表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

自己肯定感の低い(低くない)友人を見限って幸せになります!

作者: 紅玉林檎

諸事情で小説を書きにくくなってたのですが久々に筆を取りました。

リハビリ作品です。

「いつまでも黙っていないで、なんとかおっしゃったらどうなの!?」


ああ、またか。


声がしたほうに出向けば友人が悲しげな顔で立ち尽くしていた。

数人のご令嬢に取り囲まれているのを見るに、また何かトラブルを起こしたのだろう。

毎度毎度、夜会のたびにトラブルを起こせるのだからたいしたものだ。


「マリー、何かあったの?」

「レイチェル…」


勿忘草色の瞳に涙を溜めてこちらを見上げるマリーの姿は、遠目から見てどれほど可憐に映るのだろうか。

この姿をロマンス小説の挿絵にしたらどんなにお粗末な内容でも飛ぶように売れるに違いない。


「私はバレイ男爵家が長女、レイチェルと申します。

カーティス子爵家とは懇意にさせていただいておりまして、マリーとは姉妹同然に育った仲。

どうか、何があったかお聞かせくださいませ」


「子爵家に男爵家ね…ふぅん。

いいわ、教えてあげる。

このマリーとやらがわたくしの婚約者を誑かしておりましたのよ。

いつまでたっても戻らないから会場中を探しましたの。

そしたら中庭で二人っきり…顔を寄せ合っていて…!

なぜわたくしの婚約者とそんなことになっていたのか、この娘に問いただしていたところですの」

「あ…わたくし、そんなつもりじゃ…」

「マリー、少し黙っていて」

「レイチェル…」


ええい、とにかく今は喋るな。

私は頭の中で言葉を組み立てていく。

悪いのは十中八九こちら。でも相手の神経を逆撫でしないよう、ギリギリ言い訳に聞こえない言葉をチョイスしなければならない。

すぅ、と浅く息を吸い込んで一気にまくしたてた。


「大変申し訳ありませんでした。マリーに代わり、私が謝罪いたします。

ただ、許されるのならば一つ訂正させていただけませんでしょうか?」


最大限、下げられるところまで頭を下げた私に、いかにも気の強いご令嬢も譲歩せざるを得ない。


「いいわ、聞きましょう」

「ありがとうございます。

マリーは決してふしだらな娘ではございません。

内気で、緊張すると黙りこくってしまう性質なのです。

声も小さいので、話をする相手はマリーの声をよく聞こうと自然、顔の近くに耳を寄せます。

相手に近づかれると、さらに緊張して…という塩梅でございます。

決して下心があったのではありませんわ」


じろり、とご令嬢が遠くにいる婚約者を睨みつける。

女の諍いに巻き込まれたくなくて退避してたわね、クズ野郎。

マリーと違い、低音でよく通る私の声が聞こえたのだろう。

首を縦にぶんぶんと振る婚約者に思うところはあれど、これ以上大事にするのはいただけないと判断されたらしい。

ご令嬢が軽く膝を曲げて私に礼をした。頭は下げていないところが抜け目ない。


「失礼いたしました。わたくしの早合点だったようです。

以後、お気をつけなさいませ」

「寛容なお言葉、痛み入ります」


ご令嬢方が去っていった頃、ようやく後ろで棒立ちになっていたマリーが口を開いた。


「わたくしってば本当に不出来で…レイチェルにいつも頼りっぱなしで…

ごめんなさい。

こんなに出来が悪いんだもの…わたくし、嫌われても仕方ないわよね」


しくしくと泣き出す友人に返す言葉は決まっている。


「いいえ。出来が悪いだなんて、そんなこと私は思ったことないわ」


本当にそう思ったことはない。

だってマリーは「出来ない」んじゃない。「やらない」だけなのだから。



それにしても、これで何度目かしら?

幼馴染である友人との出会いから今まで、数えきれないほど繰り返された問答に考えるのも馬鹿馬鹿しくなって扇で隠した口からひっそりと溜息を漏らした。


男爵家の長女である私、レイチェルと子爵家の次女、マリーは幼馴染だ。

両家の爵位からして友人になるには無理があるが、私とマリーは爵位などに縛られず対等な友人として長年交流を続けている。

なぜかって? 理由は簡単。

マリーがそうしてほしいと望んだからだ。


幼い日に参加したガーデンパーティーで、内気なマリーは同い年の令嬢達の輪に入れず涙目でうずくまっていた。

そこに声をかけたのが私だった。


「ねえ、あなた。大丈夫?」

「あ…えと…」

「わたし、レイチェルよ。あなたのお名前は?」

「マ、マリー…」

「マリーね! ねえ、あちらで一緒におしゃべりに入れてもらいましょうよ!」

「うん…」


そうして集められた令嬢達と一緒に両親が迎えに来るまでおしゃべりに花を咲かせていた。

マリーは言葉少なだったが、涙目でぷるぷると震えていたのがかえってウケたらしく、同い年の令嬢のみならず駆け寄ってきた令息達にも大変愛らしいと賛辞を贈られた。

私? 私は照れたマリーが身を隠すための壁と化していたわ。


マリーと最初に会ったその時の記憶を、良い思い出だと思っていたの。本当よ?

…ごく最近までは。

内気なマリーが私にぼそぼそと言葉を言って、私がそれをみんなに伝える。

まだ言葉のおぼつかない弟が言いたい事ややりたい事を咀嚼して両親に伝える。しっかり者の長女だった私にとってそんなのは日常茶飯事だったから、疑問にすら思わなかったわ。


結局、その日はマリーの通訳に徹して。

迎えに来た私の両親とマリーの両親が挨拶を交わして。

初めてそこでマリーは裕福な子爵家の次女、私が貴族とは名ばかりの男爵家の長女だと判明した。


子供同士だから爵位なんてあってないようなものだが、私の両親は恐縮しきりで平謝りしていたわね。

後で知ったのだがその時開かれたガーデンパーティーはとある高名な作家が、他国にまで響くほどの名著を生んだ事に対する祝賀会も兼ねていたらしい。

特別に国から爵位(と言っても一代限りの騎士爵だが)を賜り、感激した作家が作品作りに協力してくれた貴族各位に礼をしたいと開かれたものだったのだ。

どうりで上は伯爵から下は平民ギリギリの男爵までいたわけだわ。あの場で失礼なことをしなくて本当に良かった。

子供だから多少の無礼は許されただろうが、あの場では間違いなく我が男爵家が最底辺だ。


そんな経緯から参加したパーティーであったので、その日を限りにマリーと会う事は二度と無いはずだった。

…別れ際、マリーが私のドレスの裾を掴まなければ。


「あの…」

「レイチェル…もう会えないの…?」


大きな目に涙を溜めてこちらを見つめるマリーはそれはもう愛らしかった。

子供らしい、純粋にこちらを慕う様子に私も私の両親も寸の間、否定の言葉を返せなかった。

その、ほんの少しの「間」が私の人生を決定付けたと言ってもいい。


あの時、まだ子供で語彙力が貧弱だった自分に伝えたい。

そういう時は「ご縁があったらまた必ず会えるわ」と言ってお茶を濁すのだと!!


「まあ! 人見知りなマリーがこんなに心を開くなんて!」

「大丈夫だよ、マリー。次はうちのお茶会にレイチェルを呼ぼう。

レイチェル、爵位なんて無粋なことは気にしなくて良い。

可愛いマリーの遊び相手になってあげておくれ」

「よろしくね、レイチェル」


蔑みなんてまったく含まれていない、しかし貴族らしい不遜さにぎこちない笑顔しか返せなかった。

あれよあれよという間に私は子爵令嬢の「はじめてのおともだち」というポジションに付けられてしまったのだ。

腰巾着と言い換えてもいいけど、格好だけはマリーのほうが腰巾着状態なので不適当だろう。


とにかくその日から、私は子爵家に頻繁にお呼ばれしては暇なマリーの話し相手兼引き立て役となったのだった。


周囲から見たマリーは大変内気な少女。

頭は悪くないがはにかみ屋で、緊張すると言葉が出なくなるため複数人のお喋りは苦手。

異性との会話はもっと苦手。


しかし金髪に近い小麦色の髪の毛。

すぐに涙が溜まる大きな勿忘草色の瞳はうるうると輝いていて。

背も低く、俯きがちな顔は相手からはよく見えない。

しかし顔を上げればうるんだ瞳の美少女だ。

少し起伏に乏しいが華奢な体型は深窓の令嬢そのもの。

趣味は絵画鑑賞、それにスケッチ。

暇があれば絵を描いたり男爵家では到底買えないような豪華な画集を熱心に読み耽っている。


対して私はというと。

ほぼ黒と言ってよいブルネットの髪と瞳。

女性にしては体格が良く、特に肩幅が広い。マリーが隠れるにはうってつけだ。

不器量ではないが美人でもなく、眼鏡をかけた姿に付けられたあだ名は「家庭教師」。

趣味は読書なので、本を手にするとそのあだ名がさらにしっくり来てしまう。

服装も地味…というか、着回しを考えたら長持ちで潰しが利くドレスはどうやっても無難なデザインになってしまう。

マリーのように真っ白な絹地にレースだフリルだと余計なものが付いているドレスを買う余裕はうちにはないのだ。


二人で並ぶと同じ女性だというのが不思議なくらい、私とマリーは正反対だった。

それは見た目だけではない、性格もそうだ。


私は好奇心が強く、特に人間の心理について勉強するのが好きだった。

物語を読んでいる時も「この人物は一体どういう心理でこういう行動を取ったのか」を常に考えて読んでいる。


対し、マリーは物事の原因にまるで興味がない。

なぜ、今、そうなっているのか、考えようともしていない…いや、敢えて見ないようにしている。

なぜかって?


マリーは自己愛の化身だからだ。


幼い頃は内気さ故の保身だったのだろうそれは、成長するに付けて彼女を守る「殻」ではなく他者を攻撃する「棘」になってしまった。


「わたくしの髪の毛ってパッとしないでしょう? もっと明るい色なら胸を張って金色だ、と言えたのに…

はっきりとした色のレイチェルが羨ましいわ」


それは私の髪が地味だと言いたいのかしら?


「わたくし、本当に愚図でのろまだから…

レイチェルのようにてきぱきと動けないのよ、自分が嫌になるわ」


彼女の目には使用人の姿が入っていないのかしら?

子爵家のご令嬢がてきぱきと動く必要があって?

褒められているはずなのにモヤモヤするのはなぜかしら?


「ああ…どうしてわたくしったらこんな拙い絵しか描けないのかしら。

もっと才能があれば画家として生きていけたのに…

レイチェルが羨ましいわ。わたくしのように結婚する義務なんてないでしょう?

自分の自由に生きられるって、素敵なことだわ」


平民ギリギリの男爵家に良い縁談が来るはずもない。

私が選べるのは貴族ではない男性に嫁いで貴族籍から抜けて平民として生きるか、もしくはどこかの貴族家に使用人として仕えるかの二択だ。

ここまで言われるとハッキリとわかる。


マリーは一見そうとはわからないように私を侮辱して、自分の尊厳を守っているのだ。


金髪が良い? なら染めれば良いのに。

彼女はきっと金髪にして、もともと金髪だった人と比べられるのが嫌なのだ。

それか「似合っていない」と言われるかもしれない。

マリーには耐え難い屈辱だろう。


てきぱきと動けない?

動こうとしたこともないくせに、笑わせないでほしい。

私が機敏に動けるのは日々身の回りのことを自分でこなしているからだ。

髪をすくのも侍女まかせの身分がどれほど恵まれていることか。


画家になりたい?

なればよろしいのよ。

親馬鹿の子爵に頼めば画集くらい自費で出してくれるわよ。

でも、出来ないわよね。

だってあなたの絵を見た誰かが「下手くそ」なんて言おうものなら、きっと気が狂ってしまうわ。


憂鬱なお茶会をなんとかやり過ごして、子爵家を出た私は精神的な疲労を抱えて我が家へと帰還する。


「ただいま、戻ったわ」


「おかえり、レイチェル」

「おかえりなさい、姉さん」


母と弟が出迎えてくれる。


「子爵家でまたお菓子をもらったの。夕飯の後に食べてちょうだい」

「やった! 子爵家のバタークッキー、本当に美味しいんだよな」

「なんだかいつも悪いわねえ…こちらも何かお返しすべきかしら」

「いらないわよ、お母様。毎度毎度呼びつけられるお礼がお菓子だけなんて…

逆にこちらから請求したいくらいよ」

「レイチェル! デビュタントの時にドレス代を援助してもらった上にまだこんなに良くしてもらっているのよ。

そんな悪様に言うんじゃありません」

「ぐ…」


ぐうの音も出ない。

確かに子爵様にマリーと並んでも見劣りしないよう、ドレス代を援助してもらったのは事実だ。

しかしデザインには一切口を出させてもらえなかった。

私はもっと目立たないよう、しかし私の体格の良さを活かせるような大人なデザインのドレスにしたかったのに…

少女趣味のマリーの意向で、まるで似合わないデザインのドレスを着る羽目になってしまった。


鏡に映った自分の姿があんまりにも悲惨で…涙目になる私を見たマリーが勘違いして言った言葉を、私は一生忘れない。


「レイチェルったら! 泣くほど嬉しかったのね!

そうよね、わたくしにとっては普段と大して変わりはないけれど…レイチェルからしたら到底手の届かないドレスですものね。

うふふ、施す喜びとはこんなに胸を満たすものなのね」


ほどこす、よろこび…?


怒りが込み上げてきて、笑顔を浮かべることなど出来なかった。

マリーの口からぽろりと出てきた言葉。

言った本人は忘れているだろう、たった二つの単語は鋭い棘となって私の心に突き刺さったのだ。


大抵の人にとって幸せな思い出になるはずのデビュタントは私にとって辛い思い出になってしまった。

と同時に、言葉は使いようによっては本物のナイフなんかよりも、よほど恐ろしい凶器になると思い知る。

だめだ、その時のことを思い出すと怒りと涙が込み上げてきてしまう。


「お母様、夕飯の支度はもう済んでいて?

私も厨房で手伝いましょうか?」


努めて明るく言う。

何か作業に没頭したかったが、返ってきたのは想定外の言葉だった。


「夕飯の支度は大丈夫よ。

それよりもレイチェルを書斎に呼ぶようにと旦那様から言われていたんだったわ」

「お父様が?」


何かしら?

縁談…はまずないだろうから兼ねてから希望していたメイドの働き口でも見つかったのかしら?




「レイチェル、久しぶりね!」

「マリー、お久しぶり。ごめんなさいね、この頃ばたばたしていて…」

「良いのよ。さ、座って?

ばたばたしていたって、何かあったの?」

「実はね、結婚することになったの」

「は…」


マリーが大きな目をさらに見開く。

うふふ、と私が笑うとマリーはおそるおそる口を開いた。


「レイチェルが結婚なんて…

…わかった、たちの悪い冗談なんでしょう?

ひどい、わたくしがどんな反応をするのか試していたのね?」

「いいえ、本当よ」

「…!?」


今度こそマリーは言葉を失った。

ああ、美味しい。

子爵家で出されるお茶ってこんなに美味しかったのね。

最近はお茶の味なんて気にする余裕も無かったから、すっかり忘れていたわ。


「嘘よ、レイチェルが結婚なんて…」

「あら、どうしてそんなに嘘だと思うの?

だって私たち、デビュタントからもう三年も経っているのよ?

もっと早く結婚していたって何もおかしなことないわ」


そう、何もおかしなことなんてないのだ。

特に裕福な子爵家のマリーにとっては。


貧しい男爵家の私とは違って、容姿にも経済的にも恵まれている。それも跡目とは無縁の次女。

あちらこちらから縁談が持ち込まれていたはずだ。

そのことについて一度聞いたことがあった。


「結婚…は、いずれしなくてはいけないのはわかっているわ。

でも、わたくしいろんな人と話してから決めたいのよ。

だって、一生を共にするのよ? 後悔したくないの」


その時は「それもそうね」と納得した。

けれどマリーはいろんな人と話すどころか、縁談自体を受けるのも稀だと。顔馴染みの使用人が不思議そうに話してくれた。


嫌なのだ、マリーは。

結婚することがではない。

縁談相手に結婚するに相応しいか否か、「値踏み」をされるのが耐え難い苦痛なのだ。

だから縁談自体を片っ端から断っては周囲に「だって…わたくしこのお家が大好きなんですもの。まだみんなと一緒にいたいわ」などと吹聴して誤魔化している。

だがデビュタントから三年。だんだんと薹が立ってきてその言い訳も聞き苦しい年齢にさしかかってきた。


「レイチェルはそれでいいの?」

「どういう意味かしら?」

「だって…あなた、あんなに働きたがっていたじゃない。

それなのにあっさりと結婚するだなんて…」


働きたがっていたのではない。

働くしか道が無さそうだから働き口を探していただけだ。

幸い、働くのは嫌じゃないので訂正しなかったが…

どう返したものかと思案していたらマリーがハッと何かに気付いたような表情で私を見た。


「レイチェル…ごめんなさい。

わたくしったら鈍感で…どうして気付かなかったのかしら。

あなたのお家がそんなに困窮していたなんて…

そうだとわかっていたら、わたくし…あなたを友人ではなく専属のメイドとして雇っていたのに…」


今度は私が目を見開く番だった。

マリーは、この女は、今、自分が、どれほど私を侮辱しているのか、理解できないのか。

ティーカップを持っていた手が震える。

カップごと目の前の女にお茶を叩きつけたくなるのを必死で堪えて、ティーカップをソーサーに戻した。


「マリー…」


はああ、と…

淑女らしからぬ盛大な溜息が出てしまった自分を、責める人間がいたら逆に責め立てたい気分だ。


「ね、レイチェル。わたくし、お父様に相談してみるわ。

だから無理に結婚することなんてないのよ?

友人が不幸になるのを黙って見過ごすなんて出来ないわ」

「心配は不要よ」


低く冷たい声色にマリーがびくりと肩をこわばらせる。

もともと声は高くないが、普段はマリーに合わせてなるべく高めの声を出していた。


「夫となる方は同じ男爵家でね。と言っても懐事情はうちとは雲泥の差だけれど。

家業で出版社を営んでいるそうなのよ。

結婚したら私にも家業を手伝ってほしいと言っていたわ。

一通り仕事をこなしてみて、やりたいことがあればやらせてくれるって」

「そんな…そんなお仕事、貴族のするものではないわ…」


マリーの言っていることは貴族としてもっともだ。

現場作業は平民に任せて、それを取りまとめたり取り締まったりするのが大半の貴族の在り方だろう。

けれど出版業は少々事情が異なる。

貴族向けの書籍や新聞には平民にはおいそれと明かせない情報が山のようにあるのだ。

あの日、書斎で父から縁談が来ていると聞かされた時には自分もびっくりした。


「お前に縁談が来ている」

「私にですか!? どこから!? 一体どんな事情で?!」

「落ち着きなさい。…まあ、落ち着けというほうが無理か。

ターナー男爵家は知っているか?

そう、お前が愛読している新聞を発行している、あのターナー男爵家だ。

縁談の申し込みに「送られた書評が目に止まり、是非とも一度お話がしたい」とあったのだが…

お前、何を送ったんだ?」

「書評…あっ!」


ほとんど忘れかけていた。

半年ほど前、新聞社宛に最近読んだ本の評論を送ったのだ。

タイムス新聞は貴族向けではあるが、大変ニッチな層…犯罪や警吏関連の職に就いている人が読むような記事を扱う硬派でマニアックな新聞社だ。

その新聞の一角には「深層心理探究」というコーナーがある。

人の持つ複雑な心の動きや犯罪心理について、学べるコンテンツを感想とともに紹介する欄だ。


そこに、私は冤罪で追われる主人公と真犯人がそれぞれ違う形で警察に立ち向かうという内容の小説の感想を送ったのだ。

感想自体は簡潔に纏めたのだが、それとは別に履歴書を送っていたのも思い出した。

新聞社での仕事に興味があった私は、女であっても出版ならもしかして…と思い、何か自分に出来る仕事は無いか、何かあったら懸命に働くので一度話を伺いたいと書き添えた。

それがまさか、縁談になって返ってくるとは誰も思わないだろう。


「なるほど…そんな手紙を出していたとは…」

「申し訳ありません、お父様…

私もダメ元で…良くて書評が採用されるくらいだろうと思ってました。

まさか出版社で働けるとは夢にも思っていませんでしたから…」

「採用通知どころかまさか縁談が申し込まれるとは…

ま、これもご縁だ。

良い方向に話が纏まれば私から言うことは何もないよ」

「お父様!」


大雑把…もとい楽天家の父を頼もしいとあの時初めて思った。

縁談はトントン拍子に纏まり、婚約期間という名の試用期間が終わったらすぐさま結婚する段取りとなった。


「ねえ、マリー」


ただ名前を呼んだだけなのに、そんなに怯えた目で私を見ないでほしいわ。

それとも彼女には、私の後ろに鎌を手にした死神でも見えているのかしらね?


「お互い、もう立派な大人よ。

いつまでも逃げているわけにもいかないでしょう」

「わたくし、逃げてなんか…」

「あら、そう?

そうだ、あなた以前画家になりたいと言っていたわよね?

夫にかけあって新聞の挿絵だけでも描かせてもらえないか相談してみましょうか?」

「え…」

「何せ新聞だもの。たくさんの人に見てもらえるわよ。

きっと感想が来るわ。

あなたの絵がどんな風に人から評価されるのか、一度体験してみるのもよいのではなくて?」

「そんな…わたくしなんかが大切なお仕事を奪ってしまうなんて…新聞社で雇われている画家に失礼だわ」


ふぅん、頭が回っていないのかしら。

随分陳腐な言い訳だこと。


「なら、やっぱり早めに結婚相手を見つけるのがよいのじゃないかしら?

もう今年もデビュタントが迫っているでしょう?

良い男を狙って、若くて可愛い子がシノギを削る季節になるわね。

酷なことを言うようだけれど、年を重ねれば重ねるほど、良い方と巡り合える機会は減っていくわよ」

「わかっているわよ!」


あら、もはや取り繕う余裕も無いみたい。

この程度でボロが出るなんて、さては淑女教育からも適当に理由を付けて逃げていたのかしら。


「ひどいわレイチェル…! どうしてそんなにわたくしを責めるの…!?」


いつ、私があなたを責め立てたのかしら…?

ぽろぽろと涙を流すマリーの姿を見ると胸が痛くなる。

罪悪感からではない。

体は大人なのに、泣く仕草が10歳前後の少女のようで大変痛々しいからだ。


私は何も言わず、マリーが泣き終わるのを待つ。

やがて泣き止んだマリーは不思議そうな顔をして私を見つめた。

「どうしてわたくしを慰めないの?」と顔に書いてあるようだ。


マリーと何年も一緒に過ごした時間の中で、楽しかった思い出がまったく無いわけではない。

お互いに好きな画家や作家を語り合い、マリーは絵で、私は詩で目に映る景色を表現したのは宝石のような時間だった。

私は何もせずとも全てを持っているマリーが羨ましかった。マリーから見た私も、世界に恐いものは何もない、それは強く勇ましい女に見えたことだろう。

自己愛が強すぎるだけで、マリーは人を傷つけたいわけではないのだ。


…きっと巡り合わせが悪かったのね。


誰も悪くないが全員が悪いとも言える。

マリーはもっと行動を起こすべきだったし、私はマリーの背中を押してあげられるような励まし方をするべきだった。

子爵夫妻はマリーを甘やかすのではなく、自立した女性に育てるべきだったし私の両親も、子爵家の援助を断ればここまで縁は続かなかった。


もう二度と私からマリーには会わない。

それが友人として、私がマリーにしてあげられる最後のことだろう。


「もうここには来ないわ。

次に会う時は、あなたが訪ねてきてちょうだい。

さようなら」

「ひどい、ずるいわレイチェル…」


何に対して「ずるい」なのか。

聞きたかったが、聞こえないふりをして子爵家を後にした。



一年ほど後、私は出版社を営むターナー男爵家に嫁いだ。

出版の仕事に関わるのは想像以上に大変で目まぐるしく、時間が経つのもあっという間だった。

夫は穏やかで優しく、仕事に手は抜かない実直な性格。部下からの信頼を一身に集めていて、彼ならば信頼し合える夫婦になれると思う。


外見はまあ、普通より少し下かな…くらいだけれど、性格が良く家業も右肩上がりなら、私よりも良いお話がいくつもありそうなものだが。

不思議に思って聞いてみたら「何十回も見合いをしたんだけど、出版の仕事が大変すぎて全員断られた」だそうだ。

さもありなん。確かに平民ギリギリの男爵家でもない限り徹夜も珍しくない出版業は貴族令嬢には厳しいだろう。


あれからマリーがどうなったのか、伝手を使ってカーティス子爵家の噂を集めてみたが何も聞こえてこなかった。

何も聞こえてこない、ということはマリーはいまだ行動を起こしてはいないのだろう。

自己愛は決して悪いものではないけれど、身を守る盾だったものが自身を閉じ込める檻になってしまったことに、彼女はいつ気付くだろうか…


私たちが生きるこの世界はまったく優しくない。

しかし悪いことばかりでもないし、時には美しいものをたくさん見られる。

世界が自分に合わせてくれないなら、自分が世界に合わせた方が長い目で見たらきっと楽だ。


「レイチェル、記者から届いた記事の校正を頼むよ」

「はいはい、あら、新しく開店したレストランのメニューと感想ね!

どんなお料理を出すお店かしら、うふふ、読んでいるだけでも楽しいわね」

「良さそうなお店かな? 取材がてら今度寄ってみようか」

「素敵、是非行きましょう。持ち帰りも出来るかしら?

家族にも食べてもらいたいわ」


今度、夫に特集記事を載せてもらえるか相談してみよう。

マリーが好きだった画家の絵が飾られている、美術館の特集だ。

会話内容ほぼ実話。

もうね、作品に昇華して「いいね」の一つでも貰わないとやってらんない。

自分を見下しすぎて逆に見上げちゃってるくらい自己否定と自己愛のジェットコースター。

絶叫マシン苦手な作者はもうお腹いっぱいです…


追記:愚痴昇華のために書き殴った作品がまさかまさかのランキング20以内入り&高評価!

読んでくださっただけでもありがたいのに感想も多く寄せていただき本当にありがとうございます。

感想を読んだら思った以上に皆様の身近に『マリー』がいる…

苦労してるのは私だけじゃなかった…『マリー』に振り回されてる『レイチェル』なみんな、お疲れ様です…

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
「俺はまだ本気を出してないだけ」を、地でいく人なんですね。  代案を出さないのに、こちらの提案をほのかに拒否する友人を思い出しました。儚げで意見をはっきり言わずに、自分の気持ちを押し通すという…実は…
自分は「マリー」のような人間だと思われるので、耳に痛い勉強として拝読させて頂きました。相手からどう見えるかを記述して頂き、ありがとうございました。
作者様は異世界の住人だったのか‥とはならないのですよね。ヒューマンドラマですもんね。怖い。 でも、自分が果たしてマリーぽいことしてないか、と振り返ってみると、 あれ?ちょくちょく似たような事してるかも…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ