81. カレド・オルヴァン
ヴァルディアに到着してから一ヶ月が過ぎた。
その間、ルナ(ルイ)は闘技大会の情報収集やこの街に潜む危険の探りを入れるため、ほとんど一人で動いていた。
エマもまた、ルナの留守中、魔力を鍛えるため、インフィナイトの箱の中でヴィラやクロと共に特訓を繰り返し、休息の時間にはヴァルディアの街を歩いて刺激に満ちた日々を楽しんでいた。
この日も、夕飯の買い出しのため市場へと足を運んでいたエマは、陽気な人々の笑い声と騒がしい呼び込みに包まれていた。
「新鮮なリンゴはいかが?」
「特製ハーブ入りのパンだよ!」
にぎやかな通りに心弾ませながらも、視界の隅で異変を感じ取る。
(なんの騒ぎ……?)
遠く、コロシアムの方向から人々のざわめきが波のように広がっている。エマは足を止め、そちらに耳を傾けた。誰かが怒鳴り声を上げ、金属の響きが混じる。状況を確認するため、彼女は素早く市場を離れ、帽子を深く被り直す。
エマは人混みを縫うようにしてコロシアムの正面へと向かった。
近づくにつれ、異様な緊張感が肌を刺す。騒ぎの中心には、コロシアムの管理者らしき男たちと対峙する一団――魔法連盟の紋章を身につけた者たちがいた。
その先頭に立つのは見覚えのある人物、魔法連盟のリーダーの一人であるリチャードだった。
「この闘技大会は即刻中止だ!」
リチャードの怒号が広場全体に響き渡る。
「優勝賞品として掲げられた古代魔法具――その力を理解せぬまま手にする者に渡せば、この地に破滅を招くことになる!」
大会側の責任者は額の汗を拭いながら必死に抗議する。
「大会は国王陛下の命によるものだ! 魔法連盟といえど、我々の領域で命令する権利はない!」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、重厚な馬車が近づいてきた。装飾された銀の扉が開き、威風堂々とした男性が姿を現す。彼はヴァルディアの現国王、カレド・オルヴァン。
彼の青いローブには金糸で刻まれた古代文字が輝き、片手には王権の象徴であるサファイアの杖を握っていた。王はゆっくりと視線を巡らせ、リチャードの方を向いて口を開いた。
「これは私の命令による大会だ。魔法連盟といえど、私の統治する地において口出しする権利はない。優勝者が古代魔法具を手にするのは正当な権利だ」
リチャードの眉間のしわがさらに深くなる。彼は息を呑み、拳を握りしめた。怒りと警戒が混じった声で、ようやく言葉を絞り出す。
「陛下、本当に『フレア・ソルヴィール』の危険性をご存じの上で、そのような判断を?」
その声には、抑えきれないほどの怒りと不安が滲んでいた。リチャードはもう一歩前へと踏み出し、国王をまっすぐに見据えた。
カレド・オルヴァンは微動だにせず、涼やかな目でリチャードを見つめた。
「太陽の力を宿す魔法具。その名が示す通り、その力は国ひとつを焼き尽くすほど。そう言いたいのだろう?」
「その通りだ!」
リチャードはさらに声を強め、口調も鋭くなった。
「歴史の教訓を忘れてはならない。過去にフレア・ソルヴィールがもたらした破壊は、あなたも――」
「忘れるはずがない」
国王は冷徹に言葉を返した。
「だが、真にその力を支配する者が現れねば、その力は永遠に封じられたままだ」
リチャードは口を開きかけたが、その目に宿る王の冷たい決意に圧され、言葉を飲み込む。
「君がそんなにもその力を恐れるのなら、リチャード」
国王の唇に冷たい笑みが浮かび、ゆっくりとリチャードに向けて言い放った。
「大会に参加して、自らの手で奪えばよい。そうすれば、その力を封じることも自由だ」
その言葉に、広場は一瞬の沈黙に包まれる。群衆の中には、驚きと興奮が入り混じったざわめきが広がる。
「陛下、それは……」
リチャードは険しい表情のまま、必死に反論しようとするが、国王は冷徹に手を上げて彼を制する。
「言い争いは無益だ。ヴァルディアでは、力を示す者こそが全てを決する――この大会の勝者がその資格を証明するのだ」
一瞬の沈黙の後、カレド・オルヴァンは背を向け、重々しい声で言い放った。
「魔法連盟もまた、規則に従わねばならぬ。退け、リチャード」
その言葉を最後に、場の空気は一変した。王の命令に従うしかないリチャードは、渋々部下たちと共にその場を後にする。
しかし、彼の目には決意の炎が宿っていた。次の一手をどうするか、すでに心の中で決めているように見えた。
エマはその姿を見守りながら、胸の中に重たい予感が広がるのを感じていた。




