付け焼き刃特訓した
▽アンリ
生まれてから芸能界を出たことがない人間は、ほんの一握りしかいないらしい。
そして、狭い箱庭のようなこの世界はいつも過剰な程の人で犇めいているのに、脚光を浴びて生きていける業界人は三割にも満たないのだとか。
だから、生まれた時からこの箱庭を故郷だと思える俺のような二世は幸せ者なんだと、寝物語の代わりにいつも父は語る。
『流石、伊純さんのお子さんね。他の子役と違って華があるわぁ』
『そりゃそうよ。庵璃君は赤ちゃんの頃から地上波に出ているんですもの。ほら、今も放送中の医療ドラマがあるでしょう?アレのファーストシーズンで、新生児役をしたんですって』
『やっぱり両親が大物芸能人にもなると、我々とは生き様すら違いますよね。だからこそ、こんなにも小さいのに風格があると言いますか』
現場入りをする度にぐるりと俺を取り囲む大人達は、血の繋がった親戚達のような親しげな顔を繕って、善悪がまだつかない己に向かって賞賛の言葉ばかりを捧げてくる。
しかし、その言葉達にはいつも『伊純 陽士』と『桜羽 音呼』の枕詞がついていた。
だが、そんなことは差程も気にしたことがなかった。
それこそ、物心のつく前から親の威光が俺を照らしているのだ。
誰もがハッキリと口にはしないが、二人の庇護があるからこそ満足に息をすることが出来ていることは、道理が分かっていない子どもでも理解出来る。
感謝こそすれ、苦に思うのはお門違いもいい所だと弁えていた。
──しかし、親の七光りが俺を支えてくれるのは、箱庭の一角だけなのだと後に知った。
両親が与えてくれた棲家でもある、俳優として立つ板の上にまでは届かないのだと、泣きながら飛び出していく小さな背中に思い知らされた。
親友役の子役が居なくなったことで、板の上には主人公役の俺だけがその場に残される。
監督、演出家、照明、音響、ヘアメイク、共演者といった関係者の視線を一身に受ける。
無機物を見るような温度の無い目が、何十と俺に向けられている。
そこに『伊純陽士』と『桜羽音呼』の愛息子だからと容赦する気配は無く、皆が皆、『伊純庵璃』という人間がどう動くのかと見定めているのみ。
まるで──俺の中身をアジの開きのように開いて、どんなポテンシャルを秘めているのかと暴くように。
今更ながら、顔しか知らない知り合い達の視線が降り注ぐだけの舞台には、『俺』だけが剥き身で立たされていることに気が付いてしまった。
大人達の無機質な視線が、何も身に付けずに突っ立っている俺を開こうと刺さる。
刺さった視線の先から、血が吹き出ている光景を幻視した。
これが被害妄想の賜物だって分かっている。
だが、恐怖心は留まることなく肥大化していって、何か遮るものはないかと、縋るように顔を振る。
しかし、両親の威光も、皆が愛でる容姿も、いつの間にか取得していた賞歴さえ──身を守る武器にはならず、寧ろ相応に見合った人物たれと枷になった。
両手、両足、首に嵌められた枷が、板の上から動くなと縫い止める。脚本にない動きをするなと、咎め続けているようでもあった。
『叩き上げの舞台俳優からスタートした国民的俳優の一人、伊純陽士の息子』
『モデル上がりだが、怪演で人気を博した桜羽音呼の血を引き継ぐ者』
『朝ドラ婚として話題になった二人の間に生まれし、ドラマ的出生を持つ子供』
覚悟なく享受していた柔らかな陽光は、何者でも無くなった『伊純庵璃』という子役になった瞬間、干上がらせんばかりの日差しとなって牙を剥く。
全てを焼きつかさんばかりに襲い掛かる、元々は親の加護だったソレに俺は只管に怯えた。
それから暫く経ったある日から──俺は現場や板の上から逃げ出すようになる。
◇◇◇
『桜羽庵璃スカウト大作戦』をなんとか成功させた俺は、その場で三年生を交えたグループチャットを作成して報告し、オーディションの日にちを問い合せた。
すると、直ぐに既読が付き、虎南先輩から二日後の17時と指定される。
しかも、今回の加入試験は日を置くためか、『さざなみ鎮魂歌・エンジョイ行進曲・ショット☆スターライトのどれかを課題曲とします』と内容の指定まであった。
三曲ともに、Angel*Dollの名曲として有名だ。
特にさざなみ鎮魂歌は代表曲のような扱いだった筈で、アイドル科の授業でも度々取り上げられている。
ってか、俺の時よりも本格的な試験ぶりに先輩達の本気度が伺えるな。
そんくらい桜羽への先輩達の関心が高いってことなのだが、一体彼の何がそこまで先輩達の興味を引っ張っているのかと、スマホ画面に落としていた視線を隣の桜羽へと移す。
某歴史アクションゲームのキャラクターかってくらい整った顔立ちに、スラリと伸びた手足のバランスがマネキンのような比率で保たれている身体。
アイドルよりも、モデルといった印象を受ける桜羽に思う事は一つ。
やっぱり、容姿か。
コイツの容姿が先輩達の判定では、エンジェルっぽいってなってんのか。
物言いたげな俺の視線に気が付いたのか、桜羽が問い掛けるように目を合わせてくる。
「日時と場所、それから試験内容が送られてきた。こん中で出来そうな曲ってあるか?」
「⋯⋯さざなみ鎮魂歌なら、多分」
誤魔化すように、グループチャットルームを開いたままのスマホを掲げる。
俺にスマホを翳された桜羽は素直に表示されている文章を目で追って、頼りなさそうに選んだ課題曲を告げた。
選曲したのは、さざなみ鎮魂歌か。
もし俺が桜羽だとしても、それを選ぶな。
桜羽のチョイス理由は不明だが、俺が残りの二曲を差し置いて、その曲を選んだ理由は二つある。
まず一つ目として、エンジョイ行進曲やショット☆スターライトは、アップテンポな曲な為にかなりダンスパートが激しい。
それこそ、エンジョイ行進曲は逆浪先輩と古坂先輩も嫌な顔をしていたぐらいだ。
それらに比べて、さざなみ鎮魂歌はバラード曲な為、ダンスパートも緩やかな振付が特徴的だ。
その分、単調な振り付け故に失敗すると誤魔化しが利かないというデメリットがあるが、ダンスの難易度としては経験がない子どもでも踊れるレベルになっている。
要は二日もあれば、習得することは可能だ。
そして二つ目だが、バラードということもあり、口が回りきらずに噛んでしまうという痴態は犯しにくいということ。
テンポの速い曲は、どうしても滑舌が求められるからな⋯⋯。
『歌うまへの道程は、滑舌から』だなんて定石も聞くが、アイドルを始めたての高校生に求めるのもどうかって話だし。
幸いにも桜羽の歌を授業で聞く限りは、歌唱に関しては問題はなかったはずだ。
成績だけを見れば、クラス内だと上位に入れる腕前を持っていたと思う。
よって、以上の二つの理由と消去法により、桜羽が課題曲として選ぶならば、さざなみ鎮魂歌一択ということになる。
これを桜羽が理解しているのかは甚だ疑問ではあるが、自己分析なんて入ってからいくらでもすれば良い。
先ずは、先輩達のお眼鏡にかなって、加入してからだ。
その当の本人である桜羽はというと、今も全く動く気配の無い無表情を保っている。
しかし、体全体からは何処となく不安そうな気配が醸し出されているように感じられる程には纏う空気が重たい。
⋯⋯時間が無いからと押し掛けたが、桜羽にしてみたら急に決まったオーディションだもんな。
トントン拍子で進んでいく展開に、不安を抱いていても可笑しくはないか。
俺の思い違いかもしれないがフォローして損は無いだろうと、桜羽の背中を喝を入れるように叩く。
「んじゃ、それで当日は挑むか。心配すんなって。俺も誘った身だし、お前の特訓には付き合うから」
笑わない桜羽の分も含むように、ニッと笑う。
笑っていれば何とかなるって訳でもないが、深刻な顔を互いに突合せてウジウジしている方が心の健康に悪い。
そんな俺の思いが伝わったのか、少しだけ張り詰めた雰囲気が和らいだ桜羽は静かにこくんと頷いた。
◇◇◇
さて、付き合うと大口を叩いたものの、正直二日という短期間でどうにかなるような特訓は無い。
しかも、放課後をまるっと使える今日のレッスンに付き合えるのは、Angel*Dollの基礎練が始まる17時までという時間制限つきだ。
実質、30分しか付き合えない俺が出来ることなど、たかが知れている。
しかし、ある程度のゲームシナリオを保つというコチラの勝手な事情に巻き込んだ以上、必要最低限の責任を持つべきなのは確かなことで。
この貴重な時間を無駄に出来ないと放課後になるや、俺は直ぐに左隣の桜羽を引っ掴んで教室を後にする。
そんな嵐のような俺達を、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした柳村が見送っていたのがちょっとだけ面白かったが、そんな余談はさておき。
俺たちが向かったのは、Angel*Dollに所属してからよくお世話になっているレッスン棟だ。
昨日急遽予約した誰でも使える4階にあるレッスン室は、Angel*Dollが使用しているレッスン室よりも簡素な内装となっていた。
しかし、一角に纏められている機材を見るに、一通り揃っているようなので問題は無い。
真っ暗なレッスン室に飛び込んだ俺は、照明を点けながら桜羽には学校ジャージに着替えるように伝える。
俺のペースで進めているにも関わらず、桜羽はすんなりと承諾し、通学鞄とは別に持っているスポーツバックからジャージを取り出している。
明るくなった室内の下で淡々と着替える彼を見て、アイツのズボンの長さって俺の腹上ぐらいまで来るんじゃね?と、ぞっとしない感想を漏らしつつ、スピーカーとスマホを同期する。
姫城誠のプレイリストには、当たり前のようにさざなみ鎮魂歌のinstrumentalバージョンも入っているため、今回はこれを使う。
歌い出しや歌詞の乗せ方が分からない場合はカラオケ機材の使用も視野に入れるが、授業でもさざなみ鎮魂歌はやったし多分大丈夫だろう。
「着替えた」
「オーケー。そこのマイクを持ったら、取り敢えず一回やってみるぞ」
桜羽の声に促されて操作していたスマホから顔を上げると、白ジャージに着替え終えた彼が鏡張りの壁を背にして立っている姿が視界に入った。
彼なりに俺の指示を待とうと佇んでいるのだろうが、その立ち姿が撮影前のモデルのように様になっている。
⋯⋯ある意味、何をやっても一般人になれないのだとしたら、これはこれで苦労はあるのかもしれねぇな。
人によっては、何に代えても欲しい才能だろうが。
マイクを手にして位置についた桜羽を見届けた後、俺は片手を上げる。
「カウント行くぞー!5、4、3⋯⋯」
声とともに、指でもカウントダウンを取っていく。
そして、口にはしなかった「2、1」の指を全て折り曲げたのと同時に、もう片方の手で持っているスマホに表示された再生ボタンをタップした。
すると同期したスピーカーからイントロが流れ始め、そこですっかり音量調節のことが頭から抜け落ちていたことに気付いた。
が、幸いにも問題は無いようで、このまま停止することなく続行させることにする。
15秒ほどのイントロが終わり、やっとの歌い出しだ。
そこからはAメロ、サビ、Bメロ、Cメロ、落ちサビ、ラストサビと続き、中断するようなトラブルが起きないまま、4分50秒程の曲を一通りやり通した。
音楽が途切れ、レッスン室を再び静寂が包む。
手元にあるスマホを確認すると、シークバーが初期の位置に戻っていた。
前方から痛くなるような視線が突き刺さっているのを感じる。
応えるように顔を上げると、マイクを握ったままの桜羽が反応を伺うようにして此方を見ているのが視界に入る。
批評を待っているらしい彼に対して、俺は頑固親父のように両腕を組んだ。
ふむ、と唸りながら目を閉じる。
桜羽のパフォーマンスには、致命的な欠点とも言うべき弱点がある。
これがある限り、アイドルとしては劣等生を通り越して、落第生の判を押さざるを得ない。
しかし、それも──今回の選曲ならば問題にはならないだろう。
小手先の技術を仕込めば、少しくらいはそれっぽくなると思う。
そういう結論に至ったため、本当に、ほんとーーーーにアイドルとしてやっていくには壊滅的な欠点があるが、今は一先ず置いておく。
それ以外となると、一通りの歌詞と振り付けが頭に入っていることもあって、パフォーマンスを間違えるということは無かった。
当たり前のことだとしても、これはしっかりと評価すべきポイントだ。
ってか多分、桜羽はそれなりの音感とリズム感を持っているな。
楽器を嗜んでいたのかと思いもしたが、彼の経験上だとミュージカルの方が可能性が高いか。
恐らく、義務教育で習う音楽の授業だけではなく、一線で活躍しているプロに師事したこともあるんじゃないだろうか。
とまあ、技術は無いよりはあった方が良いのは間違いがなく、歓迎してこそ邪険にするものでは無い。
──無いのだが、しかし今の桜羽には素直にもそうも思えない事情があった。
その理由というのが、変に天性の勘と技術を保有しているが故に、技術で上手いこと誤魔化しやがっているということだ。
たまにいるんだよなぁ。
こういう才能があるからこそ、小手先だけで上手いことリカバリーする奴。
インハイにも出るような剣士が急に球児になって、ヒットばっか上手くなるとか。
風景画を得意とするような画家がイラストレーターに転向して、写実チックなデフォルメを披露するとかな。
桜羽の場合、子役上がりのアイドルなので、小さな頃に積んだ技術でゴリ押ししてきてんだよな。
正直、何にも持たない未経験者よりも、こういう癖持ちの経験者を矯正する方が何倍も苦労する。
「色々と⋯⋯色々と言いたいことはあるが、今求められてるのは加入試験に通用するレベルだ。そもそもファンの前で披露する所まで辿り着いてねぇから、今回は何も言わねぇこととする」
目を瞑ったまま、パフォーマンスについての批評を口にする。
性格上、奴の顔を見てしまうとそのまま思いの丈が噴射してしまうのは確実なので、視界を閉ざしたまま捲し立てる。
しかし、もともと堪え性のない性格のせいで、組んでいる両腕をつい人差し指で叩いてしまう。
圧迫面接官と同等の性悪トレーナーぶりであるが、色々とせめぎ合っている今の俺は全く気付かない。
「歌は良い。及第点にしてやる」
因みに及第点はよく誤用されがちだが、一定のレベルをクリアしてるって意味ではない。
合格ラインをほんの少しだけ上回っているから、しゃーなしで点をくれてやってるって意味なんだから、そこんとこ間違いないようにしていただきたい。
しかし、そこで煮えたぎっていた気持ちが揺れた。
せめぎ合いに参加していた理性が、少しだけ薄くなってしまったのだ。
瞬間、自然と閉じていた目がかっ開く。
「だから、今回は歌が無ぇ所の間奏のフリを徹底的に扱くぞ! 歌で誤魔化せないところを矯正する!
後ろにある鏡で確認ッ、自分でも踊ってる姿を撮って確認ッ、んで今日一仕上がってるやつをレッスン室を出た時に送ってこい!お前、まだ高校生なんだからキレよく踊れよ!!緩やかとダラダラはちっげぇーーーよ!!!」
我ながら、なんて忍耐力がないのだろうと思ってしまうが、迸る感情が止まらくなったのだからしょうがない。
ちなみにこういう情緒が不安定なトレーナーは薬にもなれば毒にもなるので、事務所としてはレッスン生との相性を見極めた上で担当させなければならない。
残念ながら桜羽の場合は、俺以外を選ぶ余地は無かったので可哀想っちゃあ可哀想なのだがな。
しかし、意外にも彼と俺の相性は悪くなかったらしい。
俺のマシンガンを大量に食らったにも関わらず、桜羽はケロリとした表情で頷いた。
「うん。分かった」
その後、俺がAngel*Dollのレッスンに行ってからも、しっかり桜羽は特訓を続けたようで、彼の中で一番の出来らしいレッスン動画が送られてきたことに気付いたのは休憩時間のこと。
軟弱な白星はトドのように床の上に打ち上がっており、水分を補給する気力もないらしい。
白星の飲み物も持って彼の隣に腰を落とし、スマホを横持ちにする。
送られてきた動画には、まだまだ体の硬さが気になりはするものの、最初に通した時よりもキレのある動きを披露する桜羽が映っていた。
打ち上げられたトドから僅かに回復した白星が、漸く傍に置いたペットボトルに手を伸ばした所で──何故か、不審げな目付きで俺を見上げてくる。
「マコちゃんがスマホ見てニヤニヤしてる⋯⋯ファンレターでも貰った感じ?」
「まだデビューもしてないうちに貰えるわけねぇだろ。面倒見てる奴の筋が思ったよりも良かっただけだ」
「ふぅん、美少年って得だねぇ。ニヤニヤしても全然やらしくねぇの」
「ありがてぇ限りだわ」
「⋯⋯喋りだけ聞いていると、その辺の輩と変わんないんだけどなぁ」
どうやら、勝手に口許が緩んでいたらしい。
水分補給しながらも口が減らない白星にうんざりして、顔合わせに来たと言う割には初日から飛ばしまくっている外部トレーナーの下へと向かう。
そんな俺の手には、スマホが握られたままだった。
※注釈
『instrumentalバージョン』⋯⋯歌詞のない演奏だけが入った場合の楽曲。シングルCDには必ず歌詞入りの曲と別に収録されている。セレクションっぽいアルバムでは見たことがないかも。
『パトス』⋯⋯ギリシャ語で『感情』を意味する。一定の年齢に到達していると、この言葉を聞いただけで紫色の人間フォルムのロボットと逃げられないと追い込む少年を幻視する。
球児剣士に関しては、下段の構えが得意な守り特化型に限る気がします。
風景画画家もキャンパスに収めないといけないのである程度の縮尺計算はしているはずですが、手癖でやると省略する場所が違うんでしょうね。