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Part.6 side-N

「何怒っているんだ?」

「自分の胸に聞きやがって下さい」


 道中、岩崎はずっとこんな調子だった。口が悪いぞ。


「顔が赤いぞ。原因は熱じゃないようだがな」

「黙って歩いて下さい!ええ、もちろん原因は熱じゃありませんとも!」


 珍しく俺から話しかけてやっているのに。まったく人の厚意というやつを知らないようだな。


「成瀬さんはやっぱり最低です。私が勇気を出して言ったのに。あんまりです。あんなに笑われたら私がかわいそうです」


 岩崎は、何事か呟きながら、ものすごい勢いで前進している。競歩でもしているつもりだろうか?


 そのまま俺を放っておいて、先に行ってしまうのかと思ったら、

「何しているんですか?早くして下さい!」


 とやおら振り返り、叫んでいた。


 どうやら俺は何かをやらかしてしまったらしい。いつもと様子が違うが、怒っているようだ。原因は解っている。俺が大爆笑したからだ。まあ俺とて少しくらいは悪いと思っている。だが、止めることができなかったのだ。俺も止める努力はした。しかし、如何せん相手が悪かった。うう、やばい。また発作が。


「ちょっと!また笑っているんですか?いい加減本気で怒りますよ」


 どうやら今日は本気らしい。さてどうすればいいのだろうか。謝っただけでは許してくれそうにない。


「悪かったよ。いい加減しつこかったな」


 しかし俺には謝るしかなかった。


「しつこいにもほどがあります。ものには限度ってものがあるんです。その辺を無視して行き過ぎると、暗黙のルールから逸脱します。成瀬さんは完全にルール違反です!」

「解っている。だからこうして謝っている」

「全然反省の色が見えません。上辺だけの謝罪なんて、してほしくないです。一昨日きやがれです」


 言葉遣いが悪くなっているな。こうなってしまっては取り返しがつかない。せっかく謝ったのに取り付く島がないのでは、俺としても面白くない。最後の手段だな。


 放っておこう。それが一番だ。岩崎はテンションの上下が激しいことで有名だ。それはずっと機嫌悪い状態が続かないということを意味している。つまり自然に機嫌よくなるわけだ。第一、昨日あれだけ面倒を見てやった俺が、どうして機嫌をとらなければならない。


 俺が黙ると、なぜか岩崎は歩く速度を緩めて、俺の横に並んできた。


「何だ?」

「別に何でもありません。ちゃんと前見て歩いて下さい。転びますよ」


 理解できないね。この女の考えていることは。まあ気にしなくていいようなので、前を向く。今思えば普通のことだ。最近では俺の隣にいるのはいつものこの女なのだから。


 ……それにしてもやけにくっついて歩いてくるな。歩きにくいったらない。気にするなと言われてもこれでは気になってしまう。俺は斜め下にある岩崎の顔を横目で盗み見る。すると岩崎は、


「…………」


 なぜだか幸せそうな顔をして、やや赤面していた。


「あんた、大丈夫か?」

「え?な、何でですか?」


 いや、誰だって心配になる。ほんの十秒前まで不機嫌オーラを振りまいていたやつが、幸せそうに微笑んでいるんだからな。幻覚でも見えているんじゃないだろうな。一応言っておくけど、ここはお花畑じゃないぞ。


「どんどん俺のほうに寄ってきているぞ。顔も赤いし。熱がぶり返してきたんじゃないか?」


 俺がそう言うと、岩崎は一瞬むっとした表情を浮かべ口を開いたが、その開いた口は言葉を発することなく再び閉じてしまった。そして少し間が開き、


「そうですね、もしかしたら熱が出てきたかもしれません。成瀬さん計って下さい」


 こんなことを言ってきた。計れって、もちろん体温計など持っていない。仕方ないので、岩崎の顔に手のひらを当てる。


「若干熱いな」


 俺がそう言うと、岩崎はくすぐったそうに笑い、


「やっぱりそうですか。少し暑いです」


 やっぱり、じゃない。この状況は結構まずいのではないだろうか。


「大丈夫なのか?」

「はい。朝薬も飲みましたし、今日は学校に行きたいですから」


 そう言って微笑む岩崎は、確かに体調が悪そうには見えない。無理しているようにも見えない。結局のところ、本人しか解らないところなので、本人が大丈夫と言うのならそれに従うしかない。


「無理するなよ。俺が迷惑だ」


 あんたが無理すると、最終的に俺のほうまで火の粉が飛んでくるんだ。二日連続でうちに泊まるとか言うなよ。


「でもそれが成瀬さんの仕事なんですよね?」

「仕事なんてしないに越したことはない」

「成瀬さんは本当に引きこもりですね」


 今思ったがどうやら機嫌はすっかり直ったようだ。やはりこいつには気を回すだけ無駄なのかもしれない。


「それで、さっそくというわけではないのですが、一つお願いが」

「何だ?」


 うちに泊めろっていうのはなしだぞ。


「腕を貸してもらえませんか?」


 貸せるほど持っていない。それに生憎俺の腕は自在脱着式ではないので、貸すことはできないのだが。


 というのはもちろん冗談で、足がふらつくから掴まらせてくれ、ということだろう。


「寮まででいいのですが」


 倒れられても困るからな。俺は寛大に貸してやることにする。


 俺が左腕を差し出すと、岩崎は小さくお礼を言い、右手を伸ばしてくる。俺の左腕に自分の右腕を巻き付けると、俺の上腕二頭筋辺りの制服を握り締めた。相変わらず岩崎の顔は赤い。


 何となく周りが俺たちを見ているような錯覚に陥る。どうせ誰も見てないし、腕を組むなんていうのは最近じゃ珍しくないのだが、何となく気後れしてしまうのは俺の気が小さいせいだろう。まあ気にしたって仕方ないし、開き直って歩くことにする。


 俺が、前向きなんだか後ろ向きなんだか解らない方法で気持ちに整理をつけていると、岩崎が隣で呟いた。


「よく、家に帰るまでが遠足って言いますよね?」

「ああ」


 どういう脈絡でその話が出てきたのだろうか。


「今の私はそんな状態なんです」

「…………?」


 全然意味が解らない。そんな状態ってどういうことだよ。情報が少なすぎると、どんなでたらめな仮説も否定できなくなるぜ。


「私、自室に帰らないと一日がリセットされた気にならないんです。つまり私にとって今はまだ昨日なんです」


 岩崎の言い分はおそらくこうだろう。まだ自室に戻っていないがゆえに、一日がリセットされていない。それは家に着いていないがゆえに、遠足は終わっていない、という理論と同じである。こいつは現在遠足気分ということか。遠足が楽しくて仕方がない子供が、教師の言い回しを揚げ足取りのように捉え、家に帰らないという話があるが、そんなことなのだろうか。


「ですから、今私はこんなことができるんだと思います」


 さっきから話が曖昧すぎるぞ。しかし、ここだけは理解できた。


「つまり寮に帰ると遠足は終わり、出てきたときはいつもの日常ってわけだ」

「そういうことです」


 昨日は非日常だったというわけだ。確かに、四十度近い熱を出して他人の家に泊まるなんてことが日常的にあってたまるか。そんな日常俺はごめんだ。日常は普通が一番だ。普通の定義付けをするつもりはない。俺が普通だと思ったらそれが普通、それで十分だ。


 しかし、こいつの価値観では病気と遠足が同じ位置づけなのか?いや、気持ちは解らないでもないか。子供のころは、普段起きる時間に起きず、普段行く学校に行かず、普段やらなくてはいけないことをやらなくていい。病気になったときの、そんな非日常的な感じを楽しんだ。それは遠足に似ているのかもしれない。それは家に帰ったり、風邪が治ったりすれば終わる非日常で、一時の夢物語というわけだ。そう考えると、


「まるでシンデレラだな。寮に帰ったら魔法が解け、夢のような時間は終わりってか」


 独り言のように呟いた俺だったが、俺の左半身に引っ付いている岩崎にはその呟きが聞こえたようで……。


「!」


 ふと足を止めた。


「どうした?」


 俺も足を止め、岩崎の顔を覗き見る。すると、先ほどまでほんのり朱がさしていた頬が、むしろ青白くなっていた。


「気分でも悪くなったのか?」


 岩崎は俺の問いかけを無視して、


「駄目です!帰りましょう、成瀬さん」

「は?帰っているだろ、寮に」

「違います!帰っちゃ駄目なんです!」


 言っている意味が解らない。この短い会話の中で意見を正反対にされたのでは、俺はどうしたらいいのだ。しかし、岩崎は来た道を戻ろうと、俺の腕をぐいぐい引っ張る。


「とりあえず落ち着け。意見をはっきりさせろ。結局何が言いたいんだ?」

「だから、寮に帰っちゃいけないんです!」

「何で?」


 ようやく理解できた。話の流れから考えると、簡単に解ったのかもしれないが。


 どうやら岩崎は、俺の呟きに反応したらしい。そういえば先ほど俺を大爆笑させた発言にもそんなニュアンスの言葉があったな。


「ふざけたこと言ってないで、さっさと帰るぞ」

「だから駄目ですってばあ」

「俺はどこにも消えたりしないから」


 つまりはこういうことだろう。というか、岩崎がはっきり言っていた。どうやら俺は岩崎の発言を結構軽く流してしまっているらしい。それが案外重要な発言であることが多いため、俺は鈍感などと不名誉極まりない罵声を浴びせられるのだ。


「必ず待っててやるから、安心して寮に戻れ」

「本当ですね?嘘じゃないですよね?」

「本当だ」

「もしいなかったら、成瀬さんは私の奴隷ですからね?」


 何てことを言いやがる。しかも真顔で。病み上がりじゃなかったら、本格的に頭を心配する。そして、全力で逃げる。まあ今は出来ないのだが。


「約束する」

「解りました。じゃあ帰りましょう」


 ようやく頷いた岩崎だったが、不安そうな表情は解消されなかった。捕まっている腕にも力が入っている。


 昨日もそうだったが、今日もどこかおかしい。いや、こいつの感覚では今はまだ昨日なのか。本当に魔法にでもかかってしまったんじゃないだろうか。正直性質の悪い魔法である。


 女子寮に到着すると、俺はエントランスで待つことにして、岩崎を見送った。俺が信用できないのか、魔法が解けてしまうのが名残惜しいのか、岩崎の足取りはとても重く、こちらを何度も振り返っていた。やれやれだ。これでようやくあいつにとっての昨日が終わり、病という悪夢から解放される。実際岩崎にとって悪夢だったのか不明だが。俺にとって悪夢だったような気がするね。朝からすごく疲れた。よく眠れそうだ。


 そして待つこと数分。


「お待たせしました!さあ学校へ行きましょう!」


 いつもの雰囲気をまとい、岩崎が登場した。岩崎はもう俺に引っ付いてくることはなかった。それもそのはず。さっきまで岩崎は夢を見ていたのだから。だから先ほどの約束も、昨日の甘えた様子も全て夢なのだ。夢での約束など意味があるはずもない。自分の見た夢が、他人に影響を及ぼすはずなどない。だから岩崎はもう何も言わないだろう。


 そんないつもの様子に戻った岩崎を見て、俺は静かに笑った。なぜかって?決まっている。俺は普通が好きだからだ。




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