BF2.東方からの訪問者(前編)
体に纏わり付くのは、異常なまでに粘度のある暑さ。立ち上る反射熱が全身を包み込み、皮膚を這いずるように湿気が体を苛む。
ハッチング帽に、赤と白の升目模様のシャツと茶色いベスト。紺色のデニムパンツとランニングシューズを身に着けた、登山家を彷彿させる男。若くもなければ、老齢でもない顔立ちだろうか。首には、チェーンに繋がったシルバーアクセサリーか何かを掛けている。荷物は食料品と着替えで膨らんだ大きめのリュックサックぐらいだ。
背の低い枯れ草が一帯に広がる荒野の、ほとんど整備されていない砂地の道にはそれなりに溶け込んでいた。
男が歩くにつれ、山道と呼べそうな峠道が少しずつ起伏を見せ始める。格好こそ自然であるものの、逆にそんな道を徒歩で進む姿が異質だった。
「はぁ、はぁ……俺も、衰えたもんだな。迎えぐらい、頼んでおくんだった」
ハッチング帽を外して、愚痴を呟いたのはソルフ=セイプその人だ。
袖手で汗を拭い、帽子を被り直して歩みを進める。久しい運動で体は火照っているのもあるが、やはり南方の暑さを舐めて掛かったのが間違いか。
話を聞く限り、そろそろ目的地が見えてもおかしくはなかった。
ちなみに、ここはソルフの勝手知ったる東方の地ではない。土地勘も、詳しい地図も持たず、ただ耳に叩き込んできた記憶を頼りに二日間の道程を、愛車のバギーと徒歩で移動しているのだ。第一行政開拓地区と呼ばれていた、西方国家の激戦区である。ジャングルと荒野が隣接する、人間の開拓によって砂漠化が目覚しく見ることのできる地域だった。
「この峠を越えなくちゃならんのか……」
ソルフがぼやいた通り、峠を越えた先のジャングルの隣接地点が目的地だ。
ただ、西方国家の激戦区ということもあり、いつどこから銃弾が飛んでくるかも分からない荒野を、なんの防具も付けずに踏破しなければならなかった。
西方と東方の二国に別れ、一時的な停戦こそしているものの小競り合いを続けている。その両国を分ける中心線を『偽る者の壁』と呼ぶのだが、そこから東西数キロ県内を危険区域に指定し、危険区域内での死亡および負傷に関しては政府からの医療補償を受けられない。
その緊迫感は、退役したソルフには久しい。
『壁近くを潜行する歩兵大隊からのヘルプだ。慣れない気候と、マラリアにやられて、指揮能力が低下している。大隊長の代わりに、指揮を執ってきてくれないか?』
懐かしみながらも、二日ほど前にかかって電話の内容を思い出す。軍人時代の知り合いに頼まれ、『偽る者の壁』を越えて西方南下までノコノコとやってきてしまったお人好しの自分が疎ましい。
本来、退役したソルフが別働隊のヘルプに応じる必要はないのだが、人手が足りないことと昔の約束を良いことに、無理やり押し付けられた形でもある。
「しかし、西方の反政府ゲリラに戦略拠点を占拠された。っていうのも、馬鹿な話だよな……」
とんだ体たらくを見せ付けてくれた元同僚達に、呆れて言葉もない。
もし指揮能力が低下した場合、撤退するのが通常の作戦だ。しかし、今回はそうも行かないらしい。
ただの侵略作戦ではなく、重きを置くのは重要な戦略拠点の奪還。
一個師団でも投入すれば反政府ゲリラなど子供のような相手だが、それこそ西方国家との火種に油を注ぎかねない。故に、一個大隊の侵攻作戦と見せかけて奪還するという、苦肉の策が提案された。
ただ、そのことに関してはそれほど問題視しない。
一番の問題は、黙って出てきてしまったこと。特に、息子であるウィンディに何も伝えず作戦への参加を決めてしまったことが心残りだった。
原因の根底がウィンディにあるとは言え、その責任を負わせるには辛いものがある。
昔の約束――上層部に掛け合ったウィンディの養子契約――が、まさかこんなところで足枷になろうとは、ソルフ自身も思わなかったのだ。
「さて、どう言い訳したものかねぇ……うん?」
溜息を吐き掛けたところで、少し離れたところに一台のトラックを発見する。ソルフと同じ進行方向に向かって停車している。
道幅いっぱいの砂色をした車体。荷台には四角い黒のシートが張ってあり、何を載せているのかは判断できない。
運転席に座るのは恰幅の良い、三十路ぐらいの男だ。慌てて助手席から降りてきた男も、同年代と思しき顔つきだが、些か緊迫した表情をしている。
「おい、早くしろよ。こんな仕事、さっさと終わらせて冷たいビールでも飲もうぜ」
どうやら、何かの運搬作業中に仕事仲間が用を足しているという光景らしい。
通りすがりの農民、という風体ではなく、軍人かゲリラ軍のどちらかだろう。
ソルフは、運転席の男に見つからないようにトラックの真後ろを進む。崖に向かって用を足している男は、陽気に鼻歌を歌っているためこちらに気付かない。
小便男の背後に回り、用を足し終えたところで羽交い絞めにして口を塞ぐ。
「Don't speak(喋るな)」
耳元で囁くように、共通言語で騒がないよう取り付ける。
口を塞いでいた側の手を放し、胸元から取り出したシルバーアクセサリー――ドックタグ――を男の首筋に宛がう。こんな状況でなければ直ぐに見破られてしまうハッタリだが、焦った男にはナイフのような刃物にでも思えるだろう。
「Sey me your belong to organization(どこの所属か答えろ)」
「……命だけは、助けてくれ。東方国家連合軍、第一師団分岐第一大隊、だ」
気が動転してか、男は聞き慣れた東方言語で所属を口にした。
それを聞いて、ソルフは慌てて男を放す。
「こいつは申し訳ない。念を入れたのが仇になったなぁ……。すまない、俺はあんたらのヘルプで呼ばれたソルフ=セイプだ。所属は、元第一師団の師団長。階級は少佐だが、今回は中尉権限を与えられている」
下手に騒がれるよりも早く、ソルフが正体を明かす。
「……あぁッ。こ、これはお見苦しいところをお見せしましたッ。第一大隊所属、階級は一等兵、名前はヘンゼル(Hansel)。ヘンゼル――」
「――畏まった口調は勘弁してくれ。何処の所属だろうと、俺の前では気軽に話して欲しい。これが俺の指揮下に付く条件だ」
ソルフが臨時の上官であることを知り、慌てて名乗るヘンゼル一等兵。運転席の同僚は、ハーバー(Herbar)という。階級は同じくして一等兵だ。
とりあえず、畏まった口調に対しては未だに鳥肌が立つようで、友人か軽い敬語までの話し方を約束として取り付ける。誰の呼び名も、ファーストネームで呼び合うことも、約束の一つだった。
こうして、とりあえず東方軍のベースキャンプまでの足を手に入れた。
「なぁ、別に俺は荷台でも良かったんだが……?」
「あ、いえ、荷台には荷物がたくさんありま……るので、落下の可能性が。怪我をされて、上に文句を言われるのは勘弁です」
ハーバーとヘンゼルに挟まれるよう、車内ですし詰めになったソルフがぼやく。
ヘンゼルの返答も当然だが、倒れる荷物があるぐらいならソルフが支えていても構わない話ではないか。
「それなら、私が荷台に移動します。さすがに、上官にそんな雑務を押し付けるわけには……」
「もう見えてきました。少しだけ我慢してください、ソルフ少佐……。あぁ、中尉で良いですよね?」
逐一、停まって席替えをするのは面倒、とばかりにヘンゼルの提案を却下するハーバー。
「上官思いの下仕官をもって涙がちょちょぎれるよ……」
皮肉を口にする。
二人の下士官には苦笑を返され、ソルフは肩をすくめて見せる。
まあ、彼らが必要以上に気を使うのも無理はない。現在の軍部組織に置いて、元とは言え上級将校という階級は、神にも等しい等級なのである。人的資源のみで戦争をしていたころに比べて、S.Aなる機構装甲の発達が目覚ましい現代では、軍縮による統制士官が大きく変わった。
連隊指揮官止まりだった上級将校でさえ、一個師団を指揮して戦場に出てゆく。連隊から師団までの間にある軍団呼称が廃止されたことに要因があるのだが、それは余談にしか過ぎない。
「さぁ、見えてきましたよ」
まだ緊張の解れないハーバーの言葉に、ソルフは小さくため息をついた。
~どれそれ羊狼ラジオコーナー~
「えぇ、長らく更新を滞らせて大変申し訳ありません。久しぶりに顔を出すヒスイです」
「ほんとに、いつまで読者を待たすつもりだ? 今回は俺が活躍するって言うのに……。おっと、名乗り遅れたがソルフ=セイプとは俺のことさ」
「自身の小説のキャラに怒られるというのは癪だが、読者を待たせたことはアマチュアとて謝罪せねばならんことだろう。さて、謝ってばかりじゃラジオコーナーの意味がないから、少しばかりネタバレと行こうか」
「ほぉ、珍しいじゃないか。あんたが遠まわしに内容を話すことはあっても、ストレートな物言いはないことじゃないのか?」
「ネタバレと言っても、大したことは言わないぞ。今作に出てくるとある二人組は、羊狼の三作目で主役を務めるという話がしたかっただけだ」
「あれ、それって相当重要な話じゃないか? 今回は敵として出てくるだけだが、四作目へのふくせムグッ……」
「それは言わない約束だろ。さて、少しばかりの補足として、今作では羊狼の世界観をもう少し詳しく説明することが挙げられています。なぜ、元少佐であるソルフが師団長を務められたか、などの疑問は軍オタの方などが抱いているでしょう」
「プハッ……死にかけた。けどよ、軍隊組織の構成は時代や状況に左右されるって分かっているだろうから、深くは突っ込まれなかったんだよな」
「とりあえず、重要なネタバレになること以外ならば、感想やラジオコーナーで回答していきますので、ビシバシと突っ込んでやってください。作者本人も、考え切れていない部分が少なからずあります」
『それでは、今回は謝罪を主体としたコーナーになってしまいましたが、これからもよろしくお願いします』