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第16話「ひとりかくれんぼ実験 後編」

8月8日投稿分の,3話目です。

怪異に飲み込まれ,狂った男の末路が描かれます。

 それから二日ほど経った頃でしょうか。


 レポート提出日を過ぎ,食堂で一息ついていた私の元に,嬉々とした表情で彼が歩み寄ってきたんです。


「なぁおい,聞いてくれよ。


 昨日行った実験でさ,面白い映像が撮れたんだ」


「面白い映像……?」


 ああ,と言いながら映像を出力するPCを起動した彼は,監視カメラのファイルをクリックしてディスプレイを見せてきます。


 そこに映し出されていたのは,浴室の映像でした。


 水を張った風呂桶にぬいぐるみを入れて,それに彼が名前を付けています。


「昨日は,ぬいぐるみに何も細工を施さずに行ったんだ。


 米や爪を入れたりしない,ただのぬいぐるみを使うなら,ひとりかくれんぼは成功しないっていう仮説の検証をするつもりだったんだ」


 映像を倍速で流しながらする彼の説明。


 それが私の記憶に嫌に鮮明に残っているのは,ここからおかしくなり始めたんだ,という無意識の警鐘なのかもしれません。


 最初の異変が起こったのは,鬼がぬいぐるみに移ってしばらくしてからのことでした。


「ほら,ここ! 音声のところ,見てくれよ!」


 彼が止めたところからしばらく流していると,少しずつ音声波形が乱れ始めたんです。


 それは決して大きいものではありませんでしたが……何の外的要因も無ければ,決して記録されるような大きさでもありませんでした。


 この結果は私達に,もしかしたら降霊術が成功しているのではないかと思わせるに足るものだったんです。


「ほ,本当だ……確かに,変な音が記録されている。


 けど,これ……」

 

 ただ,裏を返せば……風が強い日に窓を開けていたりだとか,屋根裏に小動物がいたりだとか。


 そんなような外的要因があれば,いくらでも説明できてしまいそうな……そんな波形でもあったんです。


「確かに異常なことではあるけど……やっぱりサンプルが少ないよ。


 こんなの,心霊現象以外でもどうとでも説明できるんじゃないか?」


 私が彼にかけた疑問は,彼にとっても懸念すべき要因だったようです。


「俺もそれには同意する。


 しっかり外的要因を排除して,経過を観察しながら進める必要があるな。


 もっともっと実験を進めて,サンプルが集まってきたらまた報告するよ」


 PCを閉じる彼の眼は,なんだかわくわくしているようで。


 まだ見ぬ神秘に,心を躍らせているかのようにも見えたんです。


 そんな彼の表情に変化が見られるようになったのは,それからしばらくしてのことでした。


 目のハイライトが消えた……と言いますか。


 覇気が無くなった……と言いますか。


 兎に角どうにも,以前の彼と比較して,元気がなくなっているように見えたのです。


 その反面……彼の瞳孔は,逆に大きくなったように見えて。


 その様子が……異様なほど,不気味に感じたのを覚えています。


 当時は,その不気味さが何なのか,わかっていなかったんですけれど……今にして思えば,あのような表情のことを,“何かに取り憑かれたようだった”というふうに呼ぶのかもしれません。


 なんにせよ,彼の言う『ひとりかくれんぼ実験』が,彼の身体・精神に無自覚な影響を及ぼしているということは明らかでした。


「なぁ,おいA……本当に大丈夫なのかよ」


「何がだよ?


 どこかおかしいところでもあるのか?」


 そう問い返された当時の私は,言葉に詰まりました。


 何かがおかしい……ということはわかっても,具体的に何がおかしいのかって,咄嗟には言えないじゃないですか。


「いや,なんかお前……最近ちょっと変っていうか……なんか,疲れてないか?」


「そりゃあお前,レポート直後は誰だってそうだろ。


 それに加えて俺は『ひとりかくれんぼ実験』もあるんだから,他の奴より休む時間が取れないだけ。


 ま,もうちょっと寝た方がいいだろっていうのは一理あるけどな」


「そ,そうなのかなぁ……」


 言い返せませんでした。


 そもそもの話,理系の講義で多忙の中,ただでさえ少ない睡眠時間を更に削って降霊術の実験なんて,異常としか言えない筈なのに。


 当時の私は,単なる趣味の延長だと思ってしまっていたんです。


「それじゃあ,俺は帰るぜ。


 今日はいよいよ,爪を入れて実験するんだ……俺の仮説が正しければ,ここからが本番だろう。


 霊を降ろすためには,身体の一部を使うことが最も有効とされている。


 っふふふ……これでもし今日異常な現象が数多く見られたなら,いよいよ心霊スポット化の条件が確定するんだ」


 不気味に嗤いながら荷物を引きずるようにして階段を下りる彼の姿を,私は黙って見守ることしか出来ませんでした。


 そんなやり取りを終えた後からでしょうか。


 彼が講義を頻繁に欠席するようになったんです。


 先生に伺ったところ,レポートも未提出のものが出始めたということでした。


 全く出席しなくなった,レポートをぱたりと出さなくなった,と言うほどではありませんでしたが……出席した時もまるで何かに操られているかのような動きで,その場の全員が病気か精神疾患かと疑うくらいでした。


 遅すぎるとも言われそうですが……私がいよいよ危機感を覚え始めたのがこの頃です。


 絶対におかしい,Aはきっと何かに取り憑かれている……そう思った私は,彼の住んでいる家に向かうことにしたんです。


 彼の家は,大学から歩いて10分もないところにありましたから,外の景色が橙色に染まるころには,玄関扉の前に着くことが出来ました。


 不安と恐怖に駆られながら,インターホンを鳴らします。


 案の定,彼が自分から出てくることはありませんでした。


 2回,3回,と鳴らした後,私は意を決してドアノブに手をかけ引いてみました。


 すると,空いたんです。


 驚いてそのまま部屋に入ると,彼の部屋は照明も付いておらず,西日が照り付ける以外は真っ暗でした。


 まさか,鍵も閉めないまま外に出たのかと思った私は,何も考えないまま部屋の電気をつけたんです。


 次の瞬間,視界に映った光景に……私は絶句し,激しく後悔しました。


 部屋の中心に置かれたデスクでは,がりがりにやせ細ったAがPCに顔を押し付け,一心不乱に映像のチェックをしていました。


 そんな彼の周囲には,ぬいぐるみから引きずり出された詰め物が山のように積まれており,いくつもの白米の袋が散らばっていました。


 空になった塩の瓶は,コンビニで買ってきたご飯のゴミを乱暴に詰めた袋と一緒に,私の足元に転がっていました。


 そして,私を最も戦慄させたのは……ゴミ袋の中に乱雑に突っ込まれた,大量のぬいぐるみ。


 そのいずれも腹部がずたずたに引き裂かれ,傷口から米粒を溢れさせ……上の方にあった一部の個体は,乾いた赤黒い液体で汚れていました。


 ひとりかくれんぼ実験に使われた,呪いのぬいぐるみたちです。


「う,う……うわぁぁぁああああああああああああ!!!」


 その絶叫がどれほどのものだったか……本当に私の口から出たものだったのかも曖昧ですが……兎に角私は,ただひたすらに叫んでいました。


 恐らくその声を聞いて,ようやくAは私の存在に気が付いたんだと思います。


「あぁ,お前……久しぶりだなぁ!


 俺の家に勝手に入ってきたりして,何してるんだ?」


 彼の声は,私の耳には遠く……しかし異様なほど明るい声で聞こえてきました。


 混乱して状況が把握できない私のことを構うことなく,彼は嬉々として研究の成果を報告していたと思います。


 本当に爪を入れたら怪現象が増えたとか。


 照明の明るさがどうだとか。


 何かの回数とか,あれをなくしたらとか,時間がどうだとか……兎に角そんな内容だったと思います。


 そんな話,当時の私には理解できるはずもないと思ったのでしょうか。


 あるいは,ひとしきり実験結果を語り終えでもしたのでしょうか。


 彼は唐突に,私の名前を呼んだんです。


 そして……こんな提案をしてきました。


「お前,今日の夜さ……また俺の部屋に来てくれないかな?」


 何を言っているのか,最初は理解が出来ませんでした。


 多分,2回,3回と言われたことで,ようやくその言葉を正しく聞き取ることが出来たと思います。


「……今日の,夜?」


「そう。


 まぁ日付変わってからだから,実質明日の深夜なんだけどな。


 午前4時か,5時くらいかなぁ……そのくらいにまた俺の部屋に来てくれよ」


「……なん,で……?」


 そう問い返すことしか出来ない私に,彼は説明を始めました。


「そろそろあらかたデータも取り終えたからさ……最後に一番危険な検証をしようと思うんだ。


 ひとりかくれんぼを終わらせなかったら何が起こるのかの検証を」


 それを聞いた私の頭は,もう彼のことを正常な人間であると認識することが出来ませんでした。


 おかしい,異常だ。


 Aの頭は,怪異に取り憑かれてくるってしまったんだと。


「ひとりかくれんぼをやめないって本当に危険なことらしいんだけど……でも,外にいて助けてくれる友人がいたら,大丈夫って説もあるんだよ。


 だから,それを最後に確かめたい。


 ひとりかくれんぼを終わらせることが出来なかった時……助けてくれる友人がいたら,本当に安全なのかってことをさ」


 そんな主張をするAを前に,私は頷くことしか出来ませんでした。


 これを拒んでしまったら,どうなるかわからなかったんです。


 ぬいぐるみを刺すのに使っていたであろうナイフを手に取ったまま微笑む彼に……私は必ず行くと約束して,部屋を後にしたと思います。


 ふらふらになったまま自分の部屋に戻った私は,多分風呂にも入らずにベッドに横たわって,意識を手放しました。


 Aの部屋に行った時の服装のまま,気が付いた私がベッドから顔を上げた時……スマホの時計は,ちょうど午前4時30分になったところでした。


 なんで覚えているかって……それを見た瞬間に,Aの部屋にいた時の記憶がフラッシュバックしたんです。


『午前4時か,5時くらいかなぁ……そのくらいにまた俺の部屋に来てくれよ』


 まさにちょうど……その中間の時間でしたから。


 寒くなんて無いはずなのに,私の全身に鳥肌が立って,ガチガチと歯が震えていました。


 今行かなければ,手遅れになる。


 行かなければ,Aの部屋に行かなければ……


 どれだけそんな風に言い聞かせても,私の身体は動きませんでした。


 なんとか心を落ち着かせて,警察へ連絡することが出来たのは……すっかり太陽も登り切った,9時過ぎでした。


次のお話は明日の12時に投稿される予定です。

☆1からでも構いませんので,評価・コメント,よろしくお願いします。

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