「アイルズ子爵」
アイルズ子爵は苛立っていた。
皇帝への支援要請で派遣された魔王軍討伐部隊は、確かに強力な戦闘力を持っていた。
現に、最初に突出してきた魔王軍部隊をさほどの損害も無く叩き潰してくれた。
しかしである。
魔王軍討伐部隊が突出部隊を討伐している間に発生したズベーレン領からの魔王軍浸透部隊による領内全面侵攻には全く手出しをせずに撤退した。
領土の線引きと言う目で見れば、アイルズ領の境界に沿って魔王軍の支配領域にすくい取られた形だ。
魔王軍討伐部隊が取り返したはずの突出部分をも含めて。
今回の戦いの結果では、面として魔王軍領域を前進させてしまったので反撃の目が取りずらい。
皇国軍が点で反撃しようとしても、前の敵に加え、両翼の敵からの圧力も受けるため、三方が敵、という状況に成り兼ねない。
反撃には両翼の敵を抑え込み、攻撃部隊を補助する兵力が必要だ。
しかし、魔王軍の浸透攻撃部隊が、防衛の要としていた皇国軍守備大隊とアイルズ常備軍の部隊の大部分に大きな損害を与えた。
戦闘力は半分以下に落ち込んでいる状況だった。
『せめて最初に奪還した突出部は魔王軍討伐部隊で固守してくれていれば、反撃の目に出来たものを』
『そのぐらいの力は持っているだろうに・・・ボーズギア皇子の部隊は消極的すぎる』
アイルズ子爵はそう思っていたが、表立って表明は出来なかった。
皇国の次代皇帝と目されるボーズギア皇子を簡単には批判できない。
『せめてもの救いは魔王軍討伐部隊がまだ前線に居る事』
『守備部隊の再編成と兵力補充まで居てもらうようにボーズギア皇子に進言せねば』
アイルズ子爵はそう考えて、魔王軍討伐部隊に出向き、ボーズギア皇子に面会を求めた。
司令部の天幕にアイルズ子爵が入ると、ボーズギア皇子は笑顔で迎えてくれた。
「やあ、アイルズ殿、あなたの領地も災難だったね」
ボーズギア皇子は他人事のようにアイルズ子爵を慰めた。
その一言にアイルズ子爵は一瞬怒りが沸いた。
『部隊を温存するために撤退しておいて、なんだその言いぐさは!』
しかし、もう十分大人のアイルズ子爵は、その浮かんできた怒りをグッと抑え込んで言った。
「ボーズギア皇子殿下、わがアイルズ領の守備部隊が、此度の戦闘で大損害を受け、現在、防衛力が著しく低下しています」
「つきましては、兵力が充足するまでの間、魔王軍討伐部隊に、アイルズ領の防衛にご協力いただきたく、お願いに参りました」
そう言ってアイルズ子爵は深々と頭を下げた。
「ふむ、そうだね。我が部隊が居れば、これ以上は魔王軍も進出して来ないだろうね」
ボーズギア皇子はアイルズ子爵の葛藤を尻目に、涼しい顔で言った。
ボーズギア皇子自身、正直、アイルズ領の今回の損害の事などあまり気にしていなかった。
だがそれは、共感力も、戦略眼も無い事の裏返しだった。
「いいだろう、我が部隊は、当面、この地に留まって、魔王軍がこれ以上進出出来ないように助力しよう」
ボーズギア皇子はアイルズ子爵の申し出を受け入れた。
「ありがとうございます。補充物資など必要なものが有りましたらお伝えください」
アイルズ子爵はほっとした表情で礼を言った。
ボーズギア皇子はちょっといい事をしたかのように、頷いて応えた。
「それでは、多忙なため、これにて失礼いたします」
そう言うと、アイルズ子爵はさっさと天幕を出て居城への帰還の途に就いた。
『大急ぎで防衛力の動員と、それと、反攻作戦の立案を行わねば』
『魔王軍が支配地域を盤石にする前に』
魔王軍討伐部隊が居るうちに、魔王軍討伐部隊を主力とした反攻作戦を立案し、皇帝に裁可をもらうべく、急いで行動する事にした。




