「浸食」
アイルズ領
そこは、ボーグ・アイルズ子爵が治める、皇国の食糧庫とも言える農業生産が盛んな領地であった。
そして、食料の自給率が高いため、そこに住む民は労働力としての期待から子を産んで損はない、と言われる程、子だくさんな土地柄だった。
この領地で育った子は、基本的に自分の家の農業を手伝うが、お金を稼ぐため領地の常備兵や皇国軍兵として就職する者も多かった。
勇者アリーチェのお付きの兵士であるジェーナもその一人であった。
アイルズ領は、魔物に支配された領地、ズベーレン領と境界を大きく接しているため、魔王軍への警戒態勢がとられていた。
皇国軍から派遣された正規軍1個大隊と、アイルズ領の常備軍4個部隊が広く領地境界に展開していた。
そんなズベーレン領との境界の皇国軍宿営地の1つが、魔王軍の襲撃を受けた。
皇国軍は守備大隊編成で、隷下の6個部隊が各地に分散して駐留警戒して居たが、そのうちの1個部隊約200名の駐留拠点が襲撃を受けたのだった。
敵の戦力はAクラスの魔物であるサーペント2体を先頭に、オーク、コボルド、ゴブリンと言った多種多様な魔物の1000体ほどの混成部隊だった。
部隊指揮官は早々に戦力差を見極めて後退を開始し、人的損害は軽微で済んだが、装備の多くは放棄せざるを得なかった。
備蓄食料も放棄した後退で、これ以上敵が突出してくれば危険であったが、何故か敵は進軍を止めたため、部隊の崩壊は免れた。
そして、突出してきた敵部隊の周囲に残存兵力で薄いながらも警戒線を張り、増援が来るまで敵の動向を警戒する体制を取った。
戦力差を考えれば、ベストな対応を行ったと言って良かった。
この事態に領地を治めるアイルズ子爵は、郷土兵士の動員を行うと共に、皇帝に救援を求めた。
皇国首脳部はこの事態に再編成が完了した魔王軍討伐部隊の派遣を決めた。
アイルズ領にが魔物が出没するようになることで、食糧生産に陰りが出ることを恐れていたためだ。
派遣決定から4日後、魔王軍討伐部隊が到着した。
魔王軍討伐部隊の司令官ボーズギア皇子は、当初観測された敵の規模を聞いて余裕の態度を見せていた。
「魔物の数はともかく、主力が大蛇が数体では、我が部隊相手では、鎧袖一触で敵は逃げ出すでしょう」
アイルズ子爵と挨拶を交わしたとき、自信のほどを語って見せていた。
魔王軍討伐部隊が突出した敵部隊の前に布陣した時、敵の作戦は開始された。
領地の境界線の複数個所から、敵の強力な小部隊が侵攻しだしたのだ。
境界線を防衛していた皇国軍守備大隊の各部隊、アイルズ常備軍部隊も侵入を食い止めようと奮戦した。
しかし、敵の小部隊には、それぞれ単体で強力な戦力を持つユニットを中心に編成されていた。
Sクラスの魔物や、戦士級ミノタウロスであったりが、必ず1体は組み込まれていた。
これでは、並みの兵士では太刀打ちできない。
騎士級の兵士がいる部隊はある程度抵抗していたが、1つ、また1つ、と部隊は殲滅されていった。
そして守備する部隊の数が減るほど、敵は手の空いた戦力を集結させて、守備部隊をすりつぶしていった。
魔王軍討伐部隊が戦いを終えるころには、アイルズ領の境界線が全面に渡って魔物部隊に突破されていた。
そして、逆に突出した形となった魔王軍討伐部隊を敵は包囲する姿勢に転じた。
最初の魔王軍部隊の突出侵攻は罠だったのだ。
魔王軍討伐部隊をおびき出し、狙い撃つための・・・
しかしボーズギア皇子の判断は素早かった。
包囲を意図するという情報を耳にするや、白虎支隊を右翼、黒龍支隊を左翼に展開させ、部隊を防御しつつ撤退してしまったのだ。
ある意味、前回の戦いの戦訓を生かした形となったのであろう。
この撤退スピードには魔王軍の包囲も追いつかず、結局、魔王軍討伐部隊はほぼ無傷で撤退に成功した。
しかし、皇国首脳部が意図した根本的な目的は達成できなかった。
アイルズ領は、国土の10%ほどを魔王軍に浸食された状態となり、防衛のために領民をさらに動員しないといけない状況となった。
これでは、落ち着いて食糧生産もできなくなるだろう。
来年の食糧価格は高騰するだろうことは、誰の間から見ても明らかだった。




