王女、没頭する
七海は、研究をライフワークにしている。学生時代、彼女はやはり孤独であった。その孤独を埋めてくれたもの――それがこの研究であった。
今の研究対象は、「暗号」――通信秘匿のための術であり、また、それを破る術でもある。実行には未だ至っていないが、国家機関による機密通信を傍受、解析し、この国の未来の方針、政治の流れ、金融市場の動向などを先取りする。それらの情報を基に、先回りの投資を行い、あるいは情報を求める貴族層や諸外国に売却し、莫大な利益を得る――そんな計画が脳裏をよぎることもあるが、今は解読によって得られる快楽に、ひたすら身を預けていた。
さて、これから出くわすであろう暗号を解読するには、まずその構造を見抜かねばならぬ。倭国は技術的に後れを取っておる。平和ボケしておる今の状況を鑑みれば、古典的な暗号――たとえば、回転機構による多表式換字など――が未だ現役である可能性は十分ある。先進諸国では、機械式暗号が主流であるらしいが、それすらも数理的手法と統計的解析によってじわりじわりと破られつつある。わらわに機械式暗号の解読などできぬが、旧式であれば望みはあろう。
典型的な頻度分析、暗号文に頻出する文字を、実際の文章に多用される文字と照らし合わせ、何の文字が何に対応するかを割り出していくのが基本作業となろう。つまり、暗号文で頻出する文字を「い」「ん」「う」「し」――、実際に多用されている文字に当てはめていけば良さそうだが、和語は一つの言語体系ではない。ひらがなに加え、カタカナ、漢字の入り混じった言語体系は、英語ほど単純に攻略できるものではない。
とはいえ、文書が定型文や形式的挨拶を含んでいれば話は別じゃ。「拝啓」「いつも」「お世話に~」など、定まった文言、あるいは文通に則った段落構成は解読の糸口となる。
わらわは既に、闇市で手に入れた『機密文書』を解析の対象としておる。軍部どもが、「暗号になっていれば、破棄しても安全」などと高をくくっておるうちは楽でよい。暗号は、聡明な学者が考え抜いた理論である。一から攻略していくのは途方もない労力がかかる。が、それを扱う者の知識、習慣、慢心――が最も脆弱な点となり得るのじゃ。いかに暗号理論そのものが優れておっても、鍵の再利用や、単純な運用ミスがあれば、その暗号は遥かに破られやすい。「やれ社交、やれ人との関わり。」――そのくせ、技術には一分の関心も敬意も示さぬ。倭国は愚鈍な者ばかりでおめでたい限りじゃ。
結局のところ、解読には、膨大なサンプル、注意深い観察、そして執念深さが必要じゃ。わらわは、無駄に執念深いタイプでの――。まあ、だからこそ嫌われているわけじゃが……。
さあ、頭を使う時間があるなら、手を動かせ。古文書も、現代暗号も、読み解くための道具が揃っておれば、すべて退屈しのぎの玩具にすぎん。わらわの執念深さ、ご覧に入れてみせようぞ。