第七話 ねずみの錬金術師
ことことと その家の暖炉には、火の魔石の力で煮込まれている大釜があった。
壁には干されてからからになった薬草や植物の束。戸棚の中には砕かれた鉱石や小さなつぼに詰められた粉の類。
薬草を挽くためのどうぐやすりこぎや乳棒の類もある。
机の上に乗っているのは、もしかして魔石の素となるドナ石かしら。白の塔で磨いたことがあるので見覚えがある。
その隣には、本が開かれたまま置かれている。何度も読まれてめくられてきたのを物語るように、頁の端が擦り切れていた。
その他にも、机の上には一目見ただけではわからない素材や道具が、雑多に置かれていた。
しかしそうした不思議な道具に囲まれて、机の真ん中に主役とばかりに置かれているのは、かごに盛られた黄色いプフの実だった。
親指の先ほどの大きさをしたプフの実は、この季節によくとれる甘酸っぱい季節の味だ。
つやつや光っているその様子を見ると、どうやら採れたてのもののようだ。その隣にはお茶の用意もされていて、歓迎の意が見るだけでわかった。
今日、エルに連れてこられたのは、オークガルデにある小さな家だった。
外観は、とんでもない大きさの木の実の殻をそのまま家にした、といった感じで、オークガルデの突拍子のなさをまた見せつけてくれたが、お家の中も同じくらい面白い。
中身も不思議なものがたくさん詰まっていて、エルの家よりもおとぎ話の魔術士の家のようだ。
その間を行ったり来たりしてちょこちょこと動き回るのは、あたしの腰の辺りに頭が来る小さなねずみさん。黒い長衣を着たねずみの獣人だ。
魔石に手をかざして温度を調節したり、大釜に薬草をちぎって入れてかき混ぜたりと、どうやらとても忙しそうな様子だ。
魔石の扱いを知っているってことは、この人も魔術士なのかしら。
「エルカレンとそのお弟子さん、ちょっと待っておくれよ。おいら、ちょうど今、手が離せないところでね。もうちょっとできりが良いとこまでいくから、机の上にあるプフトでもつまんで待っていておくれよ」
「はい。メアリ、トマもこういっていることですし遠慮なくいただきましょう」
そう言うとエルは勝手知ったる我が家とでも言うかのように、机の上にあるよくわからないものをさっさと寄せてお茶を入れると、椅子に座って遠慮仮借なくプフの実をつまみ始めた。
知り合いなのかしら……、と思いながらも、あたしも椅子に腰を掛ける。
ほとんど説明されずにつれてこられたので、どうにも今の状況に困惑の方が勝ってしまう。
落ち着いているエルとは違って、あたしはというと、後ろで仕事をしている家主の姿がついつい気になってしまう。
「何かお手伝いできることはないかしら?」と、そわそわしてしまうのだ。
そんなあたしの様子を知ってか知らずか、お茶の匂いをかいで楽しんでいる。本当に慣れた様子だ。
「もう少しかかりそうですね。私たちが手を出しても迷惑になるだけなので、お茶でも飲んで静かに待っているのが賢明ですよ」
「う~、たしかにそうかもしれないけど……」
「トマは手先が器用なので、お茶とかもおいしいんですよ。ちゃんと味わって帰りなさい」
そう言うと、エルはこちらの返答も聞かずにお茶を入れて手渡してきた。確かに、せっかく用意してくれたものを飲まないのも失礼だし、一口いただこうと、あたしはエルが差し出してきたコップを受け取った。
木でつくられたコップに入っていたのは、明るい緑色をしたお茶だった。湯気と一緒に芳醇な香りが立ち上ってくる。
いろいろな香りが混ざった複雑な香りは、いくつものハーブを混ぜて作った自家製のものであることを暗に伝えてくる。
あたしも家で作ったことがあるのでよくわかるが、これは素人の作ったものじゃあない。香りが全然違うわ。
やわらかい香りをかぎながら一口お茶を頂くと、気持ちがほぐれていくようだ。
あたしは、ほっと一息ついた。
「やあやあ、待たせてごめんね。あとはゆっくりと冷ませばいいだけだから、もう大丈夫さ。それにしても、今日はいったいなんの用事だい?魔術符用の紙の納品はもう少し先だったよね?」
「はい」
少し時間がたってから、トマが話しかけてきた。椅子を引いて隣に座り、プフの実を次々に口の中へと放り込んでいく。
むぐむぐとほお袋を膨らませながら、ネズミのつぶらな瞳が、内心の疑問を表すかのようにせわしなく瞬いている。
その言葉に、こくりとエルが首を縦に振った。
「今日は私の弟子となったメアリにトマの仕事を教えたかったのです」
「ああ、そっか。君がエルカレンのところに最近来たお弟子さんか。メアリって言うんだね。なるほど、なるほど。そう言うことなら、おいらの仕事を見ておいた方が良いね」
仕事を見ておいた方が良い、とはどういうことだろうか?
二人の間では了解が住んでいるようだが、まだ魔術士見習いにすぎないあたしでは、どうにもわからないことが多い。
疑問が顔に現れていたのか、トマと呼ばれたねずみの姿をした獣人は朗らかに答えた。
「おいらの仕事は錬金術師なのさ。錬金術師って知ってるかい?」
「いいえ。すみません、知らないわ」
「だろうね、そうかしこまらなくていいよ。白の塔では教えないことだからさ。錬金術師っていうのは、魔術士の使う魔術具を作る職人のことを言うのさ」
長いひげをぴくぴくと動かして、当然のことのようにトマは答えた。
「白の塔では、魔術言語を覚えることを特に優先しているからね。それ以外のことはお師匠様となる人に任せっきりなんだ。魔術を利用してできるお仕事の一つが錬金術師なんだけど、それも知らなかっただろう?」
「ですので、魔術士となった後、特に魔術士を身内に持たない市井の出の方は、その後の仕事で苦労することが多いのです。魔術士ギルドから振り分けられる仕事以外、見つからない人も多いのですよ。今回、トマの下に連れてきたのは、今後の先行きを考えるための一環ですね。こういう仕事があると知っておけば、食い扶持を稼げますから」
「魔術師ギルドの仕事自体は割のいいものが多いんだけどね」
「だからといって仕事がいつもあるわけじゃないからね」とトマは後を続けて肩をすくめた。
なるほど、今日ここに連れて来てくれたのはそう言う理由だったのか。
それならそうと教えてくれればよいのに。
エルは少し師匠面を保とうとしているのか、いつも難しい顔をしているところがある。
そのせいか、せっかくあたしのことを考えて行動してくれたというのに、それがどうにも伝わりにくいところがある。それはやっぱり寂しいし、残念なことだわ。
(そうね、あたしがもっとエルのことを見ていればよいんだわ)
そうすれば、エルのせっかくの心遣いを無駄にしなくてもすむ。
あたしはエルの弟子だもの。お師匠様のお世話はあたしの仕事だから、がんばらないといけないわ。
あたしは誰にも気づかれないよう、心の中で気合を入れた。
「おいらの仕事くらいならいつでも教えてあげるから、またいつでもおいで」
「ありがたいけれど、それだとこちらが一方的にお世話になってばかりじゃないかしら。それはさすがに申し訳ないわ。あたしにできることは何かない?」
「ちちち!今回のお弟子さんは、良い人だね!」
誰かの負担にばかりにはなりたくないと伝えれば、トマはねずみの様に軽い笑い声をたてた。
そして、こちらの考え違いを諭すかのように、指を一本立てて振りながら「ちっちっち」と舌を鳴らす。
「おいらの仕事を覚えるためには、実際に仕事をしてみないと分からないだろ?おいらはただで人手が増える。メアリは将来のために仕事の技術が学べる。どちらにとっても良い契約なのさ。魔術士の技術を持つ人は少ないからね」
「私は手伝えませんしね。私には私の仕事がありますし」
「エルカレンに手伝ってもらうようじゃ、おいらの立つ瀬がないよ」
ちちち、とねずみのように笑い声を立てると、トマはもう一つプフの実を口に放り込んで、ぴょいっと椅子から飛び降りる。
くるりと回ってあたしに向き合うと、その動きに合わせて黒の長衣がひらめいた。
「今日は時間はあるかい?どうせなら簡単な回復薬の作り方くらい教えたげるよ」
「え!さっそく教えてもらえるの!?」
それは嬉しいわ、とあたしは手を叩いた。
興味があったのは事実だし、とたとたと大釜や戸棚の間を走り回るトマの姿を見て、自分もやってみたいと思い始めていたのも、また事実だ。
「そのかわり、ちょっとおいらだけだと大変な作業を手伝っておくれよ」
「回復薬の教え料ね。それくらいならいいわ」
「ちちちっ。商談成立ってやつだね」
そう言うと、トマは「ほい、これを持っておくれよ」と大釜がかけてある暖炉の横にかけてあったかき混ぜ棒を手渡してきた。
あたしはそのかき混ぜ棒と、大釜の下にある魔石へと駆け寄るトマの姿を見て、次に何を求められているのか、言葉にされずとも理解した。
ああ、なるほど。つまりそういうことね。
予想通り、振り返ったトマの顔は笑っていた。耳の先がぴょこぴょこ動いている。
「じゃ、最後にこの大釜をかき混ぜるのを手伝っておくれ。今からこいつをゆっくりと煮込まなくちゃいけなくてね、いつもなら大変だったんだ。手伝ってくれるのなら、それにこしたことはないや」
「あの、もしかして、これが目的だったのかしら?」
「ちちちっ。ようやく気付いたね。これも対価ってやつさ。後はよろしく頼んだよ」
まったくもう、しっかりしているわ。
けれど、頼まれた以上、しっかりとやり遂げなきゃ。
あたしは、むんっと袖をまくり上げた。
*
トマの手伝いに夢中になっているメアリを見て、エルカレンは嘆息した。嬉々として大釜をかき回している姿には、憂いも何もなく、ただ好奇心の光だけが青い瞳をきらめかせている。
この調子なら、錬金術師として働くことには、なんの問題もないだろう。
いざという時、弟子が食いしのげる道を模索するのも、師であるエルカレンの仕事だ。
トマの家にメアリを連れてきたのは、トマとの顔つなぎとしての役割もあった。いざという時、メアリが錬金術師としての道に進めるよう、手配しておくのもエルカレンの師匠としての役目なのだ。
「あの調子なら、問題はないだろうさ。魔術士になるにしてもなれないにしても、このままオークガルデにいてくれたらいいんだけどね。おいらのと一緒に働いてくれるなら、そいつは最高だ。誰かさんがこき使ってくれるから、おいらは毎日毎日、働き過ぎでくたくただからね」
「メアリは故郷に戻ることを希望しています。トマの望みはかなわないでしょう。当てが外れましたね」
「その時はその時さ。それに、本当に故郷に帰ることになるのかは、誰にもわからないだろ?」
ちちち、と口の端からもらすように、トマは笑った。
その鳴き声にはからかうような響きがあった。エルカレンの内心を見抜いているかのように。
(まったく、なぜ私の下に集まる人は、どれもこれも減らず口ばかり上手なのだろう)
メアリがいつか故郷に帰るのは当然だ、という思いと、わずかな付き合いだというのに、いつか離れることにほんの少しの寂しさがあることを、エルカレンは認めていた。
しかし、それを他人から指摘されるのは、気に食わない。
まだまだ子猫扱いされているようで、腹が立つからだ。
「けどさ、無事に魔術士になってくれれば、そいつが一番さ。帰る場所があるってんなら、帰った方が良い。それができるんなら、錬金術師の技術くらい教えるのも安いもんさ」
そう言うと、トマは黒色をした長衣をするりと撫でた。へたり、とひげが垂れ下がる。
その姿を見て、エルカレンは胸が痛くなった。
その長衣の色の意味を、エルカレンは誰よりも知っていたからだ。
そんなエルカレンの顔色を見て、トマはちちちっと笑った。
「おいらは黒だったからね。魔術士になるのは難しすぎた。あの子も、メアリもやっぱりそうなのかい?」
「……可能性はあります。しかし、今はまだわかりません」
「あれ、そうなのかい」
無表情のまま首を横に振るエルカレンの姿に、トマはつぶらな瞳を見張った。
「おいらの家に連れてくるんだから、もうわかっているんだとばかり思っていたよ」
「今は調べている最中です。確かにあの攻撃魔術の威力の弱さだと、その可能性は否定できませんが……」
エルカレンは静かに首を振った。
「私は違うと思います」
その視線の先には、青い瞳を瞬かせ、興味深げにトマの道具を見るメアリの姿があった。
金色の髪をなびかせてくるくると動くその後ろ姿を見つめながら、トマはふうんと頷いた。
「一緒に過ごしているエルカレンがそう思うのなら、その通りなのかもしれないね。おいらもその方が良いや」
トマのその腕にはめられた魔術具が、きらりと光を放った。