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Part.5 side-N


 気が付くと、リビングは光に包まれていた。どうやら朝になったようだ。この様子だと、雨は止んでいるだろう。しかしどうして寝起きの朝日はこうも不快なのだろうか。


 目の次に、耳と鼻が正常に働き始める。耳には油のはねる音が届き、まだ何だか認識できないが、いい匂いが鼻をくすぐる。そこでようやく覚醒し、同時に理解した。


 誰かが朝食を作っている。誰かって?決まっている。俺以外にこの家にいるやつだ。


 俺は寝ぼけ眼をこすりながらキッチンに向かった。


「あ、成瀬さん起きましたか。おはようございます!」


 俺のスウェットの上に俺のエプロンを着用してキッチンに立って挨拶をしてくる岩崎は、色気皆無である。


「今、何か失礼なこと思いませんでした?」

「…………」


 どう考えてもこいつはエスパーだろうと思う。俺のことを鈍感というのは、こいつの感覚が鋭敏すぎるからではないか。


「考えすぎだ。それで、体調はどうだ?熱は下がったのか?」


 俺は岩崎からの突っ込みをやんわりかわす。


「熱はもうほとんどありません。体調もほぼ万全だといっても過言ではないと思います」

「熱は計ったのか?」

「計ってませんけど、大丈夫です」

「いいから計ってみろ」


 何でこいつは熱を計りたがらないのだろうか。しばらく駄々をこねていたが、何とか計らせると、


「三十六度八分」

「やっぱり大丈夫ですね、私平熱高めなんですよ。むしろ平熱より低い感じですねー」


 怪しいことこの上ないな。とはいえ、実際調べようがないからな、こいつばかりは信じるしかない。


「ところで、人の家で勝手に何をしている」


 一応聞いてみると、


「朝食を作ってるに決まっているじゃないですか。寝ぼけているんですか?」


 寝ぼけてなどいない。行動のおかしさなら岩崎のほうが何倍も上だ。まああれだけ熱があったにもかかわらず、雨の中こんなところまでやってくるという信じられない行動よりはよっぽどましと言えるが。


 何で朝食作っているんだ?とは聞かずに、俺は洗面所へ行き、顔を洗った。そこで初めて気が付く。まだ六時十五分だった。普段ならまだ寝ているところだ。あいつ、一体いつから起きていたのだろうか。


 リビングに戻ると、すでに朝食ができたようで、岩崎が配膳をしていた。


「サンドイッチ」


 が数種類。それとベーコンエッグ、ポテトサラダとちぎったレタス。もう一度思う。こいつ一体何時から起きているんだ?そして、一体何時に俺を起こすつもりだったのだ?


「成瀬さんは牛乳とコーヒーどっちがいいですか?」

「コーヒーをくれ」

「解りました。じゃあ私もコーヒーで」


 準備ができると、俺と岩崎は向かい合って座り、


「いただきまーす」


 食べ始めた。一口コーヒーをすする。まだ起きてから十分くらいしか経っていないため、まだ脳の一部が眠っている気がする。ここまで起きぬけに飯を食うのはいつ振りだろうか。俺は朝自分で飯を作るから、それなりに覚醒してから朝食を食べるからな。実際コーヒーの味ですらよく解らない。


「いかがですか?味のほうは」

「うまいような気がする」

「ってまだコーヒーすすっただけじゃないですか。早く食べて下さい。我ながらなかなか上手に出来ました」


 そう言った岩崎はいい笑顔で笑う。こいつ、昨日は熱でぐったりしてなかったか?本当に元気になってやがる。今だけ見ると、俺のほうが体調悪そうだ。自分で言うのも何だが。まあこいつが元気が取り得のパワフル娘だ。こうでなければ岩崎じゃない。昨日のはやはり違う人物だったのではないか。妙に弱気だったしな。かなり甘えてきたし。


 俺はタマゴサンドを一つ手に取り、一口かぶりつく。


「うまい」

「そうですか?それはよかったです!もう大分料理にも慣れました。今では免許皆伝の腕前になったのではないかと自負しています」


 自分で勝手に料理を始めて、勝手に免許皆伝になっていたら世話ない。


「さあどんどん食べて下さい。朝食は一日の活力の源です。いっぱい食べて元気に登校しましょう!」


 これ以上元気になるつもりか。だが、元気な岩崎に俺は日常を感じていた。


「あ、私は勉強道具と制服を取りに行かなきゃいけないので、今日は早めにここを出ましょう」

「勝手に行け」

「一緒に行きましょうよ!」


 何だが昨日と似たような展開だな。こいつ、昨日ので味をしめやがったのか?


「出発点が一緒で最終的な目的地が同じなんですから、一緒に行くべきです!」

「何だ、その自分勝手な理論は」


 だいたい勝手にうちに来たのはそっちだ。まだ俺を巻き込む気か?


「どうして一緒に行って下さらないんですか?」

「面倒だからだ」


 こいつのせいで俺の面倒臭がりに拍車がかかっている気がする。


「でも、成瀬さん昨日言っていたじゃないですか。私のわがままを聞くのが俺の仕事だって」


 そんなことを言ったか?何か若干違う解釈が加えられているような気がする。


「それって私は、成瀬さんにわがままを言うのが仕事ってことですよね?」

「どうしてそんな解釈になる。わがままなんて言わないに越したことはない」

「こうして朝食を作ってあげたじゃないですか」

「誰も作ってくれと言ってない」

「わがままですねえ。じゃあ私はいったいどうすればいいんですか!」


 怒っている意味が解らない。誰がわがままだ。


「俺が寮に行かなければならない理由を教えてくれ」


 岩崎は黙り込む。気のせいか、顔が赤いな。


「お願いですから、もっとこういうことに鋭くなって下さい。でないと私がかわいそうです!」


 どういうことか、さっぱり解らないな。以前から思っていたが、俺が鈍感であることについて一番気にしているのは岩崎だ。なぜこいつは俺が鈍感であることに関して、こうもいろいろ言ってくるのだろうか。


 とはいえ、このままじゃ話が進まない。俺は少し考えてみる。そしてすぐに思い当たる。


「まさか、俺と一緒にいたいからか?」

「なっ!」


 叫んだ岩崎は、手に持っていたサンドイッチを落とし、固まった。はて、やっぱり違ったか?


「ななななな、何でそんなことになるんですか!何がどうなったらそんな答えが出てくるんですか!」

「いや、昨日言ってたから」

「言ってないです!」

「いや、言ってたから」

「言ってません!絶対言ってません!」


 どうなっているんだよ。昨日のこと覚えていないのか?確かに悪酔いした感じで、かなり絡みにくくはなっていたけど。


「まったく、訳解らないこと言わないで下さい。そんなに私と一緒にいたいんですか?」


 それこそ全く言ってないんだが。


「どうでもいいですけど、早く食べちゃって下さい。七時には出ますよ」


 俺が一緒に行くこと前提の話だな。それとちょっと待て。


「何でそんな早く出る必要がある。七時半で十分間に合うだろ」

「まあいいじゃないですか。早く起きたわけですから、早く登校するのは道理です」


 全然道理じゃない。何で俺がそんな朝早くから登校しなくちゃならないのだ。俺はまったく無関係だぞ。


「さ、そろそろ諦めて下さい。無駄な足掻きですよ」


 こいつは何でこんなに強気なんだよ。本来ならお願いする立場だぞ。ただでさえ、昨日からこんなに迷惑をかけているにもかかわらずこのずうずうしさ。何様のつもりだろうか。


 しかし、と俺は思う。どうせ押し切られて、一緒に出ることになるだろう。考えてみたら、これはいつものパターンだ。岩崎がわがままを言い、それを俺がなし崩し的に承諾する。こうなってしまったら回避できないだろう。だが、このまま岩崎の言うとおりにするのは癪だな。


「本当のことを言って、俺にお願いしろ。そうしたら一緒に行ってやる」

「え?本当のことって何ですかねー?」


 誤魔化そうとしてやがる。やはりこいつがはっきり言わないから俺が察することができないのではないか。


「食事の後片付けは俺がやっといてやるから着替えて来い。それまでに考えをまとめておけよ」


 そう言って俺は席を立ち、食器を持ってキッチンへ向かった。


「え?本気ですか?成瀬さん、ちょっと待って下さいよ!」


 完全に立場を逆転させた。なかなかいい案だったようだな。俺は聞こえない振りをして、食器洗いに取り掛かる。


「七時に出るんだろ?早く着替えてこないと時間がないぞ」

「わ、解りましたよ!」


 慌てた様子で俺の寝室へ向かう岩崎。さあ、何と言ってくるかね。嘘丸出しでも、面白ければ許してやる。俺は余裕の表情で洗い物をした。



「準備オッケーです!」


 何がどうなったのか解らないが、ハイテンションで戻ってきた。


「それで、どうなんだ。覚悟はできたのか?」

「任せて下さい!」


 ほう。自信満々だな。その心は?


「言ってみろ」

「それは、成瀬さんが私の下僕だからです!」

「却下だ」


 誰が下僕だ。ちっとも面白くないぞ。


「うー、じゃあ奴隷だから」

「却下。ニュアンスが一緒」

「え、えーっと、じゃあ私がお姫様だから!」

「上下関係の設定から離れろ」

「え、えー!そ、そうだなぁ……」


 自信満々の結果これか。残念で仕方ない。所詮こいつのボキャブラリーはこんなものか。期待した俺がバカだったのかもしれない。


「残念ながらこれじゃ、一緒に行くことはできないな」

「えー!成瀬さん、本当のことを言えって……」

「本当のことじゃないだろ。面白くもないし」

「面白いこと言わなきゃいけないんですかあ?」

「若しくは本当のことだ」


 岩崎は考え込んでしまった。さっき時間をやったはずなのにな。これ以上チャンスをやるのは如何なものか。


「さて、時間も出来たことだし、コーヒーでも淹れよう」

「ちょ、ちょっと待って下さい!今言いますから!」

「よかろう。これがラストチャンスだ」

「わ、解りました……」


 岩崎が生唾を飲む。何でこんなに緊張しているのだろうか。いや、渾身のギャグを言うときは緊張するものだ。黙って待つことにしよう。


「ここで分かれたらもう二度と会えなくなってしまうかもしれないからです!」


 風が凪いだ。空気が止まった。生きとし生けるもの全ては停止した。そして、時間は止まった。森羅万象が停止する中、岩崎の顔だけが徐々に、だがはっきりと赤くなっていく。それはまるで、トマトが熟れていくのを早回しで見ているかのよう。世界は停止しているのに、岩崎だけは早回し。そう、そのとき岩崎は確実に世界を置いていった。風邪は治ったが、岩崎は風になった。


 …………そして世界は動き出す。


「何だそれ?」

「え?だ、だからここで二人が分かれると、私は夢から目覚めて、本当の世界へ帰るわけです。その世界には成瀬さんはいなくて。だから、もう二度と会えない……って!」


 俺は岩崎の説明を最後まで聞くことなく、笑ってしまった。


「何笑っているんですか!」


 岩崎が怒鳴ったときには、俺の笑いは五合目を超え、一気に頂へと登りつめていた。


「わ、笑いすぎです!ひどいです、成瀬さん!そんなに笑うなんて、最低です!せっかく私が勇気を出して、恥ずかしいのを我慢して言ったのに、大笑いするなんて失礼すぎます!」


 ここまでの大技を持っているとは思いもよらなかった。正直驚いたね。はっきり言って俺の完敗だ。こんなに笑ったのは久しぶりだ。懐かしい気分になった。


「いや、恐れ入った。あんたにこんな奥の手があるとは。俺の負けだ」

「それは褒めて下さっているんですか?」

「ああ。これ以上ないくらい褒めている」

「ありがとうございます。でも、全然嬉しくないんですが」


 なぜだが岩崎は不満そうだった。負けた俺のほうがすがすがしい気分だぜ。


「面倒だが仕方がない。約束だったからな。一緒に行ってやる。ちょっと待ってろ」


 釈然としない様子の岩崎をリビングに置いて、俺は寝室へ向かった。着替えている途中、チラッと鏡を覗くと、そこに映る俺は若干涙ぐんでいた。そりゃあれだけ笑えば涙も出る。思い出すと、またしても笑いがこみ上げてきた。その勢いに耐えられず、俺はまたしても、寝室で一人爆笑してしまった。


「何思い出し笑いしているんですか!さっさと着替えて下さい!」


 岩崎がリビングで怒鳴っているが、そんなことでこの笑いは止められない。俺はしばらく笑っていた。


 そのせいで、準備が終わったときすでに七時を回っていた。


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