その令嬢は、観察日記をつけている
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(きゃぁーーーっ!!テオドール様がフィリップの肩に手をまわして、耳元で何か囁いた!あぁ、フィリップったら真っ赤になって!ねぇ、何言われたの?お願いだから教えてぇ!!えっ、何あの子、危ないわね。あんな勢いで走ってきたら、二人にぶつかっちゃうじゃない!あら、さりげなく風魔法でスルーしたわ。あれはきっとフィリップの仕業ね。さすがだわ。でも、最近二人に突進する女の子が多いような?はっ、今度はテオドール様ったら、髪の毛をツンツン引っ張ってる!!)
カリカリカリカリ・・・
ここ最近、クレイズ子爵令嬢アネットの意識は、二人の人物の行動に集中していた。彼女の幼馴染であるフォッカー伯爵家のフィリップと、ヘルモント公爵家のテオドール。この二人、前から友人同士ではあったが、最近特に仲が良いのだ。それも、見ている方がドギマギするほど。
もしかして《烈愛》系かもしれないと思ったアネットは、湧き上がる興味を抑えきれずに観察日記をつけることにした。そのため二人を見かけたら、できるだけ詳細にメモを取っている。
ただ、その行動をすべて記すのは難しいので、名前はイニシャルで、行動は記号や矢印で書いて、後で文章に起こしているのだが、離れている場所からの観察のため、何を話しているのか皆目判らないのが最大の問題点だった。
(前に一度フォッカー邸まで出向いてフィリップに問い質してみたけれど、真っ赤になるだけで、何も教えてくれなかったし…)
カリカリカリカリ・・・手は休める事無く動かし続ける。
(あぁ、それにしてもいったい何を話しているんだろう?うぅ、気になる…いっそフィリップに録音の魔法石でも持たせようか?でも、何のためと聞かれたら、どう言い訳すればいいか判らないし…あっ、さっきの女の子のように二人の間に突っ込んだら、会話の一端でも聞けるかも?はっ!もしや、あの子達は同志では?なら、ぜひお友達に…)
カリカリカリカリ・・・そんな事を考えながらも、アネットの手が動きを止める事は無かった。
(新種のオートマタ…)
目の前の光景に、マルグリート・ドレント侯爵令嬢の頭には、そんな言葉が過った。
彼女の前に座る友人は、顔をあげたまま瞬きもせず、首を右から左にゆっくりと動かしながらも、手は休むことなくカリカリと何かを書き列ねている。テーブルのこちら側から見ても判読不可能なそれは、おそらく筆記した当人だけに判る記号か何かだろう。
その視線の先に居るのは二人の男性。一人は長身で青味がかった銀髪に紫の瞳をしており、少し小柄なもう一人は、赤味がかった金髪に緑の瞳で、どちらも整った容姿をしている。そんな二人が肩を組み歩く様を、食い入るように見つめるアネットの手は、まるで何かに憑りつかれたように動き続けていた。
しかし、友人の首がフクロウもかくやと思われる状態まできたので、さすがに首を痛めないか心配になり、声をかけることした。
「アネット様?」
「あ、えっと、マルグリート様、申し訳ありません。何か仰いましたか?」
「熱心にご覧になっていたようですが、もしかしてフォッカー様ですか?」
「えっ、あっ、そうです!フィリップとテオドール様って最近すごく仲が良いのが気になって仕方なくて。なんか怪しいですよね、あの二人って!あぁっ、すいません。テオドール様はマルグリート様の婚約者なのに…」
そう、テオドールは目の前に座るマルグリートの婚約者で、聞くところによると二人の仲は良好らしい。
(なのに実は私がフィリップとの《烈愛》を妄想しているなんて、絶対言えない!)
「気になさらなくてよろしいですわ。それにフォッカー様には感謝しているのです。彼のお蔭で煩わしい思いをせずに済んでおりますので」
「それはどういう?」
「実は、こちらですの」
そう言ってマルグリートが取り出したのは、一冊の本だった。
「これは?」
「最近、巷で流行っているみたいなのですが、どうやらこの本のせいで、勘違いされている方達がおられるみたいで」
その本のタイトルは『真実の愛は突然に!』で、サブタイトルとして『意地悪なんかに負けません!元庶民令嬢の恋の下克上!』と書かれている。
「内容はまぁ、簡単に言うと『親の再婚で貴族になった元庶民の女の子が、入学した学園で公爵令息と恋に落ちるが、彼には嫉妬深い婚約者がいて、元庶民令嬢は意地悪されたり、ひどいことを言われたりする。それを知った公爵令息が婚約者を断罪、元庶民令嬢とハッピーエンドを迎える』お話ですの。因みに公爵令息は《ランドール・ベルフィア》という名で、銀髪で紫の瞳、ヒロインは≪エリアナ・ボーン≫という名で、庶民に多い茶色の髪と瞳という設定ですわ」
「あーっ、なんとなく判ってきました。この話を現実と混同した子が出て来たんですね?」
「ええ、しかも複数」
「はっ?一人ではなく?」
「えぇ。先日テオドール様にお聞きしたところ、物語を真似て彼の前で転ぶ令嬢が一番多く、すでに八名。次にぶつかって来ようとする令嬢が六名、先ほどの方も含めれば七名ですわね。皆さん下位貴族の方や平民の方達なのですが、中でも特にひどいのがエルス・ボガート男爵令嬢という方で…」
「⦅なんだ。さっきの子は同志じゃなかったんだ…⦆名前、ちょっとヒロインと似てますね」
「しかも境遇もよく似ているらしく、そのこともあって、どうやら完全にご自分の事だと思われているようですの。先日なんて、校舎から出たところを待ち伏せされていたと、テオドール様が…」
この国の王立学園は校舎が男女別々になっており、ダンスや錬金術、魔術講習など特別教室のみが共用となっている。そのため男女の校舎はそれなりに離れているのだが、そこをわざわざ待ち伏せしていたとなると、並々ならぬ執念と行動力だ。
「でも、風魔法が得意なフォッカー様が側にいてくださるおかげで、何とかやり過ごすことが出来ているそうですの。おかげで、わたくしも≪意地悪で嫉妬深い婚約者≫にされずに済んでおりますし」
「へぇ、フィリップも意外と役に立っているんですね」
「えぇ、ですから、これからもフォッカー様にはテオドール様の側に居ていただけたら、ありがたいですわ」
そう言って、うふふと笑う友人の顔を見ながら、
(これは、もしかして婚約者公認カップルの誕生!?)
と思ってしまったアネットは、少しばかり良心の呵責を感じていた。
◇*◇*◇*◇*◇*◇*◇*
(ふぅ、それにしても一昨日のガゼボのシーンはほんと素敵だったなぁ。心配気味に覗き込むテオドール様と、彼に顎を掴まれ、涙を流すフィリップ…
『ぼくの気持ちはそんなに君を困らせている?』『そんなことは…でも、先輩には婚約者が…』『今、僕は君といるんだ。他の人の話はしないでくれ…』
いや、それよりも、
『いつになったら僕の想いに応えてくれるんだ?』『先輩、僕、まだ心の準備が…』の方が…)
その日も日課である記号から文章への書き起こしをしながら、アネットは妄想を膨らましていた。ちなみに、彼女の妄想がたっぷり盛り込まれた観察日記は、すでに五冊目に突入している。
そこに侍女が、なにやら分厚い封筒を手に入って来た。
「お嬢様、お手紙が届いております」
「まぁ、ブローウェル先生からだわ!返事が来たのね!」
【烈愛シリーズ】。その本との出会いは、アネットには運命の導きに思えた。
半年ほど前、馴染みの書店でたまたま手に取ったその本は、背中合わせに立つ男性二人のシルエットが表紙で、一見男同士の友情物語に見えた。しかし読んでみると、実はそれ以上の感情の機微を丁寧に描いてあり、
(まさか男性同士でこのようなお話があるとは…ああ、なんだかイケナイものを見ているような、そんな背徳感も相まって…どうしよう、ドキドキが止まらない!!)
それからというもの、彼女の思考と情熱は全てそっち方面に向き、出ているシリーズは全て読破し、熱心なファンレターを送るまでになっていた。
特にお気に入りは、ロレッタ・ブローウェル先生の騎士育成学校を舞台とした『僕と先輩の危ない○○』シリーズで、最新刊の『危ない課外授業』では、それまですれ違いぎみだった主人公のエドとライ先輩が、ついに互いの気持ちを確かめ合い、口付けをかわした直後に邪魔が入って終わったので、続きが気になって仕方がない。
その憧れのブローウェル先生にファンレターを出した際、自分も小説を書いていると記したら、是非一度読んでみたいと書かれた返事が来たので、厚かましいとは思いながらも、十日ほど前に自作の小説の一部を送っており、その返事が来たのだ。
ドキドキしながら読む。その内容は、文章力はまだまだ拙い部分が多いけれど、行動の描写は申し分ないので、もし可能ならば今の公爵令息七、伯爵令息三の好意バランスを逆にした方が面白い物に仕上がると思われます。なので、一度それで書いてみられてはどうでしょうかというアドバイスだった。
(そうなんだ。うーん、とりあえず、一度書いてみようかな…)
これまで書き溜めていた観察日記を取り出して考える。アネットの小説のモデルはもちろんフィリップとテオドールだ。当然ながら小説にする際には名前は変えているし、舞台も架空の国の騎士学校にしてある。
(とりあえず一昨日のガゼボのシーンで書いてみようかしら?なら、フィリップがテオドール様に想いを告白する場面にするべきよね、やっぱり)
そう思った瞬間、胸の辺りがツキンと痛んだが、それを無視して書き始める。
実在、指摘されたパターンで書いた原稿の方が面白くなったため、胸に居座るモヤモヤを、アネットは無視することにした。
◇*◇*◇*◇*◇*◇*◇*
「あーーーもうっ、なんで上手くいかないのよ!」
自室の真ん中で叫んだエルスは、テーブルの上に置いている本を見て、思わず唇を噛んだ。『真実の愛は突然に!意地悪なんかに負けません!元庶民の令嬢の恋の下克上!』。あの本を読んだ瞬間、これは自分の事を書いた予言の物語だと思った。
境遇も名前も見た目もほとんど同じだし、編入した学園には、同じく本に出てくるランドールにソックリのテオドールがいたのだから、これはもう確定だ、私と彼は恋に落ちる運命なんだと確信した。
なのに、一向に彼と仲良くなれないのは、あのフィリップとかいう伯爵令息のせいとしか、思えなかった。
「あの男がテオドール様とお近づきになるきっかけを全て潰してくれるせいで、本来なら私に嫌がらせをするはずの侯爵令嬢も、何もしてこないし!これじゃあ話が進まないわ!」
何とかしてあの男を排除したいが、その方法が判らなかった。そもそも男女で校舎が分けられている上に、選択授業でも接点がないため、物語のように嫌がらせを受けていると言っても、誰も信じてくれないだろう。
(何か弱味を掴んで脅す?でも、どうやって?うちには伯爵家の弱味を探るほどの権力もお金も無さそうだもの。あるのは私の可愛らしさだけ…いや、それより今は、『花祭り』の準備が先よ!)
春の二月の最終日に行われる『花祭り』では、その時期が花の盛りで、祭りのシンボルでもあるネモフィラの花にちなみ、参加者は老若男女問わず水色の物を身に着けるのが慣習になっている。そして本の中では【花祭りの一週間前、街で偶然会ったヒロインに、公爵令息が水色のワンピースを贈る】というシーンがあるのだが、その日が今から三日後の安息日にあたるのだ。
メイン通りにある高級ブティックのショーウインドウに、本に書かれているのとソックリのワンピースが飾られている事は、すでに確認済みで、あとは当日水色のリボンを着けて出会うのを待つだけだ。しかし、まったく親しくなれていない今の状況では、テオドールの興味を引くことはできないだろうから、彼女は一計を案じる事にしていた。
庶民の女性達は大抵が三センチから五センチ幅のリボンを頭に結ぶのだが、エルスは水色の布を買ってきて、幅十五センチもある大きなリボンを作って頭に飾ることにしたのだ。しかし、初めての裁縫のためか中々上手くいかず、すでに二つ失敗している。仕方がないので、今日からは母に手伝ってもらって作ることになっていた。
「今度こそは成功させなくっちゃ。そして、このリボンを着けた私は、絶対目立つはずよ!」
◇*◇*◇*◇*◇*◇*◇*
カリカリ、カリカリ・・・
今日もいつも通りに記録を取り続けているアネットだったが、ブローウェル先生の助言に従って、フィリップがテオドールに想いを寄せている方向で脳内妄想をしていると、これまでのようにはしゃぐような高揚感が生まれなくなっていることに気づいていた。
それどころか、近すぎる二人の姿を見て胸のあたりがチクチクと痛むのだから質が悪い。そのせいでマルグリートからは、どこか具合が悪いのではないかと心配までされる始末だ。
(フィリップが言い寄られている分には良いのに、彼が言い寄っていると考えるだけで胸が痛むって…これって、やっぱりあれよね…認めたくないけど、すごーっく認めたくないけど、嫉妬ってやつよね。…あぁ、もう、何でこんな形で気づくんだろう…)
フィリップとは、ずっと仲の良い幼馴染ではあったものの、アネットは彼を異性として意識したことは無いつもりだった。だから、テオドールとの烈愛妄想だって、楽しんでいられたのだ。なのに、まさかほんのちょっと視点を変えただけで、これほどまでに胸が痛むとは思いもよらなかった。
何せ、昨日までは二人の距離が近ければ近いほど盛り上がっていたのに、今日は近すぎると腹を立てているのだから、人の心とは勝手なものだ。
しかし、それでも観察をやめる気にはなれないのは、気づいたばかりの恋心よりも、『烈愛』熱のほうが幾分か勝っているからなのかもしれない、などと考えながら、口元が少しへの字に曲がった自分の表情には気づかないまま、アネットは手を動かし続けた。
当然ながら、目の前の友人の瞳が楽しげに細められていることにも、気づくことはなかった。
◇*◇*◇*◇*◇*◇*◇*
安息日当日。
エルスは朝から張り切って、とっておきのワンピースを着て、今日のために準備していたリボンを飾り付けた。幅十五センチ、長さ六十センチのリボンは、髪に直に結ぶと重さでずり下がって来るので、蝶結びの形に整えてから三本のピンで頭に留め付けなくてはならなかったが、その出来は想像以上だった。
歩くたびにふわふわと上下に揺れるそれは注目の的で、わざわざ振り返って見てくる人もいるくらいだ。
(これなら絶対テオドール様も、私に注目するわ!)
そう意気込んでブティックの側まで来るが、その周りにはやたらと水色のリボンを着けた少女達が集まっていた。しかも全員が茶色い髪と瞳をしている。ざっと数えただけで二十人以上は居そうな水色リボンの少女達は、こぞってブティックのウインドウを見ながら、その首をかしげていた。
(何これ…もしかして、全員『真実の愛は突然に!』の真似をした、テオドール様狙いの子達なの??でもお生憎さま!本当のヒロインは私に決まってるわ!)
さらに気合を入れたエリスがブティックの前に着くと、そのウインドウに昨日まで飾られていたワンピースが無くなっていていて、まったく別のワンピースが飾られていることに気が付いた。
「えっ、どういうこと?私のワンピースはどこに行ったの!?」
エリスが大声で叫んだその時、ブティックの扉が開いた。中から出てきたのはテオドールで、なんと彼は、例のワンピースを着た婚約者をエスコートしている。
「「「「「「何で婚約者がそれを着ているの!!」」」」」
水色のリボンを着けている女の子達が同時に叫ぶ。もちろんエルスもだ。店の前を埋め尽くす水色リボンの集団と、彼女達によって発せられた大声に一瞬怯んだテオドールだったが、
「なんでって、俺が贈ったからに決まっているだろう。大事な婚約者であるマルグリートのために、俺がわざわざデザインから生地まで指定して、仕立てさせたワンピースなんだから」
その言葉を聞いた水色リボンの集団の騒めきは、一層高まった。
「「わざわざ仕立てたって…」」 「「不仲じゃないの?」」 「「せっかく本のとおりにリボンを着けてきたのに」」 「「だって、親が勝手に決めた政略の婚約なんでしょう?」」 「「でも、違うみたいよ?」」
「さっきから、いったい何の話をしている?」
「「「「「だって、この本には…」」」」」
そう言った少女達の手には、こぞって『真実の愛は突然に!』が握られている。
「そうよ!この本は予言書で、私がヒロインのはずなのに!なのに、何でこうなるの!おかしいわ。なんであなたは私に恋しないのよ!何でそっちの婚約者は私をいじめないのよ!」
そう叫ぶエルスをはじめとして、水色リボンの女の子達は全員怒りをはらんだ困惑の目でテオドールを見ているが、彼は婚約者の肩を抱き、俺は浮気なんかしないよと囁きながら、その手に口付けると、水色リボンの集団に向き合った。
「先ず聞くが、なんで小説が預言書になるんだ?物語は物語でしか無いだろうに。俺に言わせれば、物語と現実の区別もつかないなんて、頭の中に虫でも飼っているとしか思えない!
それと、そこのでかいリボンの女!私がヒロインだとか言っていたが、ここにはそう思っている人間が二十人以上いるみたいだぞ?そんなバカげた預言書なんて、有るわけ無いのが判らないのか?!
第一何が『真実の愛』だ!そんなもの、ただの浮気男と略奪女の話だろうが!!」
「「「「「そんな…」」」」」
本の中で優しく愛をささやく公爵令息に憧れ、あわよくば彼と現実に恋に落ちるという夢を見ていた水色リボンの少女達は皆、その夢を当の公爵令息に木っ端みじんに砕かれた為、その場にへなへなと座り込んでしまった。中には泣き出す者もいたが、テオドールとマルグリートの二人は、少し離れた場所に留めてあった馬車に乗り込み、その場を後にした。
「それにしても、ある程度は予測しておりましたが、まさかこれほどの騒ぎになるとは、思いませんでしたわ」
「俺も半信半疑だったが、『脳内お花畑症候群』がこれほど強力なものとは思わなかった…」
それは今から半年ほど前。午後のお茶の席でテオドールが発した言葉が始まりだった。
「なぁ、『脳内お花畑症候群』って知っているか?」
「何ですの?それ」
「定期的に発生する謎の病で、なぜか自分達を物語の登場人物と混同し、問題行動を起こしまくる病だ。しかも、必ずと言って良いほど在学中の王族を中心に発生し、周りにいるもの達を感染に巻き込むという質の悪いもので、前回は今の陛下の弟殿下(すでに廃嫡されている)の時に発生した。この時は≪真実の愛は薔薇のように≫というタイトルの劇の流行がきっかけだったらしいが、宰相と騎士団長の息子が感染に巻き込まれた。そして被害者はそれぞれの婚約者だ」
「思い出しましたわ。確か身に覚えの無い罪で断罪されかけたんでしたわね…あぁ、そういうことですのね」
マルグリートの妹のフィオレンツァと、テオドールの弟リヴィオはそれぞれ王子の婚約者候補と側近候補だ。もし将来彼らが学園に入学した時にこの病が発生すれば、巻き込まれる可能性が非常に高い。
ならば検証してみようということで、二人は適当な恋愛小説を仕立て上げ、『脳内お花畑症候群』の発生実験をすることにしたのだ。
「前回きっかけとなった劇の内容から考えて、こんな感じで良いと思うのですけど、どうかしら?」
それから一週間後、マルグリートがテオドールに見せたのは『真実の愛は突然に!』の原稿だった。
「何でこのバカ男と俺がそっくりなんだ?しかも名前まで似てるし!それになんだ、この女は!普通、相手に婚約者がいた時点で、アウトだろ?!なのに何で浮気が真実の愛に化けるんだ?男も女も頭にウジ虫でもわいてるとしか思えない。もしこれに感化される者が現れたら、『頭にウジ虫沸いた勘違い症候群』に病名を変えた方が良いぞ、絶対!」
というのが、それを読んだテオドールの感想で、
「ある程度現実と似た所がないと、検証にならないでしょ?それに障害がある方が、きっと恋は燃え上がるのよ。おそらくだけど」
というのが、それを一週間で書き上げたマルグリートの意見だったが、二人はマルグリートの叔母であるヘレンドリカ・アーベルス伯爵夫人の知り合いの出版社に話を持っていき、本の出版を依頼することにした。出版費用は一応テオドールが負担したが、売れればその利益はきちんと支払われるという。
「ねえ、もし本が売れて病気が発生した場合、校舎から出たところを狙われたら厄介だから、君が毎日来てくれたら嬉しいんだけ…」
「面倒だから嫌ですわ。それより友人の誰かに頼んで、常に一緒に居るようにしていただいたら?」
「…そうだね。ならフィリップ辺りに頼む事にしよう」
「あら、それは良いかも。きっとアネット様が喜ぶわ!彼女最近、叔母さまとその御友人達が書かれている『烈愛シリーズ』にはまっているみたいだから、貴方とフィリップ様が一緒にいるのを見たら、きっとお二人から目が離せなくなると思うもの!」
「なんだ、その『烈愛シリーズ』て?」
「ふふっ、それはねぇ…」
◇*◇*◇*◇*◇*◇*◇*
「婚約者を蔑ろにする奴は男のクズだ!はい、復唱!」
「「「「婚約者を蔑ろにする奴は男のクズだ!」」」」
「浮気を真実の愛などと美化する奴は、即廃嫡!」
「「「「浮気を真実の愛などと美化する奴は、即廃嫡!」」」」
その日、城の中庭では王子やその側近候補である子息たちの元気な声が響いていた。テオドール達の検証報告を受けた王室の要請により、今日から始まった『脳内お花畑症候群』対応策で、結局は幼いころから徹底的に意識に刷り込むのが一番という結果となり、テオドールが教育係となったためだ。
もちろん彼らの婚約者候補の令嬢達には、マルグリートが教育係として話をしている。
「大事なのは、報告、連絡、相談です。それと、相手は被害者のフリをしてくる可能性が高い上に、貴族社会の常識を知らない、もしくは知らないフリをしてくるから、気を付けてくださいね。
どんな時も一人で悩んだりせず、必ず周りやわたくしに相談するように。何より、浮気はした方が悪いのですから、そうなった場合はこちらから婚約を破棄して、慰謝料をしっかり取れる分だけ取るのが最善です」
「「「「はい!」」」」
可愛らしい声が、こちらも元気に返事をする。それを聞いた少年達が、幾分顔色を悪くしているのを見たテオドールは苦笑した。
(絶対、わざと聞こえるように言ってるな、あれは。まっ、それぐらいでちょうど良いけど。さて、こっちも続けるとするか)
「目の前で、転ぶ女は罠女。はい!」
「「「「目の前で、転ぶ女は罠女!」」」」
「手作りの菓子は疑え、媚薬入り。はい!」
「「「「手作りの菓子は疑え、媚薬入り!」」」」
「婚約者のいる男にやたらと触れてくる女は、はしたない売女だと思え!そんな女にたぶらかされたら、即アウトだからな!!」
「「「「はい!」」」」
もうじき夏が近いことを思わせる青空に、子供達のひときわ元気な声が響き渡った。
◇*◇*◇*◇*◇*◇*◇*
「今日はテオドール様と一緒じゃないんだ。あっ、ここ、良い?」
珍しく一人で学園のカフェにいるフィリップを見つけたアネットは、そう声をかけて、彼の前の席に座った。すぐさまやって来た給仕に紅茶を注文する。
「先日、本がらみの件に片がついたって言ってたからね。ようやく僕もお役御免だよ」
「やっぱり頼まれてたんだ…」
お役御免ということは、もうあんなにくっついた二人を見る事もないということだ。アネットは少しばかり残念に思いながらも、ほっとしていた。そんな彼女の様子をうかがっていたフィリップだが、
「ちなみにアネット、僕は『烈愛系』では無いからね」
彼のその言葉に、運ばれてきた紅茶に砂糖を入れていたアネットの手が止まった。
「えっ、な、なんでフィリップがその事を…」
秘密の趣味がばれていた事に、彼女の顔が赤くなっていく。
「だから、僕を主人公にした『烈愛小説』は書かないでね」
ガチャ!
「なっ、何でそんな事ま…いや、そんな事してないし!!」
さらに追い討ちをかけるような言葉に、アネットは持ち上げかけたティーカップを思わず落としそうになりながらも、必死で否定するが、
「どうだか…」
どうやら、信じてはもらえないようだ。
それもそのはず、実は最近流行りの小説のせいでテオドールの周りで起きている面倒事から、彼をガードするために側にいて欲しいと頼まれた時に、マルグリートが「二人か始終一緒にいたら、アネット様が喜ぶわ」と言い、その理由を教えてくれていたからだ。
彼女の叔母が、実はアネットが贔屓としている作家ロレッタ・ブローウェルだという事や、熱心なファンであるアネットは、≪男同士の烈愛話が大好き≫な事を隠しながらも、現実にお話のような関係の男性達が居ないか、常に周りを気にしているという事、機会があれば自らも同じような小説を書こうとしている事などを説明してくれ、
「だから、絶対あなた達から目が離せなくなるはずよ!」
と言いきった。密にアネットへの恋心を募らせていたフィリップとしては、そのような目で見られるのは本意ではなかったものの、彼女の注目を集めるという言葉に心動かされてしまい、結局は引き受けることにしたのだ。
「そ、それよりも、最近やたらと一緒にいた理由は判ったけれど、テオドール様に何か言われては赤くなっていたでしょう?あれって、いったい何を言われてたの?」
「僕らを見ながら、君がどんな妄想をしているかを想像するように言われてたんだよ」
「そっ、それは確かに恥ずかしいかも…⦅て言うか、観察、妄想してたのがばれてたなんて、私の方が恥ずかしい!⦆。じ、じゃあ、ついでだから聞くけど、ガゼボで涙を流していたのは?」
「ガゼボで?あぁ、突進してくる女の子を風魔法を使って避けたのはいいけど、その時に舞い上がった砂ぼこりが目に入ったから、テオドールが水魔法で洗い流してくれたんだよ」
「えぇー、なんだ、つまらない。あんなにドキドキしたのに、理由を聞いたらごくごく普通の話だなんて。これなら妄想の方がよっぽど楽しいわ…」
「やっぱり僕達で妄想してたんだ…」
フィリップが小さな声で呟いた。
◇*◇*◇*◇*◇*◇*◇*
カリカリカリカリ、カリカリカリカリ・・・
秋の一月も半ばとなった今日も、アネットのオートマタモードは健在だった。ただし観察対象は代わっており、その視線の先に居るのは黒髪で青い瞳の少し気の弱そうな少年と、赤毛で緑の瞳のヤンチャそうな少年だ。
新入生でもあるその二人組は、何処に行くのも一緒なので、アネットの心は≪ついに本物を見つけたかもしれない!!!≫という希望と妄想で溢れている。
カリカリカリカリ、カリカリカリカリ・・・
「黒髪の子はアレッシィ子爵家の次男ベネデットで、赤毛の子はベルニーニ伯爵家の三男ジャンルカ。幼馴染なんだって」
その言葉を聞いた瞬間、アネットの首がグリンとまわり、声のした方に向いた。
「フィリップ、二人の事、知ってるの?」
「うん。少しだけど」
「お願い、それ、もう少し詳しく…」
「いいよ。あぁ、それと一昨日だったかな?ベネデットのほどけかけた靴紐を、ジャンルカが結んであげているのを見たんだよねぇ」
「!!!その話、是非とも詳しく、詳しーーく聞かせて、お願いだから!ねぇ、結んでもらった時どんな顔してた?なんか言ってた?あぁ、本では読んだ事があるけど≪リアル靴紐結び≫、現実で起こるなんて…くぅっ、直に見たかった…」
「じゃぁ、僕の質問に答えてくれたら、知ってることを全部話してあげる」
「何、何でも答える!何でも聞いて!」
「じゃぁ聞くけど、僕はアネットの事が好きだけど、アネットは僕の事をどう思ってるの?」
次の瞬間、音がしそうな勢いで真っ赤になったアネットは、恥ずかしすぎて声も出ず、口をパクパクさせるしかなかった。
(こ、こんなところで…なんてこと聞いてくるのよ、フィリップったら!いや、違う!!今、告白されたのよね?私…そうよね?!だって好きだって…フィリップが私の事を好きって…)
口を開けたり閉じたりしながらも、どんどん赤みを増していく愛しい幼馴染を見ていたフィリップだが、
(しばらく返事はもらえそうもないけど、これって脈ありって事だよね?なら…)
彼女の手を取り、その手のひらに音を立てて口づけた。アネットの顔が更に赤くなっていく。
(あっ、もうダメ。心臓がドキドキし過ぎて、意識が…)
「えっ、アネット?ちょっと、大丈夫?!」
茹でられた海老よりも赤くなったまま、アネットは意識を失ったが、それから二週間後の新聞の社交欄には、フォッカー伯爵家とクレイズ子爵家の婚約が調ったという記事が掲載されていた。
罠女のフレーズが気に入ってしまった挙句、思いついたものです。よろしかったら、こちらもお付き合い下されば、ありがたく思います。
≪恐怖!罠女、ついに現る!≫の巻
「キアーラさま、クレリアさま、お聞きになりして?昨日、≪罠女≫が出たそうですの!」
「まぁ、フィーナ様、罠女って、あの罠女のことですの?ホントに存在したのですか?!」
「ええ、私も話を聞いてびっくりしましたわ。でも、ミラベラ様が実際にご覧になったそうよ!それも、マルティーノ王子の目の前ですっころぶ瞬間を!しかも転ぶ時に殿下の方を見て、笑いながら『キヤッ!』って言ったそうですの!」
「なんて恐ろしい!では、あのセリフも?」
「ええ、もちろんですわ!転んだ後に『てへっ、私ったらドジなんだから』と言って、自分で自分の頭をコツンと叩く仕草までしたそうですの!!」
「きゃぁー、そこまで!?ではその時、もしかすると…舌を?」
「もちろん出していたそうですわ!」
「まぁ、まさに伝説の通りですわね!本当に存在するなんて、思いませんでしたわ!」
「私も!では、それからどうなりましたの?」
「殿下方は言い伝え通りに、一斉に距離を取られて、絶対に目を合わせないようにされたそうですの。その後は騎士の皆様が対処に当たられたそうよ」
「まぁ、でしたら殿下方はご無事でしたのね?」
「ええ、幸いな事に我が国には罠女への対処方が伝わっていましたもの。今ごろは恐らく牢の中ですわ」
「では、もしかして今牢に行けば、あの言葉が…?」
「聞くことができるかもしれませんわね。まぁ、私達がそんな場所に足を踏み入れることはありませんから、実際に聞くことは叶いませんが…」
「…少し、残念ですわね」
「そうですわね。出来れば、聞いてみたかったですわ。罠女のキメゼリフ、
「「「『わたしはヒロインよ!』」」」
その頃、王宮の地下牢では…
「ちょっと、ここから出しなさいよ!わたしはヒロインよ!マルティーノ王子と結婚して、この国の王妃になるんだから! ニコラウス(宰相子息)を、リカルド(騎士団長子息)でも良いわ!連れて来てちょうだい!わたしはヒロインなのよー!」
お粗末様でした