渚、連れ出す
目覚まし時計が部屋中に鳴り響く。「死者の目覚め」と名付けられた、忌むべき目覚まし時計だ。七海の世話は辛く苦しい、死んでいる方がよほど幸せに感じる――そんな皮肉を込めたネーミングだ。
「さて!今日もやつの介護……じゃなくて、お嬢に尽くす一日が始まりますよっと!」
渚は毎朝六時に起床する。生活能力に著しく欠けた七海の世話には、八時や九時起きでは到底間に合わない。浴室に投げ捨てられた衣服の洗濯に始まり、汚部屋の清掃、朝ご飯、庭の手入れ、来客対応、昼食、納税、食材の買い出し、建物の修繕、晩ご飯――ようやく一通りの仕事が終わるころには、すでに日付が変わっている。そして「やっと眠れる……」と思いきや、予定外のお使い、眠りにつくまでの話し相手などなど。ここまで尽くして、貰えるのは「相場より少し高めな」給料。――割に合わないったらありゃしない。
さて、今日もまずは七海が使った部屋の掃除から。――おや、もう日差しが差しているというのに、書斎の明かりが灯っている。また徹夜か。
「おはようございます。七海様、また徹夜で研究ですか?」「ん。」「もう二日も何も口にされてないじゃないですか。」「ん。」
普段は憎まれ口ばかりなのに、何かに没頭しているときだけは無口になる。放っておけば仕事が減って楽っちゃ楽なんだけど……ここはハッキリと言ってやらなきゃ。
「お言葉ですが、何かに打ち込んでおられるのは立派ですよ。でも、もうちょっと別の経験もされたほうが――」「その言葉、聞き飽きたわ。」
眉間のシワが増えたのに自分で気づく。――いけない、これ以上シワが増えたら老け顔になっちゃうじゃない私。ババアになってしまう。
「――言い方を変えます。色々な経験をして、ですね。知識を得て、それを作品に詰め込めば、もっと立派なものが――」「うるさい。」
その顔をぶん殴って顔の凹凸を増やしてやろうか?そうすれば更に立体的でお美しい顔になりますよねぇ? ――あ、だめだめ。冷静に、冷静に。
「分かりました。じゃあ一緒に散歩しましょう。」「なぜ?」「七海様風に言えば、ですね、『完全な作品を創るには、まず完全な健康が必要なのです。』今の七海様の頭は疲れ切っています。そんな状態で没頭しても、非効率でしょ? ですから――」「確かに。ならもう寝る。」「違う! ああもう、とりあえず歩け、歩け!」
七海の腕を引っ張り、嫌がる彼女を邸宅という名の監獄の外へ連れ出す。
「七海様、こうして邸宅の外へ出るのは何日ぶりでしょうか。」「さあ。」「髪もだいぶ伸びましたね。」「人に会わないから問題ない。」「その……他人からどう思われてるか、意識されたことは――」「ない。」「その、ご友人やパートナーのことを考えたことは――」「……。」
あ、地雷踏んじゃった。やば、話を変えよう。
「あのですね、七海様はとても美しい顔をしておられます。ちょっと挙動不審というか、不器用なだけで。しかも、辺境の領土一帯くらい我が物にできるほどの資産を持っておられる!……それ、自覚してますよね?」「もちろん。」「じゃ、じゃあ、その、ファッションとかを整えて、もっと人に好かれようとか…思った…ことは…。」「……まず、わらわは何をすればいい?」
えっ――!? 予想外の答えに、つい飛んで喜んでしまった。
「私が一緒にお付き合いしますよ!まずは服!!淑女たるもの、まずは――。」「よく分からない。でも頼む。」
通行人が二人の方をちらちらと見ている。その視線が七海に見とれているものだと気づいたとき、ほんのちょっとだけ歯ぎしりした。