第6話 翠(その2)
吹きさらしの廊下は、右側にチャコールグレーのシンプルな玄関ドアが並び、左側からは青空の下に近隣のマンションが建ち並んでいるのが見渡せる。
スーパーのお菓子売り場に駆け込むこどものように扉から飛び出した翠は、玄関ドアの脇に掲示されたネームプレートをひとつひとつ見上げて回る。
冬祐はそんな翠に苦笑しながら、自分が出てきた扉を振り返る。
マンション側から見た扉には“消火設備”と赤い字で大書されていた。
それは各フロアに設置されている消火設備の収納扉だった。
“女王様”のいる空間から外に出るたびに、そこが屋外設置のコインロッカーだったり、宅配ボックスだったり、マンションの消火設備だったりする。
さらに、竹児は“女王様”の空間とつながる“帰り道”は郵便ポストだと言っていた。
原理も理由も知ったことじゃないが、さすがに何度も当たり前のように経験してきた冬祐は、驚くことも、戸惑うことも、考えることもなくなっていた。
「はしゃいでるねえ」
冬祐のかたわらに浮かんだヒメが笑う。
「だね」
目指す快翔の部屋は先の方にあるらしく、まだ、翠はネームプレートの確認作業を続けている。
そんな翠の様子を見ながら、冬祐はふと浮かんだ疑問をヒメに訊いてみる。
「翠の時と、僕が最初に連れてったアンドロイドで扱いが違うのはなんでだ?」
「最初?」
「あの上半身だけの。石台に乗せたら分解して人間になっただろ。でも、翠はすぐには人間にしないんだ?」
「“飛び込み”と“お招き”の違いじゃない? 最初のは“飛び込み”で、翠は“お招き”。扱いが違ってもおかしくないよ」
冬祐は思い返す。
あのアンドロイドが自力でたどりついたのに対して、翠は“自力でたどりつけないから”という理由で冬祐が迎えに行った。
それは確かに異なる境遇ではあるものの――それでも、釈然としない。
“自力でたどりついた”のと“迎えに行った”というだけの違いなら、対応を変える理由にはならないんじゃないか?
対応を変えるというなら、例えば――。
続く思考をふと口に出す。
「翠には……なにか特別な役目がある、みたいにも思えるな」
ヒメは答えず、話を変える。
「冬祐は行かないの?」
その目は翠を追っている。
「僕が行ってもなあ。いいよ、ここで」
「じゃ、私が立ち会ってくるよ」
「ジャマするなよ」
「わかってる、わかってる」
ひとつのドアを前に、翠の足が止まった。
そこが快翔の部屋らしい。
一旦はインターホンに手を伸ばした翠だが、思いとどまったように手を下ろして冬祐を見る。
冬祐はそんな翠に、ストレッチするように両手をぐるぐると大きく回して、深呼吸をしてみせる。
翠が頷いて、大きく両手をぐるぐる回して深呼吸する。
ヒメの五感を通して伝わってくるその様子に、冬祐は“アンドロイドに深呼吸って意味あったのか?”といまさらながら考える。
一方の翠は改めて玄関扉に向き直ると、姿勢を正してインターホンを押す。
扉が開いた。
顔を出したのは若い女だった。
襟足で無造作にくくったロングヘアとスエット、そして、化粧っ気のない顔――それらが彼女にとってこの部屋が“生活空間”であることを表している。
「え? え?」
戸惑う翠に対して、女も合わせ鏡のように首を傾げるが“思い出した”とばかりに笑顔を浮かべる。
その笑顔はノーメイクにもかかわらず、美しかった。
「翠だよね? 写真で見たことある」
そして、続ける。
「でも“捨てた”って聞いてるけど」
その言葉に翠の表情が曇る。
わかってはいても、やはり、言われるのは傷つくのだろう。
そこへ――。
「誰?」
快翔が顔を出した。
瞬時に翠の表情が輝く。
しかし、感極まった翠は言葉が出ない。
その隙を突くように女が告げる。
「翠が来てる。“捨てた”って言ってなかったっけ?」
快翔は翠を一瞥して、あっさりと返す。
「うん。捨てたよ。なんでいるんだ?」
そして、それ以上は翠に目を向けることなく、部屋の奥に声を掛ける。
「緑ぃ」
気を取り直した翠が、全力の笑顔で手を挙げる。
「はいっ、はいっ」
そんな翠へ、快翔は苦笑しながら振り返る。
「あ、そっちじゃないよ」
奥から現れたのはワイシャツにスラックスでベリーショートの、中性的な雰囲気を持つアンドロイドだった。
「回収業者に電話」
「はい。回収業者に電話します」
アンドロイド“緑”の復唱をよそに、女が疑いの目で快翔を見る。
「本当に捨てたの?」
快翔が笑う。
「捨てたってば。遺棄届も出してるし」
そして、笑顔を貼り付けたまま放心状態で立ち尽くしている翠に――
「回収業者が来るから、そこで待ってて」
――宣告して、女を振り返る。
「続きをやろう」
「そだねえ。式場の打ち合わせって何時からだっけ」
翠を残して、ドアが閉じた。
翠は立ち尽くしている。
冬祐はどうしていいかわからない。
翠が冬祐を見た。
赤い顔で“へへへ”と笑ってみせる。
が、すぐに感情が決壊して、涙を散らす。
翠は顔を伏せて、走り出す。
そのまま冬祐のかたわらを駆け抜けて“消防設備”と書かれた扉の中へと。
残された冬祐は、快翔の部屋に向かって歩く。
「どうすんのさ」
声を掛けるヒメに、震える声で答える。
完全に無意識だった、無我夢中だった。
自分でも意外なくらい、なにも考えずに身体が動いていた。
「一言“がつん”と言ってやる」
“狭山快翔”と掲示されたインターホンを押す。
少しの間。
しかし、この“間”で冬祐の頭はクールダウンする、我に帰る。
そこへ扉が開き、快翔が顔を出す。
訝しげな表情で初対面の冬祐を見る。
「えと、誰?」
冬祐はなにも言えない、言葉が出ない。
そんな情けない自分にただ拳を握り、歯を食いしばり、紅潮した頬で身体を震わせる。
そして、さっきの翠と同じようにその場から走り去る。
逃げるように。
「今度は誰?」
「いや、全然知らない。なんだか今日は変なのばかり来るな」
「ほんとにここってセキュリティ大丈夫なの?」
背後で、そんな声とともにドアが閉じた。




