商店街にて
篠宮邸に越してきて二日目の朝が来た。
眠い眼を擦りながら意識を覚醒させると、中庭から朝日が差し込んでいるのに気付く。鳥の囀りも聞こえて来る。
あの後すぐに寝入ってしまったようだと体を起こす。
廊下に出ると、時雨さんが朝餉の準備をしてくれているのだろう。味噌の香りと何かを焼く匂いがする。
まだ少し回らない頭で居間に入ると、時雨さんがテーブルにおかずを並べている最中だった。
「おや、坊おはよう」
「おはようございます。俺も手伝いますよ」
挨拶を返し、まだ並べられていない料理を調理場から持って来る。時雨さんはそれを受け取り、俺に笑い掛けてくる。
「ありがとう、でも坊は起きたばかりだろう。準備は私がするから座ってて良いよ」
ありがたいが申し訳ないな、入り口側の席に座りそう思う。
それから数分だろうか、準備を終えた時雨さんが戻ってきてから頂く。
朝食は焼き魚と卵焼き、そして豆腐の味噌汁だった。ザ・日本の朝食であるそのラインナップには思わず感動してしまう。焼き魚の隣には大根おろしが乗っている。
雑談と共に朝食を平らげた後、時雨さんの洗い物の手伝いをしている最中。
「坊、今日の予定はあるのかい?」
「商店街に行こうと思ってます。明日から学校なので、道具を揃えないと」
不意に時雨さんが俺に視線を向ける。そう、昨日荷物を確かめていたらどうにも文房具に不足があるように感じた。
なので今日は、散策を兼ねて商店街にまた出かけようと考えていたのだ。
「ふむ、街か…」
「どうかしたんですか?」
「いや、今日は少し外に出る用事があったからね。一緒には行けそうにないんだ」
時雨さんはそう言いながら首を捻っている。
そんな過保護しなくても、もう高校生だし大丈夫だと思うんだけどな…。
曖昧に笑いながら時雨さんを見ると、彼は眉間に皺を作り何事か考えている。
「よし、坊ちょっと待ってなさい」
それは洗い物が終わった直後だった。
洗い物が終わらせ時雨さんはどこかに行ってしまった、と思ったら数分もしないうちに戻ってくる。
見ると、手には何かが握られている。青みがかった銀色の石の首飾り?のような物。
時雨さんそれを俺の首から下げながらこう続ける。
「いいかい、坊。出歩いている最中にもし何かあったらこれを握りしめなさい」
「えっと、あの…え?」
どういう事かと、不意に告げられた言葉に固まる。
真剣な眼差しで俺を見据えながら、時雨さんが言葉を続ける。
「良いかい、コレを決して手放してはいけないよ」
「分かりました…」
そう返すことしかできない俺を見ながら、時雨さんは先程の表情を崩し一転してほのほのと笑う。右手で俺の頭を撫でながら。
「何、そんな深く考える事でもない。ただのお守りだからね」
そう口にする時雨さんを見て、俺はついさっき思った言葉を心の中で飲み込んだ。
真剣な表情をする彼が、一瞬だけ別のナニカに感じたなんて言えなかったのだ。
◇
身支度をしている間に先に時雨さんが外に出る。どうやら今日も変わらずあの和服で行くようだ。
俺も自分の支度を終わらせ時雨さんから渡された鍵で扉を施錠し、坂を下る。
外は昨日と同じ陽気で麗らかな日和だ。遠くの山では鳥の鳴き声が響き、風にそよぐ木々の葉音は穏やかな心地にさせてくれる。
周囲には変わらず草木が生い茂り、所々に桜や桃の花が咲いている。風に誘われた花の匂いを感じていると、いつの間にか街についていた。
昨日よりも人が多いように感じる。
見れば俺と同年代程の若者達も多いように見える。明日の入学に備え、やはり準備をしているのだろう。
「取り敢えず、シャー芯と予備の消しゴム。後は、色ペンとかも必要かな」
家を出る前に書いたメモを確認し店を探すことにする。
文房具などはどこに売ってるんだろう、流石に文具店とかあるかな。
そういえば、商店街以外はまだあまり見回ってなかったなとワクワクしながら街を散策する事に。
「こっちは電気屋で、こっちは…古本屋か」
見ればあまり広くない掃除機や時計を扱う店、扉が開き中の本が見えている少し薄暗い本屋、奥には神社のような建物も見える。
歩く事数分、どうやら文具屋を見つけたらしい。本屋と併設された小さ目の店内では、右に多くの本が並び左の棚に僅かばかりに文房具が置かれている。
店員はカウンターに座り居眠りをしている初老の男性だけのようだ。中に入り目当ての商品を選んでいると、いつの間にか店員さんがこちらを見つめてくる。
「ここで文房具を買うなんて珍しいねぇ」
「珍しいんですか?」
「最近隣町にスーパーが出来たから、皆そっちで買ってるねぇ」
店員さんと世間話をしながら、会計をして貰う。
成程、確かに少しでも品ぞろえの良い店が出来たらそっちの方で買い物をしてしまう物なのだろう。
出した財布をしまい商品を袋に入れてもらう。
「坊やは見ない子だけど、最近引っ越してきたのかい?」
「ええ、昨日から祖母の家に…」
「ああ、キミが綾子さんのお孫さんかい」
驚きながら顔を上げる。そんなすぐにわかる物なのかと店員さんを見ると彼は皺の深い顔で笑う。
「小さい町だからねぇ、噂はすぐ広がるさ。僕らも綾子さんには世話になってたからね」
聞くと、どうやら祖母はこの町では顔の効いた拝み屋のような事をしていたそうだ。そこそこ名が知れており他県からも相談に来る人がいたとかいないとか。
そんな話聞いた事が無かったな、と思っていると店員さんがカウンターの下から駄菓子を取り出した。
「ほれ、オマケだよ」
「あ、ありがとうございます」
思わず受け取ると、どうやら棒状のチョコ菓子のようだ。好物なので少し嬉しいとポケットにしまう。
「少し不便ではあるが自然が綺麗な町だからね、ゆっくりしていきなさい」
変わらず皺の深い笑顔を湛え、歓迎してくれた店員さんに礼を言い店を後にする。
やっぱりこういう田舎は人との繋がりに温かさを感じるな。
買う物も買い終え、まだ時間が余ってしまったとスマホを見ていると、不意に視界の端を横切る何かに気が付いた。
「え?」
反射的に目で追ってしまい、俺は驚いた。
其処には二匹のデカい毛玉がいた。
片方は黄金色に染まった体毛と赤い炎のような尾を振り此方を見つめ、もう片方は白銀色で青い炎のような尾をくねらせている。
そして、在ろう事かその二匹は宙に浮いているのだ。そう、ジャンプとかではなく浮いてる。
二匹は俺の方に近寄り、何かに気付いたかのように目を輝かせた。
「キュー!」
「キュクルッ」
そして次の瞬間、俺に強烈な突撃を見舞ってきたのだった。
この出逢いが発端となり、俺…篠宮隆志の不可思議で愉快な日常が幕を開けたのだとは、この時はまだ気付いていなかった。