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雪の兎を捕まえて  作者: ミズノ
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昔のことを思い出して

 僕らは足を速めた。雪道の上の足跡をひたすら追う。角を曲がり、歩き、また曲がる。曲がるたびに僕らの足取りは早くなって、気が付かないうちに僕らは全力で駆け出していた。

「北見さん、は、強いよ」

 息を深く吸い、吐きながら話しているせいで、声がとぎれとぎれになる。だから、こんな場違いなことを言ってしまっているんだろう。ほら、実際に、北見さんだって困惑した表情を浮かべているじゃないか。

「バレンタインデーに手作りのチョコを渡すなんて、普通の人間にはそうそうできることじゃない」

「何それ、急にどうしたの」

 北見さんだって、さっきまで僕がきょとんとするしかないようなことばかり喋っていたのだ。アルコールの回った愚かな大人みたいに、意味の分からないことを喋ったところでおあいこだ。だから僕は構わず続けることにした。

「一年生の時さ、合唱の指揮やってただろ」

「やってた。真面目にやってくれて助かったよ」

「何人かうるさい奴いたじゃん。男で」

「本当、腹立ったよ。あの時は」

「僕はあの時の北見さんを見て、こいつはいい奴だと思った」

「私は絶対嫌われたと思ってたけど」

 言葉の選び方が雑になっているけれど、走りながら一息に話しているのだから仕方がない。

「北見さんは『ちょっと男子!』とか言わなかっただろ」

「何それ、どういうこと」

 北見さんは困惑を通り越して呆れてしまったらしい。おとなしく僕の話を聞くばかりだ。

「あの時、北見さんは前に立ったままでピアノの伴奏止めさせて、まだくっちゃべってる男子のところに歩いて行ったじゃん。それで、一人一人話をして黙らせていっただろ」

「うん、そうしたけど」

「僕さ、中学の時それと逆の目にあったんだよ。僕は凄い真面目にやってたのに、数人騒いでただけで、男子っていうだけで全員が説教を受けるんだ。確かに、僕が他の人を注意しなかったのも、悪いと言えば悪いんだけどさ。その点、北見さんは、全員を適当に分類してひとくくりにしなかったし、一人一人とちゃんと話をする勇気、というか、思い切り、というか、そういうのを持ってた。それが凄いと思った」

 それでも、僕は彼女と直接話したことがない。僕が知っていることは、せいぜい名前と性別とクラスくらいだ。

 北見さんは何も言わなかった。

「だから、今回も間違いなくうまくいくと思う」

「だから、って全然理由になってない。褒め殺しは世界で一番重い罪だよ」

 その声は、蚊の鳴く声よりもずっと小さく聞こえた。さっきからずっと、彼女は雪の上の足跡をばかり見ている。

 ポケットの中の携帯電話が震えた。松野からだった。

『まだ講義中だ。あと十五分くらいで終わる。どうかしたのか?』

「後三十分だってさ。早く見つけよう」

 彼女は神妙な面持ちで頷いた。

 住宅街を抜けた。二車線の道路に出る。街頭の本数は住宅街より多く、あたりの様子がはっきり見える。

「見て」

 僕は北見さんが指で示すほうを見た。ずっと追いかけてきた足跡の先、小さな兎の姿が、街頭の下にぽつんとあった。地面に座り込んで、眠るように丸くなっている。口にはきらきら光る袋を加えたままだ。ここまで走ってきて体力がなくなった……のかもしれない。

 僕らの左手から車がやって来ては、ヘッドライトで僕らの目をくらませては通り過ぎていく。

「前後から挟み撃ちにしよう。僕が、いったん道路を渡って、兎の後ろに回りこむ。それで、車の流れが道路をふさいだところで、同時に飛び掛かって捕まえよう」

 それでうまくいくのか、北見さんとしても疑問のようだった。僕だって、百パーセントうまくいくと思っているわけじゃない。だだ、今できる中で一番いい方法がこれだと思うのだ。短い思案の後に、彼女は頷いた。

「わかった。じゃあ、お願い」

 僕は車の来ないタイミングを見計らって反対側の歩道に移り、雪兎が逃げ出さないのを横目で見ながらもう一度車道を横切って元の歩道に戻った。北見さんも、雪兎との距離をゆっくり縮めつつある。雪兎は丸くなったまま動かない。挟み撃ちにされていることに気が付いていないのかもしれない。ふっ、と大きく息を吐く。白い吐息が宙に消える。息を吸って吐く音さえ、相手を逃がしてしまう致命打になってしまう気がする。そんなこと相手に伝わるはずがないのに。

 後方から車のエンジン音が聞こえた。雪道の上を、車が二台続けて走ってくるところだった。雪兎と僕の距離は三メートルくらい。ゆっくり近づく。それに合わせて、北見さんも距離を縮める。ヘッドライトの明かりがだんだん近づいてくる。雪兎は耳を起こし、顔を上げた。僕のほうを振り返った。後二メートル、一メートル。近づいても逃げようとしない。北見さんには気が付いていないのかもしれない。僕はその場で歩みを止めた。北見さんがゆっくりと頷く。より慎重に、無限の時間をかけるみたいにして、北見さんは雪兎の背中に手を伸ばした。白い二本の耳が、痙攣したみたいにぴんと立った。北見さんは、全身で逃げ道を防ぐみたいにして、雪兎の背中に飛びついた。

 音もなかった。白い雷が地面を走るみたいに、雪兎は北見さんの腕をするりとくぐり抜けた。北見さんはなおも手を伸ばす。その指先は、雪兎の口から伸びたリボンをほんの少しかすめた。地面を蹴り、小さな姿を追って車道に飛び出す。

「待って!」

「待て!」

 僕らが叫んだのはほぼ同時だった。僕は北見さんの右腕を両手でつかんで歩道側へ引っ張った。僕らは勢い余って雪の上に倒れこんだ。

 どしん、と、重量感のある衝突音が雪道に響く。それに一瞬遅れて、急ブレーキのかかったタイヤが地面とこすれる、激しい音が続いた。

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