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あの日あの夜あの神楽鈴

作者: 和音
掲載日:2026/07/02

近頃は、思い出せない名前と咳をする回数が増え、やりたいことと出来ることが減った。

そんなであるから、恐らく私はもう長くないのであろう。

この世界に何も残せないというのは大層物寂しいので、まだ文字が書けるうちに、私が体験した奇妙な出来事をここに記す。

駄文となる事を、どうか許して欲しい。



これは、私が丁度十五の夜に、体験した、出来事である。


私は、ある山に囲まれた村で生を受けた。名前は思い出せないが、その自然の豊かな事は鮮明に覚えている。

水源は、村の隅を流れる二本の小川と、稀に降る雨のみであり、井戸はなかった。

外界とは殆ど完全に孤立したその村では、自給自足という、あの頃ですら時代遅れな方法で、日々の食事や、衣服や、住居を得ていた。勿論、村人同士で、分業をしていた。


そこに暮らす者は、十五人だったと記憶している。顔も名前も年齢も、彼らに関する事は最早殆ど靄がかかったようであり、詳しくは覚えていないが、皆、常に笑顔であったことは、強く記憶に残っている。私は、子供ながらに、いや、子供だからこそ、それが恐ろしくて、薄気味悪くて仕方がなかった。

まるで、皆、笑顔以外を許されていないかのような、自分勝手な感情を出すことを禁じられているような、そんな雰囲気であったのだ。


その村は、基本的には自由であるが、ただ、二つだけ、決まり事があった。

一つに、決して山に入ってはいけなかった。

危ないから、危険だからと、よく大人たちに言われた。

事実、夜、眠るとき、時折山の方から奇怪な叫び声が聞こえることがあった。私は耳が良かったのだ。

その事を誰かに話しても、皆、聞こえないという。それが何より不気味で仕方がなかったから、態々山に入ろうとは思わなかった。

ただ、一度だけ、山に冒険しに行ったことがある。


その村には、私以外に、あと二人の子供がいた。

わんぱくな少女と、物静かな少年だ。

どちらも私よりも歳上で、だから、つまり私は、その村で最年少であった。三人は、一歳ずつ、歳が違っていた。少女の方が、その中では、最年長であった。

そこにあった娯楽といえば、僅かばかりの小説と、小さな小さな川だけで、それ以外には何にもないものだから、私たちは、いつも退屈と虚無感に押し潰されそうであった。本を読めたのは、その物静かな少年のみであった。

知っている遊びは幾ばくかあったものの、たった三人では出来ることに限りがある。

大人になったら、必ず外に出ようと、よく誓っていたものだ。

その二人は、他の人と違い、表情豊かであった。だから、一緒にいて、楽しかった。

私は、その二人のことが、好きであった。


そんな二人と、私は山に入った。

目に入るもの全てが新しいものであるから、初めは少し怖かったものの、暫くしたら、私も大変楽しくなった。


気がつけば、陽が傾き出していた。

そろそろ帰らなければという時、私達は、何やら奇妙な跡を見かけた。

巨大な何かがその巨躯を引き摺りながら森の奥へと進んだような、変な跡だった。

突然、周りの気温が下がったような気がした。その時は夏真っ只中で、いくら夕方とはいえ、暑いことこの上なかったにも関わらずだ。

私達は、一気に恐怖に襲われた。

気がつけば、私達は駆け出していた。

その時、私は、遥か遠くで、シャランと、何か鈴のようなものが、鳴った音を、確かに聞いた。


帰った時には、既にとっぷりと夜が更けていた。

私達は、酷く怒られた。親からだけではない。村人全員から怒られたのだ。私達を心配しているというより、何かしてはいけない事、したら祟られる何かを犯したかの如く。決まりを破ったからだろう。

彼らがそれほど怒ったのは、後にも先にも、その時だけであった。



もう一つに、その村の少年少女は、十五になる夜、とある儀式を受けるというものがあった。

何人かに連れられて、夜間の山に入り、そこで、外に出るか、村に残るか、選ぶというのだ。

何故、態々、危険な山で行うのかと、一度訊いたことがある。その村の、村長のような、立場の人間だ。その日は、酷い雨で、する事もなく、尋常でない程、暇だったのだろう。

冗長な説明を受けたが、まとめると、山に住まう、神様のような何者かの、判断を乞うためだという。確かに、その村には、毎年の収穫物の幾らかを、山に持って行く習慣があった。所謂御供えなのだろう。

最終的に、本人の意思が、尊重されるというのなら、そんな事、しなくてもいいではないか、私はそう問うた。村長は、そんな事はいいから、家業を手伝ってきなさいと、私を追い出した。私の家族は、農家であったが、同時に、少しばかりの衣服を作っていた。それを手伝ってこいと、そういうのだ。

私は、不満に思いながらも、家に帰り、ちまちまとした針仕事をした。その時に、両親に、同様の質問をしたが、得られたものは、大して変わらなかった。

たった数人が連れ添うだけで、危険な山に入っていいのかと、不思議でしょうがなかったが、何より奇妙なのは、過去、誰一人として、外に出る事を選んだ者は、いなかったそうだ。これは、後になって聞いた話だ。

私は、決して聡い子供ではなかったが、それでも、不自然であると、思っていた。無論、あの二人の他に、こんな事、話せる訳もないが。




ある日、この儀式が、執り行われた。少女の方が、十五になったのだ。

私は、もう一方の少年と、その門出を祝おうと、儀式が行われるまで、少女に付き添っていた。

しかし、まだ夕方だというのに、大人は、私達を、その少女から引き剥がした。抵抗すると、よくわからぬ論理で、言いくるめられた。その時の圧は、笑顔でも誤魔化せない程だった。

別れる直前、最後に、少女が、私達に向かって、外で待ってると、小声で言ったことを、昨日のことのように覚えている。

確かに寂しかったが、たった二年耐えれば、私も外に出られると考えれば、まあ良いだろうという気になった。


私達は、ある小屋に、閉じ込められた。私が産まれた頃から、村の隅に、ポツンと存在する、古い小屋である。

抜け道は見つからず、窓もなく、入り口は閉ざされていたから、仕方が無いので、私達は布団に入った。

しかし、どれだけ経っても眠くならない。大して遊んでいないし、まだ夕方であるし、何より、あの少女と暫く会えないことに、少なからず悲しみを抱いていたことが、その原因だろう。

私達は、下らない事を、話し合った。とは言え、話す内容など、大してなかった故、すぐに止めて、眠りにつこうと、めいめい奮闘した。


どれだけ経ったか分からないが、その頃には、既に、夜が始まっていた。入り口の、ほんの僅かな隙間から漏れ入ってくる、その夜の深さは、確かに、新月の晩のそれであった。

そろそろ、少女は、山に入り始める頃だろうかと、ぼんやりと考えていた時、私は、微かに、再び、シャランという、鈴の音を聞いた。

何度も何度も、シャランシャランと、外で鳴っている。この時の私は、大して気に留めていなかった。不思議な偶然もあるものだと、ただそう感じていた。隣で、同じようにしている少年は、その音に、気付いていないようであった。

そこから、さらに幾ばくかの時が経ち、そろそろ夜も更け、眠気を誤魔化せなくなった頃、山の方から、かの叫び声を聞いた。時折山から鳴っていた、あの叫び声である。それと同時に、何やら甲高い音も、同時に響いた。

流石に、私達は、飛び起きた。

ただ只管に、怖かった。

私達は、互いに抱き合いながら、夜を過ごした。



翌朝、私達は、陽の光で、目を覚ました。

入り口が、開けられたのだ。


寝ぼけ眼で外を見た。


私達は、驚愕した。


そこには、かの少女が、立っていた。



外に出たのではと、私達は問うた。

彼女は、何も言わなかった。その代わりに、ただただ、例の、薄気味悪い笑みを、浮かべていた。その村の人々が、皆、顔に貼り付ける、あの笑みを。


私達は、静かに悟った。ああ、もうかつてのあの少女は、何処にもいないのだと。


少女は、今までとは、あらゆる点で、異なっていた。


一つに、喜怒哀楽が消え去った。無論、常に、笑顔を浮かべているが、今までは、怒る事も、泣く事も、頻繁にあった。今の少女には、それが一切ない。


一つに、彼女は、働き者になってしまった。

彼女の家は、農家であった。なかなかの広さの畑で、野菜を育てていた。

彼女は、家業の手伝いを、心底嫌っていた。隙さえあれば、いつの間にか、逃げ出していた程。

今の彼女は、寝る間も惜しんで、農耕をしている。

暇があれば虫を払い、時間を見つけては雑草を取る。雨の日には、家で別の作業をし、晴れた日には、水を汲みに行く。

私達とは、最早、遊ばなくなってしまった。


それ以外にも、口調の変化、立ち振る舞いの差異、記憶の異常など、挙げればきりが無いが、兎も角、彼女は、別人になった。言うまでも無いが、悪い意味で。


しかし、その村は、あたかも、何事もなかったかの如く、日々を送り始めた。まるで、初めから、その少女が、そうであったように。


その年の供物は、やけに、少なかった。




私は、少年と、絶望した。



何も成せぬまま、少年の、儀式の日となった。



その日、私は、一人で、あの小屋に、閉じ込められた。

新月の晩であったからだろう、一切の光が、入って来ず、暗闇の中、私は、静かに、声を殺して、泣いた。



翌日、少年は、偽物となった。

作り物の笑顔を、べったりと貼り付け、黙々と、作業をするその姿は、酷く、悲しかった。



その年も、供物は、随分と、少なかった。

愚かな私でも、流石に悟った。私達は、人身御供なのだろう。いや、恐らくは、この村の全員が、そうであったのだ。

最終的に、私だけが、残った。ただ、それだけのことだ。



その日から、私は、一人になった。

私以外の、全員は、気味の悪い笑顔で、文句の一つもこぼさず、仕事をしていた。

それからの、一年は、人生で最も短い、一年であった気がする。




いよいよ、私の番になった。

村の全員が、私を取り囲み、笑顔で、何やら変な事を、言った。あの少年少女も、大人側であった。

何を言っていたか、まるで覚えていない。私は、恐怖と、絶望と、怨嗟と、後悔に、飲み込まれていた。


やがて、夜が来た。満月の燦々と輝く、美しい夜だった。

その時、山から、三人、歩いてきた。

二人は、私の横を、一人は、私達の前を、歩いた。

片手に松明を持ち、もう一方には、細長い木の棒に、幾つかの鈴が付いた何かを、持っていた。

私が、度々聞いた、あの鈴の、音が、その棒から、鳴った。

後に知ったが、それは、神楽鈴と言うらしい。本来であれば、邪気を祓う、神聖な物だそうだ。当時の私にとっては、恐怖の、象徴でしか、なかったが。


私達は、山に入った。

彼等は、何も、言わなかった。

ただ淡々と、仕事をこなす、その様な、雰囲気だった。


気付いたら、涙が、流れていた。松明の火が、視認できぬ程、ぼやけた。



暫く歩き、いよいよ、生を諦め出した頃、私は、森の木に、赤い文字が、付いている事に、気が付いた。

私は学がなかったが、平仮名であれば、辛うじて読めた。

その文字は、


に、ろ、に、げ、に、ろ、ろ、げ、に、げ、ろ、に、


の様に、延々と、続いていた。

少しして、私は、それらが、何を意味しているか、分かった。


逃げろ


そう言っている。



気がつけば、私は、駆け出していた。

三人の、男の、隙を見計らい、一目散に、森の中を、駆けた。


男達は、私の知らない言語で、叫んだ。私を、無我夢中で、追いかけた。シャラン、シャランと、激しく鈴が鳴った。




私は走った。


走って、走って、走って、走って、走って、走って、走って、走って、走って、走って、走って、走って、走って、走って、転んで、また走って、走って、走って、走って、走って、走って、走って、走って、走って、走って、走った。


やがて、息が続かなくなり、立ち止まった。

荒ぶる呼吸が、激しい鼓動が、五月蠅かった。

その喧騒の中で、しかし私は、聞いてしまった。



ズッ、ズッ、と、何かが何かを引きずる音。



かつて山で見た、謎の跡が、もし仮に、何か生物によって作られた物なら、その時、一体、どの様な音が鳴るだろうか。まさしく、この様な音が、鳴るのではないか。


耳を澄ました。その音は、まだ遠くで、鳴っていた。

しかし、かなりの速さで、近づいて来ている。

その側から、また、神楽鈴の音も、聞こえる。


私は、震える足の、その疲れを忘れ、再び走った。


走った。

転んでも、立ち上がり、走った。


胃の中から、何かが出て来た。

それでも走った。


気がつけば、血を吐いていた。転んだ時に、口内を傷つけたらしい。

それでも、走った。


ずっと、すぐ側から、あの神楽鈴の音が、あの引き摺る音が、聞こえる気がした。



半狂乱になりながら、走って、走って、私は、やがて走れなくなった。


立ったままも厳しく、そのまま倒れた。


暫く経った。呼吸はまだ、落ち着いていない。

耳を澄ました。足音が聞こえた。もうダメだと、そう思った。










その足音は、しかし、私の、すぐ横で立ち止まり、私は、優しい声を、かけられた。未だかつて、その様な声色は、聞いたことがなかった。


ふと、顔を上げた。

その正体は、見知らぬ男性だった。


遥か彼方で、朝が焼けていた。

私は、一晩中、走り回り、そして、逃げ切ったのだ。







その男は、猟師だった。

毎朝、早朝に、仕掛けた罠を、確認する事が、日課らしい。その途中で、誰かの倒れる音を聞き、駆けつけたそうだ。


その男は、親切だった。

名前も知らぬ私に、住む場所と、教育と、その他生きるに必要な物を、下さった。


この様にして、私は、村の外に、出る事ができた。












これが、私が、経験した全てである。

あの山は、最早何処にあるかも、覚えていない。あの音の正体も、村の人達の安否も、何もかも、分からないままである。



近頃は、幻聴が、酷くなった。


未だに、すぐ側で、あの神楽鈴が、鳴っている。

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