桜羽を勧誘した
桜羽庵璃は覚醒したばかりの俺が初めて出会ったこの世界の住人で、同じクラスに所属する左隣のよっ友だ。
休み時間になると、よく書店名入りのブックカバーに覆われた小説を読んでおり、それも読破して手持ち無沙汰になると机に伏して寝ていることが多い。
特別仲良くしているクラスメイトもいないらしく、それどころか、表情筋が働かない端正すぎる顔と高身長のせいで皆からは遠巻きにされている節がある。
だから、挨拶と言えども言葉を交わすのはクラスメイトの中だと俺ぐらいのもので、交友関係も希薄であり、言葉数もそう多くない桜羽の本性は謎に包まれている。
⋯⋯ていうのが、姫城誠として生活している俺の視点だ。
では、次にプリズム☆アイドルとかいう笑っちゃうような名前のゲームタイトルをプレイしていた俺の視点がこちら。
桜羽庵璃はアイコンにまで選ばれているこのゲームの顔であり、チュートリアル兼世界観の説明も兼ねているAngel*Doll√の序章で最初に登場するキャラクターだ。
要は、主人公と初めて会話を交わすメインキャラクターというわけだ。
入学して早々、担任の教師からアイドルチームのマネージャーになって欲しいと請われた主人公は、教えてもらったレッスン棟まで行き着くことなく迷い込んだ大ホールの裏で、読書中の桜羽庵璃と出会う。
『あの⋯⋯レッスン棟の場所ってご存知でしょうか?』
『⋯⋯うん』
『本当ですか! 良かったぁ、まだ入学したばかりで地理が頭の中に入ってなくて。すみません、どちらにあるのか教えて貰えないでしょうか?』
『⋯⋯案内する』
凡そこんな感じの微笑ましくも辿々しいやり取りの果てに、二人はAngel*Dollが活動しているレッスン棟へと向かうことになり、一区切りを示すように場面が暗転して一話目が終わる。
メインキャラクターの中でも主人公寄りのポジションを与えられているだろう桜羽の寡黙さにも衝撃だが、このゲームでそんな事にいちいち驚いていては体が持たない。
連れ立ってレッスン棟に辿り着いた二人は難無くAngel*Dollと接触し、これから切磋琢磨をすることになるだろうメンバーとの顔合わせが一先ず終わる頃。
リーダー不在のために相手を務めていた副リーダーの虎南聖仁が突然、桜羽にある話を持ち掛けてくる。
『君、一年生ですよね?もうアイドルチームには加入しました?』
『⋯⋯いえ』
『でしたら、ウチなんか如何でしょう?只今絶賛新入生を募集中でして、君のような華のある子が入ってくれると非常に有難いんですよ』
『え!?あのAngel*Dollにスカウトされるなんて桜羽さん凄いですよ!!これも折角の縁ですし、入って頂けると嬉しいです』
『⋯⋯うん、分かった』
『流石、学校側が派遣してくれたマネージャーさんですね。良いご支援っぷりでしたよ。それでは、三日後に歌とダンスの加入試験を行いますので宜しくお願いしますね』
『え?スカウトなのに、加入試験をするんですか?』
『勿論ですよ。容姿に関しては百点満点ですが、技術の方はまだ拝見していませんので』
『『⋯⋯』』
ゲーム内でも虎南先輩が通常運転なことはさておき、こうして主人公と桜羽庵璃は腹黒副リーダーの罠にサクッと引っ掛かって、三日後の加入試験の為に奔走することになる。
この三日間のうちに既に加入している白星が助けてやろうと音ゲームシステムのチュートリアルをしてくれたり、二年生からのエンジェル洗礼を浴びてシナリオの独特のノリに食中りしそうになったりと、語りたいことは山ほどあるのだがこれ以上は長くなるので割愛する。
ってことで、桜羽庵璃は主人公の付き添いをしたために虎南聖仁からAngel*Dollの加入を持ち掛けられ、加入フラグが立つのだが⋯⋯肝心の虎南先輩が主人公をキャンセルしたことで、このフラグはポッキリと折れちゃってんだよなぁ。
そういや、ゲーム通りだとそのキャンセル時に桜羽も同行している事になるのだが、その辺のことは先輩も何も言ってなかった。
ただ、先輩達は桜羽のことを知ってはいるらしい。
二人の言を信じるならば、課題曲を披露する桜羽のデモを見て覚えていたということになるが、どうにも素直にそれを信じる気にはなれねぇんだよな。
となると、それ以外の理由で知っていたってことになるんだが⋯⋯問題はその理由か。
一つ考えられるのは、それこそ主人公に同行していた桜羽と顔見知りになり、彼の端正な顔ぶりを評価して誘ってはみたが断られたっていうこと。
だから、桜羽を勧誘しても良いかと尋ねる俺に、虎南先輩は快くGOしたと考えられなくはない。
しかし、正直これはこれでしっくりは来ねぇんだよな。
となると、桜羽は主人公と一緒にレッスン棟に来たが、虎南先輩からは勧誘を受けなかった。
それか、主人公と一緒にレッスン棟に行かなかった──の二択が過ぎるんだが、この辺の有無は直接本人達に聞かなきゃ判別がつきようもない。
何にせよ、先輩達に桜羽の加入をお願いしてしまった以上、うだうだと考え込んでしまっても仕方がないことだ。
◇◇◇
あの気の遠くなるような、長い一日が終わった翌日。
頭痛の種も増え、食事も勉強も身が入っていない俺は、昼食のカレーを鼻に突っ込みそうになったり、授業中にノートに描いた赤レンジャーの落書きが北白川にバレて「お前の衣装を白ベルトだけにするよう、古坂に頼むのも吝かじゃないんだからな」と斜め向こうの脅しをされたりと色々あったが、なんとか放課後まで乗り切った。
だが、流石に普段ではやらないようなやからしをしまくったこともあり、前の席にいる犀佳からは胡乱げな眼差しを食らうことになる。
「今日、何か変じゃない?」
「ちょっと疲れてるだけだ。思ったよりも先輩のキャラが濃くてな」
「そうなの?Angel*Dollって、皆良い人そうだけど」
彼が抱く先輩方の印象は間違ってもいないのだが、正解だと頷くのもちょっと気が引けてくる。
少々発想や行動が奇想天外なだけで、協調性が無いわけでも無いもんな。
⋯⋯荒唐無稽なことばかりしてくるってだけで。
胸の底から湧いてくる本心に蓋をして、なんとか後輩らしい爽やかな笑顔を取り繕う。
「イイ人達なのは間違いねぇよ。じゃ、用あるから先帰るわ」
「あ、ちょっ誠! 帰るんなら俺も帰る!」
「ごめん、今日は先約があるんだわ!またな!」
通学鞄を小脇に抱えると、犀佳の制止の声も振り切って自席を後にする。
連日動き回っているので、レッスンの予定も入っていない今日くらいはのんびり犀佳と道草を食っても良かったと思うのだが、生憎とそんな暇は無い。
先輩達に桜羽を引き入れたいと願ってしまった以上、出来るだけ早く引き合わせた方が良いのは確実だ。
それに一年生のデビューライブは六月に決まってしまったし、加入するなら絶対に早い方が良い。
その当の桜羽はというと既に教室から姿は無く、HRが終わったのと同時に出ていったことは確認済みだ。
教室内で出来る話じゃないため、敢えて声を掛けずに見送った。
隣同士であることを良いことに自席でAngel*Dollに勧誘した日には、この前みたいにクラスメイト達が群がってくる光景が目に見えているからな。
お呼びじゃないと窘めた所で聞きゃしない沢山のクラスメイトを引き連れて行ったら、あの絶対零度の王子スマイルで締められるのは間違いない。
流石の俺も、お披露目ライブ前に散りたくは無いし、命も惜しい。
そんな事情もあって、桜羽が教室を出てからが本番なのだが、これといって桜羽と深い付き合いをしていないので、彼が何処で放課後を過しているのかを知らないことが今作戦における問題の一つだった。
しかし、不足している情報で頭を捻っていてもどうしようもない。
取り敢えず、生徒玄関でシューズに履き替えて校舎から出る。
東門までの道程にはチラホラと帰宅途中の在校生が点在しているが、あの端正なモデル姿は残念ながら確認出来なかった。
探し人を見落とさないように視線を走らせながら、ふむと唸る。
先程にも述べたように、俺と桜羽はただの隣の席同士の関係だ。
なので、桜羽が寮に真っ直ぐ帰宅しているのか、それとも校外に繰り出してあてもなくふらついているのか、そんなことすらも分かっていないのが現状だ。
だが、これはあくまでも姫城誠として接している時のみの考え方でもある。
ゲーム知識が指針になるのだとしたら、話は変わってくる。
俺は爪先を東門の方角から、薄らと遠くに見える大ホールの屋根の方へと向き直した。
◇◇◇
メインストーリーとサイドストーリーでは、マネージャーが何かといなくなりがちな桜羽を回収しに行くために向かう先はいつもそこだった。
二人が初めて出会った地であり、プリアイで青春活劇が繰り広げられる場所だと、ユーザーの多くが認識している定番の舞台でもあった。
そして、俺が犀佳に隠れ家として紹介された場所にもなったそこは──『黎明館』の裏口。
黎明館が東側に位置しているせいか、人気の無い寂れた裏口は夕日に照らされてほんのりと赤く染っている。
鉄扉から地上へと伸びるステップには既に来訪者がおり、茜色に染まった彼に視線を留め置く。
それは大きな体を丸めて、ブックカバーに包まれた文庫本を捲る桜羽だった。
ステップの一番上に座り、大きく足を開いて読書に熱中している彼は、俺がやって来たことに未だ気づいていないようだ。
桜羽が気付いていないのを良いことに距離を縮めていく。
歩を進めていくと、シューズがじゃりっと砂を踏んだ音が逢魔が時の静寂を引き裂いた。
流石の桜羽にも聞こえていたようで、ゆっくりと文庫本から顔が上がる。
本の世界に没頭していたからか、交差した彼の目はぼんやりとしていた。
まるで夢と現を行き来しているかのような心許ない桜羽の視線に、俺は「よっ!」と調子よく片手を上げる。
「良い所で読んでんな」
「⋯⋯何か用か?」
「おう。ちょっとした勧誘」
ぼんやりしている桜羽を良いことにさっさと隣を陣取り、ステップ上に腰を落とす。
こうやって横に並んで座ってみると、意外と上背はそこまで大きい感じがしないんだよな。
ってことは、股下が身長の何割を占めてるのかって話になってくるんだが、無性に悔しい気持ちになるのでこれ以上は考えないこととする。
「ずっと思ってたんだけどよ。桜羽っていつも何を読んでんの?」
疑問を口にしながら、俺の視線は桜羽が持っている文庫本へと注がれていた。
いつもブックカバーに包まれているせいでジャンルすら伺い知れないそれは、脳内にあるゲーム知識さんを以ってしても分からないらしい。
ゲーム内でもよく本を読んでいると描写されていたが、その中身については触れられていなかったんだよな。
口に出してから、ちょっと好奇心を丸出しにし過ぎたかと直ぐに僅かの後悔が滲んできたが、意外にも桜羽は躊躇なくブックカバーを取り外し始める。
意外な桜羽の行動に驚いていると、彼は取っ払って剥き身になった文庫本の表紙を見やすいように此方へと向けてくれた。
ブックカバーの下から露わになったのは、写実チックなのに幻想的な男女のイラストと、おどろおどろしい文体で銘打たれた『僕の家に棲む魔物』というタイトルだ。
「『僕の家に棲む魔物』⋯⋯ホラーっぽいな」
「ちょっと違う、らしい。ホラーミステリーというジャンルになると聞いた」
「推理要素があるってことか。なんかタイトルからして、かなり怖そうだな」
「怖い。ちょっと夜、寝られなくなった」
桜羽のような無表情がデフォルトで180cm越えの大男が泣き言を漏らしても、可愛げがあるように聞こえるのだから世の中は不条理だ。
しかし、あの桜羽の好みがホラーや推理小説だったとはなぁ。
確かにそれっぽいと言われたら、それっぽい。
あらすじの方も聞いてみたい気もするが、あまり世間話を長々として本題に入る前に日が暮れてしまったら元も子もない。
俺はここで本懐を遂げるべく、文庫本の表紙に落としていた視線を桜羽へと引き上げる。
「んで、これが本題なんだけどさ。桜羽って、もうどっかのアイドルチームに入った?」
ちょっと強引に捩じ込みすぎた切り出しには桜羽も戸惑ったようで、二重幅の狭い切れ長の目をシパシパと瞬かせる。
「まだ、入ってない」
だが、こちらの質問を理解すると素直に答えてくれた。
予定通りの返事が聞けて、内心でガッツポーズをキメる。
もし、ここで「うん」と頷かれた日には、俺の目論見は全部パーになっていた。
「んじゃ、好都合だ。桜羽さ、Angel*Dollに入ってみねぇか?」
あとは桜羽に勧誘を持ちかけて承諾してもらうだけになった訳だが、そこはやはりゲームの脚本通りに動いている世界ではなく、本物の人間が息ずいている世界だ。
Angel*Dollのシナリオではあっさりと主人公の誘いに乗っていた桜羽ではあるが、俺の横にいる彼は全く身動ぎもしなければ、返答もしてこない。
リアルの世界だとしても、他のクラスメイトにAngel*Dollからの勧誘だと言えば、絶叫の一つや二つは上げてきそうだが、肝心の桜羽からは喜怒哀楽のどれもが感じられなかった。
きっと、それ程に彼にとっては気にも留めない提案なのだ。
しかし、桜羽がいくら無反応だったとしても、ここで引き下がるだなんて選択肢は無い。
「流石にタダで入れるわけじゃねぇ。加入のための試験は受けてもらうことになる。けど、そんな難しいもんじゃねぇよ。四月に撮った課題曲と同じようなのだ」
美味しい部分だけを伝えたところで胡散臭さしか無いだろうと、シナリオ中では虎南先輩によって後出しジャンケンで出されていたスカウトの正体もとっとと明かす。
だが、それでも桜羽はうんともすんとも言わず、徐々に熱が籠ってきている俺の誘い文句に耳を傾けているのみだ。
そんな埒が明かない様子に、根気強い方とは決して言えない俺はあっさりと痺れを切らした。
「なぁ、桜羽。お前、このまま何処にも加入しなかったらどうなんのか分かってんだろ。一学期が終わるまでにライブを二回やんねぇと、どれだけ赤点を取ってても退学にならないこのアイドル学科を退学させられるってのは知ってるよな」
刹那、桜羽の片方の眉根がピクリと上がる
様子の変わった桜羽を見上げて、俺はやっぱりこの話をけしかけなければ動かないかと苦い気持ちを抱く。
白蘭高校 アイドル科は激・補習なんて落ちこぼれ生徒への手厚いフォローバックまで用意されているが、それは勉学面における話だ。
学科名にもなっている『学生アイドル』の落第生には容赦が無く、一年生は夏休みまでの間に二回のライブに参加しないと余っ程の理由がない限りは強制退学を言い渡されるらしい。
つまり、やる気のない奴はとっとと出ていきやがれってことだ。
クラスメイトと交流することもなく、こんな所で一人読書に励んでいる桜羽から薄々と感じられただろうが、彼は学生アイドルになることを目的として入学した生徒では無い。
だから、この男は──クラスメイトが喉から手が出る程に欲しがるAngel*Dollの勧誘に対しても、これ程に動じないのだ。
しかし、有名だろうが無名だろうが、何処のアイドルチームにも全く興味を持っていない桜羽としても、退学の件は他人事では無い。
「まだ入学したばっかだけど、桜羽がもう退学しても良いんだったら話は別だ。そん時はこの話も忘れてくれ」
これで話は終いだとステップから腰を浮かばせる。
飄々とした顔で言い捨てているが、内心は一か八かの賭けにヒヤヒヤだ。
これで桜羽から何のアクションも無ければ、もう一回策を練り直すしかない。
学生アイドルに前向きじゃない奴を前向きにする方法ってなんだよと、少し前までの自分のことを棚に上げて多少ヤケっぱちになりかけたところで──くいっと袖口が後ろに引っ張られた。
後ろに引かれたことでたたらを踏みそうになったが、なんとかよろけずに姿勢を立て直す。
急に引き止められた割には、俺は無意識の内に上がりそうになる口角を押し留めるのに精一杯だった。
しかし、ウキウキする気持ちを表面化させないように気をつけて、袖を引っ張っている犯人である男を見下ろす。
「⋯⋯ける」
「あ?」
だが、ヒットした獲物の声が思ったよりも小さかった。
長々と焦らされまくったこともあり、ついガラの悪い声で聞き返してしまう。
しかし、桜羽は俺の反応にめげずに、真っ直ぐと見返してきて告げた。
「受ける、オーディション」
※注釈
『メインストーリー』⋯⋯『プリアイ』ではストーリーモードの本編を指す。インストールしたばかりの頃は『Angel*Doll 序章・第一幕』しか選べない。その話を全て読み終えると『Z:climax 序章・第一幕』と『エッジ雑技団 序章・第一幕』が解放される。
『サブストーリー』⋯⋯ガチャで入手したキャラクターカードに付属しているエピソード。キャラクターのバックボーンや見知らぬ一面を覗くことが出来る。『R』『SR』は4凸で全エピ解放。SSRは5凸で全エピ解放。お金が足りないよね。
『ホラーミステリー』⋯⋯恐怖や怪異を題材にしたミステリー小説のこと。スリルと謎解きを一度に味わえて二度お得。




