お世話(奥野愛美編)3
なんとかその日の授業を終え、真っ直ぐに家に帰ったのたが、僕はまだ落ち着かない気分のままだった。
その理由は……
「わあ、すごい。浅野君、小テスト8割正解してる!私も負けてらんないなあ」
「あ、ありがとう……」
そう。僕の隣には現在奥野さんが座っている。
なんていうか、隣という言い方が生温く感じるくらいに。
ていうか、むしろくっついてしまっている。今日の授業中のように、そりゃもうピッタリと。
肩や肘に触れる温もりに、精神力やら何やらをガリガリと削られているが、不思議と頭は冴えていて、さっき問題集の小テストをやってみたら、驚くほど出来がよかった。
奥野さんは、僕の問題集を見ながら、まるで自分の事のように喜んでくれている。
その様子を、頬を緩めながら眺めていたら、こちらを見た彼女と目が合った。
「ん?どうかしたの?」
「あ、い、いや、なんでもないよ。それより、何か飲み物持ってこようか?」
「水筒の中、結構残ってるからいいよ。それより、ちょっといい?」
「え、いいけど……」
奥野さんの声音と表情から、何か真剣な雰囲気を感じ取り、居住まいを正すと、彼女はしばし逡巡してから口を開いた。
「あの……浅野君ってさ……好きな人、いるよね?」
「え?」
突然の質問に、ついぽかんとしてしまう。
いきなり女子にそんな事を聞かれたからだろうけど、それだけじゃない。
その言い方はまるで、僕に好きな人がいるのは確定しているみたいで……。
すると、奥野さんはいきなり立ち上がり、こちらに向かって、手をぶんぶん振った。
「あははっ!ごめんごめんいきなり!!驚いたよね!?」
「えっ?えっ?」
またもや突然の出来事にぽかんとしていると、奥野さんは隣に再び腰を下ろしてきた。
「ほらほら、浅野君とこういう話って中々する機会なかったからね?なんかつい話してみたくなったというか……」
「あ、ああ、そうだね。なんていうか、興味ないわけじゃないんだけど、こういう話するの慣れてなくて……」
「あはは、いきなりごめんね?あ~……熱くなっちゃった……」
そう言いながら、奥野さんは胸元をぱたぱたさせた。
真横にいるせいか、ついその意外に豊満な膨らみに目がいってしまう。
だが、その視線に気づかれたのか、奥野さんはサッと胸元を隠した。
やばいと思いながら、奥野さんの目を見ると、こちらをジト目で見ていた。
「……見た?」
「……ごめん」
すぐに頭を下げると、彼女がぼそぼそと何か呟いている気がした。
「……私のでも見てくれるんだ」
上手く聞き取れないが、とにかく頭を下げ続けていると、ぽんぽんと肩を叩く感触があった。
慌てて顔を上げると、奥野さんは優しい笑みを見せていた。
「別に怒ってないから気にしなくていいよ。じゃあ、今度は質問を変えてみようかな」
「何?」
「浅野君、私の事……どう思う?」
「…………え?」
さっきと似たような……それでいてどこか違う雰囲気。
奥野さんの瞳は潤んでいて、茶色い髪は窓から射し込む夕陽に赤く染められていた。
自分の言葉次第で、何かが決定的に変わる。
そんな感覚の中、言葉をしっかり紡ぐように口を開いた。
「……えっと……尊敬、してるよ」
「尊敬?」
「うん。奥野さんって、僕とは違って誰とでも関わっていける積極性があるし、勉強も運動も努力を惜しまないし……クラスメートの中じゃ、一番尊敬してる、かな」
なるべくありのままを加工することなく、それでいてはっきり伝えると、奥野さんは口元に手を当て、何度か頷いていた。
「……そっか……まあ、悪くはないかな。……ていうか、またごめんっ!変な空気にしちゃって!」
ころころ表情が変わる奥野さんを見て、また一つ新しい彼女の一面を知る事ができた気がした。
*******
だいぶ陽が傾き、奥野さんが帰ることになったので、僕は見送るべく家の外まで出ていた。
彼女は、さっきの事などまるでなかったことのように、いつもの笑顔を見せていた。
「なんかごめんね。つい長居しちゃって」
「いえいえ、こちらこそ勉強に付き合ってくれてありがとう。それじゃあ、帰り気をつけて」
「うん、大丈夫。あたしの家まで割と人通りあるし。それじゃあ、また明日ね」
「うん、また明日」
奥野さんはひらひらと手を振り、歩き始めた……かと思えば、立ち止まり、振り返った。そして、どこか躊躇うように視線をさまよわせてから、口を開いた。
「……浅野君」
「?」
「その……今日から私、君の事、裕一君って呼ぶから!君も私の事、愛美って呼んで!!」
結構大きな声で言われ、こちらも自然と口を開いてしまう。
「え?あ、うん……わかった。え~と……愛美さん?」
おずおずとその名前を口にすると、彼女は満足そうに頷いた。
「よしっ!それじゃ、裕一君また明日!」
そう言って、奥野さんは早足で帰っていった。
振り返ったりする事はなく、夕陽が華奢な背中を赤く染め続けている。
それはあっという間の出来事だった。




