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第4話 『静かなる撤退』

「怒って帰る」のではありません。 「呆れて去る」のです。 その温度差が、彼らにとって一番のダメージになるはずです。


張り詰めた空気の中、俺はゆっくりと立ち上がった。


怒りで震えることも、悲しみで涙ぐむこともない。

ただ、長時間の会議を終えて退室する時のような、事務的な動作だった。


「……あ?」


ゲンゾウ氏が、間の抜けた声を漏らす。

俺が土下座でもすると期待していたのだろう。


俺はスーツの皺を伸ばし、転がったままの酒瓶と菓子折りに一瞥もくれず、真っ直ぐにゲンゾウ氏を見た。


「そうですか。お口に合わないものを差し上げて、大変失礼いたしました」


声色は平坦。感情の波形はフラット。


「では、これでおいとまします」


俺は深く、丁寧にお辞儀をした。


完璧な礼儀作法マナー

だがそこには、人間的な温かみだけが欠落していた。


くるりと背を向け、ふすまに向かって歩き出す。


「お、おい! 待て!」


背後でゲンゾウ氏の怒鳴り声がした。


「話は終わってないぞ! 俺がいつ帰っていいと言った! これだからゆとり教育の若造は……逃げるのか! 俺の説教から逃げるような根性なしに、娘はやれんぞ!」


俺は足を止めずに答えた。


「ええ、結構です。いただきません」


「なっ……!?」


「あなたの娘さんは、僕には高嶺の花だったようです。謹んで辞退させていただきます」


襖を開け、廊下に出る。


呆気にとられていたミナが、ようやく事態を飲み込み、悲鳴のような声を上げて追いかけてきた。


「ちょっと、ケイスケ! 待ってよ!」


玄関で靴を履いていると、ミナが背後から俺の腕にしがみついてきた。


「どうしたの!? おかしいよケイスケ! いつもみたいに笑って流せばいいじゃない! お父さんも、ちょっとお酒が入って機嫌が悪かっただけなの。ねえ、戻って謝ろう? 私がうまく言うから!」


その言葉に、俺は靴べらを戻し、最後に彼女の顔を覗き込んだ。


5年付き合った女性の顔だ。情がなかったと言えば嘘になる。

だが今の俺には、彼女が「言葉の通じない異星人」のようにしか見えなかった。


「ミナ。君は感覚が麻痺している」


俺は静かに、絡みついた彼女の指を一本ずつ引き剥がした。


「君にとっては日常かもしれないが、人が心を込めて持ってきた贈り物をゴミのように投げる人間は、僕の世界にはいないんだ。そして、それを『笑って流せ』と言う人間もね」


「だ、だから! それはこれから直していけば……」


「直らないよ(バグフィックス不可能だ)。そして、直す義理も僕にはない」


俺は玄関のドアノブに手をかけた。

奥の部屋からは、まだゲンゾウ氏の「戻ってこい!」「教育してやる!」という罵声が聞こえている。


「ミナ、婚約は白紙だ」


「え……嫌だ、嘘でしょ……?」


「嘘じゃない。よく聞いてくれ」


俺は、この関係への最後の手向けとして、真実を突きつけた。


「親父さんがさっき捨てたのは、和菓子と酒じゃない」


「え……?」


「僕からの敬意と、君の『妻としての未来』だよ」


ミナが息を飲む音が聞こえた。

俺はそれ以上何も言わず、ドアを開けた。


外の空気が驚くほど美味い。


「さようなら」


バタン。


重い金属音と共に、扉が閉まる。


内側から「ケイスケ!」と叫ぶ声と、ドンドンと扉を叩く音が聞こえたが、俺は振り返らなかった。


駅までの道のりを歩きながら、スマホを取り出す。

画面にはミナからの着信が表示されている。


俺は迷わず「着信拒否」の設定をタップした。

さらに、LINEのトーク履歴も非表示ではなく、完全に削除した。


データ消去完了。


俺の足取りは、ここ数年で一番軽かった。

お読みいただきありがとうございます。


「僕からの敬意と、君の『妻としての未来』だよ」 すがりつく手を一本ずつ引き剥がし、決定的な事実を突きつけて去る。 この瞬間のために、これまでの理不尽な展開がありました。


さて、物理的な距離は置きましたが、まだ繋がり(コネクション)は残っています。


次回、第5話『無慈悲なほどの事務処理』 家に帰った主人公による、徹底的な断捨離が始まります。 合鍵の無効化、荷物の強制返送、式場のキャンセル。


淡々とタスクを消化していく、ある意味で一番「SEらしい」スッキリする回です。


続きが楽しみな方は、ぜひブックマークや評価をお願いいたします!

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