天谷真子 1
日の出する前、何やら母さんが部屋から出て行った。
仕事かな?
母さん曰くバイトのようなものらしいがそれで我が家の家計が成り立っているので何一つ文句を言う気はない。
七時前、そろそろ見張りは必要ないと思い自分の部屋に入る。
卓袱台の上には置き手紙があり、仕事が入ったから出ていく。朝ご飯は作らないで。とのこと。
作らないでいいといったのは俺にではなく衣川さんにだろう。
俺が飯を作れるわけないからな。
ずっと外にいたせいかトイレに行きたくなった。
俺はそそくさとトイレに向かう。
漏れる漏れる。
とはいえ眠い。急に眠気が襲ってくる。
これはまずいな。このままじゃ十六になってお漏らしというおぞましい事態が起きてしまう。
俺はダッシュでトイレの戸を開ける。
何度も言うがこのアパートはおんぼろである。
ただ大家さんの主義で、ビジネスホテルみたいな風呂とトイレが一緒になっているのではなく二つとも別々に分かれている。
まあ今はそんなことはどうでもいいのだが、
「「あっ」」
衣川さんとトイレで鉢合わせをした。
落ち着け!冷静になれ。今の状況を良く考えてみろ。
便座の上に衣川さん。その前に俺。
「自首するしかねえ」
一気に尿意と眠気が消える。
そっと衣川さんを見た。目が長い髪の毛の所為で見えない。でもなんか必要以上に陰がかかっている。
「あ……あの……」
どうしよう。多分これ死亡フラグ立ったよな?
衣川さんの顔は段々と赤くなった。一応彼女赤鬼ね。
「そうだった。貴様はそういうやつだった」
お互い一気に血の気が引いた。どうやら衣川さん怒りを通り越したようだ。
「初めてあったとき鬼畜なやつだと思っていたが、どうやらそれだけでは足りなかったようだ」
肩が震えている。それに共振し俺も身震いする。
「そこを動くな」
衣川さんは一撃必殺の如く俺の喉を狙った。
それを紙一重でかわすが、壁が障子紙のように破れた。相変わらずの馬鹿力である。
「大丈夫です衣川さん。俺何も見てません」
これはあながち嘘ではなく、実際俺は眠かったので目を閉じかけていた。
「嘘を吐くなこの詐欺師め!」
詐欺師か。よく言われるな。
「少しはいいやつだと思っていたが、やっぱりお前はどうしようもないクズ野郎だ!」
衣川さんはそう言い残し出て行った。
「俺も、仲良くなれると思っていたんだけどな」
やっぱ男女間での友情は存在しないというのはこういうことなんだろう。
大体男同士でやって困る事なんて無い。
だが男女だと些細なすれ違いが大きな事故を呼ぶ。
「そう簡単に、事は運ばないな」
俺は彼女が用意してくれた二人分の朝食を眺めながら呟いた。
「おおー。いっくんじゃない」
庭を掃除しながら話しかけたのは、大家さんの九曜十日さんだ。
おっとりとした物言いが特徴で、年齢は先月三十路を越えたらしいのだが、全くそうには見えない。
もしも母さんがああでなければ俺は信じることは出来なかっただろう。
それにしても俺の周りに年齢詐欺の女性が多すぎなのは気のせいではあるまい。
「聞いてよ、いっくん。今朝起きたら誰かが粗大ゴミを家の前に置いてたんだよ。酷いよね」
土と金属の塊を箒で端に寄せる。
ちなみにいっくんとは一樹の『い』である。念のためね。
「そうですね」
昨日(正確に言うと今日の深夜)、残骸の処理に困ったので放置してたのだ。
大家さんが力業で金属の塊をひっくり返す。
一体どこにあんたそんな力があるんだよ。
「んー。これ何かな?」
見せてきたのは便箋のされた手紙だった。
「あ、それ。俺が昨日貰ったラブレターです」
自分でも眉一つ動かさないでなんてとんでも無い嘘をついたのだろうか。
「えー。いっくんも隅に置けないなー」
大家さん精神年齢が低いから相手にする必要はない。
俺は手紙を抜き取ると速やかにアパートを出て行った。
また俺の下駄箱には画鋲が入っていた。
だが今度は文字通り桁が違う。何と二千個以上!
だがこの画鋲には弱点があり、昨日持ち帰って使ってみたのは良いものの大体十二時間で消えるのだ。
だからこの画鋲の寿命もあと十二時間だと思うと、可哀相になってくる。
俺は画鋲を掴む。確かにどれも全く同じだ。
「どうしたんですか先輩」
呼ばれた気がした。
「この画鋲供養すること出来ないかなって」
何だかこの画鋲に親近感が湧くのだ。
「正気……ですか?」
素で引かれた。
「正気だけど、って何で俺普通に画鋲と会話してるんだ?やっべえ。遂に画鋲と会話できるほど俺のギフトは末期なのか!?」
「末期なのは先輩の頭です!!」
右スネを蹴られた痛みが走る。おかしいな画鋲は刺すだけで、蹴ることはしないはず。
「はあ。ホント先輩は人間ですか」
「あれ?画鋲に人間かどうか疑われたぞ」
「好い加減気づけ!このクソ昼行灯」
何で俺が画鋲相手に罵倒されなきゃいけないんだ。
「折角火葬してやろうと思ったが、そんなこと言うなら水に濡らして錆らせてから捨ててやる」
「どうしましょう。真子、こんな話の通じない人間にあったことは初めてです」
「失礼なこと言うな。ちゃんと俺は最初から気付いていた」
そんな失礼なこと言わないで欲しい。
「じゃあ先輩は気付いて敢えて真子を無視していたんですか?」
「あたぼうよ。ちゃんと『いい加減気づけ!このクソ昼行灯!』から聞いていたよ」
「結構後じゃないですか!」
今話しているのは髪の色が朱色の背の低い女の子だ。
「それにしても初対面のくせにずいぶん馴れ馴れしいけど、もしかして俺達どっかであったことある?」
「いえ。先輩と真子は初対面です」
ずいぶん馴れ馴れしい人間がいたものだ。
「じゃ何で話しかけた?」
俺別に初対面から話しかけられるような面白い容姿してないぞ。
「先輩が画鋲入れられて悔しそうな表情を期待してたのですが、予想の遥か先を行き残念を通り越して病院を勧める所でした」
「酷いなお前。俺の優しさが一体どこに非難される要因があるんだ」
「人と物を一緒にしないで下さい」
「昔の人がいっていた。人をカボチャのように思えってな」
「それは緊張したときであって登校中の話ではありません!」
といい加減だべっていると埒があかないので
「と言うのは九厘冗談だが……」
「結構本気じゃないですか」
話の腰を折らないでほしい。
「一年だよね?名前は?」
「一年十組所属の天谷真子です」
ああ。そういや衣川さんが言っていたな。
「何でこんな事した。相手が俺じゃなかったら問題になっていたぞ」
ようやく本題に入ろう。
「そうですよ。忘れてました。この男は……真子からお姉さまの初めてを奪ったんですから」
ん?何やら微量だが殺気が。
「せんぱーい。少々お聞きしたいことが」
「ん?まさかもう学校の授業に着いていけなくなったの?だったら俺にではなく先生方にだな……」
いくら偏差値72と言っても教えられる科目には限りがある。
「いえ。先輩の私生活のことです。正確に言うと先輩とお姉…衣川早苗先輩との関係ですが」
「衣川さんがどうかしたの?」
「単刀直入に聞きます。」
「何を?」
「お姉さ……衣川先輩とどこまで事が進みましたか」
「話の意味が分からん。どこまでとは?」
「本気で言ってるんですか。それ」
「ああ。悪いが本当に理解できん」
「では質問を変えます。昨日と今日先輩は衣川先輩と何をしましたか」
その質問なら答えられる。
「一緒に飯食って、一緒に夜中話し込んで、同じトイレに入っただけだが」
その後攻撃されたことは省かせてもらったが間違えていないはず。
「………」
「どうした天谷?お前が答えろって言ったから答えたんだからせめて感想か礼をだな……」
股間を蹴られかける。
俺は慌ててガード。
「いきなり蹴るな!お前男の急所がどれだけやばいか知ってるのか」
「……うるさいですね。ごみが、蛆が。真子のお姉さまを傷つけるだけ傷つけてそんな態度、許されると思ってるんですか!」
そうか。そういうことか。
俺としたことが察しが悪すぎた。
「お前同性愛者なんだな」
つまりこの天谷という後輩は衣川さんのことが好きなのだ。
そういや衣川さん女にもてるって言ってたよな。
つまりこいつ視点だと俺は好きな人を寝取ったクズ男になるわけだ。
いやいや待て。別俺と衣川さんは付き合っているわけでも、下手をすれば友達ですらない訳で、
「別に俺が謝る必要性皆無だな。だから俺は謝らない」
「別に真子は先輩方が付き合うかどうかの話をしているわけではありません。お姉さまにこれ以上悪い虫、いいえこの場合は泥が付かないようにしているだけです」
「いいか天谷。いくらなんでも俺が後輩に優しいからって泥扱いは良くないと思うな」
「構いません。だって先輩男じゃないですか」
はあ。こいつフェミニストか。
道理で頭悪そうだって思った。
「いいか一年。別俺はお前が同性愛者だろうがフェミニストだろうが批判するつもりはないが、自分の意見を他人に押しつけるだけは良くないと思うな」
「あんたがそれをいいますか。もういいです。これは酷い」
何で酷い呼ばわりされるんだ。
「先輩、二度と会わないことを祈っています」
初対面の後輩にぼろくそ言われたためかショックで寝込む。
というのは勿論嘘で、理由として寝不足があげられる。
「よくもまあおいそれと私の前で寝ることが出来るな」
後ろの席の衣川さんがもう慣れっこな殺気を放つ。
「ZZZ」
だが寝る。
「よくもまあ私の授業で寝ることが出来るな」
古典担当の高嶺先生が、俺にチョークを投げた。
俺はそれを教科書で弾き返した。その結果仲野に当たった。
「てめえ」
うるさいな、少しは自重する心がないのか。
何か言ってるのだが、全く聞こえない。
あれ?何で天井が見える?確か机に伏せていたはず。
少し遅れて痛みを感じた。どうやら仲野は俺を蹴り倒したようだ。
「おい仲野。おれの仲間に手を出すとはいい度胸じゃねえか」
何やら時雨、俺と同じ事言ってる。
「うっせえ黙れカス。下等種共は引っ込んでろ」
俺は反射的に仲野の頭を回し蹴りしていた。
「うるさい」
その一言しか言う気はなかった。
俺は倒れた机を元の場所に戻す。そしてまた眠ろうとするが、頭に血が上っているためか眠れない。
「この人外があああああ」
仲野はシャープペンシルを掴み俺の下に突進する。
俺はそれにあわせてカウンターパンチをいれる。
「がぁああ」
仲野は自分の机まで飛んでいった。
「やめなさい」
「高嶺先生。分かっていると思いますが、ギフトなんて使っていないですよ」
仲野ごとき素手で倒せる。
「これ以上は教師として見過ごすわけにはいかない!もしもまだ喧嘩をするというのならあたしはギフトを使わせて貰う」
焦ってるな。
「やってみろよ。先生。どんなギフトを持っているか知らないけどあなた如きに足下をすくわれる俺じゃない」
そして仲野の上に馬乗りする。
「悪いことをしたらごめんなさいだろ」
「誰がお前らみたいなやつに謝るか。俺は気持ち悪い連中がだいきらぐへええ」
右ストレート。
「何かもう吹っ切れた」
右左右左。左左。右右。左右。
「―――重王無宮ッ!」
俺は壁に吹き飛ばされた。
「そこを動くな。あたしはお前がもっと冷静な奴と思っていたが評価を改める必要がでてきたな」
壁にめり込む。
「何となくですけど、重力ですか」
「そうだ。あたしのギフトは重力を支配する。今嘉神だけ重力の向きを変えさせて貰った」
なかなか恐ろしい異能だ。
でもね先生。
「重力で、俺を支配できないんだよ」
柳動体を発動する。
すると重力は元に戻り床に足を着ける。
「!!!」
残念でしたね。そういうギフトなんですよ。柳動体ってのは。
「何をやっているみんな!こいつを止めろ!!!」
衣川さんが俺を止めようとする。
「くされビッチが!てめえ何か呼んでねえんだよ!」
神経が一つ切れた。
「仲野、三秒だ。三秒以内に俺を蹴ったことと時雨を殴ったことと衣川さんを侮辱したことを謝れ。でないと、俺が俺を制御できない」
「だからぁああ!何で俺がお前なんか化け物に頭を下げなきゃ」
三秒だ。
さっきまでは手加減をしておいた。少なくとも大事には起きないようにしていた。
「仲野。これから俺がお前にするのはただの虐待だ。子供が虫を潰すような、少年が子犬をいじめるような、大人が子供を虐待するような本来なら吐き気を催す悪だ。だからこそ、先に謝っておく。ごめんなさい」
勇気と無謀は全く違うことを、こいつに教える。
「っぐあ。ぶっ」
肝臓を殴る。そして肺。
「重王無宮!なぜ効かない……」
だからそういう異能なんだって。
「だったら!」
先生は机や椅子を俺に飛ばした。
「くっ……」
これは防げない。よく分かっているな。
「いい加減にしろっていっているだろ!わかんねえのか」
勢いづいた高嶺先生。机と椅子で俺を押し固める。
使いたくないが仕方ない。冬物の制服だ。顔と手以外鬼化してもばれないだろう。
「うおおおおお」
重力が何倍になった机を持ち上げる。
「やっぱすげえなこのギフト」
ものに出来ているのは二十%くらいなのに、こうも簡単に重力のかかった物質を吹き飛ばした。
「く……来るなこの化け物!!!」
「じゃあ謝れ。三秒たったが、元親友のよしみとして、もう一度だけ機会をやる。俺を蹴ったことと時雨を殴ったことと衣川さんを侮辱したことを謝れ」
「…………誰が謝るか」
何だろうな。強い意志って。ここまで自分の身を滅ぼすものなのかな。
「人間は自分以下の生物に頭を下げない!」
笑ってしまう。
「じゃあ聞くが仲野。お前俺相手に今まで、金と誕生日の早さ以外で勝ったことあるか」
勉強も運動も身長も強さも正しさもあの二つ以外はみんな俺の方が上だ。
「違うんだ嘉神。俺も親友だったよしみで教えてやる。能力者は、生まれた瞬間から下等なんだ」
そうか。
「そうか」
次回、話が急転します。