第10話「逢逆峠 後編」
8月6日投稿分の,3話目です。
逢逆峠で引き起こされる怪異について描かれます。
「あれが……」
その前後と比べて,明らかに新しく作られたであろうガードレール。
その部分は木々がちょうど途切れており,遠くまで見渡せるようになっている。
「ま,昼間に人が来る……なんていっても,こんな県境の山中だから,観光地みたいに群がるなんてこともないんだけどね」
「そうなんですね……とにかく行ってみましょう!」
猿山から順番に,ガードレールの方に歩み寄っていく。
如月も彼らに続いてカーブの最も膨らんだ部分から覗いてみた。
「……へぇ。
確かにこれは,いい景色だ……」
地上を見下ろすと,そこに広がっていたのは広大な大学の学区を含んだ市の全域。
遠すぎない距離からは,駅やホテル,高速道路など,主要な都市構造がしっかり確認できる。
住宅街と見られるエリアも,ひたすら明かりが密集しているというわけでもなく,まばらに電気がついていたりいなかったりしており,適度な明るさを保った美しい景色が広がっていた。
それだけではない。
上空を見上げれば,雲一つない星空が広がっている。
街の明かりで若干霞んではいるものの,市街地に負けないくらい強く輝く星々の輝きは,息をのむほど圧倒される。
自然の星空と,人口の星空……その組み合わせはまるで,自分たちが星に囲まれた宇宙空間にでもいるかのようだった。
「怪異の話なんてものがなけりゃ,この絶景ももうちょっとは楽しむ人も増えてくるんだろうけどな」
ふんっと鼻を鳴らしながら話す遠山の声が,如月の耳には幻想のように入ってくる。
「……そうっすね……とっても,いい景色です……」
山道を進んでいる最中は予想もしていなかった景色を見たせいなのか,如月の頭の中はどこかぼぅっとしていて,自分でもどのような思考をしているのか把握することが出来ずにいた。
「……如月君?」
「なんでしょう,先輩?」
「あなた……ちょっと大丈夫?」
「大丈夫? ……ええ,そうかもしれませんよ」
如月が,おや,と思ったのは,志島の問いかけに応えてからしばらくしてのことだった。
今,俺は何を言ったんだ?
いや,そもそも今のは,俺の発した言葉なのか?
ぼぅっとした心持のまま,如月はふっと周囲を見渡す。
「……あれ,先輩……この道って,こんな感じでしたっけ」
如月の耳には,それに対する返答が聞こえてこなかった。
違和感を覚える。
後ろを見ると,急なカーブがあることを示す紫色の標識が見える。
風が強く吹き,木々ががさがさと揺れるような感覚がする。
下り坂になっているのは,振り向いた如月から見て左手側にある。
至って普通の道のはずなのに,どこか異様な雰囲気を纏っている。
まるで,自分のいた世界とはまた別の世界に迷い込んでしまったかのような……不思議な違和感が如月真実の身体をざわつかせる。
「何言ってんだ,如月。
別にどこもおかしくないだろう?」
嶋北のものだろうか,後ろから声が聞こえてくる。
「如月君,変なこと言ってないで……もっとこの景色を楽しまない?」
振り向けば,遠山らしき人が誘ってくる。
「あ,あぁ……そうだよね」
その声に従って,如月はガードレールの先に踏み出す。
彼の目の前に広がっているのは,相変らずの絶景だった。
しかし,ここでも……どこか奇妙な違和感がある。
一体なんだ……?
ふわふわとした,よく回らない思考の中で,如月はあることに気付く。
「星空って……こんなに明るかったか?」
先ほど見た星空の景色は,曖昧ながらも覚えている。
息をのむほど圧倒されるものであることに変わりはないが,それにしたって妙に明るさが強くなっているように感じたのだ。
それに加えて……妙に地上が暗いような……?
「……あ」
その時点で,如月は気づく。
今星空だと思っているものが地上で,地上だと思っているものが本来の星空なのだ。
世界が,逆さまに……いや,これはそうではない。
この感覚は,落ちているのだ。
自分自身が逆さまになって,落下している感覚だ。
『ありとあらゆるものを逆さまにしてしまうような怪異なんだって』
理解する。
更屋敷の言っていた,“逆さまの怪異”の意味。
急なカーブで,曲がるのに失敗して……投げ出されるときに見る景色。
ここから落ちて,死んだ人間が……
最後に見た景色が,これなのだということを。
「如月!!!」
耳をつんざく絶叫が如月の耳を撃ちぬき,ばちんと意識を引き戻す。
はっとした如月は周囲を見渡し,慌てて状況の整理を始めた。
「あっ……ぶ,部長……それに,嶋北……」
如月の身体は両脚を嶋北と遠山の2人に掴まれ,空中にぷらんぷらんと揺れている。
猿山と志島の2人は心配そうに彼を見下ろしていた。
目の前に広がっているのは下側に星空,上側に市街地が広がる,まさに逆さまの世界。
顔を上げればはるか遠くに岩肌が見えて,このまま落下していれば即死は免れなかっただろうことが容易に想像できる状態だった。
「だ,大丈夫かよ如月!?」
「全くお前,急にガードレール乗り越えて飛び降りやがって……引っ張り上げるこっちの身にもなれっての……」
「す,すいません……引っ張り上げてもらうことって,出来ますか……?」
「しなきゃいけねぇだろ……変に動くんじゃねぇぞ如月……!」
ぐっと引っ張り上げられた如月は,乱暴にべしゃっと道路の真ん中に投げ出される。
痛みに呻きながら何とか起き上がる如月のもとに,志島が歩み寄ってきた。
「なにが起きたか……理解できる?」
「うーん……ま,まぁ……なんとか。
今のが,多分……逆さまの怪異,ってやつですよね?」
「恐らくね」
「ええっ!?」
「さ,さかさまの怪異って,あの!?」
猿山と嶋北が悲鳴を上げる。
反対に,遠山は興味深げに如月に歩み寄った。
「どうだった?」
「どう……と言われましても。
なんだか不思議な感覚でしたね……」
「何を見た?」
「さかさまの景色……いや,その前にも,いろいろとおかしなことが……あったかな」
「おかしなことっていうのは?」
淡々とした口調で遠山が問いかけ,如月の体験した内容をメモに纏めていく。
ひとしきり聞き終えると,なるほどなぁと言って遠山はメモ帳を畳んだ。
「面白いじゃん。
事故に遭って車から投げ出され,落下する死者が見る最後の景色……それを,追体験させるための怪異,か」
「逆さまの怪異,なんて大仰に言ってますけど……実際の姿は,ここで亡くなった方の残留思念みたいなものなんですかね……」
嶋北の考察に,遠山はうーん,と呻く。
「そういう考察も,あるかもしれないね。
この峠では走り屋も含めて,かなり死亡事故があったみたいだからな……たくさんの人の無念が集まったら,怪異として形を成してもおかしくないかもしれないよ」
峠で事故を起こし,亡くなった人間が1人だけだったら,如月が経験したような異常性を持つことは考え難い。
だが,ひとり,またひとりと犠牲者が増えていき,その残留思念が幾重にも重なり膨れ上がることで,強大な力を持ったのかもしれない,というのが,遠山の仮説だった。
それを聞いて,猿山は複雑な表情をする。
「それって,つまり……何人,何十人もの人々が,供養されないままここに残っている,ってことですよね。
なんだか,可哀想に思えてきました」
彼女の言葉にほぅっとため息を吐いたのは志島。
志島は黙って猿山のもとまで歩み寄ると,慰めるように,その肩にぽんっと手を乗せた。
「そうね……それが正しいなら,彼らの魂をあなたたちなりに供養してあげることで,少しは怪異も収まるかもしれないわね」
「……そう,ですよね。
先輩,私彼らのこと供養してみます。
本当はちゃんとしたお寺の人とかに頼むのがいいんでしょうけど……私なりに,気持ちを込めて」
「そうだな,供養しよう。 猿山,俺も手伝うよ」
嶋北も賛同し,2人はガードレールの方に寄っていく。
傍にある適当な石を繕い,簡素な供養塔を立てる2人を用心深く観察しながら,如月は遠山・志島の2人の傍に寄った。
「……随分と,感情的な話をするんですね,先輩たち」
「感情的? どういうことだよ,如月」
「いえ……すみません。
俺の最初の印象的に,なんか先輩たちって,そういう供養とか考えないような人みたいなイメージが先行してたんで……」
「っふふふ,如月君,今ひどいこと言ってない?」
「いやいや,そういうことじゃなくて……や,間違ってはないかもですけど。
なんだかすごく人間的っていうか……先輩たちにも,あったかい一面があるんだなって,改めて思いました」
「そう……まぁ,褒めてくれる分には嬉しいわ。 ありがとうね,如月君」
供養塔を立て終わったのか,嶋北と猿山は手を合わせている。
その様子を見ながら,それはそうと……と,如月はじっと2人を睨んだ。
「あの仮説……お二人は,本当にそうだと思っているんですか?」
「いや,全然?」
あっさりと言う遠山に,がっくりと如月は肩を落とす。
「やっぱり。 おかしいと思いましたよ。
そういう考察もあるかもしれないとか,それが正しいならとか,収まるかもしれないとか……やけに曖昧な言葉を使うなと思ったら」
「そりゃあね。
タヒんだ奴の怨念が溜まっていないだなんてことも思っちゃいないけど……それが怪異の根源なわけないだろ」
「そうよねえ。
本当にそうなら,標識の色を反転させるとか,カーブの曲がりを逆さまにしたりとか,そんなことするわけないでしょう。 それに……」
ふんっと笑うと,志島は停車している嶋北の車の方に目を向ける。
「死の直前の景色を見せるだけなら……あんなこと,起こらないでしょう」
「……そうっすね」
嶋北の車は,切り立った崖のすぐ端っこに停められている。
道路の反対側には,木々の聳え立った山肌があり,そちら側に停めれば絶対に安全のはずなのに。
そう。
安全な山肌側に停めるよりも危険な崖側に停める方がいいと思っていたのか,そもそも崖の方を山肌と勘違いしていたのかは定かではないが。
嶋北があの場所に停めたということは,その時点で……嶋北の認識が“逆さま”になっていたということなのだ。
「なかなか……研究し甲斐のある怪異だよなぁ」
そう笑みを浮かべる遠山の表情は,とても“亡くなった人間を供養すれば収束する”なんて思っている人間のものではなかった。
次のお話は明日の18時に投稿される予定です。
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