02 王と刀
19歳の若き王、テオフィデール・ドラド・バルトは執務室で、女が持っていた細い剣のような物をじっと見ていた。
その部屋の中で、召喚時にいた近衛騎士団長のルイス・ファーナ・アルバや、
王宮騎士団長のユーグ・ホセ・リオンヌ 他数名が重苦しい空気の中、テオフィデールの発言を待っている。
そんな中、テオフィデールは、先程の女が気になっていた。
(前に召喚した娘達とは種類が違う女だ。いや、この国のどんな女にも当てはまらない)
そう思いながら、美しく長い黒髪、呑み込まれそうになる漆黒の瞳を思い出していた。
重苦しい雰囲気にたまりかねた、近衛騎士団長のルイスが口を開いた。
「陛下、それは剣でしょうか?」
「そうらしい。先程、食材保存庫に釣り下がっていた牛肉を切ったら、驚くほどよく切れた。こんなに切れ味の鋭い剣は、他にないな」
(それを知っていて、自身の首を切ろうとしたのか。美しい顔に似合わず恐ろしい女だ)
テオフィデールは眉をひそめた。
その時、執務室のドアがノックされ、執事のニコラ・デ・ラ・センダが入ってきた。
ラ・センダ家は代々バルト家に仕える家柄で、ニコラは影の如く、年下のテオフィデールに仕えている人物である。
ニコラは、テオフィデールにそっと耳打ちし一歩下がって、主の返事を待った。
「そうか、わかった」
しばらく考えてから
「目覚めたのなら、ここに連れてこい」
その言葉に、騎士達がざわついた。
「どうした?」
テオフィデールは怪訝な顔で聞いた。
ユーグが説明する。
「以前に召喚された娘が、自分達の顔がいかつくて、怖いと泣かれまして」
特に以前、怖いと泣かれたルイスが
「私はこの部屋を出ていた方が、良いのでは?」
「そこにいろ」
テオフィデールは即座に答えた。
(あの女がこれくらいの事で、泣くわけがない)
テオフィデールはそれに関して妙に自信があった。
マリーは、ニコラについて部屋を出ようとする市に、慌てて顔を近付けて、
「騎士の方々のお顔は、その・・少し怖いお顔立ちをしていますが、あの・・その・・」
言ったきり、後が続かない。
マリー自身も未だに、いかつい顔に慣れていなかったのである。
市は笑って
「大丈夫ですよ」と部屋を出た。
ニコラの後をついて歩いた市だが、すぐに立ち止まった。
(おや? 怖じ気づいたのでしょうか?)
ふうーと息をはく市。
「少しゆっくり歩いて下さいますか。この靴とやらは、とても歩き辛うございます」
ニコラは、市の履いてる高いヒールを見て、微笑みながら頷いた。
(マリーは、随分このお嬢様を着飾る事に張り切ったようだ)
執務室に着くと、ニコラは振り返って市に目で合図した。
市が こくんと 頷くと、ニコラは、ドアをノックした。
ドアが開くと市の前に、濃い灰色の髪に、鮮烈に記憶に残っている緑金色の目をした男が、一番奥に座っていた。
(とても不思議な色だが、美しい目じゃ)
ニコラが市に告げる。
「シェルドナール王国のテオフィデール王です」
(やはり『大将』であったか)
市も自分の国の名前を言おうとしたが、どこにも自分の国と呼べる所はもうないのだと思い直す。
「市と申します」と会釈だけした。
ニコラは、テオフィデールの隣に立っている、40歳半ばの大男を見た。そして、合図のように頷く。
赤髪の大男は、ギクリとした。
そして、大男はいかつい顔を赤らめる。
「私は、近衛騎士団を束ねているルイス・ファーナ・アルバと申します」
緊張した面持ちで言った。
市は、テオフィデールの目に気を取られていたので、この時初めて、大男や他の騎士達に気がついた。
侍女のマリーが、心配してくれていたが、市には無用だった。
(精悍な顔立ちの中に、優しさが滲み出ておる。私の知っておる武将達の方が、ずっと、いかつい顔をしておったの。
ふふふ。
それに比べると、彼らは美丈夫じゃ)
市はにっこり微笑んで、「市と申します。以後お見知り置き下さい」と挨拶を返した。
ルイスも連られて、満面の笑みになった。
それを見た他の騎士達は、ホッとした。
テオフィデールは満足気だった。
執務室のソファーに、テオフィデールと市は、向かい合って座っていた。
市が危険人物ではないと、判断されたのか他には、ニコラだけになっていた。
「少し話がしたい。まず、何か聞きたい事はあるか?」
「沢山あります。ですがまず、私の持っていた刀を返して頂きとうございます」
「カタナ? ああ、あの細い剣か?」
テオフィデールは奥の机に置いていた刀を持ってきたが、市には渡さずそのままソファーに座った。
「返してはもらえぬのですか?」
テオフィデールは眉をひそめ、じっと市を見る。
(最初に聞きたい事が、剣の事だとは・・)
「えらく、執着しているが、そんなに大切な物なのか?」
「今の私には、一番大切な物かのう・・」
今の市にとって、武家の娘としてのアイデンティティーを保つ、
唯一の物に思われた。
「しかし、今のお前に返す訳にはいかないな。また、死のうとされかねない」
「では、一目、鞘から取り出して、見せてはくれませぬか? 見るだけで良いのです」
「まあ、それくらいなら、いいだろう」
テオフィデールは刀を取り出し、手に持ったまま市に見せた。
闇夜にうねる波を思わせる、美しい刃紋。
まさに、兄の愛刀の『へし切長谷部』だった。
この刀を見入る市の目に、異様な光が宿ったのを見て、テオフィデールは、刀を鞘に戻した。
「お前が使っていた刀なのか?」
「いいえ、私の兄が使っていました」
「ほう、お前の兄か。どんな男だ?」
市は、13歳年上の兄を思い出した。幼い頃、市にとても優しかった兄。
しかし、すぐに金箔を施された市の夫の髑髏に酒を入れ、それを飲む信長の姿がフラッシュバックした。
一瞬で市の顔がこわばった。
「その刀の名前は『へし切長谷部』という名前がついています」
「へしきりはせべ?」
「長谷部はその刀を作った人の名前。そして、『へしきり』の由来は、昔、兄に無礼を働いた男が膳棚の下に隠れた所、兄はその膳棚ごと圧しきって殺してしまいました。その事から、その名前が付きました」
「....切れ味もさる事ながら、お前の兄も恐ろしい人物のようだな」
「自らを魔王と名乗っておりました。兄は敵にとっても、味方にとっても一番恐ろしい人でした」
(暗い目をするのが気にかかる)
テオフィデールが「お前にとっても....」と言いかけたところで、市が気持ちを切り替えるように
「お前ではなく、『市』とお呼び下さいませ」にこりと笑う。
それを見て、テオフィデールもそれ以上、市の兄の話はしなかった。
「では、市。他に聞きたい事はあるか?」
「はい。この国は平和ですか?」
「?」
テオフィデールとニコラが顔を見合わせた。
「私のいた世界は乱世でした。この世界も、そうなのでございますか?」
市の質問を理解した二人は、机の上に地図を広げ、シェルドナール国と敵対している幾つかの国を指し、それと害をなす魔物を説明した。
「魔物?」
「ああ、そうだ。この世界には多くの魔物がいる。後でニコラに図鑑を部屋に持って行かせよう」
「ここの文字は全く読めぬゆえ、絵が描いてあるのは、ありがたいのう。所で私はいつ、元の世界に帰れますか?」
「あぁ、それでしたら・・・」
何かを言いかけたニコラを遮るように、テオフィデールが強い口調で続ける。
「一度召喚されたら、元の世界に帰る事は出来ないんだ」
ニコラが、驚いた顔でテオフィデールを見た。
テオフィデールは気にせず、言葉を続けた。
「それと、亜人、獣人はこの国には少ない。他に質問はあるか?」
(あじん?・・ 後で聞くとして・・)
「侍女のマリーに少し聞きましたが、詳しく聞きたい事がございます。私は何故ここに呼ばれたのであろうか?」
「それについては、本当に申し訳なく思っているが・・・」
テオフィデールは伝説の話と、経緯を説明した。
「そうか。ふふ、伝説の乙女と思うたら、私が出たのか。私にはその様な不思議な力も待たぬし、魔法とやらも使えぬ。そなたらには、気の毒な事であったのう」
(私にとって今回の事は、神が与えた『自由に生きろ』と言う思し召しかも知れぬ)
「気の毒? 俺はそんな事は思っていない。市は本来、生きてきた世界ではない場所に引摺り出されたのだから、市が不自由がないようにするつもりだ」
「では、暫くはここで生活させてもらって、生活面での基盤が出来たら、ここを出て一人で暮らしていきましょう」
(先ず、私にも出来る職を探さねば)
市の言葉にテオフィデールは少し眉がピクッと上がったが、すぐに戻る。
「・・・先々の事は追々考えていこう。市も疲れただろう。今日はもう、ゆっくり過ごせ」
一人になったテオフィデールは、刀を鞘から出した。
「魔王の妹か・・なんと肝の据わった女だ」