ゆめぴりか と ふっくりんこ
12月。 表参道のイルミネーションに誘われて
親友の由美と女2人。 ため息を吹き飛ばす為の女子会に出かける。
出逢って20年間、お互いの何もかも知り尽くしてるから
どろどろした話も、泣いて笑って一緒に吹き飛ばせる。
あえて外で待ち合わせ。
風の冷たさに潤む目にぼんやり映るイルミネーションが、
痛いくらいきれいで現実を忘れそうになる。
忘れたい現実。夢ならいいんだけど、背負うことになった重い現実・・・。
最近の私といえば、40歳のカウントダウンを目前にしても進まない結婚に
今年こそは蹴りをつけよう!!と燃えていたのに・・・。
実家のトラブルでそれどころじゃなくなった。
夏に届いた信じられない知らせ。
「お父さんがバカやっちゃって、家賃が支払えないの。なんとか工面してくれないかしら?」
母の言葉に口の渇きを感じた。父は電話口に出てくるなり、
「ギャンブルで会社の退職金も使ってしまった。借金が1000万円ある。俺が死んで決着つける。
親戚には誰にも言わないでくれ。」・・・。
「何?死んでどうなるの?逃げてんじゃないわよ。何考えてんの?」いきんで叫んだものの
怒りと恐怖で口の渇きは震えにかわっていた。
とにかく、両親は一文無しになった。
一人っ子の私は、会社役員だった父の財産を少しあてにしているところがあった。
仕事は派遣社員だし、貯金なんて150万ちょっとしかなかった。
そんな甘ちゃんの私が、両親を支えなくてはならない。信じられない現実だった。
それからはただがむしゃらに、父の自殺を阻止すべく、月20万円を親へ仕送りし、
知り合いの弁護士に債務整理をお願いし、家賃4万5千円の物件探しから、引越しの手配、
荷造り荷ほどきまで、まるで「なんでも屋さん」のようにがんばった。
休日にバイトを増やして、今やれることをひたすらがんばった。
金勘定ができない父のかわりに、躁鬱病で身の回りの管理ができない母のかわりに。
親戚の誰にも相談ができず、不安で胸がつぶれそうになった3ヶ月だった。
私の貯金が尽きたころ、北海道に住む父の妹にやっと相談ができた。
みんな泣いていた。
私と同じ年のいとこ、ゆきちゃんも泣いていた。
5kg痩せた私を親友の由美が心配してくれた。
去年までどんなダイエットをしても効果がなかった私が、みるみる痩せた。
「ご飯がのどを通らなくって、何を食べても味気ないんだ。」
「あの親父許せん!でも助けなきゃいけないんだもん!えーん!」
さんざん愚痴を言い、由美に慰めてもらい、飲んで泣いて。
全てを話すことで、気持ちが少し晴れる。
心の空に厚く覆われた雲が少し切れるようだった。
でも、帰り道には不安でいっぱいになり、心の空に雨雲がかかる。
重い足取りで帰宅すると、不在票が新聞受けに入っていた。
北海道のいとこのゆきちゃんからだった。
届けてもらった大きな段ボールには、北海道のお米と六花亭のお菓子とクリスマスカード。
「まりちゃん
元気にしていますか?体調崩したりしてない?札幌は毎日寒いよ~。
そろそろクリスマスなので、今年なかなかの評判の道産米を送ります。(色気ないね)
まりちゃん、色々と大変なんだと思う。でもいつまでも続かないと思う。頑張りすぎないようにね。
私達もそろそろ無理しすぎはこたえるお年頃。どうか体を大切にしてください。
しっかりご飯食べて、よ~く休んで。
ままならないこともあるけど、元気ならなんとかなっていくはず。応援してるよ。
ゆき 」
涙があったかく感じた。全身にあったかいものが流れてく感じがした。
それはゆきちゃんのあったかさであり、ゆきちゃんの思いやりがそうさせたんだって思った。
お米の袋には「ゆめぴりか」「ふっくりんこ」
5キロのお米を2つくれたのは、うちの両親のことも気にかけてくれてるってわかった。
「ゆめぴりか」と「ふっくりんこ」
その名前もあったかくて、何度も口出して唱えた。
そうしたら希望を捨てずにがんばろうと思えた。
「いつまでも続かないと思う。」「元気ならなんとかなっていくはず。」
ゆきちゃんのあったかい言葉も何度も唱えた。
そうしたら、「よし、食べるぞ!」と力がみなぎってきた。
これからもまだまだしばらく精神的にも経済的にも厳しいけど、
心をあたためてもらえたことで、確実に力が生まれた。
わたしもこんな人になりたい・・・。本当にありがとうゆきちゃん。。。
翌朝、駅までのいつもの道で、真冬のすばらしい朝日が私を照らしてくれた。
思えば毎日照らしてくれていたんだ。
下ばかり向いていて全然気が付かなかっただけだった。
「ありがとう」って「がんばります」って上を向いて報告した。
心の空はいつしか晴れてやさしい光が私を照らしてくれていた。