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唯さん

 …………眠い。

 それは昼休み明けの授業での事。

 空腹を満たした体は、自然と眠りを欲してしまう。

 今日の僕に関していえば、別の理由もあるんだけど。

 まあ、どっちにしろ……眠い……。


「……君…………浅野君?」


 やわらかく心地よい声が聞こえてくる。それは女神の囁きのようで、睡眠を邪魔されてもちっとも悪い気がしない。

 ああ……いつか僕も、毎朝こんな声に起こされたいなぁ。


「浅野君?今は授業中よ」


 授業中という言葉に反応して、びくんと肩が跳ねる。あ、あれ、今もしかして、眠りかけてた?

 周囲に目を向けると、こちらをクスクス笑いながら見ているクラスメートが数人いた。

 そして、黒板の前に立ち、澄んだ黒い瞳を眼鏡越しに真っ直ぐ向けてくる唯さん……じゃなくて、森原先生。何寝ぼけてんだ、僕は。

 先生は腕を組んでじっと僕を見ながら、そのクールな表情を崩さずに淡々と告げる。


「居眠りしてたの?」

「あっ……えっと……」


 眠りかけていたせいか、頭と口が上手く回らない。元からそんな回転の早い方じゃないけど。

 そんな僕の様子を黙って見ていた先生は、そのまま黒板を向いた。

 そして、その背中は僕にとてつもない不安をもたらした。

 やばいっ……何か言わなくちゃ……何か言わなくちゃ!

 腹の底から湧いてくる不安が押し出したのは、まさかの一言だった。 


「ちょ、ちょっと待ってください、唯さん!」

「っ!」

『…………』


 僕の言葉に、教室内がしんと静まり返る。

 それと同時に、僕はやっとはっきり目が覚めた。

 黒板に目を向けると、先生が書こうとしていた文字は、途中が捩れて、謎の象形文字と化している。

 周りのクラスメートは、今度は一斉に何ともいえない視線を向けてくる。こんなに注目されたのは、球技大会のソフトボールでエラーした時以来かも……うん、ただただ居心地悪い。 


「浅野、お前……勇者だな」


 後ろの席から、ほとんど話したことのない高橋君ですら、僕に賛辞を送ってきた。いや、それより……


「…………」


 黒板の前で、チョークを持ったまま固まっていた先生が、ゆらりと振り返った。

 その目は、普段以上に何を考えているのかわからない。まるで黒いカーテンに覆われているみたいだ。

 結局、視線を逸らすことも、身じろぎすることもできずに立ちすくんでいると、先生がようやく口を開いた。


「浅野君。放課後、生徒指導室へ」 


 ******


 生徒指導室の前に立ち、僕は気持ちを落ち着けるべく、深呼吸する。

 ……あっという間にこの時間が来てしまった。

 あの後、高橋君や奥野さんに話しかけられたけど、不安やら何やらで、何を聞かれたかも何を言ったかもよく覚えていない。

 ……覚悟を決めて、そろそろ入るか。

 扉に手をかけようとしたところで、中から静かに開いた。

 狙い澄ましたかのようなタイミングに驚いていると、先生がひょっこり顔を出し、口を開く。


「来たわね。はやく入りなさい」

「……はい」


 僕は先生に促されるまま、そっと生徒指導室に足を踏み入れた。

 

 *******


「座りなさい」

「は、はい……」


 ピリピリした空気が肌をじわりじわり撫でていく感覚を覚えながら、僕はゆっくりとパイプ椅子に腰を下ろす。

 そして先生は……僕の隣に腰を下ろした。何故だろう。何故いつもこのポジションなんだろう?

 しかし、先生は全く気にせずに話を始める。


「さて、何で呼ばれたかはわかっているわね」

「は、はい」

「君は私を何と呼んだのかしら」

「えっと……名前で呼んでしまいました。すいません」

「それではよくわからないわ。さっきと同じ呼び方で呼んでもらえるかしら」

「は、はい!……ゆ、唯さん……」

「…………ん。声が小さくてよく聞こえなかったわ。もう一回言ってもらえるかしら」

「わかりました……唯さん」

「…………ん。ありがと…………いい?この前は名前で呼んでと言ったけれど、あれはそういう意味ではないわ。私は教師で君は生徒なの。だから、今後はああいう呼び方はしないように、ね」


 確かに今回のは完全に僕が悪い。

 自分の心の中できつく反省しながら、キチンと学校とプライベートでの区別をつける先生に、また一つ尊敬の念を抱いた。

 そして、力いっぱい頭を下げる。


「先生、すいませんでした」

「わかってくれればいいわ」

「はいっ。この前のことは一旦リセットして、ちゃんと教師と生徒という関係なんだということを、頭にたたき込みます!」

「……そこまでしなくていいわ。この前はこの前で、大事に胸に仕舞っておいて」

「えっ、でも……「それより、今日はどうして私のことを名前で呼んだの?」

「えっと……すいません。眠りかけてました」

「また頑張り過ぎちゃったの?」

「いえ、今回はゲームです。この前の……」

「そう。ちなみに、誰から攻略したのかしら?」

「た、担任の先生からです」

「……そう。そういえば、甘い物は好きかしら?ブ〇ックサンダーゴールド食べる?」

「え?あ、ありがとうございます」

「ちなみに、どんなエンディングだったか、聞かせてくれる?」

「あ、はい。その……結婚して、子供ができました」

「そう…………喉渇いてない?お茶があるわ」

「あ、ありがとうございます」

「それにしても意外ね。自分から年上を攻略するなんて」

「あ、違うんです。本当は転校生を攻略したかったんですけど、選択肢間違っちゃって」

「…………」


 先生は、僕の前に置いてあったブ〇ックサンダーゴールドを手に取り、袋を破いて食べてしまった。


「せ、先生?」

「別に。急に甘い物が食べたくなっただけよ」

「はあ……」


 先生はポケットから普通のブ〇ックサンダーを出し、僕の前に置いた。何だろう、この微妙なランクダウン。


「じゃあ、反省文を書きなさい。原稿用紙一枚分」

「……はい」


 先生から原稿用紙を手渡され、さっそく書き始めようとすると、柔らかな感触が、甘い香りと共に背中に乗っかってきた。


「えっ、えっ!?」

「ちゃんと書くか見るだけよ」


 先生は、背後から僕の肩に自分の顎を置き、机に手を置いている。

 そのせいで豊かな膨らみが僕の背中で潰れ、容赦なく理性を狂わそうとしてきた。

 しかも、僕の顔のすぐ横に先生の顔があり、耳が微かに触れ合っている。や、やばい。今までのくっつき方と違う……!


「じゃあ、始めましょう」


 先生の口調のクールさだけが、いつもと同じ響きだった。

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