第十三話
いつもは穏やかな総務課。
しかし、月曜日を皮切りに華やかな季節外れの嵐が吹き荒れていた。
「犬飼くん、契約書の閲覧申請の書類をくれる?」
深紅の薔薇のように艶やかな唇が弧を描く。
「…………こちらに」
愛想笑いすらない無表情の彰良。
「うふふ、ありがとう。
やっぱり、犬飼くんは仕事が早いわね。」
爪先まで美しく彩られた紗夜の指が、彰良の肩を撫でる。
「犬飼くん、社内メールのパスワードを教えてくれる?」
ジャケットを脱いだフリルブラウス一枚の上半身。
ふくよかな胸部の谷間が見えそうで、見えない絶妙な角度。
「……自分の担当ではありません。
情報システム課へどうぞ。」
全く表情の動かない彰良。
「良いじゃなぁい?
あっちの男よりも、犬飼くんの方が優しいし。」
己の美しさを知り尽くした仕草。
「そうだわ……そろそろ、彰良くんって呼んでもいいかしら?」
「お断りします」
彰良の顔に嫌悪感が浮かぶ。
「あら……ふふ!
そんな真面目なところも素敵よ。」
そっと腕に触れて、すぐに離れる紗夜。
業務終了のチャイムが鳴る。
今日こそは、と彰良が葵に声を掛けようとした瞬間。
「彰良くん、黒木の件で聞きたいことが有るんだけど……」
「名前で呼ばないでください。
あと、その件に関しては自分は担当外です。」
「あら?
彰良くんともう一人が黒木のデスクトップを漁ったって聞いたんだけど、ね?」
「名前で呼ばないでください。
佐山先輩がメインで対応した案件です」
さっさと紗夜の横を通り過ぎようとした彰良。
「まだ話は終わってないわ」
彰良の腕を掴み、紗夜が引き止めた。
「離してください」
「そんな怖い顔をしないで?
そうだ、仕事を円滑に進めるために……二人で食事でも如何?」
「お断りします」
「冷たいのねえ?
でも、そんな所も素敵だわ」
眉間にシワを寄せ、紗夜の手を振り払った時には……葵の姿は総務課より無くなっていた。
……そんな毎日が続いて一週間以上。
「……何なんですか、あの女」
盛大に顔を顰めた華乃が、お弁当の卵焼きに端をぶすりと突き立てる。
人込みを避けて自販機前の小さなテーブルでお弁当を広げる二人。
「……仕事も出来るし、コミュニケーション能力も高くて……とても、綺麗な人ね」
「そうじゃないですっ!
私が言いたいのはっ!
明らかに特定の野郎に粉を振りかけてることですっ!!」
「…………」
吠える華乃に、葵は曖昧な笑顔を浮かべる。
「仕事ができても!
毎日のように男漁りに総務課に来てんじゃないですよっ!」
「あーら、聞こえてるわよ。」
「っ?!」
葵の肩がビクリと跳ねる。
「あーら、聞かせてやってることもわかんないんですかぁ?」
紗夜の存在には気が付いていなかった華乃。
だが、天敵を前に引くという選択肢は最初から華乃には無かった。
「わざわざ本部の方から出向されてきたエリート女史は、年下のツバメでも探してらっしゃるんですか?」
「か、華乃ちゃん?!」
本部から、しかも立場的には上の紗夜に対する華乃の暴言。
葵の背中に冷や汗が流れる。
「葵先輩は下がっててくださいっ!」
完璧に臨戦態勢に入った華乃が、葵を下がらせようとする。
「若い子って元気が良いわね?
とても、素敵よ。
でも……牙を向ける相手は、そっちの娘みたいに選ばなきゃ。
身の程を間違えると大変よ?」
クスクスと艶やかに、見下ろすように紗夜は嗤う。
「そう言えば……貴女よね?
黒木の件での立役者の一人って。」
「っ?!」
整えられた長い睫毛に縁取られた瞳が、葵を捉える。
「どんな娘かって思ってたけど…………ガッカリだわ。
どこにでも居そうな雑草みたいな娘だもの。」
「…………」
葵は、言い返せない。
間違ったことを言っているとは思えなかった。
「何ですってぇぇぇっっ!!」
怒髪天を衝く。
華乃の怒りが迸る。
「あら、すごい顔。
まぁ……彰良くんの彼女である貴女からしたら面白くないかもだけど、ね?
能力が高いイイ男ほど、イイ女を最後は選ぶものよ?」
紗夜は、挑発のこもった美しい笑顔を彰良の彼女である…………華乃に向けた。
「はぁっ?!
誰が初恋と発情期を拗らせて理性が死にかけてるクソ犬の彼女ですって?!」
「あらあら、隠してるの?」
「隠してないっつーの!」
クスクスと紗夜は嫣然と笑う。
「まぁ……良いけど。
彰良くん、夜も凄そうだし……楽しみだわ」
またね、と去って行く紗夜の背中。
立ち去る姿まで自信に満ち溢れていて美しい。
「…………」
「……葵先輩……」
「……ごめんね……華乃ちゃん。
私……何も、言い返せなかったね。」
「っ……」
涙を堪えるように葵は微笑む。
「…………」
葵とは真逆の美しい女性。
「……葵先輩の方が何千倍も綺麗で、可愛いですよ!」
「……ありがとう」
彰良と二人で前に進みたい。
前向きに未来を信じようとしていた葵の心に、小さな影が差すのだった。




