王女、哀れまれる
「さて、気分も晴れた。礼を申すぞ、渚。」「あんたが勝手に眺めて、勝手にスッキリしてるだけじゃないの。」「うぬも気分は晴れたか?」「生憎、外を眺めて気持ち良くなる感性は、持ち合わせておりませんので。」
分からぬか――この愉悦。七海は、少し残念そうな表情を見せた。
「わらわは書斎に戻って研究を続ける。頼んでおいた書物、届いておるかの?」「はい、既に書斎に置いておきました。まったく、人使いが荒いんだから…。」「流石は商人の娘じゃの。頼めばすぐに物が届く。うぬのような優秀なよろず屋、中々おらんぞ。」
渚の眉間にシワが寄るが、咄嗟に平常心を取り戻す。「早く女中からよろず屋に転職したいと思ってます。」そう一言だけ返した。
七海は書斎に篭り、研究を重ねるのが趣味であった。もっとも、いかにして世の中を良くするか――という研究ではない。いかにして世の中を面白おかしく笑うか――が、人生を掲げた研究テーマであり、曰く「高等な遊び」であった。
「なにが、やれ社交、やれ人と関われじゃ。没頭できる趣味を持たぬ者どもの怨嗟にしか聞こえぬわ。もしくは、下賤な出自ゆえに社交を強いられておる哀れむべき者どもが苦し紛れに抜かす戯言か。酸っぱい葡萄とは、まさにこの事よ。もし彼奴らが経済的成功を収めた時、それでもなお社交を続ける者がおったら驚愕するわい。……時として、渚。わらわが没頭している研究であるが、これが中々――」「分かったから、さっさと行っちゃいなさい。」会話を遮られ、七海はしゅんとした顔を浮かべた。
「ふん。凡庸な知性をしている者どもには分らぬか。おのれらは脳の代わりに人糞でも詰まっているのではないのかの。まあ良い。わらわの研究成果は、わらわだけが唯一の理解者――」そう毒を吐きながら部屋を後にした七海の背中を、渚が哀れみの目で見送った。
――彼女は、孤立が重なった結果、ここまで拗れた性格になってしまったんだ。その孤独の埋め合わせとして、いつも何かに没頭している。研究の成長じゃなくて、私は人として成長する事を願って、彼女に仕えているのに――。
もし経済的成功を収めても、彼女との交流を続けるかも知れない人が、今まさに目の前にいる事にすら気づけないくらいには視野が狭くなっている。どうか、それに気づいてほしい。
複雑な想いの籠った、哀れみだった。