プロローグ
「……ここが、『勇者』の墓か」
雨が降っていた。視界を埋め尽くすほどの豪雨が、男の全身を濡らしていた。
だから、男の瞳から流れ出る液体は雨に混じって消えて、きっと世界に気付かれることはなかっただろう。
男の行動は常軌を逸していた。男は素手で墓を暴いていたのだ。両腕が血で染まりながらも土を必死に掘り起こしていた。
その鬼気迫る後姿には察せざるを得なかった。
「もしかして、あなたは勇者様の……」
その言葉に男は何も答えなかった。
ずっと。ずっと。
どこかで絶対に生きていると、幸せにしていると、そう信じて生きてきたからだ。
そして、何年たとうとも、絶対に探し出すと、あの子の母の……。妻の、美恵子の墓前で誓ったはずだった。
数分ほど土をかき分けると、出てきたのは簡素な作りの棺桶だった。
「っ……」
棺桶の中に入っていたのはすでに白骨化した死体だった。あの日々のおもかげはない。
ただ。
「これ、は」
白骨の胸に置かれていた指輪。
それを、男は握りしめる。
「絵里……」
それは男が、妻に、死んだ妻に生前贈ったものだった。
あの日、美恵子が死んだ日、絵里はそれを形見にするのだと、そう言って、ずっと身に着けていた……。ひと時も肌身離さず、もっているべきはずのものだった。
だから、それは、男が探し求めていた存在だったのだろう。
「う、……くっ」
だが、それは五体満足の形をしてはいなかった。
あばらは何本かが完全に砕けており、右腕の骨も、なかった。頬の骨は折れて陥没し、歯はほとんどがなくなっていた。足には、骨まで及んだであろう傷も無数に、刻まれていた。
「うぅ。うううううううううううううううううっ!」
抱きしめると白骨はボロボロと崩れ落ちていく。
「うおお。おおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
たった16歳の女の子に、なにを強いてきた。
こんな。ボロボロになるまで……死ぬ瞬間、この子はどれほどの絶望にいたのだろう。
つらかっただろう。こわかっただろう。苦しかっただろう。
「ごめんな。遅くなって、本当にごめん。絵里……」
何もできない自分を呪う。この両腕を。
出来たらこの子の受けた苦しみを、おれに……。
華奢な体で。ケンカだってしたことがない。小さなころは体も弱くて。
いつもいつもお父さんお父さんと、後ろをついてきて……。
「……ぅ」
奇跡なんて起こらない。ずっとわかっていたはずだった。
防衛大臣、埼長成は、ただ己の無力をかみしめていた。
日本国の中枢を支配する地位に立っても、たった一人、たった一人残された自分の大切な人すら、救えない。
ならこの汚れた両腕でなにができるだろう。
もう出さないこと、だろうか?
「……娘の様な犠牲を、もう出さないこと」
そのために……『勇者召喚』などと言うふざけた名分を掲げて無数の日本国民を拉致してきたこの世界は――。
壊されるべきだろうな。
「……ゆ、勇者様は、勇敢に戦い、わ、わしらを守ってくれたのですじゃ」
「……」
それは、かりに悪魔に魂を売り渡したとしても。
「そうですか」
いたわるように声をかけてきた老人に、成は微笑えんで答える。
「娘も正義のために戦えて本望だったでしょう。最後を看取ってくれて感謝します」
殺す。
殺す殺す殺す。
殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す!!!
こんな、16歳の娘を犠牲にして、なぜ生きていられる。子供に、ほんの小さな子供に、命を落とす様な戦いを強いておきながら、のうのうと守ってもらえただと、なぜのたまえる。
生きている価値なんてない。こいつらには価値なんてない。
いや、この世界に生きていい価値のある存在など、いない。
「長官……大丈夫でございますか」
「すまない。時間を使ってしまって。娘が見つかったよ。取り乱してすまなかった」
部下に対しても落ち着いたようにふるまう。
「アルメニア帝国との条約を締結するよう、首相に進言しようじゃないか。この国を救うために、自衛隊をこの世界に派遣しよう」
――滅ぼさなくてはならないのだ。
そして、正義の鉄槌を――。