第二話 子猫の魔女と魔術士ギルド
樹を掘りぬいてつくられた階段が、螺旋を描いてどこまでも続いている。窓はなく、暗い。ただ、何段か階段を上るごとに、小さな金色の光が足元を照らしてくれている。
魔石だ。魔石を明かり代わりに使っているのだ。なんて贅沢な、とあたしは驚いた。魔石は最下級のものでも、四人家族が一月は食べていけるほどの値段がする。それを ただの明かり代わりに使うなんて、このオークガルデはどれだけ豊かな街なのだろうか。
前を行くのは小さな黒い子猫。エルだ。慣れた調子でどんどんと先に進んでいく足取りは、猫らしく軽快でしなやかだ。
それに反して、必死になって後をついていくあたしは、もはや息も切れ切れだ。
子猫に負けてしまうなんて、体力のない自分が恨めしい。
それにしても、と思う。
「エルは、どうしてあたしが魔術士見習いであることを知っていたのかしら?」
小声であたしはつぶやいた。
疑問に思ったので先ほど聞いてみたが、「あとで教えます」と言ったきり、なにも答えてくれない。
ちょっとくらい教えてくれてもいいと思うのだけれど。けちんぼね。
「ほら、早くついてきてください。そんなに遅いと夜になってしまいますよ」
「い、今行くわ。待っていてちょうだい」
待たせてはいけないと精一杯上へと昇るが、体力の尽きかけた身では全く追いつける気がしない。
「こんなことでこれから暮らしていけるのかしら?」と不安が頭をよぎるが、ここでくじけていてはいけない。オークガルデにやってきたばかりで諦めてたまるか、と気合を入れなおして足を動かす。
これ以上もう歩けない。もう休みたいとなったところで、暗闇に光が差し込んだ。
出口だ。
「わぁ!」
暗闇を抜けた先には驚くべき光景が広がっていた。
森の街とはこういうことなのか。巨大な木々の街では、太い枝が樹の道となり縦横無尽と広がっている。その上をたくさんの人々が往来していく。
人の流れを見てみれば、多くの葉が密集して広がる枝は足場も安定しているのか、人が集まる広場となっている。中には市場が開かれている場所もあり、人のざわめきがこちらにまで聞こえてきそうだ。
そうした日常の光景を、透けた緑の木漏れ日が彩っている。
道行く人々の快活な声が耳を澄まさなくても聞こえてくる。オークガルデは、美しく活気のある街だった。
声も出ないあたしの姿を見て、なうんと一声鳴き、エルは得意げに鼻を高々と上げた。
そういう姿はやはり可愛らしい猫ちゃんだ。
「魔術士ギルドはあちらのうろの大通りにあります。そこの光景を見たら、あなたなら驚きすぎて目が飛び出てしまうかもしれませんね」
尻尾の指す方を見てみれば、そちらにあったのは……。
「あ、あの~……」
「ふむ。どうしましたか?」
「大通りとは言うけれど、あちらにあるのは樹だけだと思うのだけれど……」
そう、そちらにあったのはこのオークガルデの中でも特に大きな樹が一本。逆に言えばそれだけであった。ひときわ大きい樹なので一目には着くが、どこが大通りなのだろうか?
あたしが首をひねっていると、エルは一人うなずいていた。
一人というより、一匹かしらと余計なことを考え始めたのと、「あちらを見てください」とエルが尻尾で指示したのは同時だった。
「あちらのうろの中に人が入っていくのが見えますね?」
「あ、本当ね。確かにいろんな人が入っていくのが見えるわ」
うろの前には道代わりの大きな枝があり、その道をたくさんの人が通っていた。あたしと同じ人間族も多いが、獣人族や土小人の姿もある。
そしてなんと珍しいことに、近場の広場にある露店では美しい森人が店の品を覗いていたり、少し離れたところで看板を出している酒場では竜人が昼間から酒を酌み交わしたりしている。
王都ではめったに見ない。いや、逆に王都だからこそお目にかかれない種族の人々も、この街では普通に入り混じって暮らしていた。
「あのうろの中に大通りがあります」
「ああ、だからうろの大通り」
「はい。魔術士ギルドもそちらにありますよ」
エルはさっさと歩きだした。その後をついていきながら周囲を見回していると、このオークガルデという街がとても不思議な場所だということが分かった。
ツタで編まれた橋やはしごが、蜘蛛の巣の様にそこかしこで交差している。そこを往来する種々様々な人々。
巨大な葉っぱが集まった広場では露店が広がり、その上にある葉が屋根となり日差しを遮っていて、通ると日陰となっているためか涼しかった。
呼び込みの声もまた活気がある。この近辺で採ってきたのだろうか。不思議な色形をした野草や石が、並んでいる露店で野ざらしのまま置かれている。
「この近辺で採れた薬草や魔石を売っているんですよ」とはエルの言だ。
白の塔でも一通り利用価値の高い採取物の本を読んだことはあるが、見たことのない品もまた多い。
先ほどのことも忘れて、いつの間にかあたしは流れていく光景を目で追うことに夢中になっていた。
次第に大通りに近づいているためか、人通りがどんどんと多くなってきている。
先導するエルは器用に人々の足元を潜り抜けている。こういうところはさすがに猫だ。だが、やはり小さな子猫なので、見ていると気づかずに蹴られたり踏まれたりしやしないかとハラハラしてくる。
これはちょっと危険だわ。
「ねえ、エル」
あたしはエルに声をかけた。
エルはなんなんだ?と言いたげに金色の瞳をこちらに向けた。
「良ければ、あたしの肩に乗ってちょうだい。ちょっと危ないわ」
「いいえ。別に問題はありません。この程度、いつものことです」
そう言いながらもエルのすぐそばを、竜人がずしりずしりと大柄な足で踏みしめていく。前からは足元を気にせずおしゃべりしながら歩いていく耳の長い森人の姿。
すぐ近くに落される足を、エルはひらりひらりとうまいこと避けているが、見ている方が恐ろしい。
「見ている方が怖いもの。あたしを安心させると思って乗ってちょうだいな」
「……仕方ないですね」
渋々ではあったが、ひょいひょいとあたしの肩を駆けあがったかと思うと、なにを思ったのかいきなり頭の上へと登り始めた。
爪は立ててないので痛くはないが、髪が乱れる!
「背が高いからあなたの頭に登ると見晴らしが良いですね。これはちょうど良い」
「……気に入ったのならよかったわ」
長く伸ばした金色の髪はあたしの自慢ではあるのだけれど、今や見るも無残に乱れている。
エルは頭の上が気に入ったのか、塩梅が良かったのか、完全にくつろいでいる。少し重いのだけれど、まあいいか。
髪はまた梳かせばいいのだし。
頭の上から時々聞こえてくる「そのまままっすぐ」「その次の通りは右です」といった指示を聞きながら歩いていけば、森の街の中でも特に大きな樹の前に来ていた。
大きな暗い口がぽっかりと開いている。その口の中へと、街の人たちは迷うことなく進んでいく。
中はすごく暗くて、魔物に食べられるような恐ろしい気持ちがわいてくる。少し怖いわ……。
このまま樹の中に入っていけばよいのか迷っていると、「そのまま入っていってください」とエルの声。
暗い洞の中に入っていくのはちょっと恐怖感があったが、街の中で何があるわけでもないしと、足を進めた。
樹の中に入っていくと、先ほどまで太陽のもとにいた暗闇に慣れない目が、周囲を把握するまでにひと時の時間が必要だった。
しかし、それもわずかのこと。少し歩けば、光に照らされ浮かび上がる道が見えた。
金色の光、オークガルデに来た時に見た魔石の光だ。
入り口だけでなく、洞の中の街の明かりにも魔石が使われているのだ。
そしてその光は進めば進むほど強くなっていく。通路を抜けた先、大きな広間に達すれば、そこは光の洪水だった。
金色の光は洞の中で螺旋を描き、街の姿を闇より浮かび上がらせている。階段だ。上へ上へと階段が連なり、その階段を照らす魔石の光が、あたり一面を満点の星空のごとく照らしている。
螺旋の階段には店が立ち並び、人の往来も活発だ。光と闇が織りなす中、呼び込みだけでなく店を目立たせようと、飾りを工夫したり明かりとなる魔石を削って彫刻を施したりしていて、見ているだけでも面白い。
また階段だけでは足りぬとばかりに入り組んだツタの道が、何本も空中で交差している。蜘蛛の巣の様に入り組んだ道の間を飛んでいく人の姿も見える。翼をもつ鳥人だ。
薄暗闇を飛ぶために、かぎ爪のある足首に光る魔石を括り付けている。金色の光が揺れるながら上空から降り、また上へと登っていく様は光の舞のようで美しく、幻想的だ。
「……すごいわ」
思わず感嘆の声がもれた。
世の中にはおとぎ話の類がいろいろとあるが、こんな不思議な光景を書いたものどこにもない。
「魔術士ギルドはあちらですよ」
冷静な声がかけられたのは、あたしがこの光景を堪能しきった時だった。
待っていてくれたのね。けっこう良い子じゃない。
あたしは嬉しくなった。
エルのしっぽが指し示す方向に目を向ければ、あまり目立たない店構えが見えた。
明かりだけは立派だが、彫刻などを施している他のお店と比べると、闇の中で目立つように特に何かしているわけでもなく、いかんせん地味でどうにも目立たない。
たぶんあたしも、教えてもらわなければ気づくことはなかっただろう。
これが魔術士ギルド?
「魔術士の力は強いですが、数は少ない。必然として、ギルドに所属する者の数は少なく、規模は小さいものとなります。辺境ではどこも似たり寄ったりの状況ですよ」
頭の中の疑問の答えが、頭の上から返ってきた。
よく考えていることが分かったわね、と目を見張らせれば「皆さん同じことを言いますから」と、辟易した調子で言う。
「華美な飾りつけは面倒ですし、無意味です。光ももっと抑えた方があたしたちにはちょうど良いのですが、いかんせんこの街でも人間族とか、夜目が効きかない種族も多く住んでいますから。灯りだけは立派なものを用意しないといけないのですよ」
「ああ、猫は夜目が効くものね。灯りはあんまり必要じゃないから……」
「ご明察」
つい口に出したことは、当たっていたようだ。褒められると気分が良いものね。
それにしても、と思う。
このエルという子猫、まるで魔術士ギルドが自分のもののような言い方だ。
もしかしてエルは、魔術士ギルドに属しているのかしら。白の塔でも、幼くとも魔術について学んでいる子はたくさんいたし、その中には魔術の才能が発覚して制御法を学ぶために白の塔に連れてこられた子供もいた。
あたしメアリも後者だ。魔術の才能があるのなら、そういうことがあってもおかしくはない。
そうこうしているうちに、魔術士ギルドの入り口までたどり着いた。
それと同時に、頭の上からとんっと軽い音を立てて子猫が飛び降りる。
黒い子猫が地面に足をつけたとたん、その姿がなんと変化していく!
淡い魔術光に包まれたかと思えば、あっという間もなく、小さな子猫は小柄な黒髪金眼の少女へと変身を遂げた。
ちょっと待って。いったいぜんたいどういうことなの!?
「私は猫妖精ですからね。変化の術くらいお手の物です」
黒い髪を肩口で切りそろえた少女は表情を変えることなく、当然のものを説明する口調で淡々と答えた。
「さて魔術士見習いのメアリ。一般家庭出身のため家名はなし。今後はこのオークガルドで独り立ちを認められる中級の位階を得るまで修行を行う。以上で間違いはないですか?」
「その通りだけれど、どうしてあなたそこまで知っているのか、そろそろ教えてちょうだい」
「これは失礼。申し遅れました」
ぺこりと、小さな頭が下げられる。
猫の時と同じきれいな黒髪がさらりと揺れた。
「私がこの魔術士ギルドの長にして、唯一の所属魔術師、エルカレン・リヴィス・サラザールです。今後ともよろしく」
一瞬耳を疑った。
だって、そういうことなら、つまりこの子が……。
「そう、私があなたのお師匠様、ということになりますね」
「ええ!?あなたのような子供が!?」
「……見た目で判断するのは、人間族の悪い癖ですね。私はもうすでに二十六です。あなたよりもだいぶ年上ですよ」
「うそでしょ!?」
とてもではないが、二十六の大人の女性とは思えない。
人間族に変化したエルの姿は、十一、二くらいの可愛らしい少女にしか見えなかった。猫の姿も子猫相応の大きさだったし、まったく悪い冗談としか思えないわ。
目の前の出来事が信じ切れず、目をしばたかせるあたしの姿を知ってか知らずか、エルは淡々と「本当です」と答えるのだった。