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授業 地下へ

この屋敷には、地下がある。JBはそういっていた。マウント・フジの噴火から百年が経ち、火山灰は年に1メートルの速度で積もっていった。


だからヤーパンに住むひとびとは少しずつ住居を上に向けて増築し、砂や灰に埋もれてしまうのを防いでいた。地下には、昔の生活の跡が残っているのか?


でも、金の縁取りのついた、セイコーの時計は午前10時半を指している。そろそろ授業の時間だ。


教室には三人がけの机がいくつかと、ホワイトボードが置いてある。ミツクニは折りたたみ式のいすにすわって、大きく伸びをする。JBは、シューレの講師だ。豊かな白髪に、金縁のめがねをかけ、いつも灰色のスーツを着ている。元銀行員だという噂だった。ミツクニは、ひげを毎日、必ず剃ることにしている。きのう、シューレに向かう道の途中で、「国の将来に希望を持とう」といってる大人がいたけど、あごのひげが剃れていなかった。信用してはならないような気がした。


マウント・フジが噴火しても、結局氷河期なんて来なかったじゃないか。でも、それよりも、ミミだ。クラスメイトのミミの名前が浮かんだ。たぶん、こういうときは、そろそろミミがやってくる。ミミが現れた。ミミは黙って教室に入り、三人がけのイスのどれかにつこうとした。それで、ミツクニがそちらを見ているのに気づき、少し考えた。そうしたら、少し笑いそうになった。


笑うのを我慢して、表情をつくろった。


「寒くて参っちゃう」ミミは先に、静かな声で言った。

「冬だからかな」ミツクニは表情をゆるめて答えた。

あまり話題というものもない。

「今日は、地下実習の日らしいね」ミツクニが目を泳がせているので、ミミはこういった。

「うん、ああ、JBが言っていた気がする。あの人、ちょっと変だよね」

「そうかも。うん、変」

「だから、その、あの先生は唐突にむつかしいことをいう。そこがなんか変だ。きっとなんか、妄想みたいなことになっちゃってるんだと思う。勉強しすぎて」

「うん、勉強しすぎると良くないのかな」

「でも、今日は宿題をやった」

「ふうん、そう」


いつからか、シューレでは「地層」についての授業がはじまった。つまり、すべからく19歳になったものは地下の発掘を行うこと。シューレと呼ばれる学校の地下にいって、探索をすることを必須とする。前世紀の遺跡をみることで、社会・歴史への関心を高める。


でも、ミツクニはあまり地学が好きではない。


JBは学校で、その授業を受け持っている。ミツハルは、ミミがいすに座るのを見る。黒い髪が、流れるように広がる。あまり目を向けないように、教室の前を向く。


すると、ミミが話しかけてきた。


「あのさ、あたし、ラジオでカレッジの授業聞いてるんだよね。地学とか、面白くない?JBの部屋からアンテナ伸びてるでしょ?あれで受信するの。ペキンの大学の授業とか聞けるよ」

ミツクニは少しとまどって答える。

「地学って、マウント・フジのこと?」

「そう。氷河期が来るって騒がれたでしょ。ナショナル・ジオグラフィックに噴煙をあげてる写真がのってた。その前に、よくわからない黒い砂が日本国を覆ったんだって」

「そうだ、見たことある。すごい大きな花火みたいだった」

「それより、JBがもうすぐ来るよ」

セイコーの時計は、地下から発掘されたものだが、めったに狂わない。針は10時45分をさしていた。ブリキとベニヤ板でできた、教室の扉の向こうから声がした。

JBの声だ。「おおい、開けてくれんと、機械がぶっこわれちまうぞ」ミツクニは、JBは何かの機械を両手で持っているんだ、と思った。

ドアを開けなければならない。黒いポリエチレンのジャンパーコートを着た、JBがそこにいた。JBは口ひげを生やし、ふだんよりも丈夫なめがねをかけていた。


「ふむ、ありがとう」JBは何でもなかったかのように、落ち着いて礼を言った。

「おはようございます」ミミとミツクニは、いつものように挨拶をした。

「そうだね、おはよう。今日は地下実習の日だ。……ときに、君たちにはこれがなんだか分かるかね」

JBは、片方にジャッキのついた天秤ばかりのような機械を持っていた。

とても重そうだ。片方のジャッキで、もう片方のボルトを上に持ち上げる仕掛けらしい。

「ま、重そうですね」

「重そうですね」二人は似たような返事をした。

「こいつは、マンホール蓋開閉機だ。マンホール蓋開閉機。なんか面白い響きだろう。どんなに堅いマンホールでも開くのが自慢だね」

JBは、白い口ひげをゆがませて笑い、心持ち薄い白髪をなでた。

「面白いというか、どこでこんなもん買ったんですか」ミツハルが聞いた。

「どこか倉庫に眠ってたんだろうな。みんな在庫帳につけてあるんだよ、それで見つかる」ミミはしばらく考え込んでいた。

「それで、なにするんですか?」

「マンホールのふたをこじ開けて、地下に行くのさ」JBは、にやりと笑って言った。JBはホワイトボードの前に立ち、話を始めた。

「では、授業を始めよう。今日は地学の時間だ。ミツクニ君はさっさと教科書を開き、44ページにのっている地層のところを読み上げるのだ。教科書は持ってこなきゃ駄目だよ」

ミツクニは、「新しい地学について」と太い活字で印字された本をとり、44ページを開いた。ミミもそうした。「はい。ええ、地層とは、噴火のあとで火山灰が地表を生めていき、埋まってしまったところを地層と呼ぶようになった、とあります」

そのとおり。当時の人は。日々積もっていく火山灰も、俗に地層と言っていたし、崖の岩石も地層だったってことだ」

「えっと、はい。火山湖の下に沈んだトーキョーの探査も、地学は兼ねている。20歳を迎えたものは、火山灰の下に沈んだ地下におもむき、噴火前の社会について考察すべきである」

「大変よろしい。それで、地下だ。こいつは20歳になるまで入るのは禁じられていたね。まあ、最近の人は入るのかもしれない。でも、入っていたところで大したことはない。わたしにいわせれば、20歳のバースデー・プレゼントのようなものだ。昔は逆の意味だったんだがね。」

「ぼくら19ですけど」ミツクニが言った。

「噴火前ちょうどに、選挙権を持つのが19歳になったのさ。いささかややこしい」ミミは考えていた。「成人の儀式みたいなもんですかね」


そうこうするうちに、地下へ向かう仕度ができてきた。JBが、サバイバル・キットの入った箱や、はしごや、アルコール灯などを用意していたのだ。地下へ通じるマンホールは、シューレの1階にあった。マンホールは、どこか鈍く光って、何かを主張しているようだった。

「これが地下実習ですか」ミツクニは少し遠慮がちにたずねた。

「この機械でマンホールをずらして、開けるのだ。やってみたまえ」JBは、重いマンホール・ジャッキを目的の場所に置いた。ミツクニに操作を教えながら、ジャッキをこぐと、徐々にマンホールは持ち上がっていく。重い金属のふたがごとりと音をたて、床に落ちる。あたりには昔のほこりの匂いが漂っている。


JBは、ガラスのフードがついたアルコール灯に火をつけた。青い炎が、圧縮空気におされてぼんやりと点った。


「そっと持って、落とさないように」

「入ってみます」ミツクニはこういって、はしごの段に足をかけた。一度ランプを一階の床の上に置き、両手を開けておいてから、慎重にはしごの段を下りた。床に足が着いた。ミツクニは両足で地下の床を踏みしめ、ほっとしたように息を一つついた。


「本棚がいくつかある部屋に下りたみたいですね。白い木でできたドアがあります」ミツクニは大きな声で答えた。JBは、ひとつうなずくと、ミミに声をかけて、はしごを降りた。地下の一室は、アルコール灯の薄い光を受けて、ぼんやりと光を反射している。壁は白く塗られているが、黄色く見えた。屋敷の壁は石造りでできている。そのため色があせても、強度はそれほど落ちなかったようだ。地下に降りたミミが、机に詰まれた本を見て言った。

「ドイツ語の本があるわね。リーベス・ゲディヒテ……苦手だ」

「愛する頬に。ゲーテ詩集のことだ。そこに化粧鏡がある。女性の部屋だったのだろう」JBが説明をした。

「21世紀の中ごろ、トーキョーが水没したのに合わせて、「古典復興」が起こったんだ。ドイツ語やロシア語などが見直された。「オリガ・サトウ」の名前も、ロシア語から取られたのだろう。彼女は外国語も学び、原書を集めた」JBは、ミミから手渡された古本のサインから、部屋の主を推理した。


「ふうん」ミミは本を手にして、注意深く表紙をめくった。しかし、書かれているのはアルファベットで、英語でもない。

「見て、真空管アンプがある」ミミが言った。

「ほんとだ。でも変なものに興味もつね」ミツクニが答えた。

「いいじゃない。こういうの好きなの」そこには、真空管の部分を金属製のカゴで覆った、ステレオアンプがあった。

「うごかないのかな」ミミはこういって、コンセントを抜きなおしたり、スイッチを動かしたりした。「真空管は温まるのに時間がかかったはず。だからすぐに音は出ないんだろうけど」ミミが続ける。

「でも、ランプがつかないってことは、壊れてるんじゃないか」

「昔の音楽をきいてみたい」ミツクニは機械を触ってみたが、反応がなかった。

「オーディオディスクを探して、上に持っていって聞けばいいんじゃないかな」

「なるほど、確かにそうだ。喫茶室にアンプがあるものね。何かつまんないけど」部屋の両側にある、背丈ほどのケースには何枚かのコンパクト・ディスクが残されていた。そのうち一枚は、黒いジャケットに白地で、「ナット・キング・コール」と書かれていた。写真には笑顔を浮かべた黒人が写っていた。ピアノの前に座っている。

「二枚組みみたいだから、これを持っていこう。JB、いいですよね

」「いい選択だよ。とてもいい歌だ。ピアノも歌も、とてもいい」JBはうなずいた。JBが口を開いた。「……この屋敷の人間は、ものを捨てることを極端に嫌ったんだ。屋敷の中にあるものの中には、その下、つまり昔の屋敷から持ってきたものも多く含まれていたから」JBが続ける。

「古いものは何でも貴重だったわけですか」ミミが言った。

「そうかもしれない」JBはなんでもないようにミミの質問に答えた。

ミミは「ふうん」と言って、何かを考えているようだった。


「原因は、マウント・フジの噴火だけではなかったようだ。あちこちで専門家がいろいろなことをいうけれど、全体像がつかめていない。しかし、世界はゆっくり衰弱に向かっていたようだ」

「まあ、うすうす分かっていたけれど、頑張らなくちゃ駄目ですね」ナツは言った。

「まったくです」ミツクニが調子を合わせた。JBは、歩きながら説明を続ける。


ミツクニとミミはそれについていく。100年の間に変化した法律や、国家体制について、また、人々の性格などについて。特に、嗜好品や、高級品にかかる税金が上がり続けた。健康や治安に関する法律がたくさん作られ、監視社会とも言われた。


「それもこれも、マウント・フジから黒い砂が吹いてきたあたりからだったなあ……」


なぜ20歳になるまで、地下に来てはいけないのだ?これは少年時代のミツクニを、しばしば当惑させたルールだった。「先生、なんか地下って、妙な空間ですね。なんで19歳は来ちゃいけないんですか。地元の年上の友達は行ってた、っていうけど、たいしたことなかったって。


たしかに古いものは面白いけれど、地下になにがあるんですか」

ミツクニがいった。

「ふうむ、さて」とJBが言った。

「きみたちは、満20歳だったな。間違いないな?」ミツクニとミミは、顔を見合わせて、何かあったのか、と目でサインを送りあった。

「はあ」「ミツクニは20かもしれないです」二人はしばしの間、逡巡した。

「まあ、そのへんは適当なんだ。んじゃ、そこのコンセントを入れてくれ」JBの目の前に、箱状の、人の背ほどもある機械があった。自動販売機もまた、100年の間に失われたもので、貴重なものだ。機械には蛍光灯のバックライトがついていた。目を点にしつつ、ミツクニはスイッチを入れる。


「健康増進はけっこうなんだが、こいつがないと、わたしは生きていけない。だが、もう世界は衰弱の果てに至って、これすら抹殺しちゃったんだな。葉を作る人がいなくなった。仕事の場でも、分煙が徹底された。禁煙外来といって、たばこはニコチン中毒症という病気にされちまった。そして、そこに、マウント・フジの噴火が来た」

「それで」ミツクニはまだよくわからない。


「JTがつぶれちゃったんだよ。そっから先は、みんな電子タバコだよ」巨大な機械は、唸るような音を立てて、スイッチが入ったことを知らせるランプをつけた。


赤ラーク、白ラーク、マールボロ、マールボロメンソール、セブンスター、ジョンプレイヤースペシャル、わかばなど、またその他を電気式で売る、タバコの自販機だった。「あ、本物のマールボロだ」ミツクニは素直に感動していた。


JBはそれをながめて少し顔をゆがめたが、満足そうにうなずいた。「まあ、健康にいいことはひとつもないよ」JBは、ジャンパーのポケットからライターを取り出し、自販機のボタンを押すと、鮮やかな手つきで包装をむいた。やがて、少し甘い香りのする、なつかしい紫の煙があたりに漂った。

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