復活への布石
令和の元号も馴染んできた2022年5月3日
日本各地の行楽地は、大型連休で賑わっていた。
相変わらず世界情勢に無頓着な“平和ボケ”している民族であるところを、世界にさらしていた。
隣国の韓国が消滅したにも関わらず。
憲法記念日で祝日の今日、国会議事堂周辺では“改憲派”と“護憲派”がマイクを握りしめ、それぞれの主張を相変わらず声高に叫んでいた。
何年も続く、生産性が全く感じられない無意味な光景が今年も繰り広げられていた。
2021年9月に長門政権は四期目をスタートさせた。
結局、三期目の任期中に公約した憲法改正が叶わなかったからだ。
党の規約を改正し四選した長門総理は、悲願の憲法改正と、イワノフ大統領に弄ばれているかのように全く進展の無いままにロシアとの間に横たわっている大きな懸案、北方領土問題に並々ならぬ執念を一段と燃やしていたが、前途は絶望に等しい状況だった。
更に長門政権にとって… 日本にとって厄介な隣国だった韓国が消滅した瞬間に、もっと厄介で面倒な朝鮮民主主義人民共和国、北朝鮮が大きくなって誕生してしまった。
一段と朝鮮民主主義人民共和国による、核も含めた武力行使の脅威が増した中で、在日アメリカ軍の縮小が続いていた。
ジェームス大統領が… アメリカ軍が“日本を守ってくれるから大丈夫”と本気で思っている“ノー天気な人種”も頑としていたが“自分の国は自分で守らなければならない”そう考える政治家、国民は少しづつだが増えてきていた。
南北統一がなってから、総理官邸内に官房危機管理センターがされていた。
危機管理センターには、政府職員が24時間体制で常駐し、情報収集と分析を行っていた。
三月が終わろうとする頃、風の便りのように何気なしに、後の日本に重大な情報が舞い込んで来た。
“ウラジオストクで、ロシア、中国、朝鮮民主主義人民共和国の首脳三人が会談した…”
その情報は、在日イギリス大使館からもたらされた。
しかしその時は誰も、情報の重大性と情報源の不思議さに疑問を持つ者はいなかった。
いくら若き独裁者全栄進でも、ロシア、中国に何の相談も無く事を起こすはずが無いと考えていたからであった。
必ず全栄進の背後には、二つの大国が控えていることぐらい、素人でも分かる方程式だから。
それよりも気になった情報があった。
“在日ロシア大使館、在日中国大使館の出入りるメンバーがだいぶ入れ替わった”
そんな、監視チームからの情報だった。
朝鮮民主主義人民共和国内では、軍主体の監視を進める為、毎日のように軍用車両が38度線を越えて動き周ってので、妙な活気が旧北朝鮮内を覆っていた。
それに比べ在日韓国大使館には、祖国を失った職員が力なく佇んでいた。
韓国国旗“太極旗”も生気を無くし、ポールの先ではためくことなくうなだれていた。
主要国の在外韓国大使館がテロにより破壊され、多くの犠牲者が出ていたのに、何故、在日韓国大使館が何事も無かったのか…
政府内では静かに囁かれていた…
“日本には別な動きをしてくるのではないか…”
四月を迎え直ぐに、在アメリカ大韓民国大使館… 今は“大韓民国亡命政府”の代表から在アメリカ日本大使に、至急の呼び出しが入った。
亡命政府庁舎に在アメリカ大使館早川大使が二人の職員と共に到着した。
早川大使の表情は険しく、言葉は無かった。
“暫定亡命政府代表室”となった大使執務室に早川大使だけが入室した。
早川大使が入室すると、挨拶もそこそこに大韓民国亡命政府代表が、通訳を入れずに英語で話し始めた。
「早川大使に超高度で正確な…
大変重要な情報をお伝え致します…」
「重要な情報…」
早川大使が怪訝な表情で繰り返した。
「良い話では無いようですね…」
「日本国国民にとって最悪の情報です…」
大韓民国亡命政府代表はゆっくりとした口調で慎重に話しをした。
「それは日本にとって、かなり危険な情報と言うことでしょうか…」
早川大使は唐突な話しに、一段と怪訝な表情で尋ねた。
代表は何度も大きく頷いた。
その頷いた、うつむき加減の重く暗い表情から、低い小さい声で繋いだ。
「北は、ごく近いうちに… 日本国にミサイルを撃ち込むつもりです…」
大使の顔が一瞬にして恐怖でこわ張った。
次第につま先で、パタパタと音をたて始めた。
少し震え始めたのだ。
一瞬にして激しく早川大使の頭の中で、ミサイル攻撃を受けた後の日本国内の恐怖と混乱に襲われている姿が渦巻いたのだ。
恐怖に落ち、言葉を失ってしまった早川大使をそのままに、低い声で淡々と半分諦めのような感じで、事務的に話しを続けた。
「その事についてロシア、中国は当然に承諾しているようです…
逆に、ロシアと中国がそそのかしたのかもしれませんが…
いずれにせよ事態は急を要します。
急ぎ本国へ伝えて下さい。
ここで大使にお会いしたこと、話しをした内容はそう時間がかからずに多方面に知られるでしょう…
誠に残念です… 残念の極みです…」
早川大使はソファーに深く腰掛け、代表が話しをしている途中から顔を天井に向けたまま、まるで死んだかのように、身動き一つせず話しを聞いていた。
代表は大使の心が落ち着くまで話しを中断しようと沈黙した時、大使が天井に顔を向けたままゆっくりと話し始めた。
「その情報は、どこからもたらされたのですか」
唐突で怒りが籠ったような尋ね方だった。
少しの沈黙が室内を支配した。
暫くして代表が渋々と、話せない事を話すかのような雰囲気で、重苦しい口調で話し始めた。
「ロシア国内からと、第三国からの情報です。
ほぼ同時に入ってきました。
正確で間違いのない… 第一級の情報と考えています」
「北が侵攻してくる情報は貰えなかったのですか…
貰えていれば、大韓民国はまだ存在していた…」
早川大使は、混乱と恐怖で思わず情報を伝えてくれた相手に無礼な発言をしてしまった。
代表は無言だった。
早川大使は過ちに気づき、謝罪した。
「頭が混乱してしまい… 大変失礼な発言をしてしまいました。
心からお詫び致します」
そう言って頭を下げた。
代表は落ち着いた静かな口調で話し始めた。
「北朝鮮内でも侵攻する直前まで、一握りの政治局員、軍の上層部しか知らなかったようです。
訓練の名目で、38度線の100キロ手前で待機していた地上部隊に、突如ソウルを目指し進軍する命令が下された…」
代表の顔は無念の表情に変わっていた。
「用意周到だった…」
大使は慰めの言葉も見当たらないといった感じに囁いた。
代表が大きく息を吐きながら続けた。
「時間はあまり残されていませんよ… 大使
とにかく一刻も早くこの事を本国にお伝え下さい…」
大使は頷き、言葉を発することなくソファーから力なく立ち上がった。
大使は無言のまま会釈し、ドアへと向かった。
大使の小さくなった背中に、代表が語り掛けた。
「我国と… 同じ運命を辿らないことを… 祈ります」
涙声になりながら、大使に捧げた。
代表室から出てきた早川大使の顔から血の気が失せ、目の焦点はあっていなかった。
同行してきた二人の職員はその姿を見て、早川大使を抱きかかえ、急ぎ玄関に運び車に押し込んだ。
「大使… 体調が悪いようですが…」
職員は虚ろな表情で深くシートに沈んだ大使に問いかけた。
大使は、天を仰いだまま絞り出すように発した。
「空港へ… 日本に戻る…」
早川大使は、羽田空港から首相官邸に向かう車中にいた。
大韓民国亡命政府代表との話しを終えてから、ほぼ一日寝ていなかった。
いや、寝ることが出来なかった。
「大使… 大使…」
呼び掛ける声が、頭の中遠くに聞こえた。
肩を揺すられ、大使は目を覚ました。
「どうされました…」
同乗している外務省の職員が心配そうに言葉を掛け、見つめていた。
「凄く嫌な夢だった…
正夢にならない事を… 祈ろう…」
早川大使は、力の無い小さい声で呟きながら見え始めた霞が関のビル群を、じっと見ていた。
「そんなに嫌な夢だったのですか…」
同情するかのように、気の毒な感じで職員は大使を見つめた。
「君たちのような若い人たちが“正夢”に巻き込まれないことを祈るしかない…
難しいことだが…」
大使が更に小さい声で呟いた。
長門首相と菅原官房長官を含めた数名は首相官邸5階の執務室で、他の閣僚や官僚は地下にある危機管理センター大使の到着を待っていた。
大韓民国亡命政府代表室から出てきた時のあまりにも尋常ではない雰囲気を、同行した職員から外務省に報告され、官邸にもその事が伝えられていたからであった。
生気を失った大使の状態を聞いた菅原官房長官は内閣危機管理監に指示を出した。
「省庁に対し、緊急召集メンバーの召集を要請して下さい」
少し慌ている内閣危機管理監が、菅原官房長官に尋ねた。
「どの省庁から、招集を要請しますか…」
「全てから… 全ての省庁から…」
菅原官房長官は厳しい口調で早口で指示した。
「全て… ですね…」
困惑した表情で内閣危機管理監が復唱した。
「何が起こっているのか… 何が起ころうとしているのか… 今は分からないので…」
困惑しながらも少し落ち着いたゆっくりとした口調で、菅原官房長官は付け足した。
寝付いたばかりの午前1時
呼び出しの携帯がけたたましく鳴った。
危機管理参集メンバーとして召集されたのだ。
「文部省の課長のあなたに…」
一緒に起こされた妻が不機嫌に呟いた。
「緊急事態のようだ… 訳が分からないが… 遂に来るのか…
とにかく、官邸に向かう…」
一ヶ月前から緊急参集メンバーが局長級から、指名された各省庁の課長級以上の若手までに枠が広げられていた。
私が到着した朝方には、既に大勢の閣僚と緊急参集メンバーが官邸ロビーに集まっていた。
報道関係者の姿も何名か見受けられた。
暫くすると、地下の危機管理センターに入るようにとの指示が伝わってきた。
危機管理センター内には既に重要閣僚、内閣危機管理監、官房副長官3名と何名かの緊急参集メンバーが揃っていた。
恐らくこのメンバーを含めて、長門総理、菅原官房長官らと4階の会議室で、一通りの話し合いが持たれたのだろう。
私を含め数十人が新たに入室した。
私は勝手が分からないまま、入ってすぐの所で暫く突っ立ていた。
取り敢えず末席の肘掛けが無い椅子に座って、様子を見ることにした。
見学をしたことはあったが、一ヶ月前までまさか自分がこの部屋に召集されることになるとは夢にも思っていなかった。
周りを見ていると、私のような初めて召集された若い連中が、キョロキョロと落ち着き無く周りを見渡していた。
いつの間にか入室していた菅原官房長官が、一番前で全体の様子を見ていた。
全体が落ち着くのを待っているようだった。
到着していないメンバーが数人いたようだったが、全てのメンバーが揃うのを待っている時間的な余裕はないようだった。
部屋は権限な顔で埋め尽くされていた。
菅原官房長官は正面を見据え話し始めた。
「まだ、到着していないメンバーがいますが、到着次第の別室で録画を見て把握して貰います。
それでは先に、招集に至るまでの経緯を話します」
話を止め、全体を改めて見渡した。
次にメモに視線を落とし再び話し始めた。
「ちょうど昨日のこの時間、在アメリカ日本大使館早川大使より、緊急連絡が外務省を通じ官邸に入ってきました。
内容は…」
一段と険しい表情になり、菅原官房長官はゆっくりと嚙み締めるような口調で話しを続けた。
「緊急帰国します。
理由は、直接政府関係者皆さんに直接お会いして話しを致します。
事は重大かつ急を要します。
残り時間は僅かと思われますので、帰国次第に対応協議して頂きたいと考えますので、緊急参集を要望します」
話を止めた菅原官房長官は、視線を全員に戻した。
参集メンバーは全員無言のまま、菅原官房長官の次の言葉を待った。
「以上のような短い内容になりますが、大使が混乱している状況を大使館の事務官が伝えてきております。
その様子を聞くと、事態がかなり重大性のあることだと伺えます。
先程、早川大使が羽田空港に到着したとの連絡が入りました。
間もなく官邸に到着する頃だと思われます。
大使が到着次第、総理、内閣危機管理監、官房副長官3名、国家安全保障局長、そして私を含めて大使の報告を受けます。
その後、速やかに皆さんに対し報告します」
官房長官の口調が段々と速まり一気に話し終えると、大きく息を一回吐いた。
サイレンをけたたましく鳴らしたパトカー2台と複数の黒塗りの高級車、そして白バイ3台に囲まれて大使を乗せた車が官邸に到着した。
どこかの国家元首が来日したかのような護衛だった。
待ち構えていた何人かの参集チームメンバーと共に、報道陣の質問は一切無視し、顔は険しいままで総理執務室に向かった。
その頃の官邸には、既に多くの報道関係者が詰めかけ、テレビ中継も行われ始め、異様な雰囲気となっていた。
「北がミサイルを撃ち込んできます… 我国に対し…」
執務室に、少しかすれてはいたが力強い早川大使の声が響いた。
「うむ…」
総理の唸り声の後に沈黙が続いた。
「いつ頃ですか…」
突然に総理が目を閉じたまま、早川大使に向けて発した。
「近いうちに… そうとしか今のところは分かりません…」
大使は力なく答えた。
「どの辺に撃ち込んでくるか、情報はありますか…」
総理が続けて尋ねた。
「分かりません」
大使は少し呑気なやり取りに、少しイラついた。
“分かっているのであれば先に話をしている…”内心怒りのような感情を抱きながら、強い口調で返した。
総理は口調で察したのか、目を開け大使に向き直り尋ねた。
「その情報の入手ルートはどこからですか… 信頼は出来ますか…」
ここで、早川大使は、大韓民国亡命政府代表とのやり取りを一通り報告した。
「まだ、半島が混乱しているのに… 思ったより早く我国に対し…」
総理はこめかみに右手中指を付けて、考え込みながら言葉を吐き出した。
既にこの時には総理と官房長官の元には、別ルートで北からの攻撃を示唆した情報がもたらされていた。
少し呑気なやり取りはその為だった。
早川大使にその言葉が微かに届いた。
「総理は既に知っていたのですか…」
大使は思わず尋ねた。
総理は少し慌てた様子だったが、冷静に返した。
「北朝鮮が韓国に侵攻し統一した後、我国に銃口を向けて来ることは想定出来ましたから…」
「次にロシアと中国が出て来る可能性があると、想定されますか…」
副長官の一人が独り言のように呟いた。
恐ろしい沈黙が続いた。
「どう… 手を打ちますか…」
菅原官房長官が現実に引き戻した。
総理は冷静に“用意していた”意見を話し始めた。
「事が重大過ぎます。
今ここで対策案を立てるのには時間がかかります。
これから直ぐに、危機管理センターにメンバーに諮りましょう」
総理執務室から参集メンバーが待つ危機管理センターに向かった。
危機管理センターの扉が開き、室内に籠って待機していたメンバーの呼吸が止まり、室内の空気が固まった。
危機管理センターに全員が揃った。
室内は既に、息苦しさを感じるほどの異様な状況になっていた。
課長級以上の指名された若手に緊急参集メンバーの枠を広げたので、収容予想人員を大きく上回ったメンバーが集められたのと“国家存亡の危機が迫っているのではないか”という漠然とした不安からだった。
菅原官房長官が立ち上がった。
全員の視線が官房長官に向けられ、雑音が消えた。
菅原官房長官は全体を見渡し、両脇の総理、大使に目を落とし会釈した。
「先程、帰国したばかりの大使より報告を受けました。
報告内容があまりにも重大で、皆さんに提示する隊対策案を立てるのに時間が足りないということもあり、報告内容をそのまま皆さんに伝えて、対策を協議します。
それでは、報告の内容について話しをする前に、再度確認をします」
官房長官は一息つき緊張を取ろうとした。
マイクに向かい直し話しを続けた。
「これから話す内容は、国の存亡に関わることです。
決してここにいるメンバー以外に、口外しないことを肝に銘じて下さい。
では、内容を話します。
北朝鮮、現在は統一なった朝鮮民主主義人民共和国、これより北と呼びます。
北は極近いうちに、中距離ミサイルを我国に対し、発射するとのかなり高精度の情報がもたらされました」
室内に“どよめき”とゆうより“唸り”のような声が、低く重く室内に響いた。
更に室内は蒸し暑い状態となっていった。
官房長官は、全体を見渡しながら話しを続けた。
「これは北の単独行動では無く、ロシアと中国も了承している作戦と考えられます」
「やはり… だろうな…」
所々から同じような言葉が漏れてきた。
「更にこの二国は、必ず攻撃に加わってくると考えられます」
官房長官の声は一段と高くなり、きっぱりと言い切った。
室内には言葉が全く無く、天を見上げる者、隣とため息をつきながら見つめ合う者、頭を抱える者、呆然と亡霊のように佇む者たちが存在するだけだった。
「事は急を要します…」
総理が口を開いた。
総理が立ち上がって、更に続けた。
「ここからは、国の存亡に関わることなので、内閣危機管理監でなく直接私が関与します。
年齢、性別、役職関係なく意見を言って下さい。
当然ですが、遠慮は要りません。
このような事態に備え、参集メンバーの枠を広げました。
残り時間は僅かです…」
言葉を付け加え、深く腰を掛けた。
防衛省の幹部から意見が出された。
「急ぎ、発射場所を特定しましょう。
そして監視を強化し、動きがあったら先に何らかの手を打ちましょう…」
即座に官房長官が反応した。
「特定するのにどれくらいの時間がかかりますか」
珍しく早口で尋ねた。
不意を突かれたかのように、自衛隊幹部達はお互いの顔を見合わせ。
一人の防衛省幹部が立ち上がり、考えを話し始めた。
「北朝鮮だけの時代であればさほどの時間は掛からないのですが、今は朝鮮半島全体を調査しなければなりませんので、一週間はかかるかと考えます。
それでも正確に特定出来るかどうか…」
「遅い… それでは遅すぎだ…」
早川大使が声を上げた。
意見のような、感想のような発言が暫く続き、まとまりが付かない雰囲気に至っていた。
既に召集されてから8時間が経っていた。
全員が疲労していた。
そこに恐ろしい衝撃が加わり、頭が働かない。
その状況を続けていても意味が無いと考え、総理が立ち上がり話し始めた。
「召集がかかり、大使が到着してから約8時間が経過しています。
先程言いましたように、急を要するのは間違いない事実です。
しかし、只々各人が混乱したまま会議を続けるのは、逆に時間の浪費と思います。
朝食も取らずにここに集まった方も大勢いるでしょうから、ここは一旦各人の持ち場に戻ってもらい、腹ごしらえをして、冷静にかつスピード感をもってそれぞれの職務を果たしてください。
では具体的な指示を、官房長官の方から話をして貰います」
総理は話しを終えると深く腰を掛け、肘掛けに右手をのせ人差し指と中指を右のこめかみあて、目を閉じ大きく息を吐いた。
「そのまま留まってください」
ざわつき始めた室内に、菅原官房長官のやや大きい声が響いた。
菅原官房長官は、官房副長官3名と内閣危機管理監、国家安全保障局長に目配せをして、少し離れた隅にあるテーブルを指すと、そちらに移るよう促した。
菅原官房長官はペンを走らせながら、時折それぞれに話し掛け、話しを聞きながら何かしらをまとめているようだった。
10分程が経って、6名が席に戻った。
官房長官は総理にメモを示しながら、小声で話し合いの内容を確認していた。
総理は頷き、官房長官に囁いた。
官房長官がメモの内容を話し始めた。
「これより各省んぽ参集メンバーに、各省で行ってもらう最悪の事態になった場合の対応策、調査依頼を伝えます。
参集メンバーには大変疲れていると思いますが、24時間後ここにその回答を持ってきて貰います」
話を止め、全体を見渡した。
やや不満そうな表情の危機感が足りないメンバーもいた。
「寝ている状況ではありません。
国の存亡が掛かっています… 特に若いメンバー… あなたたちの未来が掛かっているのです」
室内は再び緊張感に包まれた。
「では、話しを戻します。
先に、依頼が掛からなかった省の参集メンバーは、明日は各々で待機をお願いします」
官房長官が少し間を空け続けた。
「先ずは防衛省から。
都道府県別に自衛官の階級毎人数と、住所、連絡先のリストをまとめて下さい。
次に発射場所、攻撃に用いられると考えられるミサイルの種類、着弾予想地点。
そして、迎撃可能かどうか…」
最後の調査事項は調べるまでも無い。
だいぶ前から北のミサイル技術は、日本領空圏内で迎撃することが出来ないレベルと精度になっていた。
防衛機関に身を置く者なら周知の事実だった。
「もう一つ付け加えます。
ロシア、中国が侵攻してきた場合にどのようなルートで侵攻してくるか…」
官房長官は暗く低い声で続けた。
しかしこの時、今後の日本を左右する重要な要請を極秘裏に行っていた。
「次に…」
官房長官の声が少し高くなった。
「総務省、財務省、外務省、国土交通省、警察庁、海上保安庁に要請するのは、各都道府県の正確な人口分布と在外日本人の国別滞在者数と所在。
警察、消防、保安庁の所属先ごとの職員数。
財務省には国、都道府県の正確な財務状況を確認してください。
国土交通省には全国で工事中のトンネル、橋梁等の進捗状況と工事に従事している作業員数をお願いします。
重点的に建設を推進する現場に、集中的に人員と建設資材を配置する為です」
官房長官が水を口に含み、改めてメモに視線を移し話しを続けた。
「これは全ての省庁にお願いします…
40歳代までのこれからの国家運営に“必要不可欠”と考えられる優秀な職員を、それぞれ20名程に絞って選抜して下さい。
そして、選抜した職員の住所、携帯番号、配偶者と子どもの有無、得意分野、趣味…
それ以外でも重要と思われることは何でも構いません…
以上を記載したリストを作成し提出して下さい。
これを3日以内にお願いします。
この件の質問は受付ません…
この選抜を行ったことは、本人を含め決して誰にも話さないでください。
厳重にお願いします。
あと… 重要度の… 順位もお願いします…
現在のところは以上です」
“選抜…”
私はその言葉が引っ掛かった。
そこにいた全員のメンバーの頭の中にクエスチョンが浮かんでいた。
しかしそれに突っ込む余裕など、そんな力は誰にも残っていなかった。
とにかく早く戻って宿題をしたいという思いが大きかった。
文部省には、これといった要請は来なかった。
変な安心感が湧いてきた。
思い頭を抱えながら部屋を出ようと立ち上がっていると、菅原官房長官が再びマイクを握った。
「少し付けます。
これから発生する要請事項に付きましては、各大臣を通じお願いすることになります。
承知して下さい。
以上でよろしいでしょうか… 総理」
天井を見上げたまま総理は頷いた。
「皆さんの方から、何か質問ありますか…」
念の為、声を張り全員に官房長官が尋ねた。
メンバーの頭の中には、もはや官房長官の話は入っていかなくなっていた。
官房長官は話しを終えると、椅子の背もたれに体を預けたが、おもむろに背を起こし話し出した。
「上の報道陣には、抜き打ちの召集訓練だったと言い張って下さい… くれぐれも統一の回答をお願いします… くれぐれも…」
話し終えると、官房長官に内閣府の参集メンバーから小さな紙片が渡された。
その紙を、暫く食い入るように見つめていた。
全員がドアに向かって歩いている最中に、官房長官がマイクを受け取り話し始めた。
「呼び出しをします…
海上自衛隊のメンバー、田中敦志一佐…
文科省のメンバー、菊地順一課長…
室内にいましたら、手を挙げて答えて下さい…」
官房長官の声が室内に響いた。
「今、何て…」
私は聞き逃したが、自分の名前が呼ばれたような気がした。
「俺の名前… 呼ばれた…」
隣にいた同じ文科省のメンバーに尋ねた。
「確かに… お前の名前だった」
周りを見渡した。
少し離れたところで一人の自衛官が手を挙げて前に進み出ていた。
暫く様子を見ていたが、あと誰も手を挙げている人物はいなかった。
また、スピーカーから官房長官の声が再び響いた。
「文科省メンバー菊地順一課長はいますか…」
「やはり俺だ…」
もう一回周りを見渡し、手を挙げた。
「二人とも話があるので、総理執務室がある5階まで来てください」
スピーカーから官房長官が話し掛けてきた。
「何で俺が…」
「何でお前…」
隣の同期が、私の顔を見ながら呟いた。
私と自衛官は、執務室から少し離れた廊下に用意された椅子に、浅く腰掛け無言で並んでいた。
SPは勿論だが、秘書官、内閣府メンバーの誰一人として口を開く者がいなかったので、我々も話せるような雰囲気ではなかった。
執務室の扉が開き、指示を受けた秘書官が田中一佐を扉の中へと誘導した。
田中一佐が執務室に入って10分程が経った。
私が時計を見つめていると、田中一佐が執務室から出てきた。
軍人らしいキッチリとした会釈をして、扉をしめた。
その表情は当然に厳しかった。
笑顔になれる話など、この状況で有るはずが無い。
田中一佐が執務室を出てから、また10分程が経った。
壁をぼんやり眺めていると、執務室の扉が開き、菅原官房長官が私の名前を呼んだ。
「菊地順一課長、お入りください」
官房長官が自ら私を呼んだ…
少し驚きながら執務室に入ると、その理由が直ぐに分かった。
室内には、総理と官房長官の二人しかいなかったのだ。
総理は、重厚な机の後ろにある椅子に座っていた。
机に両肘を付き、顔の前で両手を組みそこに額を当てていた。
官房長官はその左脇に立っていた。
「菊地課長は現在… 地震防災研究課の課長を務めていますね」
入室し会釈するなり、官房長官が確認を求めてきた。
「はい、そうです…」
私はやや怪訝な感じで返した。
官房長官は私の返事を聞いてか聞かずか、メモから視線を上げずに話しを続けた。
「課長は、東北大学大学院理学研究科で震源構造の解明研究をしていたようだが…
担当教授によると課長は非常に優秀で、将来の日本における地震学研究を背負って立つ逸材と言っていたようだが…
何故… 文科省の公務員に…」
大きなお世話だと思ったが、同時に何故そこまで私を調べてたのか不思議だった。
「在学中に父が亡くなり、子どもは自分一人でしたので、母一人を東京に一人置いておくのは心配でしたので、収入が安定している公務員になろうと考え東京に戻りました。
ただ地震学に詳しいというだけで採用されたようですが」
官房長官が頷きながら、メモに視線を移し質問を続けた。
「今でも、地震学研究者の方々とは繋がっているのかな…」
「仕事柄、各大学の研究者の肩や、観測施設の方々とは頻繁にやり取りをしています…」
私は更に不思議に思いながら返答した。
目を瞑ってこのやり取りを聞いていた総理が、急に目を開け話し出した。
「菊地課長に、三日間で完了して貰いたい頼みがあります」
「頼み… ですか…」
私の心の中に、不安が一気に広がった。
少し間を空け、総理が話しを続けた。
「一つは…」
頼みは何個あるの…
私の不安と混乱が最大になった。
斜め上を見ながら、総理の話しは続いた。
「日本の未来に必要不可欠な研究者を…
若く、独身で優秀な研究者を… 性別は問いません。
中学校、高校の先生でも構いません。
あなたと、あなたの信頼できる同僚の数名で選抜して貰いたいのです。
ただし、優秀度、重要度を考慮してランクを付けて欲しいのです。
これから官房長官が、リストアップして貰う研究分野を書いたメモを渡します…」
総理は言葉を選びながらゆっくり話をした。
話し終えた総理は、官房長官に視線を向け右手でどうぞの合図を出した。
官房長官は頷き、机に乗っていた角形2号の大きさの茶封筒を私に差し出した。
私が受取り封筒を凝視していると、官房長官が話し掛けてきた。
「中に入っている書類と同じ物を、控えとして私も一通持っています。
それ以外に控えはありません。
だからと言ってコピーは決してしないでください。
リストは手書きで、電磁的記録は勿論、如何なる写し、控えを残さないようにお願いします。
…くれぐれも」
少しきつめの口調で念を押してきた。
私は理解した。
余程内容が漏れてはいけない、極秘事項が詰まった書類であることを…
「もう一つは…」
総理が二つ目の要請を話し始めた。
「人工地震に関する資料を、一週間程で収集して欲しいのです。
そしてこの鞄に入れて、菊地課長自身で管理し運んできて欲しいのです」
「人工地震‼」
私は思わず声を上げ、そのまま発した。
「人工地震に関する資料を…」
私は予想を超えた要請に、戸惑いを通り越して頭が真っ白になってしまった。
混乱している私を無視するように、官房長官は話しを続けた。
「収集中に何か困難な事態が発生した場合は、ここに行って下さい」
そう言って官房長官は、一人の内閣危機管理メンバーの名刺を差し出した。
「電話は厳禁です。
必ず直接会って対処していただきたい。
その名刺の人物とは、何事もなければ会う機会は無いと思いますが…
しかし、この作戦が始まるまでは“あなたの影”になる人物です。
あなたに最悪の事態が発生した場合は、この人物があなたの役割を引き継ぎます。
名刺は無くさないように管理して下さい」
「影… 役割…」
私の近らはピークに達した。
だからと言って、この意味の分からない混乱を官房長官に質問し、突っ込む勇気など無かった。
恐らく、質問したままだろう…
そのまま無言で頷いた。
官房長官は、理解の有無に関係なく話しを続け始めた。
「作戦がスタートすれば“あなたの影”の意味が分かると思います。
では、直ぐに取り掛かってください。
そしてくれぐれも、あなたひとりでリストと鞄は持ってきたください」
官房長官の口調が再び強くなった。
「質問… よろしいでしょうか…」
私は恐る恐る尋ねた。
「どうぞ」
官房長官が柔らかな表情に戻って答えた。
「一緒に選抜に当たって貰うメンバーには、どのように言って手伝って貰えばいいでしょうか…」
官房長官が少し面倒くさいそうに返した。
「理由は真実でない限り、任せます。
人数も任せますがあまり多くならないように…
とにかく期限に間に合わせて下さい。
当然ですが、この要請を絶対に守秘してくれる人物を選んでください」
「はぁ…」
私は正直“厄介な事を押し付けられた”と伝わるような返事とも溜息ともつかない言葉を返した。
一礼し、部屋を後のした私は、敢えて階段を使って玄関へと向かった。
少し頭を整理しながら、ゆっくりと帰りたかったからだ。
「誰に頼もう… どう頼もう…」
溜息交じりにブツブツ呟きながら、一段一段足を下していた。
文部省に戻り、一人会議室に籠った。
「誰に頼もう… 資料はどうやって集める…」
私は疲れた頭で、ぼんやりと考えていた。
総理と官房長官の二人から要請を受けて三日後、私は総理執務室のある5階の総理応接室のソファーに、深く腰を掛けていた。
前回の執務室に呼ばれた時と待遇がかなり違っていた。
その向かいには、田中一佐が、前を見据えたまま身じろぎもせずに背筋をピンと張り、呼ばれるのを待っていた。
足の間には、重厚で特殊な鍵が付いたジュラルミンケースを置いていた。
私は前かがみで両肘を両ひざに乗せ、顔の前で手を組み、そこに額を当ててバランスを取っていた。
本当に疲れていた。
ヘトヘトだった。
ほとんど寝ていない…
執務室の扉が開いた。
扉の前に待機していた秘書官が、扉の内側にいる人物からの指示に頷いた。
秘書官は田中一佐を見つめ、扉を大きく開き執務室に入るように促した。
私も背を起こし、立ち上がって言葉を掛けた。
「頑張ってください…」
何を頑張るんだ…
自分で一瞬可笑しくなった。
「あなたも…」
そう言って田中一佐が笑顔で執務室に入っていった。
私は田中一佐の姿が見えなくなるまで、その姿を追った。
向に人がいなくなり少し緊張が取れ、ソファーに崩れ落ちるように座った。
遠くで自分の名前が呼ばれている…
頭が朦朧としていた。
私は気絶したかのように眠っていたのだ。
時計を見ると、田中一佐が執務室に入って30分ほどが経っていた。
半分寝ぼけた状態で、扉の脇にいる秘書官の方に向かった。
扉に近づいたところで、自分が持ってきた黒色のビジネスカバンを忘れていることに気づき、慌てて戻った。
秘書官に促され執務室に入った。
やはり室内には、総理と官房長官の二人しかいなかった。
二人はソファーに座っていたが、私が入室すると二人は立ち上がり笑顔で迎えてくれた。
三人は挨拶を済ませると、官房長官は私に向かい側に座るように勧めた。
「大変おつかれでしょう…」
総理が、同情のような言葉を掛けてくれた。
そう話してくれた総理の表情にも、疲労と苦悩が滲み出ていた。
入室した瞬間から、その事は直ぐに見て取れるほどだった。
菅原官房長官も然りである。
「早速、リストを見せて下さい」
官房長官は前置き無くリストを催促してきた。
私は鞄から1㎝程の厚みを帯びた角2の紐付き封筒を差し出した。
「こちらです…」
官房長官は封筒を受け取ると、紐を解き、中からA4の用紙50枚ほどに集約された“選抜リスト”を取り出し、総理に手渡した。
総理は一枚一枚リストを上から下に目を落とし、見終わると官房長官に手渡した。
その動きを20分程繰り返した。
その作業が終わると、総理が口を開いた。
「分かりました。
後ほど担当者に引き継ぎ、詳しく精査致します。
ありがとうございます。
短い間にこれほどのリスト…
大変だったでしょう。
これでひとまず、少し休めますね…」
総理から労いの言葉を掛けて貰えたが、菅原官房長官からやはり問われた。
「ご苦労様でした。
もう一つお願いしている事案は、いつ頃になりそうですか…」
私は小さい溜息をついて、準備していた回答を伝えた。
「あと… 五日ほどお時間を下さい…」
そうは言ったが、あと三日有れば何とかなりそうだった。
「分かりました。
引き続きよろしくお願いします」
官房長官が“それならいいが”といった表情で頷き答えた。
「ところでお聞きしたいのですが…」
私は準備していた質問を、覚醒した頭から引っ張り出し、ダメ元でぶつけてみようと思った。
「このリストや、取り掛かっている資料収集は何の為なのでしょうか…
勿論、無理だとは思っていますが…」
「勿論、無理です」
官房長官は即答した。
そして付け加えた。
「睡眠もろくにと取らずに、頑張っていただいてなんですが…」
そこに総理が割って入ってきた。
「このリストや、収集して貰った資料が無用の長物になるのが一番なのですが…」
「はい…」
私は、分かったような、分からないような、微妙な返事を呟いた。
総理は、語気を強くして話し始めた。
「間違いなく言えることは、このリストや収集して貰った資料が役に立つ時が来た時…
日本は最悪の状況に至っている時です…」
「分かりました」
私も強い口調で返した。
“それ以上の情報はもう十分です”の意味と“任された仕事を、責任を持ってやり抜きます”の二つの意味を込めて。
自覚するのが少し遅かったかもしれないが。
一区切りつき、表情が和らいだ官房長官が、先程までとは違って普段の口調で語り掛けてきた。
「ところで、このリスト作成を手伝って貰った方々には、何と言って手伝って貰ったのですか…」
「“日本の未来を築く人たち”を官邸に“招待したい”らしい…
そう言って手伝って貰いました」
私は深く考えずに答えた。
その回答を聞いて、総理と官房長官は顔を見合わせ苦笑いを浮かべた。
三日後、私は官邸に資料を届けた。
受け取った相手は、海上自衛隊隊員だった。
資料にある極秘内容と、それを基に実行する作戦の指揮をこの海上自衛隊隊員らと共に、自分が執ることになるとは、この時は想像すら出来なかった。