甘い記憶
特に新しい発見もなく家に帰ると、今日は寝転がる気分にはなれず、僕は先生から薦められた本の世界に浸っていた。
1ページずつ読み進めていく度に、自分の生活に先生が入り込んでいるのが当たり前になっていることに気づいて、この物語の中に先生からのメッセージが隠されているんじゃないかと、つい探してしまう。
物語の面白さとは別の方向で読書に集中していると、ヒロインの過去の話まで読み進めていた。
圧倒的な美しさで主人公を魅了するヒロインも、学生時代は、眼鏡におさげ髪で、あまり自己主張ができなかったらしい。
すると、頭の中に一筋の閃光が走るイメージと共に、誰かの姿と物語のヒロインの姿が重なる。
あまりにタイミングがよくて、偶然とは思えなかった。
僕は……この人に会ったことがある?
欠けた記憶のピースがはまる音。
中学の時に間違いなく僕はこの人に会った。
もしかして、その人が……先生?
ただ、どういうシチュエーションで出会ったのかまでは思い出せない。
どんな接点があったというのだろう?
中学2年が14歳だとして、その頃の先生は22歳。家庭教師とかなら接点がありそうだけど、僕の前の成績からして、多分違うだろう。母さんも言ってなかったし。
……とりあえず、今は読み進めよう。
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「あの……」
「…………」
「あ、あのっ」
「……何?」
「お、お姉さん……だ、大丈夫ですか?」
「どうして、そう、思うの?」
「えっと、その……か、哀しそうな顔、してたから……」
「そう、かな?私、哀しそう?」
「はい。……大丈夫、ですか?」
「…………私は…………」
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甘い記憶を辿り、そっと口元を緩める。
甘い……なんて言いながらも、他人が聞いたところで、そうは思わないだろう。
でも、それでいい。私にとって甘ければそれでいいのだ。
彼は今、頑張って思い出そうとしてくれている。
つまりそれは、私を意識しているということだ。
それだけで10年分くらいの幸せを感じてしまう。
……本当に単純ね。こんなの彼に知られたら、恥ずかしくてしばらく顔見せられないわ。
それにしても、ここ数ヶ月は少し焦ったわね。
まるで女っ気のなかった彼の周りに、女子が集まりだしたもの。奥野さんは積極的になりだすし、あんなちっちゃい子からも好かれてるし、新井先生は色々と意味不明な接し方してるし。
どちらにしろ、まだ油断はできないし、私は私の全力で彼と向き合うだけなんだけどね。
そう考え、私は窓を開け、夜風を部屋に取り込んだ。




