微睡みの淵にて
千年桜を見終わり、俺達は夕陽の沈む頃合いに家に帰ってきた。夕食に昼間頂いたブロック肉を切り分け食べた後、何をしていようかと居間で座っていると家の呼び鈴が鳴る。
「宅配便でーす」
「あ、はーい」
どうやら荷物が到着したようだと玄関まで歩を急がせる。
生憎そこまで私物は持ち込んでいない為、荷物の運び込み事態はスムーズに終わった。
大きな段ボールと小さな段ボール一つずつだな。
確認のサインをして、さあどこに運ぼうかと思っていた時、時雨さんが台所から声を掛けてきた。
「お、荷物届いたかい」
「はい。それで、どこに運ぼうかと思って」
「ああ、まだ坊の部屋に案内してなかったもんね」
そう、すっかり忘れていたが自分の部屋を聞いてなかったのだ。
洗い物を片付け終わった時雨さんが台所から現れ、ほのほの笑う。
「それじゃあ荷物を坊の部屋に運ぼうか」
言うと時雨さんは、段ボールの中でも一番大きそうな箱を持ち上げる。大きさも合わさり結構な重さのはずだが、時雨さんはまるで気にならないかのように歩き出した。
俺も急いで手ごろな荷物を持ち後に続く。
少し歩いた先、畳の部屋に時雨さんが段ボールを下ろす。
どうやら和室のようだ。
大きさは大体8畳程だろうか。ガラスから外を見ると月明かりが光る中庭が一望できる。
「ここが坊の部屋だよ」
広い部屋には布団と少し大きめのテーブル、それと座布団が置かれており、全く埃の匂いを感じない。どうやら時雨さんは掃除にも余念がないらしい。
一人寝るには少し広いだろう。その部屋は多少の寂しさと懐かしさを感じる。そんな思いが伝わったのだろうか時雨さんが口を開いた。
「まだ坊達がここで暮らしていた時に使っていた部屋だからね。ほら、あの柱の所に背比べの後もある」
見ると奥の柱には二、三本の線が横に引かれている。上には俺の名前が彫られており、確かな時間の流れが刻まれていた。
本当に俺は昔ここで暮らしていたんだと、なんだか少し嬉しくなっていると時雨さんがこちらに視線を向ける。
「この部屋は坊の部屋だから、好きに使っていいよ」
「はい、ありがとうございます」
首を一つ動かし、返事を返す。
とはいっても、置く物も余りなく必要最低限の物しかもってきていないんだよな。
取り敢えず、段ボールから自分の服やその他必需品、娯楽用の小説を取り出し時雨さんに手伝って貰いながら部屋の中に配置する。
どれ位時間が立っただろうか。粗方片付いた様子を見ながらふと時計を見ると針の短針が10時を向いていた。
結構時間が掛ってしまったようだと時雨さんの方を見ると、いつの間にか布団を敷いてくれているようだった。
「時雨さんすみません、こんな時間まで突き合わせてしまって…」
「何、気にしなくていいよ。私も時間が余っていたからね」
時雨さんの笑顔に後光が差しているように見える。思わず拝んでしまいそうになるのを抑え、今日は解散の運びとなった。
折角風呂に入ったのに、汗を掻いてしまったが部屋が片付いたので良しとする。
寝る支度を済ませ、自分の部屋に戻ろうと足を進めていると中庭の方に人影が見える。
「あれ、誰だろう」
目を凝らすと時雨さんのようだ。こんな時間にどこへ行くのかとも思ったが、管理人さんなら最後の見回りでもするのかと思いなおし自分の部屋に入る。
敷いてある布団に入り、目を瞑ると疲れが溜まっていたのかすぐに眠気が襲ってきた。畳の匂いと合わさり眠りの中に落ちようとしていた時、外の方から声が聞こえて来る。
『お前達、…匂いを…て山の…ら出て…んだね?』
『全く、まだ坊は…を取り…いないんだから怖らせては…ないよ』
時雨さんの声だ。落ち着く低い声で誰かに語り掛けている。
なんだろうと思っても、眠くて体が動かせない。
『坊を守る事が私と綾子の最後の約束だからね。お前達も、もし坊に危険が迫った時は教えておくれ』
睡魔に落ちていく中で最後に聞いた声だけが何故か鮮明に残った。