Crossing Intention vol00 プロローグ
家はこれと言って金持ちではないが貧乏でもないごく普通の家庭だ。
小中はそこそこ友達がいたし、とくに尖った性格でもなければ、いじめを受けていたということもない。
やや勉強ができ、やや運動が苦手で、良い子でもなければ、悪い子でもなく、
親や教師からすれば扱いやすい、平凡を絵にかいたような学生であることを僕は自覚している。
高校の進学は少し背伸びをしたせいで初期の成績は落ち気味だったが、
まったく勉強に付いていけないというこのもなく中の上が中になった程度のスランプで、
両親も環境の変化により一時的に成績が低迷していると捉えているようだった。
きっとこのまま、両親や周囲の期待を大きく逸脱することなく、
そこそこの大学へ進学し、そこそこの企業に勤めるんだろう。
…などと漠然とした将来を考えつつ、なんら疑問も持たずに日々を過ごしていた。
でもいつからだろう、そんな日々が退屈に思えるにようになったのは。
いつからだろう、家族や周囲の友人たちが疎ましく思えてきたのは。
高校2年の1学期、僕は不登校になった。
とくに環境に問題があったわけではない。僕自身が何か追い詰められていたりしたわけでもない。
17年間という短い人生の引き出しからその明確な理由を考えてみたりするのだが、
どうにもパッとしない。
僕がやっていることはただ敷かれたレールをただ歩むだけ。
用意された選択を選んでいるだけ。
…などと言葉を並べてみても実際は近いようでいて正解ではない気がする。
強いていうなら刺激がないことだ。
「無理に通わなくても卒業する方法はあるけど、
それがあなたにとって良いことなのかよく考えなさいね」
こんな曖昧な理由で不登校になった僕に対し、両親の反応は意外とクールなもだった。
「あのね秀一、若いうちはね。
エネルギーが有り余っていて、どこかで発散しないと精神的に鬱屈していくものなのよ。
部活でもやればいいのに。」
そう言ったのは今年大学2期生になる姉だった。
今日も学校へ行こうとしない弟を見かねての忠告なのだろう。
姉の愛実は僕とは違い、勉強熱心で要領がよく、自主性に富み人望もある、そしてなにより美人だ。
僕と姉とでは、立場も備わっているものも、おそらく見ている世界も違う。
姉には僕の気持ちなど理解できるはずがない。してもらいたいとも思わない。
もちろんそんなことは口にしないが。
「小言なんて聞きたくない。僕は部屋へ戻らせてもらう。」
「なにそのフラグw」
これからさらに続くであろう姉の会話をネタで遮って、僕は足早に2階の自室へ退散した。
5.5畳の間取りに小さめの窓が1つ。
折り畳み式のベットと、備え付けのドレッサー、小学から使っている本棚付の学習机。
まるでドラマのセットのような簡素な部屋だが、1つだけ似つかわしくない文明の利器がある。
学習机に置かれた2つのモニターとデスクトップPCだ。
中3の冬、高校の合格祝いに親から買い与えて貰ったのだ。
僕は勉強熱心なわけでもなければバイトも部活もしていないが、
中学の頃から続けている趣味がある。
部屋へ入った僕は学習机の椅子に腰かけデスクトップPCを立ち上げた。
モニターにデスクトップ画面が映し出されると同時に、
メニューバーにお知らせアイコンがポップ表示される。
これは僕の唯一の趣味としてるSNSのメッセージ着信アイコンだ。
僕はさっそくアイコンをクリックして、メッセージウィンドウを開き内容を確認した。
カナタ:おいイッチ、前から誘ってたネトゲやる気になったか?
カナタとはSNSで知り合ったネット上の友人だ。
おそらくハンドルネームで本名は知らない、実際のところ顔も素性も性別さえ分からない。
インモラルで誹謗中傷や犯罪の温床に成りかねない側面はあるものの、
著名性の高さと、その気になれば何者にでもなれるSNSの特性が気に入って1年ほど前に始めた。
ものの善し悪しは使いようなのだと僕は思う。
このSNSは新規でアカウントを作成すると、30日間ほど初心者一覧に表示される機能があり、
既存ユーザーは新規ユーザーのみに絞ってプロフィールなどを閲覧することが出来る。
そこで僕を見かけて声を掛けてきたのがこのカナタだった。
ちなみにイッチとは、僕がネット上で使うハンドルネームだ。
名前が秀一だからイッチ。我ながら捻りもセンスも感じられない。
しかしこのハンドルネームはよく使われているので本名を特定されることはないと思う。
カナタは以前から僕をネットゲームに誘ってきていた。
SNSや2chなどでたまにネットゲームをネタとしたスレッドなどを見かけるし、
クラスメイトにも何人かネットゲームをやっているという人が居たため興味はあるものの、
僕自身ネットゲームはおろか、普通のゲームすらあまりやったことがない。
そのため不特定多数の人間とゲームを共有するネットゲームはどうにも敷居が高く、
のらりくらりと返事をはぐらかしていた。
このまま無視しようかとも思ったが、
このSNSのメッセージは厄介なことに確認すると既読マークが付く。
既読スルーはさすがに可愛そうだし、失礼にあたるので仕方なく返信をした。
イッチ:そのネトゲってどういう感じのゲームなの?
カナタ:MMORPGだ
即返信がきた。現在時刻は午前10時32分。
本来であれば、学生は学校へ、社会人は仕事をしているような時間帯だ。
カナタはよほどの暇人なんだろうか。もっとも人のことは言えないのだけど…
MMOとは、Massively(大規模) Multiplayer(多人数型) Online の略であり、
その名の通り、不特定多数のプレイヤーがオンライン上で仮装世界を舞台に遊ぶゲームのことだ。
しかし僕はそんなことを知りたいのではない。どういう内容のゲームなのかを知りたいのだ。
イッチ:そうじゃなくてさぁ…!
カナタ:俺も知らん!まずはやってみればいいじゃん
イッチ:え~…w
カナタ:面白いかどうかはやってみてから決めようぜ。どうせ暇なんだろ?
カナタからそのMMORPGの公式サイトであろうURLがメッセージで送られてきた。
カナタは知り合ったときから自分の世界へやや強引に引き込もうとする節があり、
チャット上の物言いも割とぶっきら棒なのにどういうわけか人懐っこいという、
なんとも人を選ぶ性格だが、何気に面倒見の良い面もあり、
歯に衣着せぬ表裏のない物言いが僕には心地よかったりした。
そこまで言うならやってみようかな…
現在は気の迷いで不登校という後ろめたい状況ではあるものの、
基本的に今までと変わっていない。退屈で平凡な日々だ。
ネットゲームという未知の世界への好奇心と、ほんの少しの刺激を期待して。
公式サイトのURLをクリックする。
ブラウザウィンドウが開きゲームのサイトが表示された。
最初に目に入ってきたのはリズムカルな音楽と共に、
なにやら緑色のモンスターと猫耳の女の子が短剣を手にして刃を交えていたり、
白いローブを着た渋いおじさんが持っている杖から火の玉を放出したり、
全身銀色の鎧を纏ったお兄さんが大きなトカゲを一刀両断したりする3Dアニメーション。
正直ちょっと目がチカチカする。
一通りのアニメーションが終わると、
このゲームのタイトルであろう文字がデカデカと表示された。
Crossing Intention
これが僕とネトゲとの出会いだった。