く、次狼が透に仕掛けたのもコレ。
『ポットラック形式』⋯⋯ ゲストが料理を持ち寄って食べるカジュアルなパーティースタイルのこと。そのため、ゲストのセンスが非常に問われる。
『ボヤ騒ぎ』⋯⋯作中では、柊矢の部屋で行われた揚げ物パーティの大惨事ぶりを指す。油を並々と入れた鍋に、黄金伝○名物の『油へポーン!』を1kgの下味をつけたモモ肉でやった結果、火柱が立って天井が煤け、報知器を鳴らした。以来、二年生の間では揚げ物パーティはタブーとなっている。




