8、彼女こそが私の親友
私が失踪事件が相次いでいると知ってから三日。
ついにうちの高校が、その件について公に認めることとなった。きっかけはもちろん、失踪者の一人が遺体となって発見されたことだった。それを警察が発表したと同時に、マスコミが喰い付いた。そして、これまでに出ていた失踪者を学校側が隠蔽しようとしていたことを、鬼の首を取ったように攻め立てた。学校側がもっと早い段階で失踪者の発表を行っていれば、八人もの失踪者は出なかったのでないか、と。私も、その意見には同意する。けれども、そこまで声高に胸を張って言うほどのことではないだろう。そんなことは今さら言わなくたって、誰しもが思っている。今、彼らがすべきことは、学校を責めることではなく、現在行方不明になっている他の生徒たちの情報を集めるということではないのだろうか。
記者会見では多くの記者たちが、校長の責任問題はどうなのか、学校としてどう責任を取るつもりなのか、なんてそんなことばかり訊ねていた。けれども、正直言って私からすれば責任の所在なんて、どうだってよかった。
私はただ、いつもの平穏な日常が恋しかった。もちろん、事件が起きてしまった以上、こうして身の回りが騒がしくなってしまうのは仕方がないことだ。けれども、いつもの日常を取り戻すために必要なのは、誰かが責任を取ることではなく、行方不明の生徒たちがみんな発見されることだ。いなくなってしまった生徒たちが見つからないあいだじゅう、この事件は現在進行形でずっと続いていくのだから。記者の人たちも、どうだっていい責任の追求なんかを延々とするくらいならば、持ち前の情報収集能力を駆使して、他の行方不明の生徒たちの捜索に協力してくれたほうがよっぽど効果的で効率的だと思う。
学校での記者会見があってから一週間がたった朝。
「やっほう」
登校中の通学路で、声を掛けられた。振り返らずとも、その声で、その言い方で誰だかわかる。
「おはよ、アイリ。今日も憂鬱だねぇ」
「だねぇ」
アイリはうなだれるようにして私の横に並ぶ。連続失踪事件が報道されてから、私たちの日常生活には多くの報道陣と世間からの好奇の目がまとわりつくこととなった。
校門前には常に大勢の記者たちが詰めかけていて、登下校時の生徒たちにしつこく話を聞こうとした。事件のショックで学校に来なくなっている生徒も多数いるようだけれども、その記者たちの質面攻めの煩わしさに、学校へ来ない生徒もきっと少なからずいることだろう。私も正直、毎朝学校へ行くかどうか葛藤している。それでもこうして学校へ向かっているのは、アイリと、友達と会える楽しさのほうが、煩わしさをほんのわずかに上回っているからだ。
「そういえば、もうすぐ中間テストだね」
「うはぁ、ただでさえ憂鬱なのに、余計に気が滅入るようなこと言わないでぇ」
うなだれるようにして歩いていたアイリは、さらに頭を抱えて、悲壮感を増す。
「はっはっは。学生の本文は勉強だよ。そこから目を逸らしていてはいけないのだよ」
「くっ、そんな正論を振りかざす女子高生、可愛くない!」
「どうとでも言いたまえ。でも、ここでどんなにボヤいても、テストがそこにあることに変わりはない! なら、大人しくテスト勉強と向き合うことだね」
「うぅ、悲しい現実と友の正論が胸に突き刺さる……」
なんて言って、アイリはしくしくと、涙を拭く素振りを見せる。もちろん、その瞳に涙は光ってなんていない。
「まあ、アイリもそんなこと言うけどそんなに成績悪くないでしょ」
「そりゃあ、伝家の宝刀一夜漬けがありますから。ま、そのおかげでテスト期間中は毎日が修羅場ですけど」
「いや、ならもっと前からテスト勉強始めればいいじゃない」
「そんな前から勉強したら、覚えていた公式も英単語も試験当日には忘れてるよ!」
「えぇ……」
なぜだか、理不尽に怒られているような気がする。
「だいたい、遥香は地頭がいいからそんなこと言えるんだよ」
と、不機嫌そうにアイリは私を睨んだ。
「いや、そんなことないと思うけど……」
「だって、遥香がテスト勉強してるとこ見たことないもん。それでいつも平均点くらいは取れているでしょう?」
「まあ、一夜漬けだとか、徹夜だとか、みんなが言うようなテスト勉強はしてないかも。でも、テスト前にノートや教科書を軽く見返すくらいはするよ?」
「そんな雑な勉強法で平均点取れちゃうんでしょ? 信じられない。塾に行ってるわけでもないし。しかも、数学に至ってはあの武田誠秀に二回も勝ってるし」
「数学だけだよ。数学は得意分野だからね。でも、それ以外の教科は平均点前後だし、やっぱり普通だと思うよ? 頭がいいってわけじゃないと思う」
私のその言葉を聞いて、アイリは大げさにため息をついてみせる。
「はぁー……あのね、できる人間の謙遜は嫌味にしか聞こえないよ? ま、遥香の場合は自覚がないってだけだけど。正直、もっと本気出して勉強すれば、もっと点が取れるんじゃない?」
「さあ、どうだろう。それこそやってみないとわからないよ」
「ほら。そこで『やってみないとわからない』って言えてしまえる時点でもう遥香の余裕を感じるよ。昔っからそう。いつだって遥香はなにごとも軽くこなしちゃうんだ」
少し、拗ねるようにしてアイリは口先を尖らせる。
「なによ、それ。まるであたしが優秀みたいな言い方じゃない。ちょっとそれは言い過ぎよ。あたしなんてただの凡人なんだから」
「なに言ってるの? 遥香はとんでもなく優秀だよ。私は知ってるんだから。中学の時からずっと一緒にいたからわかるよ。昔から、遥香はなにごとも本気を出せば大抵のことはこなしてしまえていたもの。ただ、その本気を出す機会があんまりないだけ。それも、最近になってからは余計に抑えてしまっている感がある……遥香さあ、意識して頑張らないようにしてるでしょ?」
「……っ」
アイリのその言葉に、思わず声が喉に詰まってしまう。
「まあ、どうしてそうなっちゃったのかは察しがつくし、そのことについて貴方を責めるなんてこと、私にはできないけどさ……」
さっきまでより、その声が柔らかくなる。まるで、鳥かごの中の小鳥に語りかけるように。わかっている。きっと、彼女は私を慮ってくれている。
「……勿体ないよ。正直、私は貴方のその才能を羨ましいと思ったことが何度もある。そして、その才能を遥香が使わないのなら、私がその才能を持ったっていいじゃない。私ならもっと有効に活用するのに、って妬んだことも。まあ、そんな葛藤はとうの昔に終えたけど」
それは、初めて聞く告白だ。いつだって彼女は底抜けに明るく、誰にだって優しく、そしてほんの少しだけ変な、とてもいい子だった。そんな彼女が誰かを妬むなんて、想像がつかなかった。しかも、その“誰か”が私だなんて、信じられない。むしろ、私のほうは彼女のようになれたらどんなにいいか、と何度思ったことか。彼女のその明るさと、多くの人たちに好かれる愛嬌が羨ましかった。
どうやら、私たちは互いに相手のことを羨んでいたらしい。だからこそ、私たちはずっと仲のいい友達としてやってこられたのかもしれないけれど。
「私は、私の友達がきちんと羽ばたいて、大空を舞う姿を見てみたい。その姿こそが、本当の遥香の姿なのだと思うから。貴方が先へ進もうとするのなら、私は迷わずその背中を後押しする。けれども……」
と、アイリは少しだけ顔を伏せてから、再び顔を上げる。
「……けれども、そうすることが貴方にとっての苦痛で、その苦痛を貴方が望まないのなら、無理はしなくてもいい。才能のある人間がその才能を発揮することが、イコールで幸せではないだろうから。私は、苦しみ、もがき、ボロボロになりながら才能を発揮する貴方の姿よりも、才能を封じ込めたままでも楽しそうに笑う貴方の姿が見たい。そんなあなたの隣に立っていたい」
そう言い続ける間も、私たちは学校へと向かう歩を止めなかった。ほんの半歩だけアイリは前を進んでいる。初めて知った、彼女の気持ち。彼女は、本気で私のことを想ってくれている。友達として、私の幸福を願ってくれている。
ああ、やっぱり彼女こそが私の親友だ。と、改めて実感する。
「ありがと。あたしも、アイリが隣で笑っていてくれることは幸せだと思う」
「え、ちょっと、そうして改めて言葉に出して言われると恥ずかしいな」
と、彼女は軽く鼻を掻く。その仕草の意味を、親友である私はよく知っている。それは、彼女が照れ隠しをするときの癖だ。
「いや、先に言ったのはそっちだからね? だいたい、なんでそんな不意にマジっぽいこと言いだすのさ」
「はは、それもそうだね。私もよくわかんないや」
まあ、どうして彼女がそんなことを言いだしたのか、なんとなくわかるような気はする。
歩き続けていた私たちの目の前には、学校が見える。そして、その校門の前には大勢の記者、カメラマン、その他諸々の人の群れ。それは私たちにとって、日常となりつつある非日常の光景だ。変わってしまったその日々を前に、いつもと同じように平静でいられるはずがない。たとえ、表面上では平静を装っていても、その心の内側は波打っている。
きっと、彼女の言葉は、その波打つ心のほんの端っこが漏れ出てしまったものなのだろう。だからこそ、その言葉は本心だろうけど、そう気軽に触れていいものでもないはずだ。この話題は、早々に打ち切ってしまうべきだろう。
「ああ、そうそう。じゃあアイリがあたしに秘密を打ち明けてくれたことだし、あたしもアイリに秘密をひとつ打ち明けよう」
「ん、なに?」
「アイリはバレないように必死に隠してるみたいだけど、アイリが高峰くんのことを好きなの、バレバレだよ?」
「………………は、んあっ⁉」
そんな、今までの長いアイリとの付き合いの中でも聞いたことのない、変な声が響いた。