6話 おかえり
夕方から夜にかけてルーツエングは自室にいる。フォルはルーツエングの部屋を訪れた。
「言われた通りやっといたよ。やっぱ、主様の読み通り禁呪がらみだった。洗脳系。一度使えばしばらくは使えないだろうから安全だよ」
「助かる」
仕事中だったのだろう。ルーツエングが仕事中にしかかけているところを見た事がないメガネをかけている。
「後の事は頼んだから」
「……またか。あとでギュー兄様にでも頼んでおく。心配する必要はないと思うが、怪我はないか? 」
ルーツエングから報告書の用紙を受け取りながら、フォルはこくりと頷いた。
「うん。いまだに僕の事をほんとの弟のように扱ってくれるんだね」
フォルは神獣の王の家系のヴァリジェーシル本家の養子でルーツエングとの血のつながりはない。
だが、ルーツエングは自分の弟のようにフォルを扱って、心配している。
「当然だろう。本当の兄弟ではなかったとしても、養子として迎え入れたあの日からずっと兄弟だと思っている」
「……うん。ありがと」
今のフォルが欲しくない言葉。
フォルは誰にもいえない秘密がある。それは、兄弟の縁を切らなければならず、もう会う事すら出来なくなるような秘密。
数十年以上前からのエンジェリアとゼノンを救うためだけの計画。
その計画に支障が出る感情を与えるその言葉に、礼を言う間ができていた。
「じゃあ僕はあの子のとこ行くから」
これ以上計画に支障が出る感情を抱く前に部屋を出ようとする。だが、ルーツエングに「待て」と呼び止められ、足を止めた。
「フォル、あの子が起きたあとリビングに来て欲しい。歓迎会を開きたい」
「わかった。あの子と一緒に行かせてもらうよ」
フォルはそそくさとルーツエングの部屋を出てエンジェリアの元へ向かった。
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「みゃん? ふにゅふにゅ? ゼノンがねむねむさん。フォルいない……ゼノンねむねむさん? ゼノンねむねむさんなの!? 」
目を覚ましたエンジェリアは、何があったのか知らずに周囲を見回した。
見慣れた広い部屋に大量の縫いぐるみ。フォルがエンジェリアのために用意してくれた部屋。
ゼノンが隣で眠っている。
「じぃー……いたずらなの? いたずらすれば良いの? いたずらして欲しいの? 」
ゼノンの寝顔を見ているとエンジェリアの悪戯心をくすぐられる。エンジェリアは、ゼノンの頬を人差し指でつんつんつついて遊んだ。
「エレ……悪い! 面倒見るの頼まれてて寝てた! 」
ゼノンが慌てて起きている。エンジェリアは両拳で口元を隠して笑っていた。
「かわいかったの。ぎゅぅなの」
エンジェリアは笑顔で寝起きのゼノンに抱きついた。
「綺麗だな。触って良いか? 」
「みゅ」
ゼノンの手がエンジェリアの髪に触れる。
「……お前、どんなケアすればこんなボサボサになるんだ? 」
「お水で洗ってるの」
「今日から俺が面倒見る。肌も髪も綺麗にしてやる」
エンジェリアはそう言ったゼノンに白いどろどろの液体を髪に塗られた。
「みゅにゃ!? あ、怪しい薬なの⁉︎ 溶かされちゃうの⁉︎ 」
「溶けねぇよ。なんだと思ってんだ? 普通に髪綺麗にするやつだ」
ゼノンの呆れた表情を見て、エンジェリアは「ぷにゅぷにゅ(文句のつもり)」と言ってぷぅっと頬を膨らませた。
だが、ゼノンに無視される。
「ごめん。報告してたら遅くなった」
フォルが戻ってきてゼノンの手が止まる。エンジェリアはフォルに抱きつきに行きたいが、ゼノンが髪を綺麗にしてくれているためが我慢して動かない。
「夕食、アゼグにぃ達が代わってくれた。フォル、エレに使える洗顔料ある? 」
「うん。エレ、魔法具取ってて大丈夫? 」
「えっと……魔法具……魔法石を使った魔法で動く道具……髪飾り? うん。ちょっぴり怖いけど、大丈夫なの。もう偽らないの。昔のエレはいなくなったの」
エンジェリアは目を覚ましてから髪飾りをつけていない。髪飾りをつけていた姿は、リブイン王国に決別するためにもつけない事にした。
「そっか。ゼノン、これも使おうよ」
「ああ」
エンジェリアはフォルにピンク色のクリームをゼノンと一緒に楽しそうに髪に塗られる。
「これで少しは綺麗になったかな。今日の主役なんだから、綺麗におめかししないと」
「しゅやく? 」
ボサボサだったエンジェリアの髪に纏まりが生まれた。エンジェリアは鏡越しに自分の髪を見つめる。
「うん。君の歓迎会」
「寒気異界? 」
エンジェリアは読んできた本に載っていない言葉は基本知らない。歓迎会という言葉はエンジェリアの読んだ本には載っていなかった。
「あっ、でもその前に」
ゼノンとフォルがエンジェリアの前に移動した。
ゼノンが右手を、フォルが左手をエンジェリアに差し出した。そして
「おかえり、僕のエンジェリア。僕がなんの見返りも求めない無条件の愛を君にあげる」
「おかえり、俺のエンジェリア。お前が欲しいなら、俺が愛情たっぷり注いでやる」
と言ったゼノンとフォルがエンジェリアに笑顔を見せてくれた。
エンジェリアが心の底から望んでいた言葉。それをもらったエンジェリアの瞳からぽろぽろと涙を流す。
エンジェリアは、泣いたまま笑顔を作り二人の手を取った。
「ただいま」
言いたい事は他にもあった。礼を伝えたかった。だが、その言葉しか出てこなかった。
「みゅ……」
安心したからだろうか。エンジェリアは突然眠気に襲われ、ベッドで寝転んで瞼を閉じた。
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水の上、エンジェリアは一人で立っていた。
「一つの大きな分岐、後悔しない? ……きっとしないよね。次の大きな分岐でも、そうであって欲しい。次の分岐は、あなたがどんな生き方をするか決める分岐だから」
声だけが聞こえて姿は見えない。
「……だぁれ? 」
「覚えてない? そうだよね。あなたにとっては忘れる夢だから」
夢と言われ、以前に見た夢を思い出した。
エンジェリアは以前から同じような声を聞く夢を度々見ている。その度に忘れている。
「今回はあなたにとって特別な回になる。一つの分岐を選んだご褒美に、ある可能性の未来を教えてあげる」
エンジェリアは、一つの可能性を視た。見方によっては幸せとも言えるような可能性を。
「……どうして、こんな事を教えてくれるの? 会ってくれるの? 」
「あなたの成長が見たいから。でも、そろそろ頻繁に会う事はできなくなる。ごめんね。あなた達が世界を滅ぼさない事を願って、ずっとここで見守っている」
「滅ぼさないよ。絶対滅ぼさせないよ。エレが逃げないから。もし、世界を滅ぼそうとするならエレが止める」
エンジェリアは、覚悟の宿った瞳でそう言った。
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「……意外と早い。寝起きだけどリビングいける? 」
「うん」
エンジェリアはゼノンとフォルに着替えをさせられる。
エンジェリアでは絶対に選ばないような丈の短いワンピース。
「可愛いよ。僕のお姫様」
「俺が選んだんだから俺が言うべきだ」
エンジェリアは着替えが終わって真っ先に匂いを嗅ぐ。
「ゼノンの匂いがしないの⁉︎ 」
「着てねぇからな。つぅかなんで洗ってあって匂いするんだよ」
ゼノンが呆れた表情で突っ込んでいる。エンジェリアはしゅんっと残念な表情を浮かべて俯いた。
「ゼノン、そんな事言ってないでリビング行くよ。みんな待っているから」
「ああ。そうだな。エレ、一緒に行こう」
エンジェリアの初めての寒気異界。本ですら読んだ事もないものに楽しみでそわそわしている。
寒い気温のこことは異なる世界に連れて行かれる。それが寒気異界何だろうと想像しながら。




