《2》
「帰ってくるなら事前に連絡くらいしろよ、光輝。」
ぶっきらぼうに言い捨てた奈菜の目の前には、1人の男性が立っている。
長浜光輝。アニマル・ファミリーのメンバーで、社交界の情報収集担当。長身の彼は現役のモデルで、センター分けされた金髪メッシュの黒髪が揺れるごとに、そこの空気が浄化されていくような気がする。彼は決して服飾で飾り立てているわけではないのに、彼の周りにはお洒落な雰囲気が漂っている。
「久しぶり、奈菜。僕がいない間寂しくなかった?」
「バカ言うな。でも、ここに来たのがアタシがレモンパイを嫌い始める前で良かったな。」
「それはごめんな。じゃあ、くれるかい?」
「待ってろ。すぐに用意するから。」
奈菜はキッチンに飛び込むと、1分足らずで出てきた。その手には、白い皿に乗った一切れのレモンパイ。
「亜澄を起こすなよ。徹夜してまで仕事してたらしいから、」
「私は起きていますよ。気にしないでください。」
光輝への耳打ちが聞こえていたらしく、亜澄は上体を起こした。目に柔和な光を湛えて仲間の帰りを喜んでいるように見える。が、目の下に隈を作っているので、作られた表情のように見える。
「仕事熱心なのは良いけど、熱中しすぎて睡眠不足になるのはいけないな、亜澄。君の仕事ほど睡眠が必要な仕事はないよ。」
「耳にタコが出来るくらい何度も聞きました。努力はします。」
「結構結構。」
光輝は笑いながら亜澄の肩を叩くと椅子に座り、レモンパイを頬張った。
「これを食べた時に「あぁ、帰ってきたんだなぁ。」って感じるのがルーティーンみたいになってるよ。」
「いつ帰ってきても大丈夫なように毎日レシピも変えずに作ってるんだからな。住人から「飽きた」って言われることもあるんだぜ。感謝しろよ。」
「ありがとな、奈菜。」
奈菜に向かって満面の笑みを浮かべた光輝は懐から水筒を取り出すと、口を付けた。
「光輝さん、奈菜さんに飲み物を頼んだらいかがですか?」
「いや、大丈夫だよ。」
その笑みはさっきのものと違い、張り付いたように見える。
(アタシが淹れる飲み物が信用できないからだろ。)
奈菜が心の中でついた悪態は、光輝光輝には届かない。彼女は、遠い昔に思いを馳せた。
杯江田奈菜、というのは偽名だ。彼女は自分の本名を知らない。幼い頃に親を亡くした彼女は、スラム街で孤独に育った。大人になった彼女は、どの組織にも所属しないフリーランスの殺し屋となって生計を立てていった。顔、年齢、職業さえも分からない依頼人からの連絡を元に、標的をあの世に送り出していた。
ある日の標的になったのは希死念慮を抱いた若い男性だった。彼は自ら殺害されることを依頼したのだと言う。今まで標的の身を思って拳銃を使い、脳幹への一撃で絶命させていた彼女は何を思ったか、ナイフによる刺殺という方法を取った。背中にナイフを突き刺されて倒れた彼に向かって、彼女は質問を投げ掛けた。
「何でアンタは死にたかったんだ?」
彼は、掠れ声で呟いた。
「・・・・・・分からない。」
「じゃあアンタには死ぬ資格はないな。ぶっ刺して致命傷作った後で悪いけど。」
彼女は努めて無感情を装っていた。理解できなかった。疑問符が頭の中で大量発生していた。
(死にたい理由が分からない?何でだよ。今までの依頼人は皆動機ぐらい持ってたのに、何でこいつは自分の事すら理解してないんだ?)
自問自答する彼女に、彼は呟くように話しかけた。それが遺言になることを理解しているのか分からない口調だった。
「・・・・・・君ともっと早く出会っていたら、死ぬ必要も無かったのかもね。」
「アタシと?アタシはしがない殺し屋だ。だからアンタにとってアタシは「悪」なんだぜ。」
「・・・・・・君の、名前は?」
「・・・・・・ない。自分の生い立ちも分からないんだ。」
「・・・・・・君、本当に、ありがとう・・・・・・。僕を苦しみから解放してくれて。」
彼は弱々しい笑みを浮かべ、そのまま息を引き取った。眠るように、心地良さそうに彼は死んだ。
その後も彼女は殺しの仕事を続けたが、心に引っ掛かりを感じていた。死に際に、自分を殺した人間に「ありがとう」なんて言う人が今までいただろうか。殺しから身を引こうと考え始めた時に、彼女はアニマル・ファミリーと衝突した。
依頼人からの情報を元に向かった場所は、町外れの廃ビルだった。場所からして標的が一般人ではないことを悟った彼女は、新しい武器を手にそこに乗り込んだ。
(この依頼を最後に殺しを辞めよう。いや、アタシが標的に殺されるのが先か。)
彼女の不安はほぼ的中した。彼女が用意した新しい武器の作りを、標的が把握してしまっていたのだ。まんまと策略に引っ掛かり、標的のアジトに連れていかれた。そこで、自分の今までの行動を償うことになるだろうと覚悟した。実際は少し事情が違った。
彼女が標的と捉えた、顔立ちの整った青年は「長浜光輝」、武器の構造を把握した白髪の若い女性は「福来鏡」と名乗った。彼らは「アニマル・ファミリー」という白いマフィアだと言う。
「お前、何で光輝を殺そうとした?」
鏡は彼女に冷たい視線を送りながら尋ねた。殺し屋の彼女と言えど、今までに経験したことのない圧だったから、立っているだけで精一杯だった。しかし、無理やり声を絞り出した。
「依頼人の依頼だ。アタシは殺し屋として生きてるから、生きるには殺すしかない。それで金を稼いで生活してるんだ。」
「君の所属は?」
光輝は、努めて明るく質問してきた。
「所属はない。アタシはフリーランスの殺し屋だ。だから、どこかの利益不利益になろうと知ったこっちゃない。」
ぶっきらぼうに言い捨てた彼女の言動に、2人とも押し黙ってしまった。
「来い。」
沈黙を破るように、鏡はおもむろに口を開いた。そして背を向けるとどこかに向かって歩き始めた。
「アニマル・ファミリーのメンバーとして迎える?」
どこかの部屋に連れていかれた彼女は、目の前の2人組から意外な事を告げられた。1人は穏やかそうな老人、もう1人は艶やかな黒髪を束ねてスーツを着ている若い女性。彼らは「アニマル・ファミリー」の最高幹部だと言う。
「ぜひ君を我々の仲間として迎えたい。この要望を受け入れてくれるかね?」
「あなたには拒否権もあります。どうしますか?」
「白いマフィア」、「仲間」、「拒否権」。彼女が頷くのに時間はかからなかった。
その後、「杯江田奈菜」という名前を与えられた彼女は、本拠地のアパートで暮らし始め、そこで不在だった料理人になって毎日料理を作るようになった。時々奈菜の「元殺し屋」という肩書きを知って反発する人もいたが、彼女が美味しい料理を振る舞い始めてからその数は減って、今は1人もいない、ように思えた。
(光輝がここで出された飲み物を口にしようとしないのは、アタシが前に光輝を攻撃しようとしたからだ。アイツはアタシが毒を盛ることを危惧してる。アタシが料理に全力を注ぐことを知ってるから、その裏を疑っているんだ。)
目の前で楽しそうに談笑している亜澄と光輝を見るたびに、アウェーを感じる奈菜は、キッチンに戻ることにした。
「そうでした、奈菜さんに広牙さんからの伝言があります。」
奈菜は見開いた目を2人に向けた。
「住人の皆さんにアンケートを取ったところ、どうやら明後日の夜にピザを食べたいそうなので、作って頂けませんか?」
アパートでは毎月終わりに食べたいメニューのアンケートを取り、それを作ってパーティーをする習慣がある。伝言の内容が平和だったので、安堵の溜め息を付いた奈菜は、材料の買い出しに向かうことにした。




