第四話 子猫の導きと昔馴染
あたしの目の前には、撃ち抜かれ倒れた木の的があった。
白の塔で習った魔術、不可視の風の矢で貫かれたのだ。
あたしはほっと胸をなでおろした。上手くいってよかったわ。
「ふむ、威力はそこまで強くないようですね。できれば、いくら破壊に向かない風属性とはいえ、この的くらいなら粉々に打ち砕いてほしかったところですが。まあ、見習いならこんなものでしょう。今後の成長に期待しましょう」
「ううっ、手厳しいわね」
「厳しくすると最初に言ったでしょう。今の段階だと魔術士の位階を得るのは難しいと言わざるを得ません」
それはわかっている。正直なところ、あたしは攻撃魔法が苦手だ。
他の人と比べても威力が弱いというのは、白の塔の魔術師の人達にもたびたび指摘されていた。
今のままでは魔術士になるのは難しいということも。だからこそ、頑張って修行を積まなければいけないのだ!
「けれど、魔術の制御に関しては言うべき点はありませんね。的の真ん中をきちんと打ち抜けていますし、他のところに余波も飛んではいません。魔術言語の発音もきれいで正確。こちらに関しては現段階でも及第点です」
「よしっ、やったわ!」
「調子に乗ってはいけませんよ」
ぴしゃりっ、とエルは尻尾を鼻先につきつけてくる。
けれど、すぐに尻尾を緩ませて、振り子のように左右に揺らした。
「しかし、普通は制御の方が難しいので、これはあなたの長所ですね。魔術の制御に必要不可欠な魔術言語を習得するほうが苦戦するものは多く、それが魔術士に至る修行を長引かせる原因にもなりやすい。もう一つ言語を学ぶのですから致し方ないところはありますが……」
「確かに、そうね……」
あたしは同期の面々を思い出していた。
魔術士を親にもつ子はともかく、あたしの様に市井の出の子はやはり魔術言語の学習でつまずいていた。
農村の出身の子など、文字すら知らない子もまた多い。あたしと同じ時期に塔に来た子でも、魔術言語を学ぶ段階までいけていない子も普通にいた。
魔術士で一番重要と言われる攻撃魔法の威力が弱いという欠点がありながら、あたしが魔術士見習いとなれたのもその部分が大きい。
王都の出であり、既に読み書きを習得していたこと。そして、魔術言語について触れたのは初めてながらも、その学習がかなり早かったこと(さすがに魔術士出身者には勝てなかったが)。
この二つの要因があったからこそ、あたしは十六で魔術士見習いとなり、杖を受け取ることができた。
そうでなければ、あたしは今でも白の塔で修行を続けていただろう。
文字を学ぶために教会に通わせてくれたお父さんお母さん、それに知識の神であらせられるオルトリーゼには感謝の祈りを捧げなくてはいけないわ。
また今度、教会にお祈りに行こう。
「それにしても……」
あたしは、顔を上げ辺りを見渡した。
魔石の光で照らされた明るい広間。開け放された入口の向こうには魔術士ギルドの前に安置された巨大で武骨な魔石がさんさんと輝いている。
そばにある机の上にはいざという時、すぐ書きつけるための紙と羽ペン。小さな芽が出た鉢植えが一つ。
ここは魔術士ギルド付きのエルの家ではなく、外などのそれ以外の場所でもなく、魔術士ギルドの受付だ。
そう、エルに言われる通り的を撃ちぬいたが、ここは魔術士ギルドの受付なのだ。
「あの、ここで魔術の練習をするのはいかがなものかしら?」
誰も来なかったからいいものを、気づかずに人に向けて魔法を撃っていたらことだ。
攻撃魔法がいまいち苦手なあたしとはいえ、木の的を撃ちぬくほどの威力。けがをさせてしまったら大変なことだ。
「ここなら客人が来たら一目でわかります。それに何か問題が起きた時に備えて、結界も完備しております。魔術の練習にこれ以上の場所はないでしょう。便利でしょう?」
「便利かもしれないけど……!」
だというのに、エルはどこ吹く風といった様子で気にもしない。
まったく、もうちょっと気にしなさい!
「いらっしゃったお客様が危ないし失礼でしょう!」
「その程度のことを気にするようなものなど、この魔術士ギルドを訪れることはありませんよ」
にゃあん、とエルがけだるげに一声鳴く。
当たり前のことを聞かれてしまい、わざわざ答えるのもめんどくさい、という様子を隠そうともせず、頭を机の上にぺたりと伏せる。
「根本的に、この魔術士ギルドを訪れる人など滅多にいません。用事があって訪れる者も、大半は顔見知りですし、結界さえあれば、あなたのつたない魔術で傷つくような未熟者もおりません。安心してください」
「ええ!?」
それはさすがにギルドとして問題がある状態ではないだろうか。
ギルドというものはいわゆる同業者内での互助組織だ。
内外から請け負った仕事を、ギルドに属している者の力量や規模に合わせて斡旋したり、鍛冶屋ギルドなど鉄や炭火石といった仕事上絶対に必要な品の卸しを管理したりすることで成り立っている。
もちろん、ギルドに属していても個人間で仕事を請け負うこともあるし、そちらの方を重視している場合もある。
だが、まともに仕事が来ないギルドなど聞いたこともない。そんな状態でやっていけるものなのかしら?
というか、つたないって……。分かっているけど、はっきりと言わないでほしい。傷つくわ……。
「オークガルデの魔術士ギルドは特殊なんです。それに元々魔術士ギルドというものは。他の商売上のギルドとは仕組みや目的が違うのですよ。そうですね……」
「たのもー!!」
大きな元気の良い声が魔術士ギルドの外から響いた。
エルの耳がぺたんと伏せられ、毛がぶわりと広がった。
……大きな音が嫌だったのね。
「おーい、だれもいないのかー?返事がないなら勝手に入るぞー!」
「聞こえています。レム、うるさい」
「なーんだ、いるじゃないか!面倒だからって返事をしないのは良くないぞ」
そう言ってずかずかと魔術士ギルドに入ってきたのは、明るい赤毛をした美しい少女だった。好奇心できらめく緑の瞳がくりくりっと動き、あたしの姿を捉える。
「お、あんたがうわさのエルの弟子か。やっぱり人間族なんだな」
そう言う少女の耳は少し丸みを帯びた笹葉のように長く、髪の間から突き出していた。
森人だ。
「レム、この魔術士ギルドに何用ですか?あなたがここで頼む必要のある仕事など、ここにはないでしょう?」
「用事がなきゃ来ちゃいけないのかい?友達が初弟子をとったって聞いたんだ。祝いくらい持ってこないと正義の神に怒られちまう」
「誰が友達ですか。あなたなんぞ、ただの腐れ縁。昔馴染というだけでしょう」
「まったく、つれないねぇ」
そう言って肩をすくめると、レムと呼ばれたその人は背負ってきたその荷物を肩から下ろしたのだった。それは丸々と太っておいしそうな数匹の清流魚だった。
エルの金眼がギラリと鋭い光を放つ。まるで獲物を狙う獣のよう!
(猫は魚が好きだものね……)
「はは。どうだ、おいしそうだろ?さっき獲ってきたばかりの清流魚だ。絶対おいしいから、さっそく今日の夜に塩でも振って食べてくれよ。エルのお弟子さん、あんたもいっしょにね。ええっと……」
「あ、あたしの名前はメアリと言います。師匠ともどもよろしくお願いいたします」
「おっと、これはこれはご丁寧に。あたしの名前はレム。レムレシア・パルムカルム。長いからレムって呼んでくれよ」
そう言って森人の少女――レムは快活に笑った。
あたしもつられて笑いながら清流魚を受け取る。
早いところ片付けてこないと、お師匠様が手を出しかねないわ。今だってギラギラした目で狙っているし。それにしても……。
「森人の方ってお魚とかも食べるんですね。木の実とか野菜とかしか食べないって話をよく聞くんですけど」
「ん?そりゃあ純血のエルフならそうだろうけど、あたしは半森人だからな。だから肉だって食べるし、魚も大好きだ。その証拠に、ほら耳が少し丸いだろう?」
そう言うとレムは、緑の髪の間から突き出ている耳を引っ張った。
そうだったのか、とあたしは驚きで目を見開いた。森人も半森人も初めて見るので違いが判らない。
耳って、そんなにわかりやすく丸いのかしら?
「オークガルデは多種族が一緒になって暮らしている街だからなー。他のところとも比べて混血が多いんだよ」
「それが良いところでもありますが、魔術士ギルドが流行らない原因でもありますね」
「そりゃしょうがない。エルの腕前が良いのは知ってるけどさ、よっぽどがない限り頼る必要がないもん」
どういうことなの?と目を向ければ、エルはけだるげにしながらもちゃんと答えてくれた。こういうところはちゃんとお師匠様をやってくれるのだ。
「魔術の使い手が多すぎるんです。正確に言えば魔法ですが」
「そうだな。あたしだって一応は魔法を使えるし」
「これは魔術の講義になりますが」と前置きして、声を潜めながらエルは話し始めた。
「魔術は人間族が生み出した魔法を制御するための技術です。だからこその魔術。逆に言えば、制御できるのなら魔術を使う意味はないのです」
エルの言葉を受けて、レムもまた頷いた。
「森人の血をひくあたしたちのような種族は、魔術っていう制御法を学ぶ必要はない。生まれた時から普通に魔法を使えるからな。わざわざ魔術を使う意味は、正直わからん」
「そこは種族差というものですね。レム、あまり口には出さぬように」
「知ってる知ってる。けど、他のところならまだしも、ここオークガルデで暮らすんなら、早めにこういうところは知っといた方が良いだろ?」
「そこは否定しません」
快活に笑いながら、「勝手が違うんだ。おいおい慣れていけばいいさ」とレムが言う。
のんびりと毛づくろいをしながら、エルは言葉を述べた。
「結論から言うと、魔術士ギルドは魔術を扱う人間族のためのものであり、魔法を扱える異種族に対する意義は薄いということです。無論、魔術士にしか頼めない仕事を受けることもありますので、まったく無意味ということもありませんが」
「エルも猫妖精だから同じことだろ。本当なら魔術を使う意味なんてない」
だったらなぜわざわざ魔術士ギルドで魔術師をやっているのかしら。
あたしが首をひねっていると、レムがからからと笑いながら疑問に答えてくれた。
「エルのお祖母様が面白い人だったんだよ。わざわざ自分から魔術師ギルドの門戸を叩いて、そこで学んだ魔術の技術をエルに教え込んだ上に、このオークガルデで魔術士ギルドをひらいたんだ。変わり者ってやつさ」
「変わり者だったのは否定しません」
だが、と否定し、エルは続けた。
「けれど、魔術という技術が興味深いのは確かです。それに、オークガルデにおいても人間族の数は多い。確かに頼られる回数は少ないですが、だからといって魔術士ギルドが必要とされていないわけではありません」
きらりと金色の目が鋭い光を放つ。
すくりと体と耳を立たせて、とうとうと語るその姿は子猫の姿だというのに、どこか知恵深き賢者のような佇まいがあった。
「それ故に、私は魔術士ギルドに所属しているのです」
「それだけで魔術師ギルドの長をやってるエルも、たいがい変わり者だと思うけどな」
けらけらと笑いながらエルの背中をなでるレム。その言葉にあたしは内心同意した。
けれど、なすべきことをなそうとするその姿に、内心では見た目でついついお師匠様であるエルを子猫扱いをしてしまっていた自分を恥じた。
失礼なことをしてしまっていたわね、反省しなきゃ。
「やっぱりお師匠様って立派な大人なのね。子猫の姿をしているから、少し疑ってしまっていたけれど、申し訳ないことをしていたわ」
ピタリとレムの笑い声が止まった。
何か変なことを言ってしまったかしら?
おかしなものを見る目で、あたしのことを見つめている。
「なに言ってるんだ?エルはまだ子猫だぞ?あたしよりも年下じゃん」
一瞬頭の中が真っ白になった。
え?けど、だって?どういうことなの!?
「あたしたちのような寿命の長い種族は子供とされる時期もまちまちだぞ。まったく、エルはまだまだ子供だな。まーた、自分は子猫じゃないって言ったのか?懲りないなー、すぐにばれるのに」
呆れたようにつぶやくレム。
ようやく動き出したあたしの頭で絞り出したのは、悲鳴のような声だった。
「ええっ!?やっぱりお師匠様って子猫なの!?」
「レム、余計なことは言わない」
エルはやっぱり気まずいことを問われたかのようにそっぽを向いたのだった。
あたしの反省を返してちょうだい!