無人の村で
旅の戦士ドライオがその村にたどり着いたのは、日も傾きかけた時刻だった。
静まり返った道を、ドライオは無言で歩いた。
人影は全くなかった。どこの家からも、人の声は聞こえなかった。
やがて、道の先に他の家よりも大きく、立派な屋敷が見えてきた。
小さな村にはそぐわない、豪奢な造りの屋敷だった。
ドライオはためらわずその敷地に入っていく。
そこかしこにべったりと血だまりがあった。
それを見て、ドライオは微かに顔をしかめたが、そのまま開け放たれたままの扉をくぐり、家屋の中に足を踏み入れた。
二つ目の部屋に入ると、がさり、と初めてドライオ以外の者が発する音がした。
部屋の奥に、黒い塊があった。
それが、ドライオが近付くとゆっくりと身体を起こした。
「……ドライオか」
髭面の、熊のような大男だった。身体を動かすと、周りに散乱していた酒の空き瓶がごろごろと転がった。
「そうか。お前が来たのか」
「デルガ」
ドライオは暗い声で言った。
「つまらねえことをしたもんだな。お前ともあろう男が」
ドライオが旅の途中たまたま立ち寄った村に、必死な形相の村人たちが駆け込んできた。
聞けば、隣の村の人間だという。
旅の戦士が報酬のことで村長と揉めて、村長一家を手に掛けた。ほかにも村人が何人も殺された。
必死の形相で訴えるその言葉を、ドライオは無表情で聞くと、その戦士の外見や得物を淡々と尋ねた。
やがて必要なことを聞き終えたドライオは、深い溜息を吐くと、そうか、と一言だけ呟き、その日のうちに村を発った。
旅の戦士を見送る村人たちの目は冷たかった。
「最初から、気に食わなかった」
デルガは、髭の奥の唇を引き攣らせるように歪めた。
「俺を見下しているのが、ありありと分かった。金は出すからさっさと魔物を退治しろ、と」
ドライオは無言でデルガを見つめていた。デルガはまるで言い訳するように続けた。
「それでもまあ、構わなかった。こっちだって貰えるもんが貰えりゃ文句はねえ。だけどよ、命懸けで魔物を仕留めて帰ってきた俺に、あの野郎は何も頼んでねえと抜かしやがった」
デルガは低く笑った。
「俺が勝手に魔物とやり合ったんだとよ。村じゃそんなこと頼んでねえと」
「そうか」
「そんなバカな話があるかよ」
デルガの声が歪んだ。
「誰が好き好んで金ももらわずに命を懸けるんだ。だが、あの村長は国の偉いやつと繋がりがあるようなことを言っていた。ふん、得意げに言ってたぜ」
デルガの髭がぶるぶると震えた。
「それから、ごちゃごちゃ抜かすと、この国で仕事ができないようにしてやる、と凄んできやがった。よりにもよって、この俺に。歴戦の勇士、イルドファル戦役の生き残りの、このデルガにだ」
「だが、いつものお前ならこんなバカな真似はしなかった」
ドライオは穏やかにそう口を挟んだ。
「そうだろ」
「ああ」
デルガは頷いた。
「下らねえ野郎だ、と思った。だが、そんな奴はごまんといる。誰からも相手にされなくなって、魔物に村を潰されちまえばいい。そう思った。それで、俺は出ていこうとしていたんだ。そしたらよ」
デルガの目が、その時のことを思い出したように冷たい光を帯びた。
「奥から女が出てきてよ。野郎の連れ合いだか何だか知らねえが、その女が野郎に輪をかけた冷たい目で俺を見て、それから銅貨を一枚、俺の目の前の地べたに抛ったんだ」
デルガの声が殺気を孕む。
「しつこい野良犬に残飯でもよこすみてえに、銅貨を一枚俺の目の前に投げたんだ。これでも拾ってさっさと出ていけってな。それを見た瞬間、俺は何も分からなくなっちまった」
「そうか」
ドライオは暗い目で頷く。
「だが、子供まで手に掛けたのはやりすぎだったな」
「覚えてねえんだ」
デルガは言った。
「本当だ」
「ああ」
ドライオは頷く。
「そうなんだろうな」
それから、背中に背負っていた戦斧をゆっくりと下ろした。
「どうする。デルガ。出頭するか、それとも」
「俺を誰だと思ってる」
デルガはドライオの言葉を遮った。
「戦うに決まってんだろ」
その手に、分厚い刃の剣が握られていた。
「たとえお前が相手だろうと、やることは一緒だぜ。ドライオ」
デルガの剣にこびりついた血を見て、ドライオは深い息を吐いた。
「そうだな」
ドライオは言った。
「やろう」
暗い室内で、斧と剣がぶつかり合う火花が何度も散った。
デルガは獣のように吼えて力任せに剣を叩きつけ、ドライオの斧はそれを受け止める。
何度も、同じ攻防が繰り返された。
デルガの激しい攻撃に、ドライオは終始押され、防戦一方だった。
剣がかすめ、何度も鮮血が舞った。
だが、それでもドライオの斧はデルガの剣を受け止め続けた。
やがて、デルガが肩で大きく息をし始めた。
雫のような汗が、髭から滴った。
「さあ」
己を鼓舞するように、デルガは叫んだ。
「いくぞ」
デルガが大きく踏み込み、剣を振るった。だが、すでにその斬撃からは速度が失われていた。
その時、ドライオが初めて自分から踏み込んだ。
剣をかいくぐって鋭く振り抜かれた斧が、鈍い音とともにデルガの身体を切り裂いた。
一瞬の後、デルガの巨体は音を立てて崩れ落ちた。
「ドライオ」
床に倒れたデルガは、立ったままで自分を見下ろすドライオの名を呼んだ。
「俺たちはよ。命懸けで、魔物を狩って」
ぜえぜえと末期の息を吐きながら、それでもデルガは訴えるように声を振り絞った。
「狩って、狩って、狩り続けて」
その目が、悲しそうにドライオを見つめる。
「それで最後はこうしてお互いに殺し合うのか。なあ、ドライオ」
ドライオはそれに答えなかった。
「忘れねえよ、お前のことは」
代わりに、ドライオはそう言った。
「戦士デルガ」
「……戦士」
息を吐くようにデルガは言った。
「ああ。そうだったな」
汗まみれの顔を、デルガは微かに綻ばせた。
「そうだ。俺は、戦士だったな」
たった一人、ドライオが家から出てきたときには、無人の村の空に日は沈みかかっていた。
斧を杖代わりに、ドライオはしばらくその場に立ち尽くした。
うつむき、苦しそうに肩で息はしていたが、それでも決して膝は着かなかった。
どれだけの間、そうしていただろうか。
空から残光が消える頃、ドライオはようやく血に塗れた顔を上げると、ゆっくりと無人の村を歩き始めた。




