先輩達は打算だらけだった(後半)
▽イズミ アンリ
中学三年の秋。
殆どのクラスメイトが進路を決め、受験勉強や面接練習に励んでいる時期の三者面談に関わらず、俺の面談には周辺に点在する高校のパンフレットが山ほど持ち込まれていた。
『うーん、これまたなかなかに拗らせたなぁ。お父さんの仰るように俳優になるっていうのは本当に無理なのか? 俺は小さい頃のお前しか知らないが、なかなかに良い演技をしていたと思うぞ』
子供の頃から舞台だけでは無く映像作品に出演していたこともあって、俺の芝居を担任も見たことがあるらしい。
担任の言う『なかなかに良い演技』とは果たして、どの作品のどの役で、どのシーンの時のことを指しているんだと、すっかり俳優業に対して嫌気が差していたこともあって、つい攻撃的な気持ちを抱いてしまう。
父親の肩を持つ担任を睨め付けて、首を横に振る。
そんな俺の反抗的な態度を見て、隣に座る母親が大きな溜息を吐いた。
『先生、寮付きの学校とか無いでしょうか』
母親は父親と違って、俺に俳優業を強いる気はないらしい。
俺が父親の望む俳優に甘んじることが最良だと思ってはいるようだが、こちらの意思を無視してまで押し通す気はないようだった。
『あるっちゃありますけど、伊純君の成績だと都外⋯⋯いや、地方を超えて探すことになるかと』
『そんな!?』
寮付きの高校ともなると、どうしても進学校に限られてくる。
寮を必要とする通学圏外の地方から生徒を集めようとすれば、自ずと学校にも相応に見合ったスペックが求められるからだ。
その他に考えられるとしたら、何かしらの部活で有名な強豪校等になってくるが、部活動が盛んな学校は進学校になっているケースが多い。
そして、残念なことに俺の成績は下から数えた方が早い順位にある。
母親の望む条件を自分自身のスペックがクリアできる気がしなかった。
『俺、住み込みで働ける場所を探す』
『何言ってるのよ!?中卒で住込みってなったら⋯⋯そもそも貴方のその姿じゃロクなことにはならないわよ!』
『それはお母さんに同感だなぁ。男とはいえ、お前の場合はある程度しっかりしたとこじゃないと事件沙汰に巻き込まれかねない』
いつまでも足を引っ張り続ける容姿に対して、ただでさえ豊かでは無い表情なのに眉間に皺が寄ってしまう。
誰もが褒めそやすこの顔と身体を邪険だと思う気持ちは、両親や担任どころか、きっと世界中の誰にも理解して貰えないのだろう。
恐らく、これからも厄介事ばかりを運んできて、煩わしさばかりを与えてくるだけのこの容姿を好きになれることは生涯ないように思える。
『やっぱり、お母さんが賃貸を借りるわ。そこから受験予定の学校に通ったらいいのよ』
『でも、それをしたら父さんにはバレる。母さんまでは巻き込めない』
『そんなことくらい別に良いわよ。お父さんもちょっと頭に血が上って引っ込みが付かなくなってるだけなのよ。だから、少し時間が経てば⋯⋯』
『あの人に限って、そんなことは無いと思う』
『うっ⋯⋯』
俺のために身銭を切って、匿おうとしてくれる母親の気持ちは嬉しい。
だが、その提案に甘んじた結果、招くことだろう父親の怒りを想像したら安易には頷けない。
我が儘で臆病な一人息子の勝手で、ただでさえ既に俺のことでぎくしゃくしているだろう二人の仲をこれ以上引き裂きたくは無かった。
『白蘭高校⋯⋯』
親子会話が始まったことを機に、大量に持ち込んだパンフレットを手当たり次第に漁っていた担任の手元が不意に止まる。
そして、急に手にしたパンフレットを勢い良く巻くったかと思うと、お目当ての項目に辿り着いたのか、俺たちをがばりと見上げた。
『これだ。おい、伊純!お前、アイドルだ!』
突飛な担任の行動を所在なく見守っていた俺と母は、急に告げられた意味不明な言葉に口を揃えて頓狂な声を上げる。
『『⋯⋯は?』』
しかし、担任は不審げな俺たちを一切気にせず、見開いたパンフレットを翳してくる。
『アイドル科』と銘打たれたその項目には、色とりどりの派手な衣装を着た男子高校生達の写真が何枚も頁を飾っている。
マイクを持って歌って踊っているシーン、衣装の製作に励んでいるシーン、稽古練習のシーンと様々な場面が切り取られたそれは、高校の学科紹介というよりかは養成所のパンフレットのようだった。
『白蘭高校のアイドル科だよ!此処ならお前のそのどん底に近い学力と、女子生徒の問題ばっか引っさげてくる容姿も解決する。しかも、此処なら学科専用の寮があるし、活動をしたらちゃんと給料だって発生する』
『アイドル⋯⋯!』
思わず、担任の熱の籠もった口ぶりに首を竦めたくなったが、隣にいる母親は違うらしかった。
担任が見せびらかしてくるパンフレットをひったくるように奪い取るや、前のめりになって中身を検めている。
『そうよ、どうして今まで考えなかったのかしら。俳優業が暗礁に乗り出しているのなら、ステップアップで異業種に手を出してみるのも手段の一つ』
『嫌だ』
『どうして?アンなら、間違いなくアイドルとしても活躍出来るわ!それに、アイドルならお芝居をしなくても良いじゃない!?』
母親の独白を聞いて嫌な予感はしていたが、どうやら的中したらしい。
彼女が俺の凝りを理解していないことは分かっていたが、改めてそのことを突きつけられると億劫になってくる。
俺は、俳優業だけに嫌気が差している訳じゃ無い。
芸能界という箱庭自体が、もう嫌なんだ。
しかし、そのことを訴えようとする度に口が不自然に重たくなる。
この年にもなると、両親がどれほど手を尽くして俺にこの世界を与えてくれたのかが分かってしまっていたからだ。
だけど、限界だ。
あそこでは、息をすることすらも精一杯なんだ。
頑なな俺の態度に、母親が押し黙る。
俺の心が分からないと顔を逸らしてしまう彼女に何も言うことが出来ず、俺まで口を引き結んで俯いてしまう。
会話をやめて黙り込んでしまった俺達に、そこへ見かねた担任が割って入ってきた。
『まあ、伊純。そんなけんもほろろな態度を取るなって。アイドルチームによっては衣装や映像製作を担当している学生もいるらしいぞ』
この男は多分だが、俺の気持ちを欠片だけでも拾ってくれてはいるのだろう。
担任は母親からパンフレットを受け取って、在学生のインタビューコーナーの部分を指してくる。
『ステージ上だけでなく、裏方仕事でも皆を支える』とキャッチコピーがついたそのインタビューには、パソコン前に陣取る生徒の横顔が写真として添えられていた。
エッジ雑伎団所属・音魔ヘレン(二年生)。
若手作曲家として所属外のチームにも楽曲を提供し、独自の立場を築き上げているとキャッチコピー下にある文章には続いている。
アイドルらしくない引っ込み思案そうなその高校生は、写真に写っている横顔も気恥ずかしそうにはにかんでいた。
『第一線で活躍しなくてもこういった縁の下的な仕事もあるみたいだし、受験くらいはしてみてもいいんじゃないか』
担任の囁きは甘言にも等しいと分かってはいたものの、正直無い無い尽くしで八方ふさがりの今、俺にとっては天から垂れる蜘蛛の糸のようにも思えた。
癪ではあるが、俳優業で培ったパフォーマンス技術と芸能に向いている容姿があれば、多少頭が弱くてもなんとかなるような気はする。
条件としても寮付きの上、活動に見合った報償が支給されるのであれば、父親から勘当同然の扱いを受ける身としては必要最小限の生活は保証されると判断して良いだろう。
俳優業からのアイドルへの転換。
たとえその『アイドル』も『学生アイドル』という本業よりも随分、芸能界から離れた存在とは言え、俺の望みである離別にはほど遠い。
しかし、此処が落としどころなのも事実だ。
結局、俺はこの時の面談で白蘭高校 アイドル科と元々の第一志望校を受験することに決め、年が明けると両校を受験した。
結果的には二校共に受かったのだが、その頃になると解体業者が打ち合わせだと何度もウチを訪問していたことによって、俺の本能が潜在的に脅かされていた。
年度末には実家が取り壊され、次の家は父親が代表を務める芸能事務所の最上階を改装して、私宅とするらしい。
事務所と自宅が一体化する以上、新築の敷居を跨ぐということは、自ら俳優業を続けると宣言するようなものだった。
だが、年度末が近付けば近付くほどに、俳優として生きていくことに対する忌避感は募っていく。
それは両校から合格通知が届き、ほんの少しとはいえ脱出口が見えてしまったことも要因だろう。
よって、寮付きで、お金を稼ぐことも出来るという白蘭高校 アイドル科に入学を決めたのはもはや自然の流れだった。
しかし、拍手喝采に包まれる煌びやかな入学式後のHRにて。
俺は配布された資料に載っていた『退学条件:夏休みまでに二回のライブに参加しなかった者は一部を除いて退学』の一文を見てしまい、己の軽率な判断を後悔することになる。
◇◇◇
衝撃的な合格通告に、俺と桜羽が狐につままれた心地で審査員を務める先輩方を凝視する中、悠々と長机の下で足を組み替えた虎南先輩が笑みを深める。
「そろそろ今回のネタばらしをしましょう。このオーディションは九割の確率で合格します。他に競争相手はいませんが、敢えて言うなら出来レースという奴ですね」
進行役になると、途端に胡散臭さが増す虎南先輩だが、これまたとんでもない暴露をかましてきた。
普通、オーディション中に言うことか!?と目を剥きそうになるが、俺たちの反応を意に帰さず、虎南先輩のぶっちゃけはまだまだ続いていく。
「これは一年生は知らないことですが、オーディションを主催するアイドルチームの上級生は、学校が持っている受験者の情報をある程度閲覧することが出来ます。ある程度なので本名や出身地とか、出身校くらいですが」
「本名⋯⋯ですか」
虎南先輩から上級生のみが知る学校とチームに纏わる裏話を聞かされた途端、桜羽の顔色が変わった。
それは、白蘭高校のゆるゆる過ぎる守秘義務っぷりに対してというよりも、更にその先──個人情報を第三者に知られたことを恐れたような狼狽えぶりのように見える。
「『桜羽 庵璃』の時点でおやっとは思ったんですよ。まぁ桜羽君の場合、姓も名前も少々変わっているので分かりやすかったということもあります。貴方がオーディションを受験してくれたことにより、個人情報の閲覧許可が出たので、本名を確認させてもらいました。
本当は『伊純 庵璃』と仰るそうですね」
多分、俺が桜羽の勧誘を持ちかけた段階で、先輩達は桜羽の正体を見破っていたのだろう。
当時の意味深な態度の理由もそれなら説明がつく。
ってことは、二人は桜羽の本名を確かめた上で、今回のオーディションに望んでいる。
段々と発覚してきたきな臭さに、思わず顔を顰めた。
「国民的スターであり、大俳優の伊純 陽士と、ファッションモデル出身でありながら、サスペンス劇場の常連にもなっている桜羽 音呼の一人息子がそんな名前でしたよね」
「⋯⋯残念ながら、父のコネクションは当てにならないです。絶縁にも近い形で勘当されていますので」
「ですが、お母様は今も貴方と繋がっておいでじゃないんですか」
桜羽も自分が求められている役割を理解したようで、即座に別名を名乗っている事情を明かした。
本来なら、桜羽のこの事情はAngel*Doll√本編の夏休み中に起こるイベントで発覚するのだが、このまま唯唯諾諾と話を聞いてるだけでは、不本意な結末になってしまうと危惧したのだろう。
しかし、虎南先輩はどこまでも上手だった。
「俳優が持っているコネクションがアイドルにも有効かと言われたら微妙なんですけどね。ただ、貴方のご両親ぐらいにもなると、テレビ局の上層部にも顔が利くのではありませんか」
「⋯⋯先輩」
「はい、誠。何か言いたいことでも?」
「つまり、先輩達は桜羽の両親のコネクションを求めて加入を認めるってことっすか」
あまり話すことが得意では無い桜羽では、闊達な弁舌ぶりで巻き取ろうとしてくる虎南先輩を相手にするには限界が近いだろうと介入する。
そもそも俺としても、先輩達のこのやり方には納得が出来ないでいた。
Angel*Dollがいくらプロアイドルに迫るような商業的な一面を持つ学生アイドルだとしても、後輩である入りたての一年生を引き抜く理由がコネクションのためというのは、些か割り切りが過ぎるのでは無いかだなんて非難めいた気持ちにすらなってきている。
──そう思った瞬間、自分が如何にAngel*Dollというアイドルチームを理想視していたのかが突きつけられたような気がした。
「八割はそうなりますね」
「むしろ、あとの二割は何が残ってんすか」
「世界にも通用しそうな整った容姿と、あと意外と努力家な所もですかね。それから、ステージを自分の色に染められることも外せません」
「ほぼ外見じゃねぇすか」
コネクションの次の加点対象が容姿とまで言われた桜羽が、とうとう顔を覆ってしまった。
『もう許したったらどうや』だなんて、某なにわの喜劇で使われている決め台詞が脳裏で飛び交うほどに、虎南先輩の桜羽への死体蹴りっぷりが止まらない。
二日間の付け焼き刃レッスンだったとはいえ、努力で手に入れた技術では無く、先天的に持っていたものだけで評価されてしまうのは、俳優業から逃げ出してアイドル科に入学した桜羽にはかなりキツいことだろう。
しかし、ネタばらしだと言った先輩は非難がましい俺の一瞥を食らっても、全く気にしてないと言わんばかりに辛辣な口を止めない。
「芸で生きていくこの世界では、コネも見た目も立派な武器です。桜羽君は綺麗に自分を産み落としてくれて、なおかつコネクションも弾んでくれるご両親にはしっかりと感謝するんですよ」
これを聞いて、俺は虎南聖仁のド畜生ぶりに思わず「ひえっ⋯⋯」とか細い声が出るかと思った。
この男、死体蹴りどころか、ゾンビとなって復活してこないように頭までグチャグチャにしていきやがった。
幾つの地雷を踏み抜いたんだろうと考えることすら、末恐ろしくなってくる程の容赦の無さだ。
よくも俺のような原作知識を持たずに、こんなにもピンポイントで桜羽のコンプレックスを押しまくっていけるもんだわ。
「聖仁」
流石に虎南先輩の暴挙っぷりが目に余ったのか、芹沢先輩が鋭く名前を呼ぶ。
いつになく険しい声色の芹沢先輩に、桜羽の隣の席の住人として心底感謝した。
「分かっている。少し私情が混じった」
「⋯⋯なんすか、私情って」
何やら言い訳がましいことを零している虎南先輩をこれ幸いとばかりに問い詰める。
このままだと合格は出ているのに副リーダーのぶっちゃけトークのせいで、未来の新メンバーが尻尾巻いて逃げてしまっても可笑しくない。
折角の新メンバー加入チャンスを逃すつもりなのかと、執拗なほどに桜羽を追い立てた虎南先輩を責めるように見返す目に力を込める。
すると、俺の強い気持ちが伝わったのか、虎南先輩が少しだけたじろいだような気がした。
俺や芹沢先輩から制止をかけられたド畜生はまだ何か言いたげな顔つきではあったものの、降参だとばかりに詰めていた息を吐き出す。
「すみません、少々大人気ないことをしました。謝罪の代わりにするにはあまり気乗りがしませんが、俺達が桜羽君の事情を一方的に知っているのもフェアじゃないと思うので、もう少しコネクションについての詳しい話をしましょう。
Angel*Dollは主に三つのパイプを通じて、業界と繋がっています。
一つ目のパイプは他のアイドルチーム同様、学校です。白蘭高校が独自に有している繋がりからお仕事を頂いておりまして、これは大体Angel*Dollご指名というよりかは、白蘭高校所属のアイドルチーム向けのお仕事となりますね。
そして、二つ目が長篠さん達OBを通じたお仕事のご依頼です。先輩方は卒業なされてもAngel*Dollを大切になさっていますので幅広く斡旋していただいております。そのため、アイドルというよりかは、先輩方の現在のご職業に準じたお仕事が多いので、非常にバリエーションに富んでいます。
最後に三つ目。これはAngel*Dollメンバーが個人的に持っているパイプ──現在ですと、プロアイドルを兼業している真白や俺の個人的なコネクションとなります。こちらは数こそ少ないですが、一メンバーが広報をして持ち帰っていますので、それなりのお仕事が確約されています。
基本的にどのお仕事も喜んで受けるようにしていますが、やはり知名度を上げようと考えますと、仕事内容は選別せざるを得なくなります。
ですので、メンバー自ら持ち帰ってくることが一番効率的なんですよね」
桜羽のコネクションを求めている理由なので、Angel*Dollの経営に関する話になると思っていたが、どうやら先輩はまだ入ったばかりの俺と加入すらしていない桜羽に対して、こちらが思っていた以上に踏み込んだ詳細を聞かせてくれるらしい。
個人的には経営陣サイドのあれこれを覗き見るのは、まだ控えたいところだったのだが、こうなっては仕方ないだろう。
しかし。芹沢先輩は分かるが、虎南先輩の個人的なコネクションか⋯⋯。
彼自身は芹沢先輩のようにプロアイドルデビューを果たした訳でもなく、スカウトもそれなりにあるだろうに未だ学生アイドルに甘んじている身の上だったはずだ。
そんな虎南先輩が持っているパイプの先か。
正直、想像がつかない。
「これは此処だけの話⋯⋯オフレコでお願いしますよ」
内容が内容なのか、虎南先輩は声のトーンまで下げた。
よっぽど言いにくい話をしようとしているのか、なかなか二の句が出てこないらしい。
先程まではあんなに饒舌に喋っていた筈なのに、今はとても引き結ばれた口元が重たそうだ。
しかし、黙ってばかりでは仕方がないと虎南先輩は覚悟を決めたようで、躊躇する気持ちを解消するように組んでいた足をまた組み替えた。
「⋯⋯実は俺も桜羽君、君と同じ二世です。母親は世間的にも有名なアイドルで、父親は⋯⋯養父と母の言を真とするのならば、著名な声優のようです。まあ、俺の場合は桜羽君と違って私生児──法的には非嫡出子と表されるような、少々ややこしい立場にあります。そんな訳で母や養父の人脈を使って多少、お仕事を得たりしているんですよ」
思わず、俺と桜羽は互いに目を合わせる。
こんなにも目を皿のように丸くしている桜羽を見るのは初めてだなとどうでもいい感想を抱くのと同時に、多分俺も似たような顔をしているんだろうなと思う。
予想すら不可能だった虎南 聖仁のバックボーンカミングアウトに、全く気持ちがついていけなかったのも束の間のこと。
俺は長机に思いっきり拳を振り下ろしたい気持ちをどうにか堰き止めて、あらん限りの絶叫を胸中で上げた。
はああああああああああああああああ!!?
虎南聖仁ってそんな馬鹿みたいに重たい設定を持ってたキャラなのかよ!?
本編ではこの辺の裏設定が明かされること無く、卒業していかれましたけど嘘だろ運営!?
絶叫中でも言ったように俺がこんなにも狼狽えているのは、虎南聖仁がアイドル学科を卒業し、本編でもたまにしか登場しない準レギュラーになった『二年生編』でも、彼のこのバックボーンは微塵にも出てこなかったからだ。
SSR限定のサイドストーリーでもそんな話は一切無かったはずなので、マジの裏設定なんじゃないだろうか。
この世界がプリアイによく似たパラレルワールドの一つだったとしても、十中八九、境遇は共通しているだろうし。
ってことは、卒業した二年生編以降でも三年生達が活躍する話は予定されていたってことか。
それとも章ごとに交代するシナリオライター制度のせいで、シリーズ構成段階では組み込まれる予定だったが、脚本が仕上がって追加アップデートする頃には隙間からこぼれ落ちていってしまい、秘話になってしまった可能性も高いか。
どちらにしろ、これはまたとんでもない展開になってきたな。
暴露した本人は言いにくそうにしていた割には、言い終えたらのほほんと狼狽える俺達が落ち着くのを待ってるし。
虎南先輩の事情を知っていただろう芹沢先輩なんかは、狼狽える俺達を苦笑しながら見守っている。
「そんなに驚くことかい?」
「そりゃあ、驚きますよ⋯⋯。お母さんがアイドルで、お父さんは声優で、しかも養父に私生児ってどんだけ属性盛り沢山なんすか」
「私も初めて聞いたときは吃驚したんだ。教育テレビとかで特集されていそうだよね」
「教育テレビっていうよりかはゴシップ誌じゃねっすか」
芹沢先輩の言うように日が変わる前の教育テレビで『現代の闇特集』の一例としてピックアップされてもいそうだが、どっちかっていうと美容院や床屋に置いてある過大広告にも程がありそうな売り文句が並んでいる週刊誌向けの内容じゃないだろうか。
世に鬱屈していそうな層に持て囃されそうなセンセーショナルさ満載だしよ。
「俺の生い立ちは兎も角として、俺達が引退した後は業界にコネを持つ人間がチーム内から居なくなります。勿論、卒業後は俺達もOB達のように支援するつもりではありますが、やはり当人達がパイプを持っているのと持っていないのではかなり差が出てくるんですよね。現にトップ争いをしているZ:climaxはかなり広報に手間取っていますし。
そんな訳で簡単にテコ入れをしようと考えた場合、元々コネを持っている新入生を引き入れるのが一番手っ取り早いんですよ」
本当、この人⋯⋯大人顔負けのプロデュース力してるわ。
以前のミーティングでも辣腕を振るっていたが、虎南先輩はAngel*Dollを学生アイドルの頂点として押し上げるために持てる力の限りを尽くしている。
それこそ、全身全霊をもってしてという表現が相応しいほどに全力を賭している。
──だとしたら、どうしてそこまでこの人は必死になれるのだろうか。
「桜羽君、君も芸能界で育ってきた口だ。俺の言ってる意味は分かるね」
「はい。よく⋯⋯よく分かりますよ」
「狭いのに人口密度ばかりが高くて、数の決まったスポットライトに当たるためには手を尽くさなくちゃいけない。コネなんかも、結局は消耗品だ。万能薬じゃない」
芸能界で育った桜羽だからこそ、抽象的な虎南先輩の言葉の裏に潜む本音も分かるのだろう。
最終的には求められていたコネクションも消耗品だと吐き捨てた先輩に、桜羽は同意するように俯いてしまった。
「俺はね、真白みたいな志でアイドルをやっている訳じゃないんだ。腹を痛めて産んだ子どもすらも放り出した母が、夢中になっていた景色を見てみたくて此処に入学した」
桜羽に対して先輩が辛辣だった理由は、きっと生い立ちと母親と関係しているんだろうな。
同じ二世といえども、桜羽は両親から愛されていて、強引が過ぎるが俳優の道まで用意されていた。
片や虎南先輩は、アイドルだった母親が一人で出産した私生児であり、公にされていない隠し子のような存在だ。
桜羽にも桜羽なりの悩みがあるが、同じ芸能界で育ちながらも日陰で生きてきた先輩にとっては、恵まれた環境で駄々をこねているようにしか見えないのも分かるような気がする。
「嗚呼、でも、もうそれだけじゃないな。昂汰──友を連れて行ってしまった闇に負けないために、アイツの残した軌跡を守るためにもAngel*Dollに居続けている。俺は絶対、このチームを落とさせない」
刹那、無意識にも同情を募らせていた外野を吹き飛ばすように、虎南先輩は聞いたことも無いドスを利かせた声を出した。
あまりの凄みに俺や桜羽はおろか、芹沢先輩までが息を呑む。
それが、先程まで抱いていた『どうして学生アイドルで居続けるのか』に対する答えなんだろうと瞬時に理解した。
虎南聖仁が学生アイドルで在り続けている理由は、母親への歩み寄りと、志半ばで去ってしまった友人の分までAngel*Dollを守ろうとしているからだ。
それは──普段から飄々としていて、人を食ったような態度をしている彼にしてみたら、なんて甘やかな理由だろうか。
こういうのは芹沢先輩の役割のような気がするが、虎南先輩も人並みには家族への情があって、友情にも篤い男だったらしい。
「それが、俺がアイドルをやっている理由です。全くお綺麗じゃありませんけど、全ての矜恃を投げ打って挑んでますよ」
そう言い終えると、虎南先輩は俺のターンは終了したとばかりに、後はいつもの王子様スマイルを浮かべるだけになってしまった。
輝かんばかりの笑顔を保つだけになってしまった同期を心配するように芹沢先輩が左隣を見やるが、思ったよりも当人が平気そうな顔をしているのでホッとしたように息を吐いている。
芹沢先輩にとっても、小早川昂汰の話は吃驚しただろうな。
普段はこんな本音を吐いて無さそうだし。
「⋯⋯そこは、貴方にとって宿り木になったんですね」
虎南先輩の全ての話を聞いて、追い立てられてばかりだった桜羽にも変化があったようだ。
意を決したような面持ちで問い掛ける桜羽に、しかし虎南先輩は何も言わずに微笑み続ける。
「俺の棲家にも、なってくれるでしょうか」
現在の桜羽は父親に帰る場所を人質に取られた状態で、白蘭高校の寮に身を寄せている状態だ。
親の愛と七光りで守られていると信じていた芸能界で子役を続けているうちに、実は何にも守られていない状態で撮影現場や舞台に立っていることに気付いてしまい、元来の臆病さに拍車がかかってしまった二世。
俳優という職は、誰かを演じる一方で、己を曝け出す職業なのだと聞いたことがある。
恐らく桜羽は、未成熟な人格形成の段階で観衆に自己を開示することを強く意識してしまったばかりに、俳優で居続けることを恐れるようになってしまった。
そしてそれを、両親や取り巻く周囲が一つも理解していないことが不幸の始まりだったのだろう。
何処にも身を寄せる場所がない桜羽が、次の居場所を見定めようとしている。
果たして──彼の芽生えた期待にAngel*Dollは応えることは出来るのだろうか。
「それは桜羽君次第だよ。けど、もし君が来てくれたなら、私達は君を歓迎する」
いつもの完璧なアイドルスマイルとは違う、芯の感じられる慈愛に満ちた笑顔を綻ばせた芹沢先輩は、俺にも目配せをする。
桜羽のオーディションは先輩達の打算に塗れていたが、きっと加入したら彼等は真摯に向き合ってくれるだろう。
キラキラ、フレッシュ、ジェントルが売りのAngel*Dollの経営が大人顔負けの狡猾さの下で行われていたとしても、属しているメンバー達が誠実な人間だということは分かっている。
だから、俺も胸を張って桜羽に言える。
「来いよ、桜羽。そういう理屈とかは多分、あとからついてくんだよ。だから、先ずは一緒にやってこうぜ」
たとえ、発端が俺の事情だとしても、お前は此処でならやっと息がつけるはずだ。
その保証が前世のゲーム知識だなんて笑っちゃうような代物だとしても、あの世界のお前はこのチームで幸せそうにしていたんだから。
「加入⋯⋯します。俺も、そこにいさせてください」
頭を下げて祈るように告げる桜羽を、審査員側にいる俺達は無意識のうちに柔らかな顔付きで見つめていた。
五月もそろそろ終盤に差し掛かったその日、Angel*Dollは今年最後のメンバーを迎え入れたのだった。




