第九話 冒険者ギルドに行こう!
「魔術を使うにあたって必要なものを覚えていますか、メアリ?」
「ええっと、魔術言語の力と魂の意志の二つ、だったはずよね」
「はい、正解です。正確には自らの意志で世界の理を歪め、世界へと働きかける力を増幅し、導きやすくするために力持つ言葉である魔術言語の力が必要となります」
エルの案内を受けて冒険者ギルドに行く途中に、突然始まった魔術の講義。
いつものように猫の姿となったエルは、あたしの頭の上に乗りながら、あたしが歩く速さに合わせて滔々と言葉を述べていく。
うろの大通りにあるという冒険者ギルドに行く道は、道を照らす魔石の導きがあるとはいえ、薄暗がりの階段道。螺旋状のその道は幅が大きくとられていて、何人もの人が入れ違いに行き来できるほどだけれど、端を歩くときなどは、道を踏み外さないかと心配になる。
話しかけられると、ついついそちらに気をとられがちなので、足元には気をつけないといけない。
けれど足元に気をとられて耳を傾けていないと、ぺちんと尻尾で耳元を叩かれてしまう。
魔術士の弟子も大変なのだ。
まったく、お師匠様は横暴だわ。
そんなことを考えていると、気もそぞろなのがばれたのか、猫の手でぺしんっと額をはたかれてしまった。
……はい、ごめんなさい。ちゃんと聞きます。
「ここで大切なのが自らの意志です。魔術の発動が難しくなるので、魔術言語を正確に述べることも大切ですが、まずは自らの意志で世界を歪めること。世界を願うままに変えていくことを強く思い浮かべることが必要なのです」
「ええ、白の塔でもそう習ったわ。けど、世界を歪めるのよね……」
「はい、そうですね。何か問題でも?」
「問題というか……」
白の塔では、魔術に誇りを持っている魔術士や魔術師も多く、言えなかったことだ。
言っても受け入れてもらえない。下手をすれば「魔術に対する冒涜だ」と言われてしまう。だからあたしは、口をつぐむしかなかった。
外から白の塔に来たあたしは、魔術士の常識なんて全く知らなかったから、間違っていると言われれば、「そうなんだ」と頷くしかなかったのだ。
今も言って良いものか、正直悩む。
けれどエルはあたしの師匠だ。言わずにいる方が問題だし、それにエルならば、もしかしてあたしの魔術に対する気持ちに答えをくれるのではないかと、覚悟を決めて口を開いた。
「魔術自体は嫌いじゃないのだけれど、なんというか、すごく大それたことをしてしまっている気がするのよね。世界を歪めるって。なんというか、神様への冒涜、という感じがして……」
「ああ、なるほど。そこもありますか」
ふむふむと、なにやら一人で納得しているが、あたしはエルが何に納得しているのか全く分からない。
「神様への冒涜と言いますが、世界へ働きかけること自体は普通の人々も行っているのですよ」
「え!?そんなすごいことあたしはできないわよ」
「世界を歪める、というのは字面は御立派ですが、そんな大それたことではありません。そうですね。メアリ、足元にある枝を拾って持ち上げてみてください」
足元を見れば、どこからか落ちてきたのか、足元に一本の枝が落ちていた。
あたしは何の意味があるのか疑問に思いながらも、言われたとおりに枝を一本手に取り持ち上げる。
「えっと、これで良いのかしら?」
「はい、けっこう。これで、メアリの意志により、枝が一本持ち上げられたという結果が生まれました。これが世界を歪めるということです」
「え?」
にやり、と器用にも猫の姿でエルは片ほほを持ち上げる。
「世界に働きかける、世界を歪めるというのはその程度のことです。私たちが普通に行っていることにすぎません。今ある世界を私たちの意志により行動し変化させれば、それは世界に働きかけ、世界を歪めることに他なりません。魔術はその一手段に過ぎないのです」
普段よりも饒舌に語り続けるエルの言葉に、あたしは目を見張った。
「そんなに単純に考えて良いのかしら」と、首をかしげる部分もあるが、そんなあたしの様子とは裏腹に、エルの言葉には熱がこもり続ける。
「言うなれば意志は種火で、魔術言語は薪です。種火がなければ火はつかず、薪がなければ火が燃え上がることもない。魔力量はいわゆる薪の量ですね。多ければ多いほど薪の量も増え、燃え上がる規模も大きくなる。どうです。分かりやすいでしょう」
ふむふむと、あたしは納得しながらうなずいた。
たしかにわかりやすい。
白の塔で学んだ魔術士の常識に凝り固まった頭の一部では、どうにも受け入れがたいところもあるけれど、逆に言えば、魔術士にはまだなり切っていないあたしにとって、エルの説明はとても分かりやすく、頭の中へと染み込んでくるものだった。
特に薪と火は身近なものだから、例えとしてわかりやすい。
「所詮、その程度のことにすぎません。魔術というものを神聖視し、御大層に扱う必要などないように、いたずらに忌避し、遠ざけるのも同じこと。そんな手で触れることも、食べることもできないあやふやなものに振り回されて、選択肢を狭める方が愚かしい。目の前の結果こそが真実です。使えるものを使わない方がばかばかしい」
「そうね、たしかに目の前にある便利なものを使わないままでいるのは、もったいないにも程があるわ。エルの言う通りばかばかしいというやつね」
エルの少し古くさい言い方の真似をして言ってみれば、エルは頭の上で「その通り」とでも言いたげに、尻尾で後頭部を軽くたたいたのだった。
気安くぺしぺしと他人の頭をたたいてくれるけど、ほめてくれているのだから良しとしよう。
「あなたに足りないのはそこです。白の塔というお堅いところで学んできた以上、仕方のないことではありますが、必要以上に考えが凝り固まっている。魔術というものはもっと自由で便利なもの、程度で良いのです。意志こそが魔術の種火なれば、忌避感を抱いたまま使っていれば、魔術の威力が弱まるのも致し方のないことです」
「うっ、そこに繋がるのね……」
「はい。だからこそ、あなたには魔術。――その中でも攻撃魔術の使用に慣れ親しんでいかなくてはなりません。そのためには、魔術を常日頃から使っていくことが肝要です」
たんっ、と軽い音を立ててエルが頭の上から飛び降りた。
その首元には赤い首輪――エルの赤い長衣を変化させたものを身につけている。
「それ故に、冒険者ギルドがこれからのあなたには必要なのです」
エルの金の瞳が見上げる先には、『冒険者ギルド』と書かれた看板が、魔石の光に照らされて、薄暗闇の中で浮かび上がっていた。
どうやら、「おそらく冒険者になることはないだろう」という、あたしの甘い考えは大外れのようだった。
*
冒険者ギルド――この開拓を国是とするカラード王国において、未踏の地を歩み、地図に記し、魔獣たちを打ち倒すことを生業とする者たち。そんな無頼漢たちをまとめ上げ、仕事を斡旋する組織が冒険者ギルドであるという。
王都では彼ら冒険者を見る機会があたしにはなく、今日初めてうわさに聞く冒険者ギルドに足を踏み入れることとなった。
うろの大通りにあるその冒険者ギルドは、朝だというのに魔術師ギルドは違い盛況だった。
受付の奥は酒場になっているのか、朝だというのに泡立つ麦酒を飲み干している人もいる。がやがやと賑やかで、様々な種族の人々がひしめき合っている。
革の鎧を着た人間族に弓矢を背負った森人。
朝から酒を飲み「がはは!」と笑い合っているのは、大きなハンマーを傍らに立てかけた土小人と狼の姿をした獣人だ。
奥には小さな祭壇があり、出会いと別れをつかさどる風の神・シェルフィードの神像とその前に跪き祈る人もいる。
混沌の中で混ざり合う熱気とざわめき。
これが冒険者ギルドなのね。
「というわけで、メアリには冒険者ギルドに登録していただきます」
「わかっていたことだけど、やっぱり登録しなきゃいけないのね……」
「当然です」
猫の姿でふんぞり返りながら、エルは言葉を返した。
その後ろにある受付では、髪を結いあげ受付嬢の証である緑の帽子をかぶった女性が、台の上に紙と羽筆を用意して、困ったように笑っている。
受付を占領した状態で話し始めてしまったのだからそれも当然のこと。
しかも、どうにも話が長くなりそうなご様子だ。
あたしが「うちの師匠が、すみません」とばかりに頭を軽く下げると、あちらも得心がいったかのように「いいえ、わかっていますから」とでも言いたげに笑みを深めた。
すごいわ。初対面の方なのに、心が通じ合ってしまったわ。
道すがら話をしたことで予測できていたことだったけれど、それでも疑問はまだある。
それだけは聞いておかなくてはいけない。
「あたしは魔術士見習いだから、魔術師の監視が必要なのだけれど、冒険となったらエルがついてくるの?」
「いいえ。私が毎回、メアリの冒険に付き合うほど、暇なわけないでしょう。あなたの力量に相応しい仕事ともなれば、魔術師である私はさすがに過剰戦力です」
「ええ、そうね。そうだった、かしらね……?」
あの魔術士ギルドの寂れ具合や、数日前の釣りなど、思い返せば「そんなに忙しかったかしら?」とつい言いたくなる気持ちを飲み込んで、あたしは礼儀正しく目をそらした。
真っ向から否定したわけではないわ。エルが強いことは否定する気はないもの。
だから「言いたいことがあれば言ってみろ」と言わんばかりに睨みつけるのはやめてほしい。
「まあ、いいでしょう。魔術士見習いであっても、町や村など魔術の暴発による被害が大きい場所を避けた上で、身分の証明を受けた代わりの見張り役と相応の理由があれば問題なく魔術を使用できます。つまり冒険者ギルドに登録した上で仕事を受け、また他に冒険者登録した誰かが共にいれば、オークガルデの外ならば魔術を使用することができるのです」
「そうだったのね!けど、なぜ白の塔ではそんな大事なことを教えてくれなかったのかしら?」
「最低限、魔術の制御ができると認められた魔術士見習いだから許されている特例です。国中の魔術士、魔術師が集まる白の塔とて、教え導けるものの数は少ない。制御のおぼつかない魔術士見習いにすらなれないものに、特例の存在を教えることは、害悪にしかならないと考えられているのですよ」
「私としては、実戦を通じて学んだ方が良いと思うのですがね」とエルは嘆息した。
「魔術士見習いには、必要と思われる者には師から教える様に、とされています。あなたの場合は攻撃魔術を実践する場が必要でしょう。今後は折を見て利用してください」
「はい、では長いお話は終わりましたね!さっそく登録といたしましょうか!」
ここが話の切れ目と見たのか、緑の帽子をかぶった受付嬢がずずいっと紙と羽筆を持って、あたしとエルの間に割り込んだ。
その焦げ茶色の目が、「さっさと書いて早く終わらせろ」と、口に出すよりも雄弁に語っている。
「エルカレンさん。この街において魔術士は今代のあなたと先代のエレンスフィールさんの二人しかいなかったから、見習いとはいえ新しい魔術士さんは引く手あまたなんですよ。下手に勧誘される前に、今日のところは早めに登録だけ済ませて帰られた方が良いですよ」
「あっ」と言わんばかりに、エルは口をかぱりと開ける。
どういうことだと周りを見渡せば、あたしたちを興味津々とばかりに見つめる目、目、目。
ギルド中の人々が、あたしたちに目線を投げかけている。
こんなに人目を集めたことなんて、今まで一度もないわ!
あたしは慌ててその羽筆を受け取った。
しまった!いつの間にか話し込んでしまった。助言をもらった上に、これ以上ご迷惑をかけるわけにはいかないわ!
急いでどうにかこうにか冒険者の登録証を書き終えれば、「はい、これが冒険者の証明ですよ。失くさないでくださいね」と、鎖につながれた鉄片を渡された。
鉄片にはごくごく小さな魔石がついており、これがおそらく識別の証なのだろう。
なんとも思った以上にあっさりと、あたしは魔術士見習い兼冒険者となってしまった。
けれども、横目でくるりと辺りを見回したら、先ほどのやり取りを興味深げに見ている幾対もの目が、あたしたちの背中を追いかけている。
これからあたしの冒険者生活はいったいどうなるのだろう。
あたしはこれからの不安と恐れでいっぱいになりながらも、エルを頭に乗せ、急いで魔術士ギルドへと帰っていったのだった。