ガラスの靴をはいた君は誰?
退屈だ。
退屈だ。
退屈だ。
私にとって、城の舞踏会というのは退屈極まりないものであった。
列席している多くの貴族たちの変わらぬ顔ぶれ。
毎回毎回、決められた相手と決められたダンスを踊る流れ作業。
私は、この形式ばったパーティーにいつも辟易していた。
表面上は楽しんで見せていたが、心では笑っていなかった。
退屈だ。
退屈だ。
退屈だ。
私は常にそう思っていた。
けれども、それは仕方のないことであった。
王子である私は、ここでは愛想よく振る舞うことしか許されなかった。
王である父の印象をよくするための、最高の王子を演じなければならなかった。
みなが望む答えを用意し、そのように振る舞う。
それが、私に課せられた役目だったのだから。
楽しむことよりも、演じることを優先させていたのだから。
そのため、私はこの舞踏会で笑顔を絶やすことはなかったが、心から楽しんだことなど一度もなかった。
恋することさえも封印し、絶妙な距離感を常に保っていた。
成人になってもそうであったから、そんな私を心配してか、多くの貴族たちが年頃の娘を紹介してくれた。それはそれで大変ありがたかったが、しかしそれもまた、舞踏会のつまらなさに拍車をかけた。
もちろん、紹介してくれた誰もがきれいに着飾った美しい女性たちではある。だが、心ときめくことはなかった。
誰それの娘、誰それの姪。彼女たちの背後には決まって見知った顔の貴族たちがちらついた。それゆえ、下手をうってはいけないという意識ばかりが先行していた。
恋どころではなかった。
私にとって舞踏会とは、そういうものだった。
退屈で、苦痛で、早く終わって欲しい会合。
そういう認識でしかなかった。
そう、あの夜までは……。
それは、寒い冬の季節だった。
いつものように同じ顔ぶれが列席している中、遅れて一人の女性が大ホールの扉を開けて現れた。
舞踏会も佳境というところで扉が開かれたものだから、みなが一斉に視線を向けた。
その視線が集中する先に、私は目を奪われていた。
純白のドレスに身を包み、ガラスの靴をはいた女性がそこにいた。
「おぉ」と誰もがその美しさに息を飲む。
誰だこの女性は、と私も思った。
彼女は、みなが一斉に目を向けたために一瞬戸惑った表情を浮かべたが、堂々と入ってきて私の元へとやってきた。
列席していた人々は、彼女の美しさにやられて次々と道を開けていった。
その中を颯爽と歩く彼女の金色の長い髪がとても眩しかった。
なんと。
なんと美しい女性なのだろう。
私は胸の高鳴りが抑えきれなかった。
彼女は私の前まで来ると、ドレスの裾を上げてお辞儀をした。
「王子様、私と踊っていただけますか?」
鳥のさえずりにも似た美声に心ときめく。
私は胸に手を当てて礼をした。
「喜んで」
そして、彼女とのダンスが始まった。
思い出したかのように大ホールに曲が鳴り響き、人々も踊り出した。
私と彼女、お互いに一切の言葉はなかった。
流れるままに、華麗に踊る。
彼女の動きはいささかぎこちなかったものの、それが余計に魅力的だった。
カツカツと音を立てるガラスの靴が、リズムに乗って彼女を動かしているようにも見えた。
私は彼女との踊りを心から楽しんだ。
麗しい瞳で私を見つめるその顔に、私は釘付けになっていた。
君は誰?
君の名前は?
そう尋ねたかったが、言葉が喉につっかかって出てこなかった。
彼女は満面の笑みを浮かべていた。
それはこの場にいる誰よりもきれいで優しい笑みだった。
きっと心までもが美しいのだろう。
慈愛に満ちたその表情に、私は虜になっていた。
一生こうしていたい、彼女の側にいたい。
その気持ちだけがどんどん膨らんでいく。
こんな気持ちは初めてだった。
ギュッと手を握ると、彼女もギュッと握り返してくれた。
それがなんとも嬉しくて、そしてとても幸せだった。
言葉はなくとも、お互いの気持ちは通じ合っている。そう感じられた。
退屈だった舞踏会、それが今では最高の舞台へと変わっていた。
どれくらい踊っていただろう。
気が付けば夜中12時の鐘の音が鳴っていた。
ゴオーンという鐘の音と共に、彼女はピタリと踊るのをやめた。
「……?」
突然踊りをやめた彼女を、訝しく見つめる。
彼女は、その麗しい瞳で私を見上げていた。
それは何かを求めるかのような、寂しげな瞳だった。
「どうしたのだ?」という言葉を発する前に、彼女は私の手からするりと離れ駆け出していた。
「……え?」
突然の出来事に私は固まる。
パタパタと勢いよく駆け出す彼女は、あっという間に大ホールから姿を消していた。
なぜ?
どうして?
訳の分からない疑問が胸をつく。
ハッとなって慌ててあとを追いかけたが、追いつけなかった。
夜の闇の中で、彼女の姿は完全に見失ってしまっていた。
外の階段には彼女が履いていたガラスの靴が片方だけ残されていた。
透き通るようにきれいなガラスの靴。
それを拾うと彼女のぬくもりが残されていて、それがなんだかとても切なかった。
彼女は誰だったのだろう。
私はガラスの靴を胸に抱いて、彼女のいなくなった夜の闇を見つめ続けていた。
※
それからというもの、私は熱に冒されたかのように舞踏会で出会ったあの女性のことばかり考えていた。
純白のドレスに身を包んだ、麗しの姫君。
彼女についてあれこれと想像を膨らませる。
しかし、いくら記憶をたどっても思いつく人物はいなかった。
もしかしたら貴族でも王族でもないのでは。
ふと、そう思った。
城でおこなう王家主催の舞踏会。
格式高いこのパーティーで招待できる相手は決まっているからだ。そのどれにも彼女の存在は確認できなかった。
そもそも、彼女がどうやってあの舞踏会に参加できたのか。
どうやってこの城までこれたのか。
それが謎だった。
招待状も渡されていない部外者が、幾重にも施された警備をかいくぐり、舞踏会に参加できるはずがない。
念のため警備の者たちに話を聞いてはみたが、彼女の存在は「気づかなかった」の一点張りだった。
王家主催のパーティーに部外者が紛れ込んでいたのに「気づかなかった」で済ませるわけにはいかないが、みな熟練の者たちで、その誰もが「気づかなかった」というのであるのならば、それは何かしらの魔法がかけられていたのかもしれない。
だとすれば彼女は魔女ということになるが、しかしながら魔法が使われた痕跡は確認できなかった。
ただひとつ、彼女がいたという証拠はこの手にあるガラスの靴だけである。
魔女でもいい、彼女にもう一度会いたい。
私は日に日にその想いを募らせていった。
城の者を使って捜索に当たらせたが、そもそもどんな人物だったかも定かではないため、それは困難を極めた。
それから何度か舞踏会が催されたが、あれきり彼女が現れたことはなかった。
あの夜は、幻だったのかもしれない。
日が経つにつれ、私はそう思うようになっていった。
※
季節は冬から春へと変わっていた。
暖かな陽気に包まれた町の中を、私は散策がてら馬車を走らせていた。
この町は広い。
いたるところに小道があり、それはどこまでも続いている。
正直、王族の私ですら把握しきれていない細かな道がたくさんある。
いずれ道を整備しなければ。
そう思っていた矢先、その脇道から二人の女が現れた。
「王子様、王子様」
声をかけられて、私は御者に命じて馬車を止めた。
「何か用か?」
車内から女たちに尋ねる。
二人とも、色目を使った私の大嫌いないやしい顔をした女だった。
「王子様、突然お呼び止めして申し訳ありません。実はですね、我が家にこんなものがあったんですよ」
そう言って見せたのは、ガラスの靴の片割れだった。
「こ、これは……!」
思わず馬車から飛び降りて、奪い取るようにそれを受け取ると、マジマジと見つめた。
紛れもない、本物だった。
「これはどうしたのだ? どこにあったのだ?」
女たちはニヤニヤ笑いながら顔を見合わせると、小声で言った。
「それがですね、私たちの妹、まあ、妹といっても血のつながってない身寄りのない女で、私たちがお情けで住まわせてあげてるような召使いの女なんですがね。その妹が隠し持っていたんですよ」
「そなたらの妹が……?」
にわかには信じられない話だった。
どう見ても、目の前の女たちと、あの夜一緒に踊った彼女とが結びつかない。
血がつながっていないとはいえ、あの神々しいまでの姿は、目の前の女たちからは微塵も感じられなかった。
「しかし、なんでまた……」
「さあ。王子様がガラスの靴を使って人を探しているという噂を聞いて、どこかから仕入れたんでしょうね。悪知恵が働く女ですから、これを使って王子様に取り入ろうとしたのかも……」
くくく、と卑屈に笑う女たちに嫌悪感を抱きながらも、私は確かめたいと思った。
「ぜひ、そなたらの家に案内してくれ」
「はい、もちろん」
女たちは面白いことが始まるとでも言いたげな顔で、私を案内した。
女たちの住む家は、狭い路地の先にあった。
古いが、わりと大きくてきれいな家だった。
「どうぞ、王子様」
女たちに促され、家の中へと足を入れる。
すると、目の前に飛び込んで来たのは、ボロボロの衣を着て床を雑巾がけする一人の女の姿だった。
全身が灰にまみれ、髪の毛の色が白く見えるほどだった。
「お帰りなさいませ、お姉さま。すいません、もう少しでここのお掃除が終わりますから」
そう言って顔を上げたその瞳に、私は釘付けになった。
「そ、そなたは……」
「あ」
彼女は小さく叫ぶと、雑巾を放り投げて奥へと引っ込んで行った。
間違いない。
見間違うはずがない。
彼女は、あの時の……。
雷で打たれたような衝撃が私を襲った。
まさか、このような場所で出会えるとは。
このような場所に住んでいたとは。
「あらあら、逃げ出しちゃったわね。いい気味だわ」
「私たちの王子様をたぶらかそうとした罰よ。さあ王子様、目一杯あの子を痛めつけてくださいな」
ここにきて、ようやくこの女たちが私をここに誘い込んだ理由を悟った。
いやしいこの女たちはあの灰まみれの彼女を徹底的にイジメ抜くつもりで私を案内したのだ。
このガラスの靴が偽者だと思い込んで。
確かに、王族をたぶらかそうとする者は重罪である。
場合によってはかなり重い罰がくだされるであろう。
しかし、それはたぶらかそうとした場合だ。
このガラスの靴は本物だし、彼女の姿も、紛れもなく本物だった。
私は奥へと引っ込んだ彼女を追った。
彼女は、奥の釜戸の前で震えながら縮こまっていた。
「そなた……」
「お、王子様……」
ブルブルと彼女は震えていた。
申し訳なさそうに縮こまっているその姿に、私は胸が締め付けられた。
私は安心させるように笑いかけながら言った。
「このガラスの靴は、君のだね?」
差し出す靴を一瞥し、彼女は首を振る。
「いいえ、私のでは……ありません」
「ウソをつかなくていい。君は、今の君は灰をかぶってはいるけれど、美しさはあの時のままだ。私はあの夜以来、一時もそなたのことを忘れたことはない。見間違えるはずがない」
「王子様」
私は震える彼女の側に近づくと、傷だらけでカチカチに固まった素足にガラスの靴をはめた。
それは、驚くほどピッタリと彼女の足に吸い付いた。
そして、もう片方。
あの舞踏会の夜に落として行ったガラスの靴を懐から取り出すと、足にはめる。
それも、吸い付くようにピッタリとはまった。
「やっぱり、君だったんだね」
笑みを浮かべる私に、彼女は答える。
「申し訳ありません……。本当に申し訳ありません……。私のような者が王子様の前になど……」
「何を言う。そなたの美しさは、あそこにいた誰よりも輝いていた。私は一目でそなたに惚れたのだ。こうして、もう一度会えて嬉しい」
そう言って、震える彼女を抱き寄せた。
あの夜のことが鮮明によみがえる。
今までで一番幸せだったあの夜のことを。
カタン、という音がして振り返ると、この家に案内したあのいやしい顔をした女たちが驚愕の表情を浮かべながら私と彼女を見つめていた。
我に返った私は侮蔑の表情を浮かべながら言ってやった。
「ああ、君たちには世話になった。よく、ここまで案内してくれた。あとで相応の礼をしよう。そうだな、城で彼女の召使いとして雇ってやるというのはどうだろう」
私の言葉に、彼女たちは口をパクパク開けながら放心していた。
ガクガクと身体を震わせながら私を見つめている。
まあ、召使いというのは冗談だ。
城内でこのような女たちを見ること自体、不愉快でならないからな。
人知れず、ここでひっそりと生きていくほうがこの女たちには似つかわしい。
「ところで、まだ名前を聞いてなかったね。君の名前は?」
「私の名前は……」
彼女の紡ぎ出す名前を、私は心から美しいと感じた。
彼女だからこそ、美しいと思った。
きっと、彼女の名前は後世に残るだろう。
私はそう、確信した。
お読みいただき、ありがとうございました。
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